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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」これまでの経過②2011.12年の会

昨日の一覧表でもお分かりいただけたかと思いますが、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、第一回から、「ヒロシマの継承と連帯を考える」ことと共に、必ず「原発」を取り上げてまいりました。京都大学原子炉実験所の今中先生、小林先生などが協力してくださいました。

そして、とうとう2011年、福島第一原発の事故が起こりました。その年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」では、ハダシのゲンの中沢啓治さんにお出でいただいて、私のインタビューという形でのトークをしていただきました。中沢さんは、チェルノブイリに行き、進行した甲状腺がんでもう余命いくばくもないという少女にも会われていました。

同時に、伊方原発の運転差し止め訴訟の原告団の草薙弁護士にもお話して頂きました。また、京都大学の小林先生にも、起きたばかりの福島原発についてお話して頂きました。


そして、2012年。小出裕章先生にお出で頂きました。 この年の平和の夕べは、歴史に残るといってもいいほど私たちの心に深く残りました。

小出先生のスライドから。広島の原発で燃えたウランの重量800グラム。その核分裂で生成した核分裂生成物の重量と、原発一基が一年間に燃やすウランの重量は1トン。その生成する核分裂生成物の重量の比較。このスライドは視覚的にはっきりわかる衝撃的なものでした。


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さらに、IAEAに対して日本政府が報告した、福島原発で大気中に放出されたセシウム137の量の広島の原爆との比較です。


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セシウム137は、半減期30.1年。水に溶けやすく、体内に入ると甲状腺や筋肉に住み着いて、内部被ばくを起こします。
これらの話をデータを示しながら、丁寧にやさしく話てくださいました。

また、この時にはドイツの緑の党のベーベル・ヘーンさんが飛び入りで参加し、発言してくださいました。これは、会の後の交流会での写真です。


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被爆者の話は、広島の被爆者、アメリカではもっとも有名なヒバクシャとされる谷本清牧師の長女の近藤紘子さんにお話し頂きましたし、講談師の神田香織さんに講談「はだしのゲン」を語っていただきました。それを聞きに来た下さった中沢啓治さんです。

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中沢さんは、肺がんと闘っていらして、この4か月後に亡くなりました。

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