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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」②永田浩三さんのお話から

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のIWJによるインターネット配信。昨日ご案内したアドレスはハイライトでした。ごめんなさい。次のごとく配信されると連絡がありましたので、ご案内しますね。

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<<86日収録 >>

86ヒロシマ平和の夕べヒロシマの継承と連帯を考える
<配信日時>
2017
812日(土)16001830
<配信チャンネル>
IWJ
広島チャンネル・視聴URL
http://iwj.co.jp/channels/main/channel.php?CN=hiroshima1
インターネットができる環境にあればどなたでもご視聴いただくことができます。
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ぜひぜひ皆様に見て頂きたいです。今もまだ永田さん、小野さん、大塚さん、米澤のお話と川口真由美さんの歌がじんわりと胸に響き続けています。時間がない中で書いていただいたアンケートも、皆さん素晴らしかったという言葉であふれています。ありがたいことです。本当に今、やってよかったとあらためて感じています。

それから、参加者の皆様にお配りした資料、今朝改めて出してみました。これは、スタッフの一人ひとりがそれぞれ資料を集め、印刷し、袋詰めしたもので、宝物が詰まっています。永田さんのスライド原稿、小野さんとお母様の「炎のメモワール」、大塚さんの福島原発岡山裁判の裁判の陳述書、それから、これまでの「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の9回までの歴史。全国の皆さんから寄せられたメッセージ、賛同して下さった方々の一覧、などなど。私自身にとっても、大切な資料で、宝物として大切にしたいと思います。

永田浩三さんのお話。

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 永田さんは、広島の被爆二世であり、NHKのプロデューサーとして「クローズアップ現代」や「NHKスペシャル」などの番組を多く作ってこられました。

永田さんのお話は、その朝の記念式典から始まりました。式典の周りから「安倍かえれ」「安倍やめろ」の怒号が響くも、NHKの式典中継では、まったくその声は拾われていなかったと。でも、民放ではそのまま流れたと。

そして、お母様の被爆の話から、ヒロシマの話に入られました。被爆直後は「空白の10年」であったといわれる。1945年9月からのGHQによる検閲・プレスコード。原爆のことを語れない・表現できない・共有できない、被爆者のことに目が向かない・救済がされない。

しかし、「確かに語ることは困難だった10年ではあったけれど、その陰で広島の作家、表現者たちがどんな活躍をしたか、綿密な取材に基づいて詳しく話をしてくださいました。

私も知らないこともいっぱいあって。例えば、峠三吉の「原爆詩集の序」・「ちちをかえせ ははをかえせ こどもをかえせ・・・にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ」これは骨だけ。じつは原型の詩はもっと細かい
「勤めへと 食物あさりへと 出かけたきり帰らぬ 父をかえせ 母を返せであったと。

この話、続きますね。

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