どこまで献身的であるべきか・・。
昨日は、すっかりくたびれてしまいました。朝から終わりまで沢山の患者さん。終わりに近いころ、どうしてもお腹が痛いので、診て欲しいという新しい方からの緊急の電話。話を聞くと、これは放っておけないと思ったので、どうぞと言いました。この方が大変で、さて、どうしよう、救急車で大学病院にお願いしようかと頭を抱えていました。まだ沢山の患者さんもいらっしゃいます。その方たちを何とか診て、その後でとか、いろいろと切羽詰まっておりました。
そんな時、一昨日、点滴をして、また明日も来て下さいと言った人が、終わりの6時の5分前に来られて、今から点滴をして下さいと。6時に診療が終わりだから、その時間に終わるように来るという想像力や配慮ができない方。以前、それまでずっと具合が悪かったけれど、我慢できないからと午前4時半に電話があって出かけたのと同じ方。いえ、仕事をしている方ではありません。主婦の方です。なぜ遅くなったのかはわかりません。
検査をして改善しているので、これでは点滴をしなくとも大丈夫と判断。お薬が効いていますので、お渡ししている内服薬を続けて飲んで下さいと言ったら、これまでの紹介状を書いて下さいと。今ですか?はいと。仕方ないので、他の方の診療をしながら書きました。
お腹が痛い救急の方は、様子を見たり検査をしている内に、痛みが治まってきたので、よくよく注意をお話して、経過を見ることにしました。
すべて終了したのが、8時近くでした。この日、7時から、どうしても出たい研修会がありました。何とか終えて行けそうと思っていたのですが、結局ダメでした。残念ですが、欠席です。
その昔、まだ医学部の学生だったころ。よく議論していました。医師となって病んだ人たちを治療するという時にどこまで献身的であるべきなのかと。たとえば、コーヒーを飲んでいる時に急患となったら。それは飲むのをやめてすっとんて゛行くべきだ。では、風呂に入っている時には?ごはんを食べている時、一番しんどいのは、ぐっすり眠っている時。それらにすべて応じる、それが職業に伴う使命であろうとか。この仕事には、プライバシーはないのかとか・・・。
そういう職業であることは承知の上で。でも、自分の都合に合わせるべきだという態度の方に出会うと、自分をその方たちに会わせなければならないというのが、とても苦痛になります。
「もし、私が早く来ていたら、点滴をしていただけたのでしょうか」という問いに「ハイ」と答えました。検査の結果でしたかどうかわかりませんと、優等生の答えはしませんでした。
でも、昨夜からずっと、少し胸が痛んでいます。
今日は、しんどい会議があります。出ようか出まいかと、ギリギリまで悩んでいます。残り少ないこの年になったのだから、自分の意に染まないことはしない、積極的にやりたいなあと思うことだけをして過ごしたいなあ、そしたら、人生、どんなに充実するだろうかと思っています。
これは、ある日の我が家の夕ご飯です。野菜たっぷりのご飯を夫が作ってくれました。さんまの大根おろしだけ、私が作りました。ネットで見ておもしろそうだったので。猫ちゃんです。真ん中の右のは、ミョウガと貝の和え物。よく酢味噌で食べるのですが、その日はポン酢でした。左は韓国語の先生にもらった大根の間引き菜の浅漬けです。上の真ん中のは、モズクです。その右は、キューリとミニトマトにオキアミの干物がかけてあります。ありがたいことです。
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コメント
大根の間引き菜は豪華です。昨日のテレビ東京のアドマチ天国はびっくりしました。柴又の10年前の野球少年のその後の話をしてました。プロ野球選手になって今年の話題総なめになったそうです。知りませんでした、勉強になりました。
投稿: 愛ちゃん | 2016年11月13日 (日) 18時06分
美代子先生、お疲れさまです。
これは、教員も悩みます。
夜7時8時とか休日とかに来て、ほとんど教員がいないと「えーっ」と不満そうな顔になる生徒や卒業生。
当然のように「仕事があるので夜8時以降に電話してください」という保護者。
保護者からの電話は、朝6時だろうが、夜8時だろうが9時だろうが平気で鳴ります。
その人たちも、たぶん自分はサービス残業はイヤだと言うと思います。
そういう仕事だということでお給料をいただいているんだとは思いますが、でも当たり前のようになると複雑です。
投稿: | 2016年11月13日 (日) 19時30分