8.6ヒロシマのご報告②
前回のご報告①の最後は、横浜の松本さまの灯篭流しの後の写真です。
松本さまには、平和の夕べで来賓あいさつをして戴きました。本当はその体験を話して頂きたかったのですが、10分で体験をと言うのは、あまりにひどい話でした。申し訳なくって。
松本さんは、横浜原爆被災者の会の事務局長です。当時、松本さんは広島二中の三年生。学徒動員でいた観音の三菱の軍需工場で被爆。弟さんは広島二中の、爆心地で全滅した一年生でした。
弟さんが「お兄ちゃんが迎えに来てくれる」とか細い声で呟きながら、亡くなったと。少しの差で間に合わなくって、それを聞いたのは、亡くなった後だったと。
松本さんのお姉さま一家も含めて10人のお身内を原爆で亡くされています。その10人の灯篭を流して供養したいとずっと思われてきたと。
その灯篭に組み立てる前の写真です。二面ずつです。
私、「このきれいな字はどなたに書いてもらったのですか?」聞いてしまって。
「しっつれいな。私が書きましたよ」
「えっ!?松本さんはこんなきれいな字が書けるのですか」と重ね言ってしまいました。
灯篭流しの翌日は、観音高校音楽部OB会の「碑コンサート」に行きました。
松本さんは、弟の勝さんの遺影を膝にその合唱を聞かれていました。その姿を見ながら6番を聞いていて、泣けて泣けて。お兄ちゃんが来るのを待ちきれなくって、亡くなってしまった勝さんのことを思うと。
写真の右は、作曲家の高嶋圭子さん、やはり観音高校の出身で、今回のコンサートでは高嶋さん編曲の日本の歌のメドレーも歌われました。左は、観音高校音楽部のOB、平和の夕べのスタッフの山下です。
6 まさちゃん お母さんよ
朝から昼へ
昼から夜へ
燃え尽きる広島の
道を母は走る
土手を走り
名を呼ぶ母
まさちゃん わかる
お母さんがきたのよ
助けにきたのよ
兄ちゃんもきたのよ
助けにきたのよ
家に帰ろうね
家に帰るのよ わかる
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コメント
観音高校は創立からの長い歴史の中でその長い間、その時代の広島のこどもたちの成長を見守ってきたのだと思います。公立高校のナンバースクールのよさはそこにあると合唱曲のなかに感じました。また戦争で地域のこどもたちが失われてしまったこともきちんと直視し、つたえていけるのは、やっぱりナンバースクールだけだと思います。地域のこどもがきちんと育て上げる役目をナンバースクールはしていることは私学にはできません。また地域の歴史や平和の大切さを教える義務があるからこそこの観音高校の伝統は消えてほしくないですね。ナンバースクールはすばらしいと感じました。
投稿: 愛ちゃん | 2016年8月 9日 (火) 15時39分
この場では遂に自分のカメラを出しそびれていましたのに先生が沢山アップして下さって図らずも私の姿が残る結果となりました。
打ち上げの席で「先程ブラヴォーとおらんだのは私です」と言うと大拍手を受けました。でも「ブラヴォーと叫ぶのはタイミングが難しく、レクイエムには出来ない、後の楽しい歌の時を狙ったのです」と釈明しました。
アンケートは書けなかったけど、もし書くとしたら「ブラヴォー」の一言だけです。
投稿: 松本 正 | 2016年8月10日 (水) 16時17分