江田島の碑
昨日は、8.6平和の夕べのスタッフたちと江田島に行ってきました。久しぶりの海。ゆったりとしたフェリーに乗ると、心が弾みましたよ。空は青く、海も青く、波は穏やかで暖かです。
江田島切串港には、在住の山下氏が出迎えて下さっていました。総計7人で、まず海上挺進戦隊戦没者慰霊碑へ。江田島というと、海上自衛隊術科学校とその資料館ですが。そうでない慰霊碑二か所に行きました。
第二次世界大戦の戦局が危うくなった頃、ここ江田島に陸軍の秘密基地が作られました。船舶特別幹部候補生の少年たちを集め、ベニヤ板で作ったモーターボートに爆薬を載せ、一艇で一船に体当たりしするという任務の訓練をしたと。ここで訓練をしたのち、沖縄、フィリピン、台湾などに送り出されたと。計2288名がここから出陣し、1636名が命を落としたと。
この基地の存在は、長く秘密にされていましたが、この元教育隊長の斉藤義雄さんが尽力してこの慰霊碑を建てられたとの事。この文を読むと、あまりのむごさに、胸が痛くなります。
慰霊碑のすぐそばに今も残る突堤。これが秘密基地を伝える唯一の証であるそうです。先端に立っているのは、私です。今も当時と変わらないであろう穏やかな海です。
次に行った慰霊碑です。
慰霊碑の裏の碑文に書かれているのは、次のような文章です。
「昭和20年8月6日、世界で初めて原爆が投下されて多数の犠牲者を出しました。その一部の遺体がその後間もなく来襲した枕崎台風により鷹の巣の砂浜に漂着し、その幾多の人々の現状は想像に絶する過酷な物であった・・・それらの無縁仏のご冥福をお祈りしたい・・・」
この碑の向こうに、広島市が見えます。まっすぐに遺体が流れ着いたのも納得できます。
穏やかな瀬戸内海の島々にも、こうして戦争や原爆の爪痕が残り続けています。
この項、続きます。
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コメント
「この世界の片隅に」で有名になっている呉ですが、中学の頃に行った時には、コンクリートの壁に戦闘機のよる機銃の攻撃跡が残っていましたし、至る所にこの漫画の中に紹介されているような防空壕が残っていましたが、今はもう見つけることができないですね。
広島の平和大通りにも色々な碑がありますが、外国人観光客が訪れているようには見えないですね。
資料館の下が掘り起こされて公園になる前の状況が現れていますが、そのまま保存して多くの人に見てもらえれば良いと思います。
そこでどんな生活があったのかを知ってもらえれば、伝わることも増えるのではないでしょうか。
投稿: やんじ | 2017年2月20日 (月) 09時54分
河野先生が江田島教育は興味がないし、嫌いだからいったこともないなんだろうと感じていましたが、やっぱり普通に興味があったんですね。江田島の慰霊碑の全部はは全日本人が良心をもっていけたらと感じます。私もいってみたいです。
投稿: 愛ちゃん | 2017年2月20日 (月) 13時07分