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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」⑦大塚愛さんのお話

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」福島から故郷の岡山に家族で避難していらっしゃる大塚愛さんにもお話をしていただきました。

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大塚さんは、岡山大学教育学部卒後、農業研修のために福島に。そこで大工さんの修行もして、家を自分で建てたと。その時の写真をたくさん見せてくださいました。田んぼで鋤をしているところ、木を切っているところなどなど。でも、一番素敵と思ったのは、自分でスコップで一週間かけて井戸を掘っている写真です。その写真を皆さんにも見て頂きたいなあと思いましたが私の手元にはなくて残念。電気も自家発電で。

そして、あの大地震。ご自分で建てた家は大揺れしたけれど、びくともせず、普通に生活できていたと。そのあとの原発の事故。家族で岡山に避難されました。

福島での生活について、7月27日のこのブログで皆様にお伝えしているのですが、ここに記述してある、福島での幸せな生活について、もう一度ここに掲載しますね。福島原発岡山裁判での陳述書からです。

『1 私のこと

私は広島県福山市で出生して,1歳から25歳までこの岡山で過ごしました。

私が福島で生活を始めるようになったのは大学を卒業した3年後の1999年のことです。大学では教育学部で幼児教育を専攻しました。大学卒業後,自分の夢を模索する中で自給自足と大工を目指すようになり,福島県川俣町にある農場で農業研修を受けることになりました。

半年間の農業研修ののち,私が生活をしていたのは福島県双葉郡川内村というところです。川内村は浜通りの中部に位置し,福島第一原子力発電所からは30キロ圏内にあります。川内村の当時の人口は3000人くらいでした。

私はこの村に自分で小屋を建てて住み,村の大工の親方に弟子入りし,平日は大工仕事を,土日は農作業をしながら生活していました。

川内村に移ってから4年後,仕事の関係で福島に来た夫と出会って結婚し,川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを感じていました。』

そのような生活から逃れなければならなくなって、2011年3月に避難され、その年の5月に、福島にいる子どもたちの保養受け入れや、避難している人達のサポートのために「子ども未来・愛ネットワーク」を立ち上げ活動されています。さらに、岡山県議の横田悦子さんが亡くなった後の補選に立候補し、見事当選され、いま、県議としても活躍されています。

福島から避難されている人、子どもの甲状腺がんのお話など。明日に続きますね。

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