中村周六さん・続
全身をがんに侵されながらも福島のフィールドワークに行った中村周六さんに「死ぬのは怖くないか」と尋ねたのは、宗教者の方々が、自らの死をどのように受け止めるのかを知りたかったからです。先日お伝えした中川健作さんは、末期の大腸がんと分かってから、キリスト教の洗礼を受けられました。仏教者の中村さんはどうなのでしょうか。中村さんは、
「まったく怖くない。もう、楽しみで楽しみで。あの仏に会うことが出来ると思うと、本当に楽しみなんよ」と言い切ったのです。
周六さんは、学生時代から、人を受け入れる方でした。どんな人の言うことでも「それはいいのう」と。まず受け入れて、話を聞く。その姿勢は大人になってからも、まったく変わらないままでした。そんな方ですから、お坊さんになられたことは必然だったのかもしれません。
広島大学に入学して寮に入って。そしたら、毎日毎日ラジオで「今日、被爆者の○○さんが亡くなりました」と放送するんよ。参ってのう。寮のすぐそばに原爆病院がありました。その頃は、被爆者がそこで亡くなる度に放送されていたのですね。そこに周六さんの原点があると言われていました。
私たち、8.6ヒロシマ平和の夕べの実行委員会では、周六さんは私たちの要でありました。
2013年には、沖縄から知花さんをお迎えしてお二人の対談を行いました。
そのイベントの前後のブログはここにあります。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-dc4c.html
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-8469.html
おそらく死を覚悟して、福島にフィールドワークに行った時、案内をして下さった地元のお坊さまとの写真です。ひとしお穏やかなお顔です。
周六さんを失っても、私たちはなお進まなければなりません。私たちの模索は続いています。
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コメント
宗教の仕事って宗教関係の大学や学部入学するやり方以外に以外と日常の日々に心のアンテナを広げれば以外にあるんですね。栗山監督の大谷選手がカープとのを試合で怪我をしたといったのが多少気になった私です。
投稿: 愛ちゃん | 2017年2月 1日 (水) 22時09分