原爆体験記―ヒロシマ原点の記録--
昨日の、OB会の続きです。 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館。1950年、被爆からまだ5年の時に集まった手記を一年に三篇ずつ公開しています。
絵やシルエットの動画や、実写の写真等と組み合わせて。観音高校演劇部OBの青野さんが朗読をした二編をアイパッドで見せて頂きました。
こんな風に立てかけて画面を見ながら、イヤホンで聞かせてもらいました。それはそれはすごい手記です。
青野さんが朗読をしたのは、戸田幸一さんと小川春蔵さんの二編です。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/notice/notice.php?ID=205&PageType=0&Language=0
ここにウェブ版があります。その一部です。
戸田さんは、当時、歯科医として被爆者の懸命の介護をしました。女優の戸田菜穂さんのおじいさんです。戸田さんの手記はここに公開されています。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/upload/files/toda-j.pdf
初めの部分だけ転載させて頂きます。
「平和を念じて 戸田幸一
ガラスの四散してゐる校舎の入り口に、普通ならお菓子でもねだる、五つと三つ位のはだかの姉妹が、小さな方は、顔面、胸部火傷と、ガラス破片創。大きい方も同じような負傷ながら、僅かに視野があり、盲となった妹の手を握り合って居る二人。誰に連れられて避難したのか、手をしっかりと採り合って、横川から一里余りの道を、負傷者の群れに押され父母を求めて来たのかしら。見れば、足も焼けただれて、よくもまあーと思ふ。
小さな方が、姉に手を引かれながら、「お母ちゃん見えないよ」と、あどけない声で叫ぶ。
姉は無言で、あちこちと目を配っている。・・・・」
小川春蔵さんの手記はここに公開されています。
http://www.hiro-tsuitokinenkan.go.jp/upload/files/ogawa-j.pdf
その途中の一部を。
「・・・逸枝は何処に行ったのであらう。此の状態では、生命は絶対にない。せめて骨なりと拾ふまで頑張ろう。あちこちの火炎の中に不気味な青い炎がめらめらと燃へている。あの炎の下で多くの人々が白骨と化しているのであろう。今朝からの事が次々に思い出される。初めて焼死体を見た時、路上の水槽の中で全裸の女学生の折り重なり両手を上げ救を求めた其のまゝの姿、井戸の底、防空壕の中の死体、若い婦人に殺して呉れと呼びかけられた時、等々現実に見た人でなければ真実とは思はれないであらう。・・・」
映像と共に、太い低音で淡々と読む青野さんの朗読は、ものすごい迫力で胸を打ちます。さあ、これから祈念館に行ってきます。
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コメント
更け行く冬の夜に芸能界のうんちくを河野ブログで伺い知ると世間は狭いです。本当に今懸命に性教育やセクハラの定義などの必要性を感じてます。私はセクハラの事を本当に真剣に訴えたい。そしてルールある職場作るためにもどうすべきか、考えてみたいです。
投稿: 愛ちゃん | 2016年12月11日 (日) 21時29分