友人の死・お葬式に思ったこと。
昨日は、友人のお葬式に行きました。おかしいなあ、ここのところ連絡がないなあと思っていたら、いきなりの訃報でした。
光市の道上病院の事務長であった藤田賢さんです。観音高校で一緒でした。その後、私が大学病院時代、広島市内の産婦人科にアルバイトに行っていたら、そこの事務長になっていました。事務長として腕を振るって、経営がずいぶん助かったと当時の院長にお伺いしました。
その後、道上医院の事務長に。産婦人科に小児科も作り、大きな病院にすべく奔走しました。私は、その時その時に相談に乗っておりました。私自身もお手伝いに行っていました。
彼の尽力で素晴らしい病院になりました。中でも、働く人たちにやさしい職場。「女性が働きやすい職場」「妊娠、出産をしても無理なく働けるように」という職場作りをしました。
ある日、突然、本当に突然に院長の急死。その夜まで働いていて、夜中の壮絶な亡くなり方でした。院長は、カリスマと言えるほど、ハンサムで背も高く、本当にかっこいい人でした。それに医学部の前には心理学を学ばれた方で、優しいし、とても人気がある方でした。
その院長が亡くなってから、藤田氏の腕が問われました。いろいろと悩んだ末でもありますが、まず、院長の保険から、屋上にずらりと太陽光発電のパネルを付けました。その後の経営が少しでも楽になることを目指してのことです。その他にも、人事をはじめ、いろいろと。
院長に続き、名事務長も亡くされて、病院も大変だと思います。でも、彼は院長と違い、少し亡くなるまでに時間がありました。それが救いになったかどうか。
お葬式は、それはそれは多くの方たちの参加でした。院長と同じ式場、同じ部屋で行われました。
弔辞も国会議員、院長、市長、ライオンズクラブの会長とそうそうたるものです。みなさん、ありきたりでなく、自分の言葉で暖かい弔辞でした。藤田氏が、そういうお付き合いをしてきたということでしょう。中でも、亡くなった日に最後の面会をした市長の言葉には、涙を禁じられませんでした。彼は、最後の力を振り絞って「ありがとう」と言ったと。
それと、御長男の言葉から、彼がご家族にとても優しい人であったということもよくわかりました。
堂々たる体格だった彼は、痩せていました。でも、安らかなお顔でした。
帰り、運転をしながら、つらつら思いました。私も、同級生が次々と亡くなるという歳になりました。いつ自分の身に起こることかわからない、そのつもりで生きなければと。その時に後悔をしないように、今すべきことをする、少々無理をしてでも言いたいことは言う、会いたい人には会う、いつまである命かわからないけれど、そんな生き方をしようと。そう決心しながら帰りました。
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コメント
産婦人科や小児科に関わるドクターや看護婦さんや助産婦さんが無理なく妊娠や出産をできてこそ少子化対策だとおもいます。現在の少子化対策は、産婦人科や小児科に関わる医療関係者への少子化対策こそなければ貫徹しません、それを宮本徹さんのタウンミーティングで追及したらしどろもどろでした、それを希求し実現し続けた事務長はすばらしいです。女性が社会進出するからこそそもそも少子化対策には医療こみだとおもうからこそ共産党の支持層以外の少子化対策も聞いてほしいと切に望み行動してます。
投稿: 愛ちゃん | 2016年5月 2日 (月) 11時13分