介護保険の申請をしました。
昨夜、大分から帰って参りました。
昨日は朝から。まず母の入院している病院へ。まず主治医と話。母はリハビリ中だったので、リハ室へ。そこで母のリハを見学し、理学療法士と話。百メートル歩くと、心拍が100以上に上がり、ハアハアです。その後病院のソーシャルワーカーの方とお話。みなさん、とても親切で穏やかで、よく話を聞き、説明して下さいます。
その後、姉夫妻の家へ行き、話。そして役場へ。介護保険の申請をしました。介護課の方と、地域包括支援課の方と話。やはりとても親切です。後で夫と、「地方の良さだろうね」と話しました。母のいる所は、日出町。別府の隣。以前、別府市や杵築市との合併の話が持ち上がった時、どことも合併しないで、町政のままという選択をした所です。
そして、遅い昼ごはんを食べた後、また姉の家に行き、報告とお願い。その後、病院に行き、母へ報告。
もう何度目かの入院で、今回は母はすっかり弱気になっていました。以前は、福祉の世話にはならんと、介護保険のお世話になることを拒否していた母です。しかし、今回は、
「一番怖いのは風呂」と言います。週二回でもデイサービスに行って、お風呂と昼食のお世話をして頂ければ、と。大きな変化です。
退院後をどうするか。広島に来て欲しいという夫には、息子夫妻の世話になるよりは、娘の方がいいと言われます。退院から一週間は、夫の妹、二女が来てくれます。
その後、介護保険の認定にはまだ時間がかかるけれど、決まるまでの暫定の措置で、デイに行くことが出来ると。そう対応して下さると。もし判定が異なった場合には、お金の支払いが生じることもあると。もちろんそれは了解です。
もし、これでやってみてできないようなら、妹の家に母に来てもらうことは大歓迎と妹は言ってくれています。妹の周囲には、孫たちも沢山いるし。その話には、母も笑顔でした。母の年金と、そして私たちからも妹に介護してもらっているお礼のなにがしかを毎月。
何とか、めどが立ってきました。夫も私も、少し気持ちが楽になりました。すべて終えると外はすっかり暗くなっていました。
今回の大分行きについては、もう少しご報告があります。行き、下松のSAでお土産を買いました。今年初めて寄った下松には、何年か前から、毎年大きなえとの木彫りが飾ってあります。今年の鶏も見事でした。
ここでは、お土産を買っただけで、晩御飯はもう少し先の美東でのつもりでした。ところが、夫と今後のことを話していて、美東を通り過ぎてしまいました。さて、どこかで食事を。でも、もうSAはないし、PAはどこももう閉まっていて飲み物の自動販売機があるだけで、食べることができません。結局別府に着いて、12時まで開いているスーパーで買って、氷点下の寒い家で、震えながらインスタントのスープやおにぎりを食べました。わびしいことでした。
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コメント
被爆72年:「介護保険の申請」、読んでて涙が。私も体調の不具合により一時期は車椅子生活。担当医、医療連携室から介護の申請を促される。しかし私は車椅子や杖の生活は断固拒否、リハビリを繰り返し自立したいと。まだ若い、介護なんて、と思う毎日でした。しかし身体は正直です、投薬等の対処療法では限界、手術も厳しいとの担当医の判断で、ついに「申請」。面談等があるなかで「要支援1」の判定、今は地域包括支援センターの方と連携で上手く支援を活用しています。ここにくるまでに時間がかかりました、今は気持ちも整理し割り切って生活しています。お母さん、ご家族の方、無理をせずに頑張って下さい。私事で長くなりました、最後に、山陽道:王司PAに機会があれば寄ってみて下さい。ここの「うどん」はお薦めです、私は「かけうどん」が一押し、そしてネギを沢山いれてもらう、です。
投稿: 小倉っ子 | 2017年1月27日 (金) 10時06分
お母様からみれば嫁よりもお嬢様なんだと思います。お嫁さんがお仕事をされてるとなればお嬢様になりますよね。介護保険では見てくれる人と本人の希望が一致してるのが幸せです。本当に今回の入院で気持ちが折れてよかった。どう考えても介護ぬきの独居は無理です。
投稿: 愛ちゃん | 2017年1月27日 (金) 11時45分