« 広島市寺町のお墓 | トップページ | 「被爆者からの遺言」その2. »

被爆者からの遺言

私の出身高、広島観音高校の前身、広島二中の先輩松本正さんから被爆七十年 神奈川県原爆被災者の会結成五十年記念 神奈川友の会発足六十年「被爆者からの遺言  神奈川の被爆者が最後に伝えたいこと」を送って頂きました。

Fullsizerender_153


手記を寄せた人に三冊ずつしか配られていない内の貴重な一冊です。私も読みたい、欲しいと言ったために送って頂きました。申し訳ないことをしました。

しかし。一ページ目を読み始めた途端にもう涙ですぐに読めなくなります。

神奈川県原爆被災者の会は、これまでに25の支部が結成され、数々の出版をされています。県としては、今回の出版が24冊目。他に「神奈川県被爆者ニュース』は、昭和41年4月からこれまでに183号も。支部の証言集などの出版も27冊も。

現在神奈川県在住被爆者数4508人(H27.3末)。

今もたゆまぬ活動を続けていらっしゃいます。

被爆者の想いがぎっしり詰まったこの本の一部を紹介するなどと、不遜なことなのですが、どうしても聞いて頂きたい部分を少し紹介させて下さいませ。

『私は原爆によって両親を奪われ、私は当時両親の仇を討つことを考えた。世の中には、曽我兄弟や赤穂浪士などの仇討が美談として残されている。しかしそれが疑問に思われるようになった。そして私は仇討をやめることにした。

それにかわり私はこの遺言を残したいと思う。私の両親を殺したのは原爆であり戦争である。戦後70年過ぎた。この平和がいつまでも続くことを希ひ求める。

黒焦げの被爆少年の声きこゆ
          「吾にいかなる罪のありしや」

復讐はしませんといふ被爆者の
          眼は悲しみに耐へていたりき

戦争も原爆の惨の真実も
          知らざる人の核武装論

焼け跡にようやく拾いし母の骨
          その温もりをこの手忘れず

水遣れず逝かせし父母に持ち行かむ
          われが逝くときは長崎の水          』

明日も続きます。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

|

« 広島市寺町のお墓 | トップページ | 「被爆者からの遺言」その2. »

コメント

短歌が心に沁みますね。核武装論って田母神論文のことかしら?国連軍縮会議で全ての核保有国が全ての核兵器をなくそうとしているという運動に参加しないそうです。また、フランスが、おもしろいクレームを日本政府につけてきたそうです。クレームとしては、核兵器廃絶を訴えながらも核の傘にはいってるからおかしいじゃないかというクレーム。自己矛盾に耐えながらも、日本国は生活をしなければならない。それに甘えていると周りから受け取られかねませんが、それは極東における社会主義国と資本主義国の貧困の問題ですね、圧倒的に市場経済を導入すれば核兵器には手をだしませんが、同時に天安門事件やボートピープル等の危険性がたくさんあります。市場経済を導入すれば解決できる問題でもないし、逆に貧困が広がってしまう可能性があります!人民公社やソフポーズの失敗によってビロード革命がうまれたのはたしかですが、極東では、未だに冷戦があります。フランス国民には疑問があるのでしょうが、自己矛盾に耐えながらも日本政府は核保有廃絶を国連で訴えるのでしょうね。改善すべきだと思うが現状無理だと思う。

投稿: 愛ちゃん | 2016年2月23日 (火) 11時45分

この短歌にこめられた想いは どんな運動や演説よりも
重く、深く、静かに こちらに伝わってきます。

同じ二中に在学して84歳で 昨秋、旅立った義兄の胸の内の言葉を聴く思いです。

被爆地をはなれての 長年の活動は在広、在長の歩みとは比べ物にならないくらいの 忍耐と努力があったことを察するにあまりあります。

どうか この短歌をつうじて 今を生かされている すべての人たちが 
しっかり受け止めて
それぞれが各々の 立ち位置から歩みださなければ この国の未来は確かなものには向かえないと思います

投稿: yuumin | 2016年2月23日 (火) 12時12分

被爆国のお台所や内情に厳しい批判があるのはもちろんのことですが、被爆国だがらこそ核兵器廃絶のために、世界をまとめられるのではないかとおもっています、厳しいお台所事情も解決できればよいとおもっています、被爆国の被爆者医療は国家 負担であり本来は被爆国の血税ではなくアメリカが謝罪し支払うべきものだと思うし、アメリカ合衆国の国民は、被爆国の被爆者医療をみないで、正義の戦争だったというのはいささか不平等。

投稿: 愛ちゃん | 2016年2月23日 (火) 13時20分

yuuminさま
お兄様、お亡くなりになったのですね。ご愁傷様です。yuumin様も大変にお疲れ様でした。
神奈川県では、広島と長崎の両方の被爆者の方々が沢山活躍されています。それも、リーダーがしっかりされていることもあるのだと思います。被爆者が高齢化して、それでも、ここまで活動をしていらっしゃる地域は珍しくなりました。今回の手記の出版はとても貴重だと思います。少しでもね皆様に知って頂きたくて、ご案内しました。yuumin様、いつもありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年2月25日 (木) 11時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 被爆者からの遺言:

« 広島市寺町のお墓 | トップページ | 「被爆者からの遺言」その2. »