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「助産師・益田小蝝さんの生き方に学ぶ」3.

 益田紀志雄先生のお話は、クリスチャンとしての生き方が軸になっていました。日本キリスト教団の牧師さんや、信者さんたちも沢山来られていました。でも、クリスチャンではない私でも、いろいろなつながりがあって、懐かしいお話も沢山出てきました。

 流川教会の日曜学校に通ったこと、そこで山野上先生に沢山のことを教えて頂いたこと。ああっ!と思いました。山野上先生、小児科の先生です。当時の流れ川教会の日曜学校の校長先生を長い間されていたと、友人の谷本建さんに聞きました。

山野上先生には、40年以上前、随分お世話になりました。当時、私は大学の産科婦人科学教室の染色体研究室にいました。まだ染色体の分析ができる所は少なくて、それが必要な人は、私たちの研究室に連絡がありました。研究室に来られる方もありましたし、出かけて行くこともありました。特に生まれたばかりの赤ちゃんの検査には、病院に行き、血液を採ってきて、研究室で培養し、分析をしていました。県内どこでも行きました。

一番多かったのは、ダウン症です。もし、赤ちゃんがダウン症であった時、山野上先生に紹介することも多くありました。山野上先生は、当時、ダウン症の親子の会「小鳩会」を主宰なさっていました。紹介状の返事に書かれた、愛にあふれたお手紙が忘れられません。やはり山野上先生はクリスチャンとしての生き方が根底におありだったのでしょう。

その山野上先生の息子さんたちとは一緒の病院に勤務していたこともありますし、お嬢さんの赤ちゃんを私が取り上げて、今も年賀状の交換があります。

そして。何気なくネットを見ていて、知ったことがあります。益田紀志雄さんは、伊方原発運転差し止め訴訟の原告の一人でもあります。びっくりしました。その訴訟で、原告の一人として陳述をされ、その陳述書がネットで公開されています。スペースの関係で一部、転載させていただきます。素晴らしい!!


『平成23年(ワ)第1291号,平成24年(ワ)第441号,平成25年(ワ)第516号,平成26年(ワ)第328号 伊方原発運転差止請求事件
2015年2月10日
松山地方裁判所民事第2部 御中
意見陳述書
原告 益田紀志雄

私は松山市桑原に住んでいます益田紀志雄です。1940年12月15日生まれで、今年75歳になります。現在は医師として松山市祝谷にあります、入所定員100名の介護老人保健施設(通称 老健施設)道後ベテルホームに勤務しています。
私は広島に生まれました。1945年8月6日の広島の原爆被爆の時は4歳でした。私は5人兄弟の末っ子で、3歳上の姉と、6歳上の兄と一緒に広島県高田郡という所に疎開していて被爆死を免れました。

自宅は爆心地から2km以内にあって、火災は免れたものの、爆風で二階部分はどこかへふっとび、家の中はめちゃめちゃになったようで、あの日広島に居たら助からなかったと思います。そのことは私がかなりの年齢になるまで意識することはありませんでしたが、年をとる程にそのことを強く意識するようになりました。

(略)

現在、各自治体で原発事故にそなえての避難計画が立てられているようですが、福島第一原発の事故で経験したように、放射能汚染に関しては多数の住民を短時間に避難させることは困難で、ましてや高齢者や障がいのある人、いわゆる災害弱者を共に
避難させるなどとうてい無理なことです。例えば私が勤務しています道後ベテルホームでは、約100名の入所者のほとんどがストレッチャー或いは車イスで搬送しなければならない重度障がいの高齢者ですから、その人たちを長距離避難させるためには多くの車輌と人手を要し、実際上不可能なことです。その意味でも災害の元を断つこと、即ち、原発をただちにやめるのが最良確実な方法であると言わざるを得ません。

最後に、戦後の反核運動を中心的に指導された、元広島大学教授・故森滝市郎(いちろう)先生の文章の一部を引用させていただいて、私の意見陳述を終わりたいと思います。森滝先生は、私が子供の頃、いかなる国が核実験をした時でも、原爆慰霊碑の前で坐りこみをされ、その写真を新聞で拝見して子供ながらに尊敬の念を抱いていた方です。なお、森滝先生の令嬢、森滝春子さんは当裁判の原告の一人であります。
1979年に発行された本に寄せられた「核なき未来を――核絶対否定の道」から、そのごく一部を引用させていただきます。

「私が両親からもらった二つの眼(まなこ)で見た最後のもの、それは一瞬世界を包んだように思われた青白い閃光、ピカであった。その瞬間一眼を失ったので、私は後半生を残る一眼に託して生きてきた。しかし、失った眼(まなこ)の暗黒のゆえに私は核の時代をみつめつづけてきたのである。(中略)私は敢えて空想する、スリーマイル島原発二号がやがて廃炉として厚いコンクリートに塗りこめられて核時代の巨大な墓標の第一号となる日のことを。日本の美しい海に臨んでその偉容をほこる原発が廃炉となってその場でそのまゝ厚く厚くコンクリートに塗りこめられて核の墓標となる日のことを。

核の軍事利用も平和利用をも絶対に否定して核なき未来を創るより外に人類生存の道は残されていない。現下の核情勢をみつめる時、核と人類はとうてい共存できないと見定める外なく、核が人類を否定するか、人類が核を否定するかの関頭(かんとう―わかれめ―)に立つ時、私たちは核絶対否定の道を進む外はないのである。」以上です。

福島第一原発の事故処理が何も進まない中で、原発の再稼働、原発の建てかえ、原発の輸出を進めようとしている国の方針は絶対に間違っています。
以上で私の意見陳述を終わります。ありがとうございました。』

Img_4247
この講演会に来られていた益田遙先生と、写真を撮って頂きました。またまたお宝の写真です。なにもかも貴重な講演会でした。関係者の皆様、本当にありがとうございました。

オバマさんは、広島にきても被爆者とは会わないと。時間の関係で会えないのだそうです。そして、米兵と日本の自衛隊員と会うのだと。オバマさん、安倍首相、米兵、自衛隊。明日はこの件で書きます。

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コメント

小鳩会はきいたことがあります。着床前診断や出生前診断が不充分かつなかった時代は妊産婦のケアが難しかったんでしょうね、ドクターからダウン症ケア専門の小児科医を直接紹介することは現代もなく、むしろ赤ちゃんは諦めて次の子にしなさいと中絶をすすめるのがほとんどのドクターだと思いますし、それが虐待防止といえば納得ですが、小児科医を直接紹介してくれる河野先生は、偉いです。それにしても、反原発に共鳴するドクターは産婦人科や小児科以外にもいるのかと聞くとびっくりです。

投稿: 愛ちゃん | 2016年5月18日 (水) 10時16分

益田遥さんとのツーショットをみて、あることを思い出しました。30年以上も前のあるスナックでのこと。素晴らしい美声でカラオケを歌う男性に出会いました。学生時代コーラスをしていた私は、「荒城の月を一緒にデュエットしていただけませんか?」とお願いし実現しました。その方が、、著名なバリトン歌手、益田遥さんと知ったのは歌った後、ママさんからの紹介でした。知らなっかたとはいえ、赤面の至り平身低頭してお詫びしました。でも我ながら最高のハーモニーであったことを
覚えています。

投稿: 無冠の諦王 | 2016年5月18日 (水) 10時34分

愛ちゃんさま
当時、出生前診断、羊水穿刺、培養、染色体分析は被爆者二世にわずかにできていたくらいで、それもよく失敗していました。今みたいに簡単にできる物ではなかったのです。私か小鳩会に紹介したのは、生まれた後の赤ちゃんとその親ごさんたちなのですね。
  こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年5月19日 (木) 11時36分

無冠の諦王さま
あはは、素晴らしい思い出ですね。素晴らしい歌を聴いたら、もう一回歌って下さいとリクエストするのが常だと思うのですが、一緒に歌ってというのがすごい。聴いてみたいですよ。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年5月19日 (木) 11時39分

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