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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」③永田浩三さんのお話から・続

今朝、多くの写真を新しいパソコンに取り込もうとしたら、うまくいかなくなって。あせってあれこれしてうまくいかなくって。結局ブログが書けませんでした。やあ、まだまだですねえ。今は、前のパソコンで書いています。診療が済んで、もう夜です。やっとやっと。

永田さんの講演ですが。一部だけをお伝えするのもなかなか難しくて。結局、私の心に残ったことだけを。

被爆の後、プレスコードで原爆については書いてはいけない、外部にだしてはいけない、それに反すると逮捕され、命も危なくなるという状況の中で、多くの詩人や作家等が表現しました。

大田洋子、原民喜、栗原貞子、正田篠枝、杉浦翠子、峠三吉、そして四国五郎。


この大田田洋子は、1940年に「桜の國」で朝日新聞の懸賞募集で一位になっています。被爆後「夕凪の街と人と」。1945年11月「屍の街」完成。「三日間乞食のように伏し起きた短い日。死骸と眠ることも怖れぬ忍耐の限度を見た」



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正田篠江の歌「ズロースもつけず黒焦げの人は女か 乳房たらして泣きわめき行く

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われらの詩から生まれた詩

「ヒロシマの空」(林幸子)

・ああ、お母ちゃんの骨だ。・・・
  ・おかあちゃんの骨は口に入れるとさみしい味がする・・・


「原子雲の下より」「原爆を生きて」・峠三吉・山城巴・川手健

そして、1965年山代巴編の「この世界の片隅で

山代巴のまえがきは、自殺した川手健の事。被差別部落、在日朝鮮人、沖縄の被爆者などの被爆者の中のマイノリティに焦点を当てています。

そして、NHKと四国五郎さんが共に呼びかけた「市民が描いた原爆の絵





1050年、この年6月、朝鮮戦争が勃発し、8月5日、平和大会の中止命令が出た、その中で、福屋の屋上から大量のビラがまかれた事。それは核兵器の使用を食い止めるために、命がけで被爆者が行った事。(私は、そのビラを撒いた方に直接お話を伺っています。)

こうして、ヒロシマの文化人たちが本当に命を懸けて平和のために頑張った事、改めて胸に響きました。

でも、私の頭はまだ混乱しています。永田さんが丁寧に話されたことをこのような形で出していいものか、嫌悪感に陥りますが、その片鱗でも感じて戴ければ・・・。すみません。

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コメント

被爆72年:ようやくアップされました。「戦火に苦しむ人たちの視点に立つ」:アジアプレス大阪・玉本英子さん。投稿:林田英明。彼女曰く「一般市民は、ピュア(純)な存在ではない。」・・。レイバーネット日本参照。先生、また今年も「8・6ヒロシマ平和の夕べ」行けませんでした。残念です。

投稿: 小倉っ子 | 2017年8月10日 (木) 09時41分

実は8月9日に新婦人のベビー体操の教室があり東京都の高校生平和ゼミナールのパンフレットをもらいました。しっかりとした内容でとても高校生とは思えないでした。いつか本番の高校生平和ゼミナールのパンフレットも読みたいです。新婦人にすべて賛同しているわけではないですが、軽い習い事程度のお付き合いでベビーには楽しいようで保育園よりも笑顔でした。保育園はしんどいようです。

投稿: 愛ちゃん | 2017年8月11日 (金) 22時49分

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