いとこ夫妻の法事
昨夜無事広島に帰って来ました。トンボ帰りでしたが、ほんの少々の義母のお手伝いをしました。我が家の温泉に入ってもらって、一泊してもらって、朝ごはん。お昼ご飯を持って実家に帰ってもらって、いろいろ買い物をして冷蔵庫に入れ、夜のご飯を作って。洗濯ものを取り込んで。私がしたのは、それくらいのことです。私が行くまでは夫がしっかり食事作りやいろいろとお手伝いをしていました。明日からは茨城にいる夫の妹が一週間来てくれるとのこと。その間に母が体力を取り戻して下さるといいのですが。
昨日のもう一つの行事は、河野の本家、いとこの一周忌の、それに一周忌の直前に亡くなったいとこの奥様の49日、合同の供養の法事でした。
いとこは、河野の実家のすぐそばで、よく両親のお世話もして下さっていました。私達が帰るたびに、お宅にお土産を持って行って、話をしていました。いろいろと薀蓄のある方で、楽しく会話をするのが常でした。奥様が体調を崩して入院していて一人暮らしをしているとき、突然お風呂で亡くなりました。後を追うように奥様も亡くなってしまって。
県外にいらっしゃる長男はすぐに家も広い土地も売ったそうで、人手に渡ってしまいました。お墓はあってももう帰ってくることは滅多にないでしょう。元寇の河野通有の子孫、そのあたりの大地主であった河野家も、姿を消すことになりそうです。そのいとこも、家の義父も夫も息子も名前は通有を延々とつないでいますが、我が家の息子には女の子が一人いるだけですし、大分に帰って生活する気はさらさらないでしょう。これも時代の流れでしょうね。
地域の立派な本殿や宝物殿、鐘楼まであり、大ソテツが植えられているお寺での法事でした。いとこは、このお寺の檀家の総代を務めていました。その他の農協や町内会や沢山のお世話約をしていたのをすべて引いて、人に繋いですぐに亡くなっています。
法事の後は、別府湾沿いのホテルに移って食事をしました。
別府湾は、水がとてもきれいになって、透き通っています。小舟を浮かべて、漁をしている方がいます。お魚を釣っている、と言うと、夫が釣っているんではなくって、突いているんだと言いました。透き通っているので泳ぐ魚がよく見えて、それを船から突いているのだと。多分、メバルだろうと言いました。私は、とても信じられなくって、サザエか何か動かない物の漁をしているのでは、と思いましたよ。
美しい海を見ながら、いとこゆかりの方たちと食事をしました。飾られたお二人の写真にお世話になりましたとご挨拶をして、これで、お終いだなあと、寂しいことでした。次々と親しい方が亡くなって、それもこれも、時の流れです。
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