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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過」⑨昨年の会の続きです。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の振り返りは本日で終えます。実は、昨年2016年の平和の夕べのブログでの報告が、昨年、中途半端に終わっています。途中で私のブログを強く非難する人がいて、それ以上続けられなくなったのです。まあ、長く続けていると、いろいろとあるものです。今、お詫びを兼ねて、ここに昨年の会を少し詳しく書いています。

会では、実行委員の一人、中村周六さんが、その年の3月に行った福島のフィールドワークについての報告をすることになっていました。しかし、彼は、はじめに会場に向かって「ナミアムダブナミアムダブ」とおがむことから始まって、仏教のお話をしました。会場は寺町の広島別院共命ホール、中村さんはお坊さんで法衣姿、全く違和感はありません。しかし、司会の私は多いに戸惑いました。

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その時、中村さんは大腸がんの末期でした。そして、その年の11月12日に亡くなりました。原信幸さんに続いて、私たちは大切な仲間をまた失いました。中村周六さんについては、ここから二日間にわたって書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-4094.html

そして、この会の音楽は古川悦子さんにお願いしました。古川さんは、新体操の日本女子の音楽の作曲、伴奏で活躍されています。広島音楽高校時代のお友達沖本多恵さん、山崎賀子さんと一緒に中沢啓治さん作詞の「広島 愛の川」を美しい歌声と共に演奏して下さいました。そして、会の終わりには、古川さん作曲の「東日本大震災のための追悼曲」を浜本直子さんのフルートと共に、演奏して下さり、参加者のみなさんは大変感動しました。「広島愛の川」の写真は、会の前のリハーサルのものです。

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ご報告が遅れてすみませんでした。

いろいろと紆余曲折がありながらも、ここまで続けることができました。これも多くの方々のご支援があってのことと感謝しています。ありがとうございます。今、スタッフ一同自由に考え、話し合い、楽しく向き合っています。これからもいろいろと模索しながらこの会に取り組んでいきたいと考えています。どうぞ、ご支援よろしくお願いします。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過⑧3.11避難者の声

先日お願いした「フクシマ子ども支援の会」へのご支援、本当にありがとうございました。この夏の保養兼甲状腺の検診は、今週末で終了します。今度は、秋になります。今、続いて検査をしなければならない子どもたちがだんだん増えてきて、その親子さんが断続的に来られる状況が続いています。

頂いたご支援はすべてその親子さんたちに交通費としてお渡ししています。皆様のご厚意、深く感謝申し上げます。
昨年、2016年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」ではこれまでも何度もお話していますように、福島から関西への母子避難者森松明希子さんと東京に避難している中学生の男子生徒さんがお話して下さり、参加者の胸を打ちました。

その森松さんは、今年は原水禁の女性部会でお話をされました。その時にいただいたのが、この本です。

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避難している方の声が、実名や匿名でたくさん集められていて、生の声を聴くことができます。いじめ問題も「いじめ被害の生徒の母」からの手記もあります。「逃げる勇気」と「助けてと言える力」とも。

それらを読むにつれて、こんな状況を作り出したのは、原発事故であり、原発を推進してきた政治そのものだということが実感できます。

森松さんのあとがきから。

『本書に登場する避難当事者は、3.11までは皆様と同様に、この国でふつうに当たり前の日常を送っていた、市井の人々です。ただ一つだけ違いがあるとするならば、3.11およびその直後に発生した東京電力福島第一原発事故の影響で、実際に「避難」を決断し、それを敢行した、ただそれだけなのです。日常の暮らしを営んでいた皆さんと変わらぬこの国で暮らしていた人たちの現実の声なのです。…』

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以上、ご案内しますね。多くの方に、現実の当事者の声に耳を傾けて頂きますように。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過⑦2016年の会

2016年、昨年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」での平和講演は児童文学の那須正幹さんでした。「ずっこけ三人組」などの那須さんは、三歳の時にヒロシマで被爆していらっしゃいます。そして、「広島の原爆」という大変な絵本も西村繁男さんと共に出版していらっしゃいます。


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那須さんは、小学校のクラスには被爆者も多く、親のいない子もいたし、中学の時には同じクラスの女子が原爆の影響で白血病で亡くなったこと(佐々木貞子さんは、ヒロシマに沢山いたということ)など、ご自分の体験を元に、著書を手にしながらお話して下さいました。

会の始まりには、スタッフの一員である久保田さんが開会あいさつで自分の両親が原爆で亡くなった様子、戦後親がいない生活が本当に大変であったことなどを語りました。

来賓のあいさつは、横浜から松本正さん。広島二中の一年生だった弟など身内10人を原爆で亡くしたこと、この日、念願の10人の名前を書いた灯篭を作ってきて会の後流すことなどを語ってくださいました。灯篭流しでその灯篭を流された後の写真です。私が合流して撮りました。


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今もお元気で子どもたちに体験を話していることなどをフェイスブックで報告してくださっています。私たちのところでは、とても短い時間しかなくって申し訳ないことでした。いつかリベンジをしたいと思っています。

被爆体験は、池田精子さん。一度、ご自分の被爆の話をしていただいたことがあります。今回は、被爆直後の被爆者運動の話をしていただきたいとお願いしました。女学生だった池田さんは、お顔のケロイドで13回もの手術を繰り返すなど、大変な戦後を生きられました。早くから、吉川清さんなど被爆者の集まりに参加し、それがやがてヒバクシャ運動となっていきます。

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夜行列車で東京に行き、東京駅で顔を洗い、首相官邸や国会に行き、陳情したり、座り込みをしたり。そのような粘り強い運動で困窮していたヒバクシャへの支援を訴え続けたこと。それは、貴重なお話をしていただきました。今、この時の話ができるのは、池田さんしかいらっしゃいません。陳情に行ったときの鳩山邸での写真です。


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今、池田さんは入院していらっしゃいます。どうぞ、また健康を回復して語りべをして下さいますように祈ります。

もう少し続きます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過⑥平和の夕べでの音楽

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の音楽では、矢川光則さんの尽力で被爆ピアノの演奏を戴いていました。

2013年と2014年の2年連続で演奏して下さったのは、三浦裕美さんです。三浦さんは、エリザベート音大卒、第38回全日本盲学生音楽コンクール第2位入賞していらっしゃいます。2013年に演奏して頂いた時、その優しい音色と語りが大好評で、2014年にもう一度お願いしたのです。

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そして、2015年被爆70年には、すでにお伝えしたように、音楽でもとても大規模な「平和の夕べ」を行いました。沖縄から沢山の方に、そして福島からも来て頂きました。広島からは、「オペラはだしのゲン」のお母さん役の藤田真弓さん。ピアノは松本寛美さん。

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福島からの山本さとしさん。「ヒロシマのある国で」の作詞作曲者です。

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沖縄からの津波勇雄ん、仲間直美さん、川崎盛徳さん、松本忠さん。でも、私のパソコンには仲間さんと川崎さんの写真しかありません。ごめんなさい。

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そして、この年には元広島市長秋葉忠利さん、被爆電車の米澤鐵志さん、京大の小林圭二さん、福島の元双葉町長井戸川克隆さんという、沢山の方に話して戴き大変充実した会になりました。

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車いすダンスくらぶの公演と宮島花火大会

激動の二日間を過ごして、いまは静かなところで一人電話当番をしています。ほとんど寝ていないので、居眠りをしそうです。

昨日は、診療の合間のお昼時間には広島車いすダンスくらぶの公演に行き、大泣きして。

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診療後はアストラムライン、JRで満員の列車の立ち席に耐えて、宮島口へ。そこで水中花火大会でした。

福島からの親子さんや、友人たちと花火を堪能して。

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そして、今朝は泊まった方たちの朝ごはん。福島の親子さんを駅までお送りして。他の方たちも帰られた後、タオルの洗濯をしたり、残り物の始末をしたり・・・。大荷物を持って大急ぎで広島に帰ってきました。荷物が重くて、階段の上り下りがきつく、腰が痛くなりました。

でも、昨年に続いて、今年も福島の方たちに花火を見て頂いて、それが何よりでした。

今晩、電話当番の後、急にお声がかかって、カープにいくことになりました。今日は、自転車で行きます。

明日、また「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の振り返りを書きますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過⑤福島の日塔マキさん

 今朝のこと、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」について、ブログを一生懸命書いたのです。ところが、もう少しで終わりというときに、ぱあっとすべて消えてしまいました。新しいパソコンにして二回目です。もう、時間もなく、いつか書かなければで、こんな時間になってしまいました。とにかく忙しくて、ばたばたしっぱなしで。でも、これまで毎日欠かさず書いてきたものを、ここで挫折してしまうわけにはいきません。今もう今日ギリギリですが、少しでも、今朝書いたものを再現しようと思います。


2014年に福島のことを語ってくださった日塔マキさんには、2012年の初めに、福島からの保養に親子さんを迎えた時に知り合いました。彼女は独身でしたが、親子さんのサポートのために一緒に来ていました。

そして、2012年の8月にたくさんの女性を広島に連れてきてくださいました。皆さん、原発の事故による放射能で、いったい私たちはどうなるのかという不運を持っていました。結婚、妊娠、出産は?と。

その女性たちに、私は話しに行きました。私が若かったころに持った不安と彼女たちの不安が重なっていました。私自身の経験を通して、いろいろと伝えたいことがありました。


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そして、2013年、4人の若者が「8.6ヒロシマ平和の夕べ」で話して下さり、2014年には日塔マキさんにさらに福島の現状について話していただいたということです。

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悩んでいた日塔さんが、2015年には、妊婦さんになっていました。うれしくて。
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そして、今年の三月、赤ちゃんと一緒に会いました。

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たくましいです。2012年の初めに福島から親子さんを保養に迎えて、その時に出会いました。それから、彼女の生きざまにすっと触れさせていただいています。きっとこれからも。そして、私自身が元気をもらい続けるだろうと思います。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過④2014年は、女性ばかりで

2014年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、落合恵子さんを中心にすべての発言者が女性というプログラムで行いました。

落合さんは、子どもと女性のための本屋さん「クレヨンハウス」を運営し、作家として多くの著作を出版し、かつ今では原発や憲法などについての欠かせない論客であり、活動家でもあります。これからは「名詞」ではなく「動詞」で生きようと、熱いメッセージをわかりやすく語ってくださいました。

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被爆の体験は在日韓国人被爆者の朴南珠さん。戦前、戦中、そして電車に乗っていて被爆、過酷な戦後の生活などを語ってくださいました。

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原発については、水戸喜世子さん。早くから原発の危険性を科学的に説き、救援連絡センターを作るなどの活躍をされタ物理学者の水戸巌さんの奥様です。水戸喜世子さんの講演中のちゃんとした写真がありませんので、水戸巌さんの講演録をまとめ、かつ巌さんと双子の息子さんたちの遭難死の前後などの著書の写真を載せますね。


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フクシマからは、日塔マキさんに。福島で若い人達と「女子の暮らしの研究所」を作り、会津木綿を挟み込んだピアスの制作、販売などに頑張っています。その前年には、たくさんの若い人を連れてきて、妊娠や出産についての不安などを考え、学習したことをみんなで発表してくださいました。

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平和の夕べの振り返り、もう少し続けますね。

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広島車いすダンスくらぶ・フクシマ子ども支援の会

 しばらく「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のことをずっと続けていたら、お伝えしたいことがたくさんたまってきました。「平和の夕べ」は次にして、今日はお願いをさせてくださいませ。

まず、お願いしたいことの一つです。これまでの「フクシマ子ども支援の会」での、福島の親子さんの広島への保養と甲状腺の検診はこの夏にも続いています。私たちは、これまで広島に来られる親子さんへの宿舎の提供と、交通費の支援などを行ってきました。

また保養だけではなく、これまでお伝えしていますように、甲状腺がんにかかり、広島のドクターの手術を受けた青年の、広島への通院も続いています。その方への手術代、交通費の支援も行ってきました。

それらについて、ここなどにもご報告やカンパのお願いもしてまいりました。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-4af4.html

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/post-d853.html

が、ここにきて、何分にも小所帯なもので資金が行き詰まっています。個人的にも最大限のご支援をおこなっていますが、心苦しいのですが、皆様にまたお願いをしたいのです。お振込み先は次のごとくです。「フクシマ子ども支援の会」の代表は平木薫さんです。申し訳なくて縮こまるような思いでお願いをしています。どうぞよろしくお願いします。

ゆうちょ銀行 記号 15160 番号 59741081 フクシマコドモシエンノカイ


もう一つ、広島の誇り、「広島車いすダンスくらぶ」の定期公演が今週末、26日の土曜日に行われます。

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広島車いすダンスくらぶのホームページは次のところにあります。

https://hwdc.jimdo.com/

車いすの人と、サポートの人が一緒になって踊る舞台は、一見華やかで、でも不自由な体で生き生きと踊る姿にいつの間にか感動で涙ぐんでいる、そんな舞台です。カナダ、アメリカ、中国、韓国など世界中での公演も行い、今や世界に名だたる「車いすダンスくらぶ」になっています。昨年は、定期公演の後、東京での公演を成功裏に終えました。今年は、10月に宝塚で公演します。関西の皆様にもぜひ観て頂きたいですね。

26日の広島での公演のチケットは、私のクリニックにもあります。

以上二点、どうぞよろしくお願いします。


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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過③福島の青年たち

 これまでの8.6ヒロシマ平和の夕べをもう少し振り返ります。2013年、第6回目からです。やはり敬称略でごめんなさい。

2013

平和講演     今中哲二(京都大学原子炉実験所助教)

コーディネーター 河野美代子

被爆ピアノ

トーク      矢川光則(ピアノ調律師 ヒロシマ被爆二世)

演奏       三浦裕美(エリザベト音大ピアノコース卒業 1988年、第38回全日本盲学生音楽コン

クール第2位入賞)

紙芝居      宮崎謙一(長崎被爆者)
福島から          佐藤健太、日塔マキなど福島の青年たち


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2014

平和講演     落合恵子(作家)

コーディネーター 河野美代子

被爆ピアノ演奏  三浦裕美

リレートーク   朴 南珠(パク ナムジュ 在日韓国人被爆者)

         水戸喜世子(『原発は滅びゆく恐竜である』
                            ~水戸巌著作・講演集~編著者
)

福島から     日塔マキ(「女子の暮らしの研究所」代表)

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2015(被爆70)

開会あいさつ   秋田明大(自動車整備工 広島被爆二世 呉市在住)

平和講演     秋葉忠利(前広島市長)

          「核廃絶は、実現できない夢ではない。生きることすら絶望的だった被爆者が3度目の使用を防ぐ力になった。ヒバクシャの抑止力を劣化させない」

広島から     河野美代子

沖縄から     川崎盛徳(元沖縄県読谷中学校校長)

リレートーク   米澤鐵志

         小林圭二

被爆ピアノ演奏&歌

広島から     藤田真弓(「オペラはだしのゲン」より)

         松本寛美(ピアニスト)

沖縄から     津波勇雄(ピアニスト 読谷村在住)

         仲間直美(ピアニスト 那覇市在住)

         川崎盛徳

         松田忠 (三線演奏 読谷村在住)

福島から     山本さとし(「ヒロシマの有る国で」作詞作曲                                     シンガーソングライター)

 井戸川克隆(元双葉町長)

2016

開会あいさつ   久保田圭二 (広島被爆者・元レストラン「リゾート」オーナー・両親爆死の様子、戦後生き抜いた大変な状況などをあいさつで )

来賓あいさつ       松本正 (広島被爆者・弟は広島二中一年生。
                            身内の計
10人が広島で被爆死)
平和講演     那須正幹 (児童文学作家 広島被爆者)

コーディネーター 河野美代子

リレートーク   池田精子 (戦後の被爆者運動・ヒバクシャ同士話しあうのが生きる支えだった。 夜行列車で東京へ。東京駅で顔を洗い、国会や首相官邸へ)

         森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)

          「福島の現実と向き合う。広島、長崎の被爆者の存在と運動は大き                       な支え」

         中村周六 (浄土真宗本願寺派僧侶・釈尊正)

ピアノ演奏    古川悦子 

2013年の福島からの青年たち、2014年の日塔マキさん、悩みながらも力強く立ち上がりつつある姿は感動でした。2014年はすべての発言者を女性で行いました。落合恵子さんのお話には、女性たちがたくさんで、会場は人であふれてしまいました。明日、もう少しこれらの会についてお話しますね。
 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過②2011.12年の会

昨日の一覧表でもお分かりいただけたかと思いますが、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、第一回から、「ヒロシマの継承と連帯を考える」ことと共に、必ず「原発」を取り上げてまいりました。京都大学原子炉実験所の今中先生、小林先生などが協力してくださいました。

そして、とうとう2011年、福島第一原発の事故が起こりました。その年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、ハダシのゲンの中沢啓治さんにお出でいただいて、私のインタビューという形でのトークをしていただきました。中沢さんは、チェルノブイリに行き、進行した甲状腺がんでもう余命いくばくもないという少女にも会われていました。

同時に、伊方原発の運転差し止め訴訟の原告団の草薙弁護士にもお話して頂きました。また、京都大学の小林先生にも、起きたばかりの福島原発についてお話して頂きました。


そして、2012年。小出裕章先生にお出で頂きました。 この年の平和の夕べは、歴史に残るといってもいいほど私たちの心に深く残りました。

小出先生のスライドから。広島の原発で燃えたウランの重量800グラム。その核分裂で生成した核分裂生成物の重量と、原発一基が一年間に燃やすウランの重量は1トン。その生成する核分裂生成物の重量の比較。このスライドは視覚的にはっきりわかる衝撃的なものでした。


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さらに、IAEAに対して日本政府が報告した、福島原発で大気中に放出されたセシウム137の量の広島の原爆との比較です。


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セシウム137は、半減期30.1年。水に溶けやすく、体内に入ると甲状腺や筋肉に住み着いて、内部被ばくを起こします。
これらの話をデータを示しながら、丁寧にやさしく話てくださいました。

また、この時にはドイツの緑の党のベーベル・ヘーンさんが飛び入りで参加し、発言してくださいました。これは、会の後の交流会での写真です。


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被爆者の話は、広島の被爆者、アメリカではもっとも有名なヒバクシャとされる谷本清牧師の長女の近藤紘子さんにお話し頂きましたし、講談師の神田香織さんに講談「はだしのゲン」を語っていただきました。それを聞きに来た下さった中沢啓治さんです。

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中沢さんは、肺がんと闘っていらして、この4か月後に亡くなりました。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過①

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」は、今年の初めから、そして決定的には3月から、大変な状況がありました。一時呆然としましたが、それでも実行委員一同必死必死に取り組みました。皆様にも混乱の中、ご迷惑をおかけして、大変申し訳ございませんでした。会を開くまで、どれだけの方におい出頂けるものかわからず、とても不安でした。

幸い、登壇してお話し頂いた方々が皆さんとても素晴らしいお話で、会場いっぱいの参加の皆さんが聞き入っていただきました。皆様、本当にありがとうございました。

参加者の皆様には当日お配りしたのですが、今年の会が10回目。これまでの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」がどんなものであったのか、簡単ですが、振り返ろうと思います。始めたのは、2008年です。今日は、はじめの5回のプログラムのご報告です。登壇頂いた方々の敬称は失礼ながら略させていただきます。


8・6ヒロシマ平和の夕べ
                (2008年~2016年の概要)

 

 

2008年    (反戦平和研究集会として出発)

平和講演     米澤鐵志(広島・電車内被爆者)

「百雷のような轟音。電車の窓ガラスはすべて壊れ、辺りは真っ暗。地獄のような惨状だった」と話し、朝鮮人被爆者、日本の戦争責任に言及、核兵器廃絶へ民衆の運動を広げようと訴えた。

今中哲二(京都大学熊取原子炉実験所)

立山紘毅(山口大学)ほか  

 

2009

平和講演     河野美代子(産婦人科医 広島被爆二世)

司会       上原 公子(前 国立市長)

ピアノ演奏    池辺 幸恵

映像       ヒロシマを忘れないために

空襲の地より   青木 忠(「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」著者)

リレートーク   米澤鐵志(広島 電車内被爆者)

         三浦 翠(原発いらん!山口ネットワーク)

         小林圭二(元京都大学原子炉研究所講師)

 

2010(被爆65)

平和講演     高 史明(コ サミョン 作家)

          「ヒロシマ、ナガサキに至るおびただしい犠牲の歴史。近代合理主義は原爆に行きついた。日本人民がこれにどう向き合ってきたか、これからどういう態度をとるのか」

司会       河野美代子

リレートーク   池田精子(広島県被団協副理事長)

          「ケロイドが酷く心にも深い傷を負った。死んだ方がよかったと親に当り散らしたが、父親の愛を受け生きた。生きている間に核廃絶を」

知花昌一(沖縄読谷村議会議員 反戦地主)

 

2011

平和講演     中沢啓治(広島被爆者 漫画「はだしのゲン」作者)

インタビュアー  河野美代子

司会       中村周六(浄土真宗本願寺派僧侶 釈尊正)

リレートーク   草薙順一(伊方原発訴訟・弁護士)

         小林圭二

          「原子力はアラモゴード、広島・長崎の3発の原爆から始まった。平和利用はその側面に過ぎない。(福島事故は)化けの皮がはがれ、ヒロシマ・ナガサキに戻った」

歌        早苗 ねね(「サヨナラ戦争」~憲法9条を歌う)

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2012年     

平和講演     小出裕章(京都大学原子炉実験所助教)

司会       河野美代子

歌        三代目春駒(ミュージシャン「その男ヨシオ」を歌う)

トーク      近藤紘子(広島被爆者)

講談       神田香織(講談師 いわき市出身「講談 はだしのゲン」を公演)

          「中沢さんは、『いまでも、原爆で死んだ弟を思い出し、夜中に飛び起きるんだ』といわれました。血みどろの体験を踏み台に、『みんなに生きてほしい』と。それにしても福島事故への対応、日本という国に、ぞっとします」(談)
肺がん闘病中の中沢さんも車いすで参加、神田さんの講談を聞かれました。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑩米澤鐵志さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の最終の発言は米澤鐵志さんでした。

米澤さんは、電車内ヒバクシャの数少ないサバイバーです。著書に「僕は満員電車で原爆を浴びた:11歳の少年が生き抜いたヒロシマ」があります。

 この「8.6ヒロシマー平和の夕べ」の第一回の講演者であり、以後毎年この会に参加してくださっています。

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米澤さんは、今京都在住。いつも多くの所から求められて証言活動をなさっています。

先日も、ある専門学校で証言したと。その時に、原爆の被災だけでなく、日本の加害の話もしたと。そしたら、学生さんたちから、日本がそんなひどいことをしたなんて、全く知らなかったと。拉致よりもひどいことをしていたのですね、と。戦争への道を突っ走ろうとしている今、この歴史をちゃんと伝えていかないといけない。

それらをちゃんと伝え続けたこの会を今後も続けてほしいと言われました。
私は、ありがたくてありがたくて。いろいろとあった今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、この会に今年も米澤さんが参加してくださったこと、そして私たちを励ましてくださったこと。つい涙ぐんでしまって、最後の言葉も皆様ありがとうございましたとしか言えませんでした。

米澤さんは、翌8月7日、83歳のお誕生日を迎えられました。米澤さんと共にヒロシマで8月6日を送ることができたのは、本当に大きな喜びです。ありがとうございました。どうぞ、これからもますますお元気で、若い人たちに語ってあげてくださいませ。

 来年も、いい企画をして米澤さんをお待ちしますね。私の大切なツーショットです。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑨川口真由美さん・Yasuさん

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、毎回音楽の演奏、歌もお願いしています。今年は、川口真由美さんにお願いしました。川口さんは、沖縄のMakoto Yasuと共にきてくださいました。

川口さんは、関西を中心に、沖縄や韓国でも大活躍の方です。これまでにもこの8.6ヒロシマ平和の夕べに参加し、交流会で歌ってくださっていました。

広島に来て、灯篭流しを見た後で作ったといわれる「悲しみから生まれた平和への道」など、それは素晴らしい歌を歌ってくださいました。

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そのステージは、You Tubeのここでアップされています。



川口さんとYasuさんの力強い歌は、参加者の胸を揺さぶり、力を与えてくださいました。

心から感謝します。ぜひ皆様も聴いてくださいませ。

なお、フェイスブックでは「悲しみから生まれた平和への道」と、Yasuさんと共に歌われた「沖縄いまこそ立ち上がろう」をそれぞれアップしますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑧大塚愛さんのお話・続き

 大塚愛さんのお話は、福島の現状、今も避難している人達、子どもの甲状腺がんのことなどに続きました。その場でのお話の細かいデータなどはメモできなかったので、以下のデータは、私がネットで調べたものです。

今も避難している人達。10万人を超えています。これは福島県が発表し、NHKが取り上げたデータですが、ここにもあるように、避難指示が続いている浪江町、富岡町、大熊町、双葉町、飯館村の5つの町と村から県内に避難している住民、あわせて2万4000人以上が含まれていないそうです。福島県では、仮設住宅などの狩りの住まいを出て、災害公営住宅に入居したり、避難先で住宅を再建したりした住民は「安定した住まいがあるむとして避難とみなされないのだそうです。

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そのうえ、自主避難者の公務員宿舎などへの住宅の無償提供や家賃補助などが今年の4月から打ち切られています。母子避難などの世帯分離している人達も多く、生活が成り立たなくて悲鳴を上げていると。

また、子どもの甲状腺がんも増え続けています。これは、今年の6月5日に公表された福島県民調査報告です。

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 報道も少なくなった今、ともすれば人々は福島の人々のことを忘れそうになっています。私たちは、これからもずっとずっと福島の方々のことを見守りたいし、支援し続けたいと思います。

ところで、平和の夕べの後の交流会では、大塚愛さんが歌ってくださいました。彼女の県議の選挙の時に作ったという「一歩」。子どもたちもそれを覚えて歌ってくれたと。ここに素敵な歌声をアップできないのが残念ですが。フェイスブックでアップしますね。

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大塚愛さん、その日の朝福島を発って広島に駆けつけるという、大変お忙しくお疲れのところ、お話してくださって、本当にありがとうございました。これからも「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、必ず福島の人々からの発言も続けます。

どうぞ、ますますのご活躍を。応援しますね。

 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑦大塚愛さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」福島から故郷の岡山に家族で避難していらっしゃる大塚愛さんにもお話をしていただきました。

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大塚さんは、岡山大学教育学部卒後、農業研修のために福島に。そこで大工さんの修行もして、家を自分で建てたと。その時の写真をたくさん見せてくださいました。田んぼで鋤をしているところ、木を切っているところなどなど。でも、一番素敵と思ったのは、自分でスコップで一週間かけて井戸を掘っている写真です。その写真を皆さんにも見て頂きたいなあと思いましたが私の手元にはなくて残念。電気も自家発電で。

そして、あの大地震。ご自分で建てた家は大揺れしたけれど、びくともせず、普通に生活できていたと。そのあとの原発の事故。家族で岡山に避難されました。

福島での生活について、7月27日のこのブログで皆様にお伝えしているのですが、ここに記述してある、福島での幸せな生活について、もう一度ここに掲載しますね。福島原発岡山裁判での陳述書からです。

『1 私のこと

私は広島県福山市で出生して,1歳から25歳までこの岡山で過ごしました。

私が福島で生活を始めるようになったのは大学を卒業した3年後の1999年のことです。大学では教育学部で幼児教育を専攻しました。大学卒業後,自分の夢を模索する中で自給自足と大工を目指すようになり,福島県川俣町にある農場で農業研修を受けることになりました。

半年間の農業研修ののち,私が生活をしていたのは福島県双葉郡川内村というところです。川内村は浜通りの中部に位置し,福島第一原子力発電所からは30キロ圏内にあります。川内村の当時の人口は3000人くらいでした。

私はこの村に自分で小屋を建てて住み,村の大工の親方に弟子入りし,平日は大工仕事を,土日は農作業をしながら生活していました。

川内村に移ってから4年後,仕事の関係で福島に来た夫と出会って結婚し,川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを感じていました。』

そのような生活から逃れなければならなくなって、2011年3月に避難され、その年の5月に、福島にいる子どもたちの保養受け入れや、避難している人達のサポートのために「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ活動されています。さらに、岡山県議の横田悦子さんが亡くなった後の補選に立候補し、見事当選され、いま、県議としても活躍されています。

福島から避難されている人、子どもの甲状腺がんのお話など。明日に続きますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑥小野英子さんのお話・続き

 小野英子さんのお母様の信子さんが英文で書かれ、英子さんが翻訳、編集された「炎のメモワール」については、ここに書いています。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2017/08/post-ded6.html

小野さんから頂いたコピーをさらにコピーして、参加者全員に配りました。

体験の語りではサラリと話されましたが、「炎のメモワール」を読んで、もう、涙を禁じえませんでした。被爆直前の平和な一家の朝の様子、そして夫は学徒動員の現場へ、上のお嬢さんの洋子さん8歳は、学校へと出て行った直後の原爆投下。お母様と英子さんは、倒壊した家の下敷きになるも、なんとか脱出。その直後はもう火の海となり、洋子さんを探しに行こうとするも、かなわなかったこと。それを何度後悔なさったことか。火の中に飛び込んででも行けばよかったと。

その後、避難先から洋子さんを探し求めて。やっとやっと見つけた時には、亡くなっていた遺体と化していました。その直前まで「お水を頂戴」と言い続けていたと。もう少し早く見つけていたら、と、これも幾度後悔されたことでしょう。

夫の山本先生が亡くなったことは学校で知ったと。時計などのわずかの遺品があるのみで、遺骨もどっては来ませんでした。

こんな思いをどれだけの人がしたことでしょう。まったく、原爆を開発した人、落とした人、落とせと命令した人、それよりも戦争を始めた人たち。この人達は人間の命をどう考えていたのか。戦争のための一つの駒でしかなかったと。駒にも一人一人命があり、思いがあり、家族がいて、 ということなどは全く頭にないのでしょう。それは、今の日本の安倍首相をはじめとする政治家の多くの頭にも。

この手記は、被爆の2年後に書かれ、アメリカの「TIME」に送付するも、GHQの検閲にかかり、没収されました。信子さんが亡くなった後の遺品の中から英子さんが見つけ、翻訳、編集されたものです。信子さんが、生前にこのことを知られたなら、どんなにかホッとされたことかとそれは残念です。

小野さんには、関東地方を中心に証言活動をされていますが、広島で話すのは初めてとのことです。重い、大切なお話をして頂きました。

Img_1286 小野英子さんは、いま重い肺がんの治療中です。抗がん剤で髪がすっかり抜け落ちて、今やっとここまで生えて来たと。それはそれで素敵ですよ、白髪がとても上品ですと申し上げました。

私から言うまでもないのですが、どうぞ、どうぞお体を大切になさって、そして、貴重な体験のお話を多くの方にしてあげてくださいませ。戦争や被爆がどんなことなのかを知らないまま、知ろうともしないまま、戦争への道を突き進もうとしている今だからこそ、小野さんの活動はとてもとても大切なものだと思います。

この度は、本当に来て頂いて、お話し頂いてありがとうございました。参加者みんなの胸を打ちました。私たちは、この小野さんのお話を大切にこれからも活動していきたいと思います。心から深く深く感謝申し上げます。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑤小野英子さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご報告の続きです。永田浩三さんの講演の報告に続いて、小野英子さんのお話の報告をしなければならなくって。でも、なかなかできないで、だらだらと私の日常の報告ばかりしていました。小野さんのお話があまりに大きくて、書きづらかったのが原因です。

でも、いつまでも逃げていてはならないと。いを決して今日のご報告を書きます。当日の会の司会でも私は言えませんでした。


小野さんのお父様は当時、広島二中の教師でした。私の父と同僚です。お父様は全滅した二中一年生とともに、爆心地の本川川岸でなくなりました。生徒に君は頑張って家に帰れ、先生はもう歩けないと、生徒の手を握ってその後亡くなったと。ポプラ社の「いしぶみ」にも書かれています。 私の父は偶然が重なって生きました。

お父様とお姉さまをなくされて、お母様と二人、その人生はいかばかりだったかと。生き残った父から生まれた私は、幸せに育ててもらいました。それが何とも後ろめたかったこともあります。

当日の朝、何年ぶりかで二中の慰霊式に出ました。二中の一年生だったお兄様をなくした竹田さんも一緒です。私は父の存命中は一緒に行っていたのですが、亡くなってからは、6日の夕方一人でお参りしていました。

二中の慰霊碑は一年生が全滅した本川の川沿いにあります。道路を挟んで式典は行われます。その真ん中の道路を安倍首相の車が厳重に警備されて通りました。

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二中の碑の前での小野さんです。背景が警察官だらけですが。

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小野さんの講演は幸せなご一家の写真から始まりました。

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そして、お母様の著、小野英子さんの訳の「炎のメモワール」と「いしぶみ」を手にお話されました。

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広島でお話しされるのは初めてということですが、そのお話は壮絶なものでした。

明日に続きますね。

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別府です。

 無事別府にいます。昨日は、二十日市での事故渋滞につかまってしまって、普通4時間のところを6時間かかってしまいました。休みは下松で15分とっただけ、食事をすることもせず、パンを買ってかじりながら運転し続けました。というのも、渋滞でと夫が母に電話をすると、どうして夜に帰らなかったのかと言われたというので。情けない思いをしながら、とにかく急ぎました。

別府に到着すると、病院に直行です。4時に母のご機嫌がどうかと心配しながら到着しましたが、まずまずのご機嫌だったのでホッとしました。


私の母だったら、または私だったら、急がなくていいから、気を付けて帰ってねと言うのですが、 何十年経ってもまだ私はこんな言い方には慣れません。

母とお話したり、買い物をしてきたり、爪を切ってあげたり。でも、大失敗、切れない爪切りで悪戦苦闘していたら、母の指も切って出血させてしまいました。バンドエイドを二回張って、何とか止血しましたが、ごめんなさいです。足の爪は、巻き爪になっているのもあって、なかなかでした。足にできている魚の目も削ってスムーズにしてあげて、喜ばれました。

病室から中庭です。ヘリポートがあります。この前来た時には、ちょうど大きな音がして、ドクターヘリがやって来ました。全県下をカバーしているのでしょう。

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夜になるまで病室にいて、帰る途中電話があって、福岡の兄夫妻が大分の兄のところにきていると。それならと家にきてもらうことにして、急遽お買い物、晩御飯を一緒にしました。我が家のそばのスーパーには、お魚屋さんがしているお寿司がとても豪華でおいしいので、それを買って、オードブルも買って。お味噌汁を作って、話が弾みました。

一晩泊まってもらって、朝ご飯です。

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白いのはヨーグルト。味噌汁は玉ねぎとジャガイモとシイタケとネギで。いりこがなかったので、うるめいわしを焼いたのを一匹入れて出汁にしました。ナス単独のは、油でいためておしょうゆと鰹節の、私の定番のです。オランダを久しぶりに作りました。大分の郷土料理です。これを炒めて、みそとお砂糖で味をつけて、小麦粉でとじます。ごはんにのっけて食べると美味です。

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今からまた母の病院に行きます。お墓参りもあるし、忙しいです。

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叔母夫妻のお墓がありませんでした。

昨日は、カープ。薮田の素晴らしいピッチング。9回、口をキュッと結んでモクモクと投げる姿に、じんわりと感動しました。菅野に投げ勝って、完投、完封。1対0でも、まったく退屈せず、ピッチングに魅せられて過ごしました。いい試合を見せてもらいました。


さて、出雲の続きです。ブドウ狩りの後、おばさん夫妻のお墓のあるお寺を探して行きました。大きなお寺です。私はおじさんのお葬式に行ったきり、姉や夫はおばさんのお葬式にも行っています。お寺に着いて、夫はさっさと墓地に入っていきます。どこに叔母たちのお墓があるのかを知っているのでしょう。そして、後から行った私たちに「お墓がない」といいました。ここなんだけど。なくなっていると。そんな、そこではないんじゃないの?


私と姉は、お墓を一つ一つ探しました。そして、同じ姓のお墓が並んでいるのを見つけました。あったあったと。夫を呼びに行くと、夫は、お寺の住職さんのお住まいの玄関で何か話しています。

そして、「やっぱりお墓はないって。弟さんが墓上げをされたって。」弟さんの管理するお墓の方に持って行かれたと。

  おばさん夫妻には子どもはいません。おじさんが亡くなってからはおばさんは一人暮らしをしていました。おばさんの身内は、おばの姉である私たちの母の子、私たち兄妹だけです。そのおばさんが亡くなって、家は空き家です。その家のことなどは、こちらでしますからとおじの弟さんが言われました。この度、家にも行ってみました。住む人のいない家はさびれていました。

お墓にはおじさんの御両親も一緒に葬られていました。そこがこのようになっていました。


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私たちは何にも知りませんでした。呆然としながら、持って行ったお花をそこに置いて拝んで帰りました。もう、私たちには叔母さんのお墓はどこにあるのかもわかりません。おばが亡くなって二年。墓上げ、早かったねえ。もう墓参りはできんねえ。口数も少なく、私はひたすら運転して帰りました。

考えてみれば、河野のお墓だって。私たちの息子には女の子が一人いるだけです。どうなるのかねえ。私の両親は、教会の共同墓地ですので、まったく心配はありません。こんな方法が何よりと思えてきます。

今日からお盆を過ごすために大分に帰ります。まずお墓の掃除です。母の事、これからどうするか、夫が考えなければなりません。

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出雲にて。

玉造の旅館「松の湯」はそれは丁寧な接客で気持ちよく過ごすことができました。

何しろギリギリになってじゃらんで探した宿です。玉造は高いという偏見があって、でも一泊二食付きで税込み14040円、夏休みなのにえらくやすいかな?と恐る恐るだったのですが。

でも、姉と私には部屋の浴衣だけでなく、色浴衣と帯を自由に選んで貸してくれたし、かわいい模様の巾着と色足袋や朝のラウンジでのコーヒー券も下さったし。心配した食事も懐石で食べきれないほどたったし。温泉は広く気持ちよいし、上がると冷たい水だけでなく、アイスキャンデーをどうぞとくれるし。

本当に決め細かいサービスが行き届いていました。

旅館の中庭です。

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朝食会場の横の個室には、大きな勾玉がありました。大きい!!

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とても気持ちよく過ごして、翌日、出雲市の平田でお墓参りをしました。

その 帰り、母の妹夫婦の家がどうなっているのか、そしてお墓参りもしましょうと、そちらに向かって行っていると、ハウスが並んでいる広い農場がありました。見ると、ブドウ狩りと書いてあります。寄ってみることにしました。お墓詣り以外は何の目的もない気ままな旅です。

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ブドウ畑に入るのは初めてです。いろいろな種類のブドウを摘んで1キロ1300円で買い取りしました。

そして、叔母夫妻のお墓のあるお寺に行って、びっくりの事態でした。落ち込んで複雑な思いで帰路に着きました。また明日にしますね。


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お昼の講演の後、玉造りに来ました。

おはようございます。玉造の朝です。早く眼がさめたので、散歩に出ました。

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温泉の真ん中を川が流れています。川のせせらぎと、鳥の声、それに夏と思えないほど涼しくて。正面は勾玉橋といいます。ここは昔からめのうの産地です。だから玉造りなのですね。そのあと、朝の温泉に入りました。いいのかしらと思うほど、贅沢な思いをさせてもらいました。

昨夜の夕食です。

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昨日はお昼に国保会館で国保連合の職員の組合の方たちにお話しをしました。こんな贅沢な場所の最上階。部屋いっぱいの人が来てくださいました。

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講演の後、若い男性がそばに来て、高校時代に先生の話を聞きました。内容はよく覚えていますと言ってくれてうれしかったです。

 そのあと、島根に出発。途中突然バチバチとあられが降り始め、それからすさまじい雨。前が見えなくなるほどの土砂ぶりでどうなることかと思いました。でも、こちらに着くとからりと晴れていましたよ。

いまから朝ごはん、そして平田にむけ出発です。こんな贅沢に思いをさせてもらえるのも、ここにお墓がある両親のおかげだと感謝しています。



 

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」④うれしいお電話

昨日、すごく嬉しいお電話をいただきました。8.6ヒロシマ平和の夕べに参加して頂いた方です。もう80歳を超えていらっしゃるでしょうか。とってもいい会をありがとうと。みん素晴らしかったと。特に、永田さんのお話には、知らないこともたくさんあったと。ご夫婦で、四国五郎さんに似顔絵を描いてもらったこともあるのだそうです。

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そして、当日の資料としてお配りした中にある「ヒバクシャ国際署名-被爆者は核兵器廃絶を心から求めます」この署名集めをすると。たくさん集めるからと。なんと,私たちの会にきて、即、このような行動をする決心をされたということが、とっても驚いたし、うれしかったのです。ありがたいことです。頑張って「平和の夕べ」をしたかいもあったというものです。

私にとっても、たくさん学ぶことがありました。そして。私自身、被爆直後から核兵器廃絶のために頑張られた被爆者の方たちとの接点がたくさんあります。私も被爆後の歴史の中に生きてきたのだなあと改めて感じました。その接点を大切にしなければ。


まだ小野さんのお話、大塚さんのお話、川口さんの歌など、報告することがたくさんあります。飛び飛びになるかもしれません。ゆっくりと報告させていただきますね。


今日から私は一周間の休みに入ります。今日のお昼にこんな講演をします。

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職場の組合の方たちに、お昼ご飯を食べながらお話を聞いていただきます。働く方たちに女性の体の話を聞いていただけるのはうれしいです。組合だから、休憩時間しか使えないと。だから短時間になりますが、ギュッと濃縮して話をしようと思います。


すんだらすぐに車で出発して出雲の両親のお墓参りに行きます。これも楽しみなのです。お墓参りの時にいつも泊まる出雲のホテルがいっぱいで泊まれませんでした。で、じゃらんで検索したら、玉造温泉に宿泊できるところが見つかって、万歳です。一泊だけですが、これが私の本当の夏休み。うれしくて。少しのんびりできるかな?

あとは、たくさんたまっているいろいろな用事を済ませて、大分に出発。河野の実家です。母がまだ入院中ですが、退院されるかもしれません。少しでも親孝行をしないとね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」③永田浩三さんのお話から・続

今朝、多くの写真を新しいパソコンに取り込もうとしたら、うまくいかなくなって。あせってあれこれしてうまくいかなくって。結局ブログが書けませんでした。やあ、まだまだですねえ。今は、前のパソコンで書いています。診療が済んで、もう夜です。やっとやっと。

永田さんの講演ですが。一部だけをお伝えするのもなかなか難しくて。結局、私の心に残ったことだけを。

被爆の後、プレスコードで原爆については書いてはいけない、外部にだしてはいけない、それに反すると逮捕され、命も危なくなるという状況の中で、多くの詩人や作家等が表現しました。

大田洋子、原民喜、栗原貞子、正田篠枝、杉浦翠子、峠三吉、そして四国五郎。


この大田田洋子は、1940年に「桜の國」で朝日新聞の懸賞募集で一位になっています。被爆後「夕凪の街と人と」。1945年11月「屍の街」完成。「三日間乞食のように伏し起きた短い日。死骸と眠ることも怖れぬ忍耐の限度を見た」



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正田篠江の歌「ズロースもつけず黒焦げの人は女か 乳房たらして泣きわめき行く

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われらの詩から生まれた詩

「ヒロシマの空」(林幸子)

・ああ、お母ちゃんの骨だ。・・・
  ・おかあちゃんの骨は口に入れるとさみしい味がする・・・


「原子雲の下より」「原爆を生きて」・峠三吉・山城巴・川手健

そして、1965年山代巴編の「この世界の片隅で

山代巴のまえがきは、自殺した川手健の事。被差別部落、在日朝鮮人、沖縄の被爆者などの被爆者の中のマイノリティに焦点を当てています。

そして、NHKと四国五郎さんが共に呼びかけた「市民が描いた原爆の絵





1050年、この年6月、朝鮮戦争が勃発し、8月5日、平和大会の中止命令が出た、その中で、福屋の屋上から大量のビラがまかれた事。それは核兵器の使用を食い止めるために、命がけで被爆者が行った事。(私は、そのビラを撒いた方に直接お話を伺っています。)

こうして、ヒロシマの文化人たちが本当に命を懸けて平和のために頑張った事、改めて胸に響きました。

でも、私の頭はまだ混乱しています。永田さんが丁寧に話されたことをこのような形で出していいものか、嫌悪感に陥りますが、その片鱗でも感じて戴ければ・・・。すみません。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」②永田浩三さんのお話から

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のIWJによるインターネット配信。昨日ご案内したアドレスはハイライトでした。ごめんなさい。次のごとく配信されると連絡がありましたので、ご案内しますね。

===== ===== ===== ===== =====

<<86日収録 >>

86ヒロシマ平和の夕べヒロシマの継承と連帯を考える
<配信日時>
2017
812日(土)16001830
<配信チャンネル>
IWJ
広島チャンネル・視聴URL
http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=hiroshima1
インターネットができる環境にあればどなたでもご視聴いただくことができます。
===== ===== ===== ===== =====

ぜひぜひ皆様に見て頂きたいです。今もまだ永田さん、小野さん、大塚さん、米澤のお話と川口真由美さんの歌がじんわりと胸に響き続けています。時間がない中で書いていただいたアンケートも、皆さん素晴らしかったという言葉であふれています。ありがたいことです。本当に今、やってよかったとあらためて感じています。

それから、参加者の皆様にお配りした資料、今朝改めて出してみました。これは、スタッフの一人ひとりがそれぞれ資料を集め、印刷し、袋詰めしたもので、宝物が詰まっています。永田さんのスライド原稿、小野さんとお母様の「炎のメモワール」、大塚さんの福島原発岡山裁判の裁判の陳述書、それから、これまでの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の9回までの歴史。全国の皆さんから寄せられたメッセージ、賛同して下さった方々の一覧、などなど。私自身にとっても、大切な資料で、宝物として大切にしたいと思います。

永田浩三さんのお話。

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 永田さんは、広島の被爆二世であり、NHKのプロデューサーとして「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などの番組を多く作ってこられました。

永田さんのお話は、その朝の記念式典から始まりました。式典の周りから「安倍かえれ」「安倍やめろ」の怒号が響くも、NHKの式典中継では、まったくその声は拾われていなかったと。でも、民放ではそのまま流れたと。

そして、お母様の被爆の話から、ヒロシマの話に入られました。被爆直後は「空白の10年」であったといわれる。1945年9月からのGHQによる検閲・プレスコード。原爆のことを語れない・表現できない・共有できない、被爆者のことに目が向かない・救済がされない。

しかし、「確かに語ることは困難だった10年ではあったけれど、その陰で広島の作家、表現者たちがどんな活躍をしたか、綿密な取材に基づいて詳しく話をしてくださいました。

私も知らないこともいっぱいあって。例えば、峠三吉の「原爆詩集の序」・「ちちをかえせ ははをかえせ こどもをかえせ・・・にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」これは骨だけ。じつは原型の詩はもっと細かい
「勤めへと 食物あさりへと 出かけたきり帰らぬ 父をかえせ 母を返せであったと。

この話、続きますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」①皆様ありがとうございました。

昨日は、大成功で「8.6ヒロシマ平和の夕べ」を終えることができました。お話してくださった皆様、賛同して下さった皆様、参加してくださった皆様、本当に本当にありがとうございました。

今年は第十回目でした。思いがけないいろいろなことがあって、名簿もお金もないところからの出発でした。が、スタッフはかえって自由に楽しくなったし、結束も強まり、3月からひたすら走り続けました。それぞれが自分の名簿を持ち寄り、とりあえずのお金を出し合いました。

何とか会が開けるところまで来ましたが、それでも実際どれだけの方が来て下さるのか、わからないままに不安な思いでこの日を迎えました。でも、続々と来て下さる方を見て心が震えました。

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結局、ここ数年でももっともたくさんの方が来て下さり、200部用意していた資料も足りなくなってあわてました。後から来られた方には不十分な資料しかお渡しできなくて申し訳ございませんでした。

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いつものフラグは、スライドで。

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また、昨日の会はIWJで全世界にインターネット配信されました。ここから、アーカイブでも見られます。私も、十分にお話を聞けなかったこともありますので、後からゆっくりと観るつもりでいます。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/394672

昨夜はものすごく疲れていましたが、一晩ぐっすり寝ると、幸せな目覚めで昨日のことをかみしめております。まだ参加者数、皆様からのアンケートや、スタッフの反省などできていませんが、皆様に感謝をお伝えしたく、写真を含めてアップしますね。

でも、私は司会でしたので、自分では全く十分な写真が取れていません。皆様のフェイスブックなどから写真をお借りしたく、お願いします。特に山路さん、浜中先生、お写真を拝借、どうぞお許しくださいませ。間にいろいろ寄り道するかもしれませんが。

もう一度、本当に皆様ありがとうございました。

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8.6前夜

本通りと平和公園をつなぐ橋のたもとでの「小さな祈りの影絵展」。今年も展示されています。継続は素晴らしいです。今年は被爆前の産業奨励館、今の原爆ドームと平和な市民の姿が描かれています。

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その橋を渡って、昨夜の平和公園です。

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私は今から広島二中の慰霊祭に参加します。小野英子さんと、お兄様がやはり二中の一年生で碑に名前が刻まれている平和の夕べのスタッフの竹田さんと山下さんとご一緒します。

そのあと準備をして、いよいよ「8.6ヒロシマ平和の夕べ」です。多くの皆様のおかげで、無事開くことができます。ありがとうございます。

昨日、森松亜希子さんが、原水禁世界大会広島大会「女性の広場」で講演をした後、クリニック訪ねてきてくださいました。診療中で、長く話ができなかったのが残念。でも、とってもうれしかったです。お互い、頑張りましょうね。

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小野英子さんからのプレゼントです。

 広島では、原水禁世界大会をはじめとして、すでに様々な会が始まっています。

「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」では、広島市の小・中学校の児童・生徒、教師などの教育関係者の方たちによる慰霊祭が開かれました。今朝、出勤途中に、この会に参加していた性教育仲間の城さんにお会いし、写真をお借りしたい旨、お願いしました。

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城英介さんの写真です。この教師と子どもの碑には、正田篠枝さんの

「太き骨は先生ならむ
そのそばに
小さきあたまの骨
あつまれり」
という歌が刻まれています。

そして。私たちの8.6ヒロシマ平和の夕べでお話し頂く小野英子さんから、すばらしいプレゼントが届きました。小野さんの著書「炎のメモワール」を読みたいと思って、いろいろと探したのですが、見つかりませんでした。amazonでは、中古の二冊、14500円のと、99980円のが出品されていて、この中の14500円のを買おうとしたのですが、うまくいかなくてあきらめておりました。その炎のメモワールをコピーしたものを参加者にプレゼントしてくださるのだそうです。

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小野英子さんのフェイスブックから。

『(小冊子から 〜はじめに)
 これは、私の母・山本信子が、原爆投下2年後に英文で書き残した手記を日本語に翻訳したものです。

 信子は1906年(明治39年)、日系移民二世として、アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市パフワヒ街に生まれました。アメリカ国籍を持ち、現地の学校に通って英語で教育を受けましたが、13歳のときに日本に帰って広島に住み、英語教師となるべく勉学に励みました。そして、同じように英語教師を目指していた山本信雄にめぐりあい、結婚。信雄は旧制県立広島第二中学校(広島二中)の、信子は旧制広島市立高等女学校(市女)の英語教師として働き、私の姉・洋子と私・英子の親となりました。

 1945年8月6日、広島に一発の原子爆弾が投下され、爆心地近くで二中の1年生321人と共に建物疎開の作業に従事していた信雄は、全身に火傷を負って、その日のうちに死亡。洋子は観音国民学校の校庭で被爆し、2日後の8月8日朝、郊外の救護所で死亡しました。

 原爆投下2年後という、まだ心が血を噴いているような状態の中で、なぜ信子はこの手記を書いたのか。それは、世界の人々に原爆の悲惨さを知ってもらいたいという願いからでした。手記はアメリカの『TIME』誌宛てに送付されましたが、GHQの検閲にかかって没収され、願いはかないませんでした。

 信子は70歳のときに甲状腺がんで亡くなりました。遺品の中に手記を発見し、その願いをかなえたいと思って、英語、日本語、エスペラント語の小冊子にまとめました。小冊子は1982年の国連軍縮特別総会などで配布され、信子の願いの一部をかなえることができました。

 原爆投下72年が経過した今、もう一度、信子の想いを伝えたいと、日本語のみをまとめました。どうぞお読みくださいますようお願いいたします。』

小野英子様、本当にありがとうございます。心して読ませていただきます。

広島はものすごく熱いです。どうぞ、お気をつけておいでくださいませ。楽しみにお待ちしております。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」へのメッセージ②

昨日の、福島からの避難者の森松さんのメッセージに続いて、沖縄からもメッセージを戴きました。

ヘリ基地反対協議会の共同代表である安次富浩さんからです。ヘリ基地反対協議会は、正式名称を「海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会」と言います。

安次富さんは、名護市在住。毎日のように辺野古での座り込みをし、日本中に沖縄の闘いのアピールに駆け回っていらっしゃいます。いつか、広島にも来て頂いてお話をお伺いしたいのですが、今回はメッセージを戴きました。ありがたいことです。

とても大切なことが書かれています。転載しますね。写真は、2016年2月21日、国会前での「止めよう!辺野古埋め立て2.21国会大包囲」での動画から戴きました。


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8・6ヒロシマ平和の夕べ 参加のみなさんへ

     メッセージ

  

ヒロシマ・ナガサキ、福島、沖縄が手をとりあって    安次富 浩  

傍若無人な安倍政権は、共謀罪強行採決、森友学園・加計学園問題等で民衆の怒りをかい、支持率も下がり窮地に追い込まれています。一強多弱とマスコミでもてはやされてきましたが、「砂上の楼閣」に過ぎないことが鮮明になりました。

許せないことは、国連の核兵器廃絶条約締結に反対したことです。広島・長崎の被爆者の願いを無視し、福島第1原発事故の被害者をないがしろにする原発再稼働にアクどい政権を打倒するときです。無念なことに、最大野党は民衆の声に依拠せず内部対立を繰り返しています。民衆のパワーで野党共闘や新たな政党をつくる時期が到来したといえます。その団結の基軸は、非核・脱原発と非軍事・平和闘争です。

沖縄は、「沖縄県民の心に寄り添い」「普天間基地の危険性除去のため」「辺野古移設が唯一の解決策」という差別的三段論法で沖縄の民意を無視し続ける安倍政権とたたかっています。沖縄の民衆はオール沖縄の団結で非暴力・不服従の抵抗闘争をもって、警察の弾圧に屈せず抵抗し続けています。辺野古では、作業車両の搬入を阻止するため、キャンプ・シュワブゲート前での座り込み、海上での船やカヌーで抗議行動を展開しています。沖縄の闘争信念は「勝つ方法は、あきらめないこと」であり、したたかに、そして、しなやかに抵抗することにあります。

ヒロシマ・ナガサキと福島の民衆が沖縄と手をとりあって、安倍政権やそれにつながる自公政権を倒し、民衆のパワーで民主主義をつくりあげましょう! 朴槿恵前大統領を退陣に追い込んだ韓国民衆のたたかいに続きましょう! (あしとみ・ひろし ヘリ基地反対協議会共同代表)                      

 

安次富さん、ありがとうございます。私たちも心して、さらに頑張りますね。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」へのメッセージ①

今日から私にとっては大きな冒険が始まります。この前の岡山での性教協全国夏期セミナーでの理論講座で動画が動かなかったこと、これが大ショックで。今日も広島県主催の講演があります。それをちゃんとしなければなりません。これまでの愛用のパソコンがいっぱいいっぱいで、いろいろと軽くしようと何度も工夫してきたのですが、どうも限界です。
一応こんなことになるだろうと新しいパソコンは用意していました。それを稼働させました。四苦八苦。いつも講演などで旅に出るときに持ち歩きます。で、少しでも軽いものを、でも機能はちゃんとしたものを選んだつもりです。

でも小さくて。キーボードも小さい。つい、隣のキーと一緒にうってしまいます。それから、会社が違うので、いろいろな場所を探すのが大変。どこに何が隠れているのか、探しても分からないときに、泣きそうになります。Windows7から10になりました。パワーポイントもバージョンアップ。まあ、はじめは苦労だけど慣れるときっと好きになるでしょう。

講演のパワポもバッチリです。念のためにUSBにコピーして持っていきます。

さて、8.6も近づいてきました。昨年の平和の夕べでお話し頂いた森松明希子さんからメッセージが届きました。以下、転載しますね。


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平和を愛する全世界の皆様へ             森松 明希子

 

今年も、広島の地で戦争による原子力爆弾の被害にあわれ、ヒバクを経験し、72年もの間、語りつづけ、伝えつづけて下さる広島の皆様方に心から感謝を申し上げます。

 

私は6年前に起きた福島原子力惨禍からの原発国内避難民です。二人の子ども達とともに避難を続けています。現存する放射能から身を守り、命を守るためです。避難するという決断を選択できたのも、この国が広島・長崎の原爆核被害を受けてはしまいましたが、ヒバクシャの皆様方の語り継ぎがあり、私自身がヒバクと向き合うことができたからです。

 

「放射線被ばくから免れ健康を享受する権利」は人の命にかかわる最も大切な憲法で保障された基本的人権です。

 

広島のみなさまの思いとともに、福島原子力発電所の惨禍による核被害について真実を伝え、現実から目をそらさず、これからもともに向き合って参りたいと思います。 

 

福島から大阪へ、2児とともに母子避難中 (もりまつ・あきこ 原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表・原発賠償関西訴訟原告団代表・東日本大震災避難者の会 Thanks Dream/サンドリ代表) 

   

 

森松さん、メッセージありがとうございます。なお、森松さんは、今年の原水爆禁止世界大会広島大会「女性の広場」でお話しされます。森松さんのお話も多くの方に聞いて頂きたいと思います。

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さて、私の新しいパソコンでの投稿、うまくいきますでしょうか。うまくアップできたら、一人で拍手します。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のいろいろです。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」についていろいろです。


川口真由美さんのフェイスブックから。メッセージです。

『Peace  2017 ヒロシマ
8.6 広島で会いましょう。

昨年の8.6もまた、たくさんの方と出会わせていただき、今もつながっています…ありがたい…大切。椅子がステージで、歌った交流会も思い出深い…
歌が歌だった、涙が出た、人の輪…...
一昨年は、CDに入れた「悲しみから生まれた平和への道」も、現地で作りました…

現地で会えますように。
平和を。』

また、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に伊方原発運転停止広島裁判の原告団から2名の方が参加されることになりました。本集会では発言時間が取れないので、交流会で発言していただくことになりました。

大塚愛さんも交流会に参加されます。賑やかになりそうで、うれしいことです。

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写真は8.6ヒロシマ平和の夕べの2015年の交流会です。川口真由美さんが歌っています。左の方で山下氏が黒のTシャツを着ています。

昨日、黒の新しいTシャツが出来上がって来ました。早い!! 私たちはこれを着て、原水禁世界大会等でのチラシを配ります。


8.6関連の行事の一つを。

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様々な国の方たちがお花を活けられます。ぜひご覧下さいませ。この事務局長の嵯峨御流の青野直甫さんは、毎週私のクリニックでお花を活けて下さっています。

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今日からリアル広島です。

 昨日、京都→岡山での性教育漬けからリアル広島に帰って参りました。

今日からまた診療です。

岡山での理論講座、何とかやりましたが・・。動画を4本用意していたのが、動きませんでした。まあ、それは焦りましたが、仕方がないので、その動画の内容を自分の口でしゃべるという・・・ことで、でも、肝心なことをしゃべってなかったことに後で気づいたり・・・。山谷えり子氏のインタビューで「避妊を教えるのは、家族を壊すこになると思います。命の大切さは、お花がきれいに咲いていたり、ちょうちょが飛んでいたり、昆虫が一生懸命歩いているのを見たり、それで十分感じることができたのですね。」そこまでは動画を私の口で再現したのですが。「避妊を教えるのは、結婚してから」という、ここを忘れてしまいました。「結婚してから避妊を教えろ」って、一体誰が教えてくれるのでしょう。

動画が動かなかったのは、私のパソコンが一杯一杯になってそれが原因と思います。今日、応急手当をしなければなりません。今度、明後日の3日にこの講演があります。その時に使えるようにしておかなければ。

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久しぶり、何年振りでしょうか、県の主催の講演です。もう、参加申し込みが一杯になって、かなりの方、特にに行政の方にお断りをしたと聞きました。残念。行政の方たちに聴いて欲しい事も一杯あるのですが・・・。

その後がいよいよ「8.6ヒロシマ平和の夕べ」です。

その後、10日に講演があって、それで夏休みに入ります。それを楽しみに熱い夏を乗り切ります。

さて、京都は「ハートンホテル京都」に、岡山では「三井ガーデンホテル岡山」に泊まりました。それぞれの朝ごはんです。

ハートンホテルでは、和食の定食か、洋食のバイキングかどちらかを選ぶようにと。和食、京料理のレストランにしました。普通の正統派の朝ごはんです。びっくりしたのは、お魚、鯖ですね、それに大きいのはもちろん、小さいのも、骨が一本もありませんでした。三枚におろした後、丁寧に毛抜きで抜かれたのでしょうね。とてもおいしい朝ごはんでした。ただ、ぜいたくですが、果物とコーヒーが無いのが残念。後で、近くのローソンでコーヒーとイチゴのヨーグルトを買ってきました。

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岡山の三井ガーデンホテルは、駅からすぐだし、最上階にお風呂があって、部屋にはズボンプレッサーだけでなくスチームアイロンもあったり、とてもいいホテルでした。朝食はバイキングですが、そのメニューの豊富さにびっくり。

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ごはんにお豆腐の側にあった大根おろしとねぎと鰹節をかけて。それと、海老飯。真ん中は桃のスープです。とろろもママカリも。果物のお皿のバナナの向こうにはきび団子。岡山の名物がどっさり。コーヒーは、お部屋に持ち帰り可でしたので、後でパソコンを見ながら、ゆっくりと戴きました。

今度から、岡山に泊まる時(めったに泊ることはありませんが)はここですね。
さあ、診療を頑張りましょう。

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