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オンニョさんとの再会・オンニョさんの詩

東大阪市布施中学で講演をした後、養護の先生に送って頂いて、鶴橋に行きました。そこの高坂書店で待ち合わせをし、オンニョさんと5年振りの再開をしました。奇しくも、広島地裁での朝鮮高校無償化の差別を正当とする判決が下りた次の日でした。

私は、焼き肉が食べたいと言いました。もう年より夫婦になると、なかなか焼き肉を食べる機会がありません。オンニョさんが連れて行って下さった駅のすぐそばのお店で。

Img_0990

私が初めてオンニョさんの事を知ったのは、この原畑さんのブログででした。

http://sky.ap.teacup.com/yamanami/709.html#comment

これがすごいショックで。それから、オンニョさんの元の詩にたどり着きました。これは、ここにあります。

http://blog.goo.ne.jp/onniyo-hakase/e/fdb95fe331e16d07a020dd5491222fee#comment-list

そして、オンニョさんが「ウリハッキョ私たちの学校」を守るために書いたと言われる次の詩。これは、私のブログから転載します。

      ふるさと

                許 玉 汝

生まれ育ったところが故郷だと
誰が言ったのだろう
私には故郷なんてなかった
ふるさとがなかった

60年が過ぎた今も
両足首に残ったゴム紐の痕を見ると
知らぬ間に涙が出る
優しかったオモニを思い出す

北海道にいるという父を訪ねて
身重の母は姉と次兄の手を引き
幾度も幾度も列車を乗り継いだ
風呂敷包みひとつ頭に載せ

突然津波のようにやって来た陣痛
青森の小さな旅館の布団部屋で
私をこの世に生み出してくれた母
自分の歯でへその緒を切ってくれた母

6ヶ月後に北海道に渡り
馬小屋で寝起きした日々
函館の海でいか裂きしながら
私達を育ててくれたオモニ

零下20度の凍て付くような浜風
私をおぶって浜で働いたオモニは
私の靴下が脱げない様
ゴム紐をきつくきつくまきつけた

青森から北海道へ
北海道から東京へ
東京からやっと京都に戻ったとき
私は5歳になっていた

生まれて初めて会ったハラボジ
空襲で1本足になったハラボジ
ハラボジのリヤカーに毎日乗って
声張り上げた《ボロおまへんか》と

あの路地この路地、一緒に回った日々
いつも聞かせてくれた故郷のはなし
ハラボジが出してくれた出生届
いつのまにか出生地は京都市になっていた

家族そろって大阪に移り
りっぱな朝鮮人になれと
父、母が送ってくれたウリハッキョ
満員電車に押し込められて通った学校

初めて通ったウリハッキョは
藻川に沿った小さな小さな学校
体育の時間は広い川原でころげまわり
図工はのどかな川辺でいつも写生

麦飯とキムチだけの弁当
雨の日あちこちにバケツが並んでも
暖かい先生や友達に囲まれて
ちっともイヤじゃなかった、楽しかった

ア、ヤ、オ、ヨ…
歌う様にハングルを習い
子ども心に誓った
将来は故郷のアナウンサーになるんだと

ウリハッキョで学んだ日々
恋もし、喧嘩もし、悩みもしながら
進路について話し合った懐かしい日々
一度もなかった。孤独な時なんて

同胞のために頑張ろうと仕事を選び
済州島に住む長兄に会う日を夢見ながら
集会にも、デモにも参加した日々
夢は近づいては遠のいたり

疲れを知らなかった青春時代
休むことを忘れてた中年時代
突然悪夢の様に悲しみが押し寄せた日

それでも踏ん張れよと
ギュッと抱きしめてくれた
それがウリハッキョ
オモニの様に温かかったウリハッキョ

生まれ落ちた場所さえ知らない私に
思い出と友と夢と勇気をくれ
愛する心を育ててくれたウリハッキョ

私にも祖国が在る事を教えてくれた
ウリハッキョはゆるぎない心の柱
私のふるさとは ウリハッキョ

決して誰も奪えない
私が通い、子供達が学び、孫達が通う
ウリハッキョ 心のふるさとを!

     2010.6 ・15

その後、韓国での朝鮮高校無償化のための集会にも行きました。その事は次の所から三日に渡って書いています。ぜひ覗いて頂きたいのは、「冬のソナタ」のキム次長、クウォン・ヘヒョさんとのツーショット写真が出ているからです。懐かしい!!

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-9ec8.html

オンニョさんとは、積る話を一杯しました。食べて話して、その後は新大阪まで送って下さって。そこでコーヒーを飲みながらまだお話しして。今度いつ会えるか分からないけれど、お互い頑張りましょうと改札口で握手してお別れしました。オンニョ様、おいしい食事、貴重なお時間、そして何より真摯な会話、本当にありがとうございました。またお会いできる日を!!

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コメント

河野先生、5年ぶりの再会、本当に嬉しかったです。5年前も今も変わりなくいつも弱者に寄り添い、黙々と働いていらっしゃる先生にお会いして新たに思いました。先生との出会いは一生の宝物だと・・・
明日私も福島の子どもたちの為にボランティアに行ってきますね。いつか私たちが心の底から笑いあえる差別のない社会実現のため私も微力ながら頑張ってまいります。猛暑が続いています、どうぞご自愛くださいませ。

投稿: オンニョ | 2017年7月22日 (土) 12時53分

被爆72年:7月16日午前1時55分母亡くなる。93歳でした。被爆者手帳より:爆心地から1.5㌔富士見町にて被爆。両腕から背中にかけてガラスの破片跡とケロイド状態、どんなに猛暑の日でも半袖の洋服を着ることは、生涯ありませんでした。家族で行った大分鉄輪温泉、何時も最後に、人影のないときにひっそりと温泉につかっていました。不思議と涙は出ません。原爆慰霊碑への記帳手続を終え小倉へ戻りました。今は父と2人で大好きなビールを、飲んでいると思います。有難う!

投稿: 小倉っ子 | 2017年7月22日 (土) 18時18分

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