「忘れられないあの日」
神奈川県原爆被災者の会作の「忘れられないあの日」を松本正さんに送って頂きました。
順番は逆になりますが、この本の「あとがき」を転載させて頂きます。
『 あとがき
「忘れられないあの日」は被爆55年、2000年に刊行されました。その後ビデオテープに収録し、展示・掲示用パネルが製作され、それぞれが役目を果たしました。このたび被爆70周年にあたり、広く世界のひとびとにも伝えたく英文の本書の発行となったものです。
小学校以来絵筆を持ったのは初めてという人、描きながら当時のことが思い出されて涙が止まらなかったという人、眠れない夜がつづ続いたという人、老齢のため自分では描けないからと、下絵を送って下さった人、なくなった人の霊前に祈りを捧げながら描いたという人・・・・・。半世紀余り前のことですから、中には記憶違いや、誤った思い込みがないとは言えませんが、これらの一つ一つは被爆者が心を込めて描いた絵と証言です。
今日なお地球上には数万発の核兵器が存在しているといわれています。私たち被爆者は一日も早く核兵器がなくなり、戦争もない平和な世界となることを願っています。
この絵と証言が被爆の実相の普及と、原爆の犠牲となられた方々の鎮魂の一助となることを望みます。
終わりに英訳について関西学院・ヒューマンサービスセンターの皆様に絶大なるご尽力とご協力を賜り深く感謝申し上げます。
尚、短歌(4,6,7,18,22,44ページ記載)会員三浦文子氏により翻訳され、また「碑文」は大舟観音の英文慰霊碑を使用しました。
神奈川県原爆被災者の会
詩画集編集委員会
2015年4月 』
2000年に刊行されたものに英文の翻訳をつけ、被爆70年の昨年にニューヨークの国連に持って行き、外交官等に配られた物です。頂いた貴重な一冊の一部を接写させて頂きました。
『川は死体で一杯に 8月6日 広島 21歳 軍人
広島は市内を七つの川が流れる、静かな町だった。
夏になると、私達はきれいな川に飛び込んで遊び、秋になると橋の上からハゼを釣って楽しんだ。
それがあの日、ピカの犠牲になった大人や子供の死体で埋まった。
それはまさに地獄絵そのものだった。
軍隊の人が小舟に乗って、竹竿で溺死体を収容していったが、数が多くてかなり時間がかかったようだ。
不思議なことに、この日を境にして、川底に張り付くように一杯いたハゼの姿が消えた。』
明日に続きますね。
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コメント
被爆者というと、被爆した時の状況などの感想がすごいので、絵心があるのでしょうか?見る人を感動させ・涙させる絵心があります。
投稿: 愛ちゃん | 2016年4月 8日 (金) 11時13分
すごい本ですね。
お知らせくださいましてありがとうございます。
私もぜひこの本がほしいです。
この本を入手するにはどうしたらいいですか。
教えてくださいませ。
投稿: 浜中和子 | 2016年4月 8日 (金) 12時34分