「絵で読む広島の原爆」3.
もう少し、「絵で読む広島の原爆」について、書かせて下さい。
昨日書いた原爆の前と後。特に平和公園の所です。
1940年と1994年の上空からの絵です。1994年の絵には、まだ広島市民球場があります。
1940年の、広島城の所の説明には、大本営跡。「陸軍の作戦計画や動員計画は参謀本部、海軍は軍司令部が担当したが、大本営はその両者を一本化した天皇直属の最高戦争指導機関。日清戦争の時には東京から広島に移された。」とあります。
同じ広島城の北西の端っこにあるのが「第5師団司令部(中国軍管区司令部:被爆の第一報は、この司令部地下の指揮連絡室に通信員として出勤していた比治山高等女学校3年生の、九州と福山の司令部への電話連絡だった。」等と、詳しく書かれています。
さらに、びっくりしたのは、分かりやすく色分けされた詳しい年表です。ここの1971年に、私たちが大学生のときに作った「被爆二世中心の全国被爆者青年同盟結成」というのも、あるのです。本当に驚きました。
私たちは、今、この本の作者である、那須正幹さんに、今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て頂き、平和講演をして頂こうとしています。もう少しで正式にご案内ができると思います。この本が、子どものみならず、大人も含めて、多くの方の目に触れますように。
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コメント
この絵本は自分の出身校の小学校にあり、なかなか、地図みたいでおもしろいと感じましたよ。しかも絵本の作者の方とつながることをしている河野先生は素敵です。絵本にご自宅が乗ってるなんてびっくり。滅多にないから自慢になりますね。広島の戦前戦後の歴史や平和の大切さ以上になんか地図風に絵本を書いた才能の重みに恭悦至極です。
投稿: 愛ちゃん | 2016年4月13日 (水) 10時20分