8.6ヒロシマのご報告⑤森松明希子さんのお話
8.6ヒロシマ平和の夕べのリレートークでは、福島から関西に母子避難している森松明希子さんにお話し戴きました。
森松さんは、福島県郡山市在住中に東日本大震災、福島原発事故により被災されました。
当時3歳と5か月の2児とともに大阪へ母子避難、北区社会福祉協議会に臨時派遣社員として働いていらっしゃいます。
原発賠償関西訴訟原告団代表・東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表。 森松さんは、池田精子さんの話をきちんと受け止め、「池田さんは自分は生きている、生きている限り被爆の体験を話し続け、核兵器廃絶を訴え続けると言われました」という所から話し始めました。
彼女は、原発事故後、子どもたちと三人だけで避難、夫は福島で仕事を続けています。二つの世帯で生活すること、夫は子どもたちの育児にかかわることもできず、子どもたちは父親と十分に触れ合うこともかなわず、成長しなければなりません。もう、そのお子さんたちも5歳と8歳です。
それでも彼女は「実家などの縁があったからこそ、避難することが出来た。でも、福島には逃げたくとも逃げられない人たちが沢山高線量の放射線の中で生活しているとも言われました。
それに、政府は、高線量の福島に帰れ、避難している人の手当は打ち切りという方針を出しました。多くの子どもたちが甲状腺がんにかかり、それでも、それは原発事故による被曝のせいではないと言い続けています。
また、私たちは知らなかったのですが、友人の子で、中学二年生の男子生徒と一緒に来ていました。そして、彼も話をしてくれました。彼は今、福島から東京に避難しています。自然の無い都会の中心地で生活しています。
「僕だって、福島に帰りたい。でも、あんな放射線濃度が高い所には帰れない」とみんなに訴えました。その訴えがみんなの胸を打ちました。誠実に話してくれて、本当に感謝です。まだ子どもですので、彼の写真はNGです。
お二人の涙ながらの訴えは、とても力強く、説得力がありました。後で聞くと、こんなことを話たのは初めてだと、それもヒロシマという地で、被爆者という言葉がふつうに使われ、被曝のことが分かって下さるという思いから、話しができたと言われました。
森松さん、中学生の生徒さん、ありがとうございました。私たちは、決して福島のことは忘れません。福島の子どもの甲状腺がんの検査、治療の支援、また、森松さんたちの裁判支援などもっと力を尽くさねばと痛感しました。
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コメント
私も育児は夫婦二人で行うべきだからこそ母子避難は残酷ですね。教科書どうりのよいこよりも自分の本音をいってくれる我が子のほうが親には後々いいですね。この中学生は真の意味でよいこになりますね。
投稿: 愛ちゃん | 2016年8月15日 (月) 20時01分