「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過①
幸い、登壇してお話し頂いた方々が皆さんとても素晴らしいお話で、会場いっぱいの参加の皆さんが聞き入っていただきました。皆様、本当にありがとうございました。
参加者の皆様には当日お配りしたのですが、今年の会が10回目。これまでの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」がどんなものであったのか、簡単ですが、振り返ろうと思います。始めたのは、2008年です。今日は、はじめの5回のプログラムのご報告です。登壇頂いた方々の敬称は失礼ながら略させていただきます。
8・6ヒロシマ平和の夕べ
(2008年~2016年の概要)
2008年 (反戦平和研究集会として出発)
平和講演 米澤鐵志(広島・電車内被爆者)
「百雷のような轟音。電車の窓ガラスはすべて壊れ、辺りは真っ暗。地獄のような惨状だった」と話し、朝鮮人被爆者、日本の戦争責任に言及、核兵器廃絶へ民衆の運動を広げようと訴えた。
今中哲二(京都大学熊取原子炉実験所)
立山紘毅(山口大学)ほか
2009年
平和講演 河野美代子(産婦人科医 広島被爆二世)
司会 上原 公子(前 国立市長)
ピアノ演奏 池辺 幸恵
映像 ヒロシマを忘れないために
空襲の地より 青木 忠(「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」著者)
リレートーク 米澤鐵志(広島 電車内被爆者)
三浦 翠(原発いらん!山口ネットワーク)
小林圭二(元京都大学原子炉研究所講師)
2010年(被爆65年)
平和講演 高 史明(コ サミョン 作家)
「ヒロシマ、ナガサキに至るおびただしい犠牲の歴史。近代合理主義は原爆に行きついた。日本人民がこれにどう向き合ってきたか、これからどういう態度をとるのか」
司会 河野美代子
リレートーク 池田精子(広島県被団協副理事長)
「ケロイドが酷く心にも深い傷を負った。死んだ方がよかったと親に当り散らしたが、父親の愛を受け生きた。生きている間に核廃絶を」
知花昌一(沖縄読谷村議会議員 反戦地主)
2011年
平和講演 中沢啓治(広島被爆者 漫画「はだしのゲン」作者)
インタビュアー 河野美代子
司会 中村周六(浄土真宗本願寺派僧侶 釈尊正)
リレートーク 草薙順一(伊方原発訴訟・弁護士)
小林圭二
「原子力はアラモゴード、広島・長崎の3発の原爆から始まった。平和利用はその側面に過ぎない。(福島事故は)化けの皮がはがれ、ヒロシマ・ナガサキに戻った」
歌 早苗 ねね(「サヨナラ戦争」~憲法9条を歌う)
2012年
平和講演 小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)
司会 河野美代子
歌 三代目春駒(ミュージシャン「その男ヨシオ」を歌う)
トーク 近藤紘子(広島被爆者)
講談 神田香織(講談師 いわき市出身「講談 はだしのゲン」を公演)
「中沢さんは、『いまでも、原爆で死んだ弟を思い出し、夜中に飛び起きるんだ』といわれました。血みどろの体験を踏み台に、『みんなに生きてほしい』と。それにしても福島事故への対応、日本という国に、ぞっとします」(談)
肺がん闘病中の中沢さんも車いすで参加、神田さんの講談を聞かれました。
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