« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

いとこ夫妻の法事

 昨夜無事広島に帰って来ました。トンボ帰りでしたが、ほんの少々の義母のお手伝いをしました。我が家の温泉に入ってもらって、一泊してもらって、朝ごはん。お昼ご飯を持って実家に帰ってもらって、いろいろ買い物をして冷蔵庫に入れ、夜のご飯を作って。洗濯ものを取り込んで。私がしたのは、それくらいのことです。私が行くまでは夫がしっかり食事作りやいろいろとお手伝いをしていました。明日からは茨城にいる夫の妹が一週間来てくれるとのこと。その間に母が体力を取り戻して下さるといいのですが。

昨日のもう一つの行事は、河野の本家、いとこの一周忌の、それに一周忌の直前に亡くなったいとこの奥様の49日、合同の供養の法事でした。

いとこは、河野の実家のすぐそばで、よく両親のお世話もして下さっていました。私達が帰るたびに、お宅にお土産を持って行って、話をしていました。いろいろと薀蓄のある方で、楽しく会話をするのが常でした。奥様が体調を崩して入院していて一人暮らしをしているとき、突然お風呂で亡くなりました。後を追うように奥様も亡くなってしまって。

県外にいらっしゃる長男はすぐに家も広い土地も売ったそうで、人手に渡ってしまいました。お墓はあってももう帰ってくることは滅多にないでしょう。元寇の河野通有の子孫、そのあたりの大地主であった河野家も、姿を消すことになりそうです。そのいとこも、家の義父も夫も息子も名前は通有を延々とつないでいますが、我が家の息子には女の子が一人いるだけですし、大分に帰って生活する気はさらさらないでしょう。これも時代の流れでしょうね。

Img_3182

地域の立派な本殿や宝物殿、鐘楼まであり、大ソテツが植えられているお寺での法事でした。いとこは、このお寺の檀家の総代を務めていました。その他の農協や町内会や沢山のお世話約をしていたのをすべて引いて、人に繋いですぐに亡くなっています。

法事の後は、別府湾沿いのホテルに移って食事をしました。

Fullsizerender_156

別府湾は、水がとてもきれいになって、透き通っています。小舟を浮かべて、漁をしている方がいます。お魚を釣っている、と言うと、夫が釣っているんではなくって、突いているんだと言いました。透き通っているので泳ぐ魚がよく見えて、それを船から突いているのだと。多分、メバルだろうと言いました。私は、とても信じられなくって、サザエか何か動かない物の漁をしているのでは、と思いましたよ。

Img_3185

美しい海を見ながら、いとこゆかりの方たちと食事をしました。飾られたお二人の写真にお世話になりましたとご挨拶をして、これで、お終いだなあと、寂しいことでした。次々と親しい方が亡くなって、それもこれも、時の流れです。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

下松SAのトイレ

別府にいます。昨夜11時半に無事到着しました。到着したときには、母はもうぐっすり眠っていました。具合はよさそうです。夫とよく話をして、心も安らいでいるようです。

途中、下松でごはんを食べました。そのレストランのトイレです。びっくりしました。もちろん建物も暖房はしてあるのに、その上に、ハロゲンの暖房が暖かくて。

Img_3175_2
きれいなだけでなく、こういう配慮はとてもうれしいです。下松SAは、SAのトイレも、とってもきれい。ここのパンやさんのカツサンドもおいしいので、あれば、と思ったけれど、もうこの時間にはありませんと言われてしまいました。残念。

で、レストランで焼きカレーを食べました。前に食べてとってもおいしかった鍋焼きうどんとどちらにしようかと、迷って。でも、どちらも正解です。

おまけにきれいなトイレを知っただけでも、もっと正解でした。

Img_3176Img_3179


右の写真は、今朝の朝ごはんです。三越のフランス祭りで買ってきたパンです。母には、少し硬かったかも。おいしいパンを食べてもらいたいと思って。でも、やはり慣れないことはする物ではないなあ、パンなら、普通に食パンを焼いて上げた方がよかったかもと思いました。

今日は、いとこの法事です。明日の朝までに広島に帰ります。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

元気になりましたよ。

 私のプライドにかかわる出来事があって、いたく傷ついていました。心が傷ついたときには、とにかくじっと耐える。そのことについては、何にもしないで、とにかくじっと時が経つのを待つこと。それが私のこれまで生きて来たやり方です。

時というのは、ありがたい物です。じっとしていたら、少しずつ少しずつ痛みが和らいで来ます。待っている内に、では、何とかしようかという気持ちがわいてきたら、それに素直になればいい。心と言うのも、不思議なもので、自然な感情が何らか出てくるものです。

久しぶりに、本当につらい思いをしました。でも、もう終わりです。

先日行った奈良、生駒の「障がいを持った子どもたちの思春期と性」の感想文を送って頂きました。これまで、ごく一部の方たちしか取り組んでいなかった障がい者・児の性教育。それにスポットをあてての講演でした。

それは苦労しました。私が長年実践してきたことに加えて、勉強が必要でした。何よりその組立でした。いきなり障がい児と言っても、いろいろと幅があるし、なによりもそばにいて育てている方々をさしおいて、エラそうに自分がお話してもいいのだろうかと。私がお話できることは何だろうかと。必死でした。

でも、基本は一緒。その伝達の方法だとか、かける時間だとかが異なるけれど。そもそも障がいのない子どもたちにちゃんとした性教育ができているかということもあります。それを軸にお話しさせて頂きました。

その講演を聞いた方々の感想を読んで、ああ、やってよかったなあと思いました。元気が出ました。この度私を傷つけた、机上で空論、まさに空論で権力を振りかざすえらい人たちには、決してできないことだと思いました。もっと自信を持っていいよ、これまで積み重ねてきた実績があるのだから。これまで通りやって行っていいのだと。自分を取り戻すことができたように思います。ありがとうございました。

その感想文に同封して下さった毎日新聞の記事を、少し恥ずかしいけれど、アップしますね。この写真を見て、私の服の胸に目玉がついているのを初めて知りました。家に帰ってみてみると、やっぱり目がありました。

Fullsizerender_154

姉が夕飯に招いてくれました。粕汁を作ったらとってもおいしかった、今日も残ってる、他に何もないけれど来る?と。ありがたく行かせて頂きました。

Fullsizerender_155

何もないどころか、まあ、そのおいしかったこと。さらに元気が出ました。

私は、今日診療がすんだら大分の河野の実家に向かいます。一人で夜中の長時間の運転です。明日の夜には帰ってきます。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「大邱」でチゲ。

 ここの所、夫が家にはいません。義母が退院したので、夫がしばらく実家で母のお世話をしています。私は、これからかなり沢山ある講演の準備もあって、毎夜帰宅は午前さまです。ごはんは、途中でどこかに食べに行きます。

昨日、思いついて、中の棚の「大邱」に行きました。名前と違って、ソウルからのおばちゃんがほとんど一人で(たまにお連れ合いが手伝っているときもありますが)されている小さなお店です。

お店に入る前から、中からとても賑やかな声が聞こえて、あれ?でした。ドアを開けると、女性が10人ばかり。おばちゃんが「食事?」と聞いて下さったので、チゲが食べたいと言ったら、カウンターに座らせて下さいました。

とても久しぶりなのに、おばちゃんはしっかり覚えていてくださって感激です。

女性たちの会話、これが面白い。一月に一度、韓国ドラマについての会をするのだと。ちょうど昨日がその日なのでした。大邱のおばちゃんのも含めて、沢山のドラマのDVDの貸し借りをしながらのドラマの話です。ストーリーや感想など、とても賑やかです。

ああ、一時ほどではなくとも、こうして根強いファンがいるのだなあと再確認しました。

私はと言えば、一時夫とともに韓ドラにはまっていましたが。今は見ていません。見たいのだけど、長編のDVDを見始めると、次々と寝るのも惜しんで見てしまうので。

いつか仕事の心配もなくなって、いつ寝てもいつ起きてもいい状況になったら、その時には、きっとまた見るでしょう。みなさんのにぎやかなお話を聞かせてもらいながら、食事をしました。

Img_3154_2

グツグツと煮えたぎるスンドゥブチゲ。豆腐、卵、あさり、豚肉、そしてキムチ。ここは手作りのおかずを出してくださいます。パジョン、ジャガイモのきんぴら、そしてドゥブジュリムという韓国式の豆腐の煮ものだそうです。この赤い煮物、初めてたべましたが、見かけと違って甘くてとてもおいしかったです。

チゲとごはんは食べきれず、残してしまいました。韓国式では、残しても大丈夫。マナー違反にはなりません。おいしく、堪能しました。ごちそう様でした。その後、またクリニックに戻ってお仕事でした。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「被爆者からの遺言」その3.

 昨日、私はもうお一方の手記をご紹介したいと書いたのですが、どの方のを読んでも貴重で、やはりこれはみなさんに直接読んでもらうしかないと思うばかりです。

 ものすごい体験をなさった、苦難の中で生きいてこられた、これをみんなが読めば、核武装論など吹き飛んでしまうでしょう。核兵器は三度使用してはならないという被爆者の叫びが、すべての手記に書かれています。いろいろと悩んだのですが、そして、とても失礼なことなのですが、お二人の方の手記を載せさせて下さいませ。お一人はお兄様が亡くなる様子が胸を打ちます。一部でごめんなさい。

『わたしの被爆体験、そして子供たちに願うこと
        広島3歳被爆 高橋 靖子

・・・夜が明けると母は東雲町の父の兄弟の家に私達姉妹を預け、毎日、兄を探して歩いていました。4日目に柳橋の交番の立て看板に、国民学校に兄が収容されていることがわかり、すぐに行ったそうです。

 後頭部から両耳、背中の上半身が真っ黒に焦げて変わり果てた状態の兄だったそうです。

…兄が通学していた山陽中学の生徒は夏休みでしたが、8月6日は雑魚場町というところの建物の強制疎開作業に駆り出されていました。作業に出た仲間は毎日、毎日亡くなり、全滅されたそうです。

被爆した人たちは傷口に赤チンと油薬を塗るだけで、有効な薬もなく水をほしがりながら死んでいったそうです。

終始水を欲しがる兄も、「死んでもいいから、思いっきり水をのませて!」と切望するので、母が軍医に相談すると、「もう望みも無いから上げなさい」と言われて水を飲んだそうです。

水を飲んだ兄は母を見て、「今死ぬのは残念だ、僕をもう一度生んで下さい、きっとだよ。お願いです」と母の手を握り、「みんなをきっと護るよ」といって、昭和20年8月18日、被爆から12日後、中学1年生の兄は息を引き取りました。本当に末期の水だったと母は語りました。・・・』

この方のも、一部でごめんなさい。被爆での直接の死は逃れたものの、その後のご家族のことが書かれています。

『核兵器を廃絶するために語り継ごう
             広島14歳被爆 佐藤 良生

・・・終戦になったころ頭髪の脱毛が起こった。母は間もなく高熱を発し、庄原赤十字病院に入院したが、翌日母は亡くなった。原子爆弾病とされた。父は家族の続いての死を思ったという。翌年春、妹が死んだ。

私は下痢に苦しみ、弟は肺結核で肋骨何本かを取る手術をし、高校を退学したが、大学入試検定試験の後、医者になった。

私は肝炎、脊椎腫瘍のオペを受けた。原爆から26年たって胃がんで胃を半分取った。

弟はそれから約10年たって肝臓がんで亡くなった。

被爆した家族4人のうち私だけが生き残っている。

原爆は、このように、強い破壊力、高温の熱線、そしてがんや白血病を起こす放射線を無差別にまき散らす。

私は、国内外で被爆体験の語り部をしている。

海外で語り部をすると、アメリカをどう思っているかと質問がある。私はアメリカ市民を憎いとは思わないが米国政府や大統領は被爆者に謝罪すべきだと答える。すると必ず拍手が起こる。

憎しみはさらに憎しみを呼ぶものだ。これでは戦争も核兵器も繰り返されて終わらない。核兵器の残虐性、無差別性をできるだけ多くの人に語ることが大切だ。そして核兵器を廃絶することが必要だと誰でも信ずるようにさせるのが肝要だ。

被爆者の平均年齢は80歳を超える。私達が語り継ぐ残り時間は少ない。子や孫に、縁ある人たちに自分たちの思いを、それもできるだけ若い人たちに伝えよう。若い人たちの新鮮な心に話しかけよう。

これは、被爆国日本の被爆者の使命なのだ。』

どの手記にも、語り継げる被爆者の時間が残り少ないと書かれています。私達が、それをどう受け止め、繋いでいくか、それが今度は私達の使命なのですね。

読ませて頂いてありがとうございました。松本さま、神奈川の被爆者の皆様に深く感謝申し上げます。同時に、私のこのようなご紹介の仕方をお許しくださいませ。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

「被爆者からの遺言」その2.

松本正さまから送って頂いた神奈川県の「被爆者からの遺言」には、70人の方々の貴重な遺言が記されています。どの方のも、本当に重く、胸を打ちます。

私は、戦後の平和運動、今に至るまで、反戦争、反核の運動には、やはり被爆者の存在こそ欠かせない物であったということを確信いたします。

どなたのもすごいので迷いますが、お二人の遺言を転載させて頂きます。

『被爆死した両親へ
          広島17歳被爆 川本都

お父さんお母さん、あなた達が亡くなって今年で70年になります。

私はたった一人になり、あの地獄の中をさまよったのです。8月6日、お父さんはどこで被爆死したのですか。無残な焼け跡を探し続けました。

終戦後、私は焼け野原で夕陽を浴びながら「お父さん、あなたが望んでいた自由に物が言える時代が来ましたよ」と大きな声で叫びました。

お父さん、あなたは大正昭和と日本がだんだん軍国化していくのに、危機感を抱いて、反戦運動をして捕えられ、同志の名をいえと拷問を受けたと、母から聞きました。私は軍国乙女、そんな父が嫌いでした。

母の苦労をつぶさに見ているからでした。

 今また、日本は何処に向かって行くのでしょうか。あの時代を知っている私達は、もう二十年もすれば皆死んでしまいます。

どうぞこれから先百年でも平和でありますように。戦禍で死ぬことのないのを祈ります。』

『戦争・原爆・憲法
           広島14歳被爆 亀井賢伍

中学3年、14歳の時広島で被爆した「むかし軍国少年、いま平和を希求する反核老人」である私の「遺言」です。

1、広島、長崎への原爆投下は、戦争がなければあり得ませんでした。「ノー・モア・ヒバクシャ」と「ノー・モア・ウォー」を切り離さないでください。戦争は、最大の人権侵害であり、人間性を奪います。

2、原爆の悲劇が、戦争放棄の日本国憲法を生みました。被爆者は、そのことを胸に刻み愛着を持って憲法に向き合って生きてきました。改悪させてはなりません。前文や九条を、折に触れ読み返してください。

3、被爆体験は千差万別です。とくに放射線被害は未解明の部分が沢山あり時間(入市時期など)空間(被爆距離など)で線引きすることはできません。福島原発の被害を見ればそのことは明らかです。証言をお聞きになる方は、「あの日」の惨状たけでなく、「からだ、くらし、こころ」に傷を負った被爆者の「その後」の惨苦の生にも耳を傾けてください。』

明日、もうお一人の手記を転載させて頂きたいと思います。

なお、松本正さまとご一緒した川崎での平和の夕べプレ企画、松本さまの証言などはここに書いております。証言して頂いたときの松本さまの写真です。

___1595

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (7) | トラックバック (0)

被爆者からの遺言

私の出身高、広島観音高校の前身、広島二中の先輩松本正さんから被爆七十年 神奈川県原爆被災者の会結成五十年記念 神奈川友の会発足六十年「被爆者からの遺言  神奈川の被爆者が最後に伝えたいこと」を送って頂きました。

Fullsizerender_153


手記を寄せた人に三冊ずつしか配られていない内の貴重な一冊です。私も読みたい、欲しいと言ったために送って頂きました。申し訳ないことをしました。

しかし。一ページ目を読み始めた途端にもう涙ですぐに読めなくなります。

神奈川県原爆被災者の会は、これまでに25の支部が結成され、数々の出版をされています。県としては、今回の出版が24冊目。他に「神奈川県被爆者ニュース』は、昭和41年4月からこれまでに183号も。支部の証言集などの出版も27冊も。

現在神奈川県在住被爆者数4508人(H27.3末)。

今もたゆまぬ活動を続けていらっしゃいます。

被爆者の想いがぎっしり詰まったこの本の一部を紹介するなどと、不遜なことなのですが、どうしても聞いて頂きたい部分を少し紹介させて下さいませ。

『私は原爆によって両親を奪われ、私は当時両親の仇を討つことを考えた。世の中には、曽我兄弟や赤穂浪士などの仇討が美談として残されている。しかしそれが疑問に思われるようになった。そして私は仇討をやめることにした。

それにかわり私はこの遺言を残したいと思う。私の両親を殺したのは原爆であり戦争である。戦後70年過ぎた。この平和がいつまでも続くことを希ひ求める。

黒焦げの被爆少年の声きこゆ
          「吾にいかなる罪のありしや」

復讐はしませんといふ被爆者の
          眼は悲しみに耐へていたりき

戦争も原爆の惨の真実も
          知らざる人の核武装論

焼け跡にようやく拾いし母の骨
          その温もりをこの手忘れず

水遣れず逝かせし父母に持ち行かむ
          われが逝くときは長崎の水          』

明日も続きます。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

広島市寺町のお墓

昨日は「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員会でした。

会議の会場には広島市寺町にある会社の研修室を使わせて頂きました。会議の後、そのビルの屋上からの見晴しがいいからと言うことで、上がらせて頂きました。ずっと向こうまで見渡せましたが。足元を見て息をのみました。お墓、お墓、お墓あっちもこっちもぎっしりのお墓でした。

ここは寺町。よく行き来するところではあります。さまざまな宗派のお寺をならんでいる所。でも、道路を歩く時には、お寺しか見えません。そして、当然ではありますが、お寺と言うと、お墓です。それはふつう歩いているのには見えません。

Fullsizerender_151

Fullsizerender_152

広島では、どのお寺に行っても、昭和二十年八月六日という日付と亡くなった人の名前が刻まれた墓石が並んでいます。

以前、広島市西区の小学校で、校区内のお寺巡りをして、墓石を見て回り、その日付けの多さに驚いたという児童の作文を読んだことがあります。

八月六日は、この寺町全体が、灯篭とお線香の香で一杯になります。

広島は浄土真宗、安芸門徒の多い所。安芸門徒は、お墓に灯篭を飾ります。初盆の人は白い灯篭、その後の人は色とりどりの灯篭を。今度は、灯篭があふれる8月6日やお盆のころ、ここからまた見てみたいと思いました。

上の写真の左端にある三角の屋根の建物。これが浄土真宗本願寺派広島別院です。

 この別院の中に本殿とは別に安芸門徒会館があります。

 安芸門徒会館は、昨年6月21日に、「被爆70周年 被爆ピアノ 平和コンサート&平和を語る会」で使わせて頂きました。とても素晴らしいホールでした。

8.6ヒロシマ平和の夕べ、今年もまた例年と同じように、胸を張ってお伝えできるとてもいい企画ができました。毎年参加して下さる方々、ぜひ今年もご参加くださいますように。また、詳細が決まり次第、皆様にお伝えしますね。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

あおぞら子供神楽団

昨年の性教育指導セミナー全国大会の懇親会で素晴らしい公演をして下さり、全国からのお客様がびっくりされた「あおぞら子供神楽団」。

___1693

___1692

この度、「広島ユネスコ活動奨励賞」を授与されました。表彰式の様子は、青空のホームページから頂きました。

91-3.jpg91-1.jpg

おめでとうございます。私も本当にうれしくて、陰ながら拍手を送ります。

昨年春、練習場に行かせて頂きました。小さな子どもたちが、夜間練習し、地域の大人の方たちが支えていらっしゃいました。お友達の練習を見ている子どもたちは、決してボーと見ているのではなく、床をバチで叩いてリズムを取っています。

___1314___1311

そこで、みなさんに性教育指導セミナーで公演をして頂きたいとご挨拶をしました。子どもたちの眼がキラキラしていて、感動したものです。

___1312_2
春休みには、東北に復興支援の公演に行く予定とのこと。バスで長時間揺られて行くのも、本当に大変でしょう。


子どもたちも、支える大人の方たちも、どうぞ疲れすぎないで活動を続けられますように。今回の受賞が、励みになりましたね。これからも応援させて頂きます。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

温泉ミステリー日帰りバス旅行

一昨日の木曜休診日。以前に申し込んでいたバスツァーに姉と一緒に行きました。とてもしんどいことがあってどうしようかと、そんな日々だから、バスでのんびり田舎に行って、お風呂に入って来ようと思いました。

00fullsizerender_148

バスツアーだから、あちこち寄りながら、最終的にはここ、山口のひなびた温泉、俵山温泉白猿の湯。

Img_3092Img_3097

バスを降りて、こんな道を歩いて行って。

Img_3098

 それはそれは、ぬるぬるとして柔らかいお湯。とてもいい温泉でした。

そもそもはこんなミステリーツアー。どこに行くのかが分からないままのツァーでしたが、でも、大体ヒントでわかっておりました。

それと食べ物、フグと蟹とお寿司だと。さらに、どっさりのお土産。あのね、フグ刺しか蟹一杯のどちらか、ミニかまぼこ、猿饅頭、お餅つめ放題、こんなのをどっさり頂いて帰りました。

Img_3091Img_3078

バスに揺られてのんびり、うとうと。ストレス解消になったかと言えば、いいえ、問題はちっとも解決しませんもの。でも、いい空気をたんと吸いました・・・。

00img_3105Img_3063

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

江戸情緒老舗比べ「コーヒー」

今、広島そごうで「江戸情緒老舗くらべ」が開かれています。初日のお昼に行きました。お昼何食べよう、ラーメンかね、お寿司かね、と。

そして、目についたのが「カツサンド」です。とてもおいしそう。で、それを食べましょうと。会場には、買った物をすぐに食べたい人のために椅子と机が置いてあります。でも、何か飲み物をと会場内を見まわすと、コーヒー屋さんがありました。そこで、

「あちらに持って行ってサンドイッチと一緒にコーヒーを戴きたいのですが・・・」とお願いしました。そしたら、マスターが

「ここで食べていいですよ」とカウンターを指されました。恐縮しながらカウンターに座ると、マスターが

「どんなサンドイッチですか?」と尋ねられました。「カツサンドです」と言うと、「では、メニューの二番目の「マンダリン・タブー」がいいですよ」と言われました。では、それをとお願いしました。私には、このメニューを見ても、さっぱりわかりませんので。マスターが丁寧に入れて下さったコーヒーと、カツサンドを頂きました。どちらもとてもおいしかったです。

Img_3047

Fullsizerender_147Img_3050


で、食べながらふと見ると、カウンターに「美味しんぼ」がおいてあります。54巻「水出しコーヒー」。ざっと読みました。そこに出てくるマスター。このマスターがモデルに違いありません。「マスター、このモデルですか?」と聞くと、マスターは、照れちっゃて違いますよーと言われましたが、私はきっとそうだと思いました。
少なくとも、漫画に出てくる水出しコ―ヒーの器具、入れ方などは、マスターに取材したものに違いありません。

Img_3052 カウンターの写真、左の方においてあります。今度、これを飲みに来ようと思いました。

クリニックに戻ってこの話をすると、スタッフが、ここのソフトクリームがとてもおいしいと言いました。では、それも食べなくっては。

でも、ここの所、お昼時間はいろいろとすることが一杯で。さあ、このイベントが終わるまでに行けるかしら。

00img_3054

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

毎日新聞「平和をたずねて」核の傷痕 続医師の見た記録

毎日新聞の連載から、もう少し。

『広島では被爆10年以内に甲状腺がんの発症はほとんどなかった。ましてや小児甲状腺がんは希少である。ゆえに甲状腺がんは早期に発症しないという「常識」が通っていた。チェルノブイリで原発事故の4年目ごろから増えている小児甲状腺がんを、放射能の影響とみるのは「非常識」という意見が大勢だった。』

『そこで武市さんは「常識の非常識」の問題に立ち返り、「なぜ、甲状腺がんは被爆後の10年以内に見られなかったのか」について考察する。

 広島では、被爆した年の年末までに約14万人が死亡したと推計されている。さらに急性障害で4年間に多くの人が亡くなった。医療施設が少なく、検査器具は不足していた。甲状腺の専門医は皆無に等しく、甲状腺がんは記録されていなかった可能性が強い。こうして「常識」が形成されたようである。武市さんはしみじみと語る。

「原爆が落とされて数年以内に亡くなられた人たち、なかでも幼い子どもが生きていたら、大変な数の甲状腺がんが発症していたかもしれません」

小児甲状腺がんの「常識の非常識」は、チェルノブイリの教訓の一つである。』

 以上、2月9日の記事の一部の引用は終わります。毎日新聞での武市先生の記事はまだまだ続いています。16日に書かれたことの一部です。

『<白血病や、食べ物の不足、体力の衰えなどを加えた放射線障害により、被爆後10年までに命を落とした人も多く、広島では小児被爆者が小児期の間に、甲状腺がんを発生するとは、とても考えられなかった。これを"広島の被爆者甲状腺がん発生の空白の10年"と呼んでいる>

チェルノブイリ原発事故から5年後にウクライナの病院で診察し、小児甲状腺がんの増えている現実に直面した武市さんは、再訪問を決意する。

「広島の医師として、チェルノブイリで甲状腺がんの空白の10年を作ってはならないと思いました。甲状腺がんは早期に見つけて治療をすれば助かります。」』

 以上で引用は終わります。

広島の「常識」がチェルノブイリで利用され、チェルノブイリの「常識」が福島で利用されています。

もう広島では新聞やテレビで報道されたことですが、武市先生は、福島から広島に保養に来る親子の甲状腺の検査を続けて下さっています。しこりが見つかり、定期的に検査を必要とする子どもたちも何人も出てきました。

 手術が必要な人も出ています。私たちは、一人一人の希望に沿って支援します。福島でなく、広島で手術をという希望があれば、私たちもそれに寄り添います。

この場を借りて言うのもつらいことなのですが、この甲状腺がんの検査をセットにした親子保養、資金が行き詰ってしまっています。また、改めてカンパの要請をすることになるかもしれません。その時には、皆様、どうぞよろしくお願いします。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

毎日新聞「平和をたずねて」から。

毎日新聞「平和を訪ねて」広岩近広記者の連載からの報告の続きです。


1991年10月広島市の国際会議場で「チェルノブイリ事故後の放射線障害に関する公開報告会」が開かれました。そこで武市宣雄医師が小児甲状腺がんのウクライナでの調査の結果を報告しました。

武市先生は、広島でトップの甲状腺の専門のドクターです。キエフ内分泌代謝研究所、ベラルーシ甲状腺腫瘍センターでの小児の甲状腺がんの手術例の増加についての発表でした。

武市先生は、触診の結果、手術の様子、病理組織の変化などについて、低ヨウ素地域に住む少女が放射線ヨウ素の影響を受けたとみられる根拠を詳細に説明しました。それは放射性ヨウ素に汚染された食べ物によって体内に取り込まれたヨウ素が甲状腺がんを発症させたと推察したものでした。

「広島では被爆後10年を経ておとなに発症した甲状腺がんが、チェルノブイリでは3年目、4年目、5年目の子どもたちに出ているのです」

それに反対意見が出されました。

「原発事故から5年の時点で、被災者に甲状腺がんが多発しているような傾向にはない。」と。

国連IAEAから委託された国際諮問委員会がその5か月前チェルノブイリ事故調査報告を公表していました。

「事故は、不安やストレスなど心理的影響をもたらしたが、放射線に直接起因するとみられる健康障害は見られなかった」

そう結論を出した国際諮問機関の委員長は広島の放射線影響研究所理事長、重松逸造氏です。

彼は、毎日新聞のインタビューで調査の意義を「科学的データに基づいた議論を通じて地元住民の不必要な恐怖心を取り除くことにあった」と語っています。

この重松氏などが出した結論は、まさに今の福島で山下氏などが言っていること、そっくりそのままなのです。

 この2年後、WHOが『患者の半分以上は大量の放射性ヨウ素にさらされた地区に集中しているとして「原因が原発事故であることは明らかだ」としている』(毎日新聞)チェルノブイリの原発事故から7年経っていました。

でも、「広島では甲状腺がんはなぜ被爆から10年以内に見られなかったのか」。明日に続きます。


Fullsizerender_146

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

福島の子どもの甲状腺がんについて

2月15日、福島県の検討委員会は、原発事故後、福島県が当時18歳以下の子どもたちを対象にしている県民調査で、甲状腺がんと確定した子どもが100人を超え、全国の罹患率に基づいた推計よりも「数十倍多い甲状腺がんが発見されている」と発表しました。

それでも、「放射線の影響とは考えにくい」ともしています。

約30万人が受診した1順目では100人ががんと確定し、15人が「がんの疑い」とされました。そして、2順目の検査では、1順目でがんやがんの疑いとされなかった16人ががんと確定し、35人ががんの疑いがあるとされています。

いまだに、この後に及んでも、なお放射線の影響とは考えにくいとのその根拠は何なのでしょうか。

今、毎日新聞で、「平和を訪ねて」という連載が掲載されています。今はチェルノブイリの子どもたちの甲状腺がんについて詳細に書かれています。

それが、今の福島の状況とおんなじなのですね。チェルノブイリでも、はじめは「放射線の影響とは考えられない」とされていました。それはよく知られたことでもあります。

その根拠はヒシマの原爆では、甲状腺がんはさほど見られなかったというものでした。ところが・・・。

明日、詳細を書きますね。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ハックの家のバッグが届きました。

3月になると、6日東京、10日函館、13日久留米、17日大阪、20日福島と講演が続きます。それも、全部テーマが異なるので、かなりの準備が必要です。昨日は、ありがたいオフ。このうちの三つのスライドや配布物の準備ができました。ほっとしています。

先日、うれしい荷物が届きました。

岩手のハックの家からです。フェイスブックで見て、すぐに注文した物です。

Img_3028Img_3027


ハックの家の松家圭輔さんの絵をプリントした布で作ってあります。しっかりした帆布、それに、中は山根清さんたちが織った花咲き織りで丁寧に作ってあります。

Img_2087_2
以前、京都の斉藤洋さんの風工房で一目ぼれして購入した斜め掛けのバッグ。これの姉妹品です。

 このバッグやハックの家については、昨年最後の私のブログ、ここに書いています。

一緒の荷物で、こんな物もプレゼントして頂きました。

Fullsizerender_144

フェルトでくるまれたいい匂いの石鹸です。このままで使います。そしたら、だんだんとフェルトになって、石鹸がなくなったら、それをバッジやボタンにして使うのですって。なんと素敵。でも、もったいなくってなんか使えない。そのままおいておきたいような、でも、最後にブローチにしたいような・・・。しばらく眺めておきます。

そして、何よりの物も。ハックの家、この絵と花咲き織りの作者の方たちのお手紙が一緒に届きました。これも私の宝物です。

Fullsizerender_145


ハックの家の皆様、本当にありがとうございました。大切に使わせて頂きます。そして、これからも素敵な作品を作って下さいね。また購入させて頂きます。遠くから応援を続けますね。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

妊娠・出産後戻ってくる女医さん、日本一だと。

先日の祝日、広島大学の産科婦人科の同門会がありました。大濱前教授の授章のお祝いの会も兼ねての会でした。

同門会には久しぶりの出席です。教授による現在の教室の報告を興味深く聞きました。

相変わらず、産婦人科は人気がなく、産婦人科医は減る一方です。一時、産婦人科医が増えているらしいと報道されていましたが、それは大都市だけであり、広島大学は、現在大学には17人だけと、厳しい状況が報告されました。少ない人数で関連病院などの運営を頑張っているようすがよくわかりました。その上、来年4月には、日本産科婦人科学会学術集会が広島で開かれます。これには、教室員のみなさん、大変な苦労だろうと心配です。

そして、すごい!と思ったこと。それは、女医さんが妊娠・出産をし、産休、育休を取り、そしてまた教室や関連病院に戻ってくる率が全国の大学のトップであるということでした。後輩たち、頑張れ頑張れです。

私はもう外来だけでお産をしていません。女医さんはお産をしなくなるなどと言う人がいますが、それは男性でも女性でも、頑張った挙句、くたびれての外来だけの開業なのです。私も20年間の勤務医生活で、ボロボロになりましたもの。

ただ、外来だけのクリニックの医師にももそれなりの役目があるものです。これまで、先駆者として、後輩の女医さんたちのよきモデルでありたいと思ってきました。教授と話したとき、大学に一番患者さんを紹介しているのは、私だと。私がいなくなったら、大学の臨床は成り立たなくなるだろうと言われました。

私としては、ここの所、がんの方が続出していて、治療をお願いすることが多いのですが、どんなに急な患者さんでも、どんな時でも、嫌がらないで受け入れて下さるのが、とてもありがたくて、感謝しています。

産婦人科の危機。頑張って乗り越えて下さい。応援しますね。

Img_2992

Fullsizerender_140Fullsizerender_142


お料理の一部です。お刺身に乗っている昆布。きれいに扇子に気ってあります。思わず、スタッフさんに尋ねましたよ。そしたら、決して手作りではありませんと。安心しました。でも、このサツマイモの亀は手作りと思います。

Img_3001Img_3006_2

久しぶりにお会いした人たち。みんな年を取りました。自分はいつまでも若いと思っていても、やっぱり年なんだなあと痛感しましたよ。さあ、いつまで頑張ろうかと考えながら、自転車で帰りました。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

政治が貧しすぎる

 宮崎議員について。まあ、落ち着く所に落ち着いたと思います。彼にとっては、もうこれしかないでしょう。妻は議員を続けるのだから、今から彼は、そのサポートをすればいい。育児も、もうこれで彼女は彼に任せることができます。私は、男性議員の育休と彼の不倫は分けて考えるべきというのが今の風潮の主流になっているけれど。なんか、ちょっと待ってよという気になっています。

私は、男性の育児参加は当然もっとあるべきだと思っています。二人で子育てをしながら、最も働きやすい状況を二人で作っていく、それに企業は寄り添って行くことができるか、ということなのだと思っています。

私が今回のことをうさん臭く思ったのは、彼の不倫ではありません。そんなことは政治家にはよくあること。不倫をしたから、議員を辞めるべきだなんて、彼自身も思ってはいなかったでしょう。

問題は、妻がお産、しかも彼が育休を取るとぶち上げたからにほかなりません。

しかも、それに寄って来たマスコミ。一斉に彼を持ち上げたその姿に気持ち悪さを感じたのです。彼には、何もなかった。家にテレビカメラを入れて、妻が布団に横になっている姿までカメラに撮らせていました。彼は、なんだか雑炊みたいなものを作って見せていたり。身重の妻が見世物のようになっていました。

そんなやらせみたいな姿をどこの社のテレビでもやっているのを見て、売名としか見えませんでした。男性の育休、二人で子育てをというのは、議員自身が育休を取るということでもてはやされて広がる物ではないと確信しています。

 二人で生きることの意味、子どもを育てること、それらを含めた性教育がこんな貧しい状況になっていて、そこだけがよくなるはずがないと思っています。この国は、パートナーと共に生きるということ、すべてが貧しいのですよ。

あまりに貧しい教育、そして政治。

甘利氏は、大臣室でお金をもらっているということを明らかにしても、。議員を続けることができるのですね

 丸川議員なんて、福島のこんな大変なことをケロリとして「発言を取り消します」と言いました。それも、「私が発言したことを確認しましたので」だって。高い放射能の中で暮らさざるを得ない子どもたちのことを、どう考えているのかと思います。彼女は、環境相ですよ!!

歯舞が読めなかった島尻氏、彼女は北方相ですよ!!

 電波停止と言った高市氏。総務相ですよ!!

政治家のレベルが低すぎる!!そうそう、溝手参議院議員は「今回の宮崎氏のことをうらやましく思っている人もいるのではないか」と言ったそうですね。

こんな人たちの元で、どんどんと日本の政治が進められている、それに危機感を持っています。それなのに本当に内閣支持率は高いのでしょうか。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

男子中学生の感想文

今回の国会議員の不倫について、いろいろな人のコメントで「男のへそから下は別人格」という言葉がいくつか聞かれました。そんなことは絶対にないと思います。へそから下も上も含めての人であり、「人格」であります。それに「男の」という言い方はすごく嫌です。「男」がそうであるのなら、「女は違う」と言う根拠もなければ。

私は、今回の国会議員、この人がどんな教育を受けてきたのか興味があります。あくまでも「文春の記事によると」ですが、京都で会っていたタレントの女性とは、もう以前から続いていたそうで、今回が初めてではないのですね。と言うことは、同じ国会議員と結婚し、赤ちゃんができ、「育児休暇」だと言っていたその同じ時期に、一方で別の親しい女性との関係も続いているという、彼の中での「性」はどういう位置だったのか、不思議で。今回のことがばれなければ、赤ちゃんが生まれた後、育休を取りながらも彼女との付き合いも続いていたことでしょう。

 いくつかの写真で見た、妻の肩を抱いて人と話をしている姿。それもぞっとします。国会の中は職場。プライバシーを見せびらかして、べたべたしないでほしい。国会で妻の肩を抱いているそのその一方で、別の女性を国会の中に待たせていたといいます。

彼は、おそらく、性は人間関係であるということの教育も受けていないのでしょう。薄っぺらい育休宣言が、どれだけの人を傷つけたことでしょう。

先日行った中学での講演の後の感想文が届きました。あえて男子生徒の感想文のみを転載しますね。

『 本日は、広島から遠い所までお越し頂き、ありがとうございました。1時間半という短い時間でしたが、とても丁寧で、まただいじなことは繰り返して言ってくださったので、とても心に刻まれました。僕は男ですが、女性のことまでしっかりと学んで、将来困らないようにしたいと思います。男性としての責任を持つことを大事にしていこうと思いました。

性ホルモンのことなど、今までまったく知らなかったことまでをも知ることができて、この講座に参加できて本当に良かったと思います。河野さんは、自ら体験したことを交えて話して下さったので、河野さんのような人が全国の子供たちにきちんと教えて下されば、性被害も減ると思います。これからも、講演会をやめないで、子どもたちを救ってください。今日は本当にありがとうございました。』

『僕は今日の講演会を聞いて、どれだけ妊娠が大変で大切なことかを学びました。今まで、何回か性教育をうけてきましたが、一番わかりやすくて、内容がとてもよかったと思います。

映画を見て一番印象に残っているのが、赤ちゃんを産み終えた、お母さんの笑顔です。あの笑顔は人生で一番すばらしい笑顔じゃないのかと思いました。

あと、男女の生殖器のことでも、知らないことが沢山ありました。今日の講演会を通して、性に関する考えや見方が大きく変わりました。簡易に行動に移さず、しっかりと考えて行動し、意志をもって臨むことだと思いました。

僕は妊娠しないけど、させる側のことをしっかり考えていきたいと思います。』

『お話をしていただきありがとうございました。

人生において、命にかかわる大事な「性」について、今日の講演について自分自身を考え直すことがありました。今までの僕は、「性交=自慰行為」ととらえていたような気がします。また、コンドームをしていれば大丈夫だろうという、先入観にとらわれ、まったく重いものだと考えていませんでした。

しかし、今回、先生から、現場のデータ、経験談、ビデオを通じ、本当に、自分の考えが浅はかであったと反省しています。

あまり身近ではない「性被害」。もし、これが自分に身近なことになったらと考えただけで恐ろしいです。もし、自分が子どもを授かった際には、今日、教えられたことを丁寧に伝えることができるようになりたいです。

最後に、ビデオにあった「出産の瞬間」。これは、自分のこれまでの人生で、一番の衝撃映像だったと言っても過言ではありません。女性の性器を解説して下さったときの管(?)の小ささといったら・・・。そんなに小さな管から、あんな頭が出るなんて、痛くないわけないですね。女性のありがたさ、そして強さ。自分の考えがガラッと変わりました。

女性へのリスペクトを忘れず、今後の人生を歩んでいきます。女性を守れる大きい男になりたいです。本日は、本当にありがとうございました。』

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

男の育休。どれだけ覚悟があるのか。

 もうずっと前。インターナショナルスクールの教師夫妻に特別養子縁組のお世話をしたことがあります。まだ産休はあるけれど、育休はない時代です。

子育てをどうするか、事前に色々と考えていらっしゃいました。基本的にはベビーシッターだと。でも、すぐにではありませんでした。

まず、インターナショナルスクールが、産休を下さいました。彼女が生んだのでもなく、養子として赤ちゃんを引き取ったのですが。「産休」は、赤ちゃんのためにあるものだからと。それは素晴らしい、さすがインターナショナルスクールだと思いました。

まず彼女が産休を取りました。そして、その後は今度は彼が取りました。半分ずつですね。

産休が切れた後、今度は、なんと二人で一人の教師になったのです。

彼女が午前中学校に行くと、午後は彼が行く。彼が午前中に行くと、こんどは彼女が午後に行く。そうして、半分ずつ、合わせて一人の教師になったのですね。そんなことを許してくれる、これもまた、さすがインターナショナルスクールだと思いました。

で、お給料はどうなの?一人分?と言うと、「それが一番の問題だ。一人分の給料になってしまった」と。私は、「当たり前でしょうね」と笑いました。

赤ちゃんが家に来て、すぐのころ。二人は自宅でパーティーを開きました。近所の方たちに家に来てもらって「この子が家の子になりました。よろしく」と。わたしも招かれて、集まったみなさんにいきさつをお話しました。高校生が生んだ赤ちゃんでした。このご夫婦の元で、幸せに育つことと思います。みなさんも、助けてあげと下さい。どうぞよろしくお願いしますと。二人は、いっぱいパテを作って冷凍しておいて、庭でバーベキュー、パンにパテと野菜を挟んでハンバーガーを作り、みんなでかぶりました。男性も女性も、わいわいと和やかでした。

そうして、赤ちゃんも含めて地域に溶け込んでの子育てでした。

一年が過ぎて、今度はベビーシッターでなく、保育所に入りました。私も、それをおすすめしました。日本では、一人のベビーシッターではなく、いろいろな人の影響をうけながら育った方がいいと思うからと。

私の時代はこうだったというつもりはありません。時代が違うのだから。でも、一つだけ。私は夜もいつ呼び出されるかわからないという、あまりに厳しい仕事をしていたからかもしれません。子どもを産んで家にいるとき、なんと楽なことかと天国のような思いがしました。赤ちゃんが寝ているときに昼間っから自分も横になれる、家事なんとちょろいものだと思いました。

夫だって、ずっと家にいないわけではありません。夜は帰ってくるし、休日には家にいます。彼が帰ってきてから赤ちゃんはお風呂に入れればいい。買い物は一週間分まとめて買えばいい。足りないものがあれば、仕事帰りに夫に買ってきてもらえばいいし。

 もちろん、二人の生活から三人の生活になるのだから、赤ちゃんを産むという決意をしたときから、それなりに自分も子育てをするという覚悟を男性も持ってもらわないと困ります。これまでと変わらない仕事をするのではなく、残業はしない、付き合いが悪くなるのは当たり前。家に帰ったときや休日は、家はやすらぎの場ではなく、子育てという仕事の場であるとの気概を持ってもらわないと。

私は、ひと月、ずっと仕事を休んで妻のそばにいる、男の育休を取るといったあの男にどれだけ子育てをする決意があるのか、うさん臭く思いました。だって、子育ては、これからずっと続くのです。ひと月だけのことではありません。ずっとずっとです。彼女も同じように子育てをしながら、国会議員という重責を担わなければなりません。子どもが保育所に行くようになったら、子どももしばしば熱を出したり、病気になったり。そのたびに、仕事はどっちが休む?とすり合せをしなければなりません。急に帰れなくなった、保育園に迎えに行ってと連絡を取り合ったりしなければなりません。

ひと月育休を取るから、イクメンだ、立派だともてはやされるのが何とも気持ち悪いと思ったのです。

まして。妻がお産のために入院をしているという、その時に、他の女性とお泊りと言うのでは、むなしく笑うしかないのです。

いろいろなご意見があることは承知の上。コメントへのお返事を兼ねて、今日のこのブログを書きました。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (4) | トラックバック (0)

育休宣言の国会議員

 何とまあ、あの国会議員が不倫をしていたと。それも育休をとると言っていた議員。妻がお産のために入院していたその時に、と。

笑ってしまいました。何、これと。

私は、妻がお産で入院中に、他の人との性があったというのが当然いやです。性を考えていると、「心を許しあった人と」が原則と思うのだけれど、それでも、そうでない人たちもいる、風俗などで、体だけの関係をする人もいるのですね。

男には必要なのだと言ってのけたどこかの首長もいました。

性教育の現場では、それをよしとはしません。子どもたちには伝えることがとても難しいのです。

心が動いたというのであれば、まだ分かるのです。人を好きになって付き合っている最中に、他の人をも好きになったと言うのであれば、仕方がありません。

単なる「浮気」であれば、妻にも相手になった人にも失礼なことだと思うのですが・・。しかも、妻が「赤ちゃんを産む」という大変な時に、他の人とそんなことができる軽さは人として理解できません。

情けない人です。きっと、これまでもそれで生きて来たのでしょうね。そしてそんな彼を選挙区の人たちは選んでいるということでもあります。

ましてまして、その男が、国会議員として初めて「育休を取る」と宣言したなんて。

私は、彼の育休の宣言には、首をかしげていました。素直にいいことだとは言えないと思っていました。その思いは、先月の性教協中国セミナーの「養子縁組物語」でお話したのです。

私は、子どものために「育児休暇」はあると思っています。これまで育休を取った男性の講演を聞いたこともあります。でも、それは妻が働いて、男性が育休を取って子育てをするという物でした。今回の彼の宣言は、子どもが生まれたら、ひと月間、妻と一緒に育休を取ると。それに違和感があったのですね。

調べてみると、夫婦二人が同時に育休を取ることは、制度的に可能なのですね。でも、二人で仕事を休んで何をするのでしょう。彼は、テレビカメラを家に入れて「ここにベビーベッドを置こうと思うのです」なんてやっていました。私は、選挙で選ばれた国会議員なのだから、彼も彼女も二人とも仕事を頑張ってほしいと思います。子育てなどのプライベートなことは、二人で工夫や努力をして頑張って欲しいと思っています。

そもそも育休と言うのは、「雇われている人のために」あるものです。

この件について、もう少し、性教協のセミナーで話したこと、養子を授かった人の産休、育休の話をしたいと思います。

日曜日、別府から帰りに道の駅「おこしかけ」に寄りました。好きな所です。多分、ここに寄ることができるのも、これで最後でしょう。東九州自動車道が開通すると、寄らなくなると思います。午後6時までなのですが、日曜日だと言うのに、5時前にはもう店の前の果物売り場や別棟のレストランのほとんどのお店は閉じていました。のんびりしている、欲がないというか、利用者にとってはがっかりでした。夫はあさりの味噌汁、私は団子汁を食べたいと思っていたのですが。

Img_2959

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

広島牡蠣祭り。

もう、とっくに過ぎたことで何とも間が悪いことですが。せっかく写真を撮っているのでここに。冬のフードフェスタ、いわゆる広島牡蠣祭り。ええ、行きましたとも。こんな近くであるのだから、行かずにはおれないというもの。初日のお昼時間に駆け付けました。すごい人。人。人。

00img_2945

Img_2939

10時から始まって、一時過ぎだと言うのに、もうカキなべ、一杯100円のお汁は完売。それでもどんな鍋なのか、見にだけ行きましたよ。

Img_2943

Img_2941

こんな写真だけ撮りました。そして。お昼ご飯を食べようにも、どのお店もあまりの行列で。これはダメ、ここもダメ、でも、どこか性根を入れて並ばないと何にも食べられないよ、と、姉と二人、結局アナゴ飯の列に並びました。そして、隣のサザエのツボ焼きはすぐに買えたので。もう一つ、牡蠣のお焼き。これは、たぶんホットケーキミックスの薄いのの中に牡蠣が一個とねぎが入っていて、お好みソースのたれ。それにゆず茶。まあ、おいしうございました。あれだけの人の中で、これだけゲットできただけでも、よしとしましょう。

Fullsizerender_137Img_2944

牛の串焼きや牡蠣入りのうどんなど、おいしそうだなあ、牡蠣入りタコヤキ、面白そうだなあと横目で見ながら帰りました。まあ、どんな物なのか、一度行ってみたらそれでよしです。


『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

別府から帰りました。

 昨夜別府から無事帰って来ました。どんよりとした雲、雪混じりの雨。寒い別府でした。

Fullsizerender_138

Img_2954

病院では、 日曜でも出勤なさっていた主治医にお話を聞くことができました。この異常な寒さで、母の血圧が急に上がったのかも。それで、血管から水分がしみだして、心臓の周囲、肺に水が溜まっての心不全でした。元々高齢で心機能、腎機能が弱っている所に、塩分の取り過ぎもあると言われました。電話で駆け付けた姉夫婦のおかげです。救急車で運ばれたときには、意識も消失していたそうです。危ない所でした。

母は、頭もシャンとして、会話もできました。ただ、あまり話すと咳込みます。

母は、この年齢の人共通なのでしょう。家にはエアコンがあっても、ほとんどつけません。炬燵で我慢しています。部屋からトイレに行くときなど、それは冷たい部屋や廊下を通ります。その時には、きっと急に血圧が上がることでしょう。

それに、母は漬物名人です。味噌漬け、粕漬け、うり、大根、ニンジン、高菜、白菜、なんでもすごく美味しくつけます。みんな母の漬物が好きです。

ここの所の寒さで、母は食欲があまりなく、おかずを作っても、食べる気がしなくって、漬物と梅干でお茶漬けばかりしていたと言います。食欲がなかったのは、もうだいぶ水が溜まっていたからかもしれません。

私は、母の全身をマッサージしました。上手だ、気持ちいいと言ってくださって。夫は、広島に来て、一緒に住もうと言います。それは前から言っていたのですが、母は、今の所を動く気はないと言います。結局は、私たちが転居して一緒に住むことを願っているのですが・・。

優しく、誇りを持ってきびきび働くドクターや看護師さんたちに、安心して任せられると思いました。

家の周りをえらくヘリが飛んでいるなあと思ったら、別大マラソンだったのですね。寒い中、走る人も見る人も、つらかったでしょう。

午前、午後と二回病院に行く間は、家の周りの掃除をしたりして、忙しくしました。その間に、そうだと思いついて、パンを作りました。フェイスブックで見て、簡単なのでいつか作ろうと思っていたソーセージのパンです。二回計12個作りました。

Fullsizerender_139
久しぶりに使うオーブンの調子が悪くて、仕方なくオーブントースターで焼きました。

今度は、2月の終りに帰る予定です。



『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (8) | トラックバック (0)

別府にいます。

別府にいます。
ワイファイ環境が良くなくって、パソコンでインターネットに接続できません。
アイパッドでの投稿です。
山陽道、中国道、九州に入っても雪が降る中をひたすら運転しました。
下松で晩御飯。
鍋焼きうどんです。
お肉も卵も椎茸も美味しい完璧な鍋焼きでした。

深夜家に着くと、中は氷点下。マイナス何度かは表示されないので分かりません。人が住んでいない家は本当に冷え切っていました。
家にはストーブはなく、エアコンだけ。全く暖かくならず、お風呂に入ってもすぐに体が冷えて。
布団は重いし、枕は違うし、空調の音がするし、結局朝まで眠れませんでした。やれやれ。

今から母の入院している病院に行きます。
今日中に広島に帰るつもりです。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。



広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。

広島ブログ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

ターシャ・テューダー展

行きたいと思いながら、なかなか行けなかった「ターシャ・テューダー展」。やっと行くことができました。心の洗濯と同時に自分を振り返って心の痛みをも感じた、いささか私には刺激的なターシャさんでした。

30年間かけて作った美しい庭くらいしか私には知識がなかったのですが、絵本作家としての素晴らしい絵の数々。それは可愛くて美しくて。それに、絵だけでなく、人形、キルト、それにそれに大きなドールハウス。何もかも完璧に手作りされています。

私が心ひかれたのは、ただ花一杯の美しい庭だけでなく、雪の中にたたずむターシャさんの姿。大きな暖炉。薪がたかれ、その前のブリキのオーブンでお肉が焼けたか確認している所。それに、花を一杯飾った机の上に摘みたてのキイチゴ。その前でゆっくりとお茶を飲んでいる姿。

それに、ドールハウス。ドールハウスに座っている二人の人形。まあ、その素敵なこと。沢山の小さな家具も、まあ!うーんとしか言いようがありませんでした。

自然の中で生活すること。その足元にも及ばない、自然に触れながら生活することすらできないわが身。故宮迫千鶴さんに言われたこと。「河野さんは、時には、林の中を歩いて、土や木に触れるような生活をしないと、このままではつぶれてしまう」。それを思い出しました。(話ははずれてしまうけど、自然の中で生活された宮迫さんとのことについては、ここに書いています)

なんとも素敵な人。ターシャ・テューダーさん。行って良かったと、心からそう思いました。

写真は、ここだけ写撮影が許されている、ターシャさんのおう家と庭の再現。それに、買った物です。

Img_2924

Fullsizerender_133Fullsizerender_135


今回の写真集と、数の絵本は孫に。

Fullsizerender_134

マスキングテープ、メモ帳、付箋など。

私は今日診療後、急に大分に帰ることになりました。夜中に到着でしょう。義母が救急車で運ばれたと。心不全でICUに入っているということなのです。行っても、何ができるわけではありませんが・・・。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

広島の牡蠣

 昨日の休診日、フル活動でした。まず、地御前へ。身内やお世話になっている方々に広島の牡蠣をお届けするためです。広島の牡蠣は、2月になると一番大きく甘く美味しいのだと牡蠣やさんが教えて下さって、以来、いつも二月になると地御前に行っています。

Img_2920

海辺には、養殖した牡蠣を上げる船が並んでいます。

Img_2912

 そして、クレーンも。建物の中では、まさに最盛期。忙しく牡蠣打ちをしてしています。写真を撮らせていただきました。女性たちの手つき、それは鮮やかで、アッと言う間に、大きな牡蠣がするりと出てきます。

Img_2911

打ち立ての新鮮な牡蠣の 発送をお願いして、これで気が楽になりました。

そして、カープグッズを買いに行き、そごうのターシャ展に行き、大きな講演のスライド作りをし、それから夜は大切な会議、帰ってお風呂。その間、ずっとターシャ展で見たことが頭から離れません。こんな生活を続けていてはダメだダメだと。ターシャ展のことについては、またご報告しますね。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

女一人の京料理。

 今日は、久しぶりの講演もない休診日。夜は大切な会議がありますが、昼の内に、この日にと思って溜めていたすべきことが満載です。レセプトは、昨夜残業ですべて終えました。

昨日に続いて、今日も食べ物のお話を。

女一人、夜遅くても行ける京料理のお店です。京都に泊まることはよくあるのですが、診療を終えての出発なので着くのはいつも遅いし、一人なのでホテルで駅弁を食べていました。でも、昨年末に京都に泊まった時に、山中章先生が、ここに連れて行って下さいました。ここなら遅くまでやってるし、カウンターもあって、一人でも食べられるからと。

Img_2857
今回、ここに一人で行ってみました。飲み物は濁り梅酒のソーダ割りを一杯。この後でまだ仕事をするつもりなので。

これは、かご盛りの前菜です。行ったのは1月30日。まだ1月なので、カズノコや黒豆のお正月料理もありますが、なんといっても、一番手前左の干し柿と千枚かぶらなます。小さな蕪で干し柿が巻いてあります。手の込んだ細工も楽しいし。これだけて幸せな気分になりました。



Img_2858Fullsizerender_129

白みそスープ仕立て。小さなお餅を浮かべた白みそのおつゆの底は茶碗蒸しになっていました。

Fullsizerender_131Img_2861

海老芋と但馬牛ステーキと丸大根貝柱あんかけ。小さなステーキは、これくらいがちょうどいいのです。甘目のたれに九条ネギがよく合います。

Fullsizerender_130Img_2864

ワカサギのから揚げ。釜飯は、鴨と九条ネギのを選びました。でも、多くて。うっすらとおこげが香ばしいくて、おいしい!!もったいないので、おむすびにして持って帰りました。

Img_2865
そして、デザートは、京ニンジンのムースです。少し甘いニンジンの身がコリコリと混ぜてあります。

京野菜たっぷりのこのコースは、「くずし京野菜料理コース」。3800円でした。普通コースは二人前からだそうですが、これだけは一人でも大丈夫だと。

場所は、京都駅ビル、京都劇場の中にある「接方来・せっぽうらい」というお店です。ラストオーダーは午後10時30分なのでありがたいです。お店の中は、半分個室のようになっていて過ごしやすいですし、少しだけですが、京都らしい雰囲気を味わえました。スタッフのみなさんもとても親切で、女一人でも全然大丈夫でした。

Fullsizerender_132Img_2852

Img_2855Img_2854

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

ごちそう。

 大きな講演を終えて少々ボーとしています。それでも、当然日々の診療はあるし、月初めのレセプトはあるし、です。昨日は、すんごいドジで。自転車でクリニックについて、白衣を着ようとコートを脱いだら、アラ、下着のシャツでした。セーターを着るのを忘れていて・・・。クリニックではお昼も外には一歩もでず、買い置きしていたカップ麺で済ませました。(その前日もカップ麺でした。)

生駒に講演に行ったとき、私はグルメで、いつもごちそうを食べておられるので、悩んだのですが、と言われてしまいました。いえいえ、日頃はそんなことはなくって。お昼は肉まん一個とか、カップ麺とかで済ますことが多くて。でも、時々ごちそうを食べたとき、うれしくって、ブログにアップしているだけなのです、と言い訳しました。


Img_2869その生駒で出して頂いたお弁当です。スタッフのみなさんと一緒に頂きました。すごいごちそう。なんか申し訳なくって。講演前には緊張して食べきれなくって、後で戴きました。ごちそう様でした。

ついでに、この際。FM廿日市での放送を終えた後、来てくれていた友人と、夢タウンでごはん食べようと。いろいろなお店が、もう沢山。一軒一軒覗いた後、選んだのは、四国、土佐の料理店。

藁焼き、カツオのたたきなどのお店です。


Img_2898Img_2899


Img_2900
金目鯛の煮つけ、カツオのたたき、土佐揚げ、牛タンのステーキ、そして鯛の釜飯。これらを積る話をしながら、二人で戴きました。

あはは、やっぱり食べ過ぎですね。でも、しつこいようだけど、いつもではありません。時々です。


『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (3) | トラックバック (0)

FM廿日市で話しました。

 昨日は、診療後、FM廿日市で話をしてきました。「のりころワインの女子会ナイト」と言う番組のゲストでした。パーソナリティの太田典子さん、歌手の尾本清美さん(コロンさん)、そして落語の葡萄亭わいんさんの三人がおしゃべりする番組です。 

Img_2887

FM廿日市は廿日市夢タウンにあります。私はまだ行ったことがなくって、そこへ行く道を廿日市の友人に尋ねると、詳しく行き方を教えてくれ、さらに一階の駐車場まで迎えに来てくれていました。何しろ診療が6時までで、番組は7時から。できれば6時半には打ち合わせに来てほしいとのこと。

広い店内を場所を探してウロウロするだけで時間をとりそうでした。友人が、サッササッサと行ってくれて、最短で到着することができました。

その友人が外のガラス越しに写真を撮ってくれました。その時に知ったのですが、ユーストリウムで、全世界に発信されていたのですね。

昨日の講演のことなどの話すのに、しまった、生駒の人に伝えておけばよかったと思いました。

ところで、廿日市と言っても、世間は狭い物で。歌手のコロンちゃんは、昨年の私の当番医の時、救急で御嬢さんを連れてこられた方でした。ものすごいお腹の痛みで、何件も医者を回られ、原因が分からないまま、こうなったら婦人科しかないということで。かわいそうに、ひどい痛みが続いていて。そして、即、「石だ」と分かったもので、応急手当の上で近くの内科の病院に入院させて頂いたのです。すぐに石が出て、よくなったとのこと。尿管結石の痛みはそれはひどいもので、本当にかわいそうでした。その彼女のお母さんでした。

それから、落語の葡萄亭わいんさんは、一昨年の偽レブの会の忘年会の後、二次会で行ったお店のママでした。私を見て、「どこかでお会いしたことがあるように思うのですが・・」と聞かれ、私が名刺をお出しして、「あっ、私の主治医だ」と大笑いになったものです。その前から治療に通われていて、その後もずっと患者さんと医師の関係が続いています。

典子さんは、私を連れてきてくださった友人ととても仲の良いパソナリティーで。まあ、それは楽しく話をすることができました。

障がいのある人の性、更年期のこと、結局は人と人とのつながりのことなどなど・・。アッという間でした。

いい機会を下さってありがとうございました。これからもお互い、楽しく生き生き活躍しましょうね・・・。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「障がいのある子どもたちの思春期と性」

昨日は、無事講演を終えました。「障がいのある子どもたちの思春期と性」。私にとっても難しいテーマでした。これまでも多くの障がいのある患者さんに接してきました。障がいと言っても人さまざまです。耳の不自由な人、目の不自由な人。そして、知的障がいのある人、発達障がい人、精神障がいの人。その程度もいろいろだし。

だから、ひとまとめにして論じるのはとても難しくて。ただ、基本は一緒。ホルモンの発達に障がいがある人以外、ほとんどの人が必ず体は成長するし、二次性徴も迎えます。でも、心の発達を伴わないとき、そのアンバランスが起こります。そして、一番しんどいのは、本人なのですね。

さらに。保護者の方にとって、子どもはいつまでも子どもであって、性的な存在になることは、なかなか認めがたい傾向にあります。でも、いつかは子ども自身は親の手を離れて、自立して生きて行かなければなりません。いつまでも、親がいるわけではないのですから。どうやって子ども離れするか、それも大切なことであります。

子どもの成熟を喜んであげ、発育のお手伝いをすること。それを中心にお話したつもりです。写真は私の講演前に後ろに行って、急いで写したものです。

Fullsizerender_128_2


生駒だけでなく、奈良県下全域、和歌山、大阪、三重、滋賀などからも来られて恐縮しました。障がいのあるお子さんをお持ちの方、養護学校(生駒はまだ特別支援学校ではなく、養護学校なのですね)、特別支援学校、特別支援学級などの先生方、さまざまな支援の組織の方なども。

それに。今回の講演を企画してくださった「無限」の皆様の精力的なにお仕事ぶりにも感嘆しました。スタッフの多くの方が障がいのあるお子様たちをお持ちの方で、みなさん根っから明るく協力し合っていらっしゃる様子がよくわかりました。

  私の講演で戸惑われた方もあるかと思います。でも、現実を見て、前向きになって頂きたいと考えての講演をしました。

以下、一般社団法人無限さんのフェイスブックの文章を転載させていただきます。ほんとうに皆様ありがとうございました。皆様に感謝申し上げます。

今朝は疲れてしまったのか、寝過ごしてしまって、朝ブログを書くことができませんでした。で、今はお昼休みに書きました。

今日は、午後7時から、FM廿日市でお話します。廿日市の方、お時間があれば聞いて下さいね。

以下、一般社団法人無限のフェイスプックからです。

河野美代子先生の講演会
「障がいのある子どもたちの思春期と性」
200人を超えるお客様をお迎えし、無事に終了致しました。

まず、先生は障がいがない人にも、きちんとした性教育ができていない、という現状を産婦人科を訪ねてくる少女たちの事例をご紹介して下さいました。

...

「知らない」ことが悲しみを生む現状。無知の怖さです。

そして、先生が出会われた、障がい者の
方の性トラブルや病気など。

先生は、医師でありながら、患者さんの病気だけを見るのではなく、様々な生活の問題をトータルで見て行かれる先生です。いくつもの性を取り巻くシビアなドラマをお聞かせ頂きました。

先生は、性の問題を隠したり、誤魔化したり、刺激が強いからと、遮断することは絶対にダメだと仰います。

放っておいても、性の情報が溢れている現代だからこそ、正しい性教育をするべきだと。性教育は、`子育て’の大事な仕事だとも。

あとは、障がいの特性に合わせて、どういう方法で伝えていくのかです。

いくつかの本をご紹介して頂き、障がいのある方々へ伝え方の具体例も示して頂きました。

しっかり、具体的に、リアルに、性教育の必要性を訴えて下さいました。

隠さない。誤魔化さない。遮断しない。しっかりと伝えていく。

という確かな方向性を頂きました。本当に有難い2時間でした。私たちは、これから、しっかり実践に繋げていかなければなりません。

この日までに、大変なスケジュールの中、骨を折ってご準備頂きました河野先生に、心から感謝申し上げます。
本当に本当にありがとうございました!』  

こちらこそ、大変ありがとうございました。

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »