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「被爆者からの遺言」その2.

松本正さまから送って頂いた神奈川県の「被爆者からの遺言」には、70人の方々の貴重な遺言が記されています。どの方のも、本当に重く、胸を打ちます。

私は、戦後の平和運動、今に至るまで、反戦争、反核の運動には、やはり被爆者の存在こそ欠かせない物であったということを確信いたします。

どなたのもすごいので迷いますが、お二人の遺言を転載させて頂きます。

『被爆死した両親へ
          広島17歳被爆 川本都

お父さんお母さん、あなた達が亡くなって今年で70年になります。

私はたった一人になり、あの地獄の中をさまよったのです。8月6日、お父さんはどこで被爆死したのですか。無残な焼け跡を探し続けました。

終戦後、私は焼け野原で夕陽を浴びながら「お父さん、あなたが望んでいた自由に物が言える時代が来ましたよ」と大きな声で叫びました。

お父さん、あなたは大正昭和と日本がだんだん軍国化していくのに、危機感を抱いて、反戦運動をして捕えられ、同志の名をいえと拷問を受けたと、母から聞きました。私は軍国乙女、そんな父が嫌いでした。

母の苦労をつぶさに見ているからでした。

 今また、日本は何処に向かって行くのでしょうか。あの時代を知っている私達は、もう二十年もすれば皆死んでしまいます。

どうぞこれから先百年でも平和でありますように。戦禍で死ぬことのないのを祈ります。』

『戦争・原爆・憲法
           広島14歳被爆 亀井賢伍

中学3年、14歳の時広島で被爆した「むかし軍国少年、いま平和を希求する反核老人」である私の「遺言」です。

1、広島、長崎への原爆投下は、戦争がなければあり得ませんでした。「ノー・モア・ヒバクシャ」と「ノー・モア・ウォー」を切り離さないでください。戦争は、最大の人権侵害であり、人間性を奪います。

2、原爆の悲劇が、戦争放棄の日本国憲法を生みました。被爆者は、そのことを胸に刻み愛着を持って憲法に向き合って生きてきました。改悪させてはなりません。前文や九条を、折に触れ読み返してください。

3、被爆体験は千差万別です。とくに放射線被害は未解明の部分が沢山あり時間(入市時期など)空間(被爆距離など)で線引きすることはできません。福島原発の被害を見ればそのことは明らかです。証言をお聞きになる方は、「あの日」の惨状たけでなく、「からだ、くらし、こころ」に傷を負った被爆者の「その後」の惨苦の生にも耳を傾けてください。』

明日、もうお一人の手記を転載させて頂きたいと思います。

なお、松本正さまとご一緒した川崎での平和の夕べプレ企画、松本さまの証言などはここに書いております。証言して頂いたときの松本さまの写真です。

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コメント

この「被爆者からの遺言」の中で唯一誤植があります。それが先ほど紹介された川本都さんです。被爆当時の年齢は17歳が正しいのです。そしてこの人の目次における名前が「郁」、「都」が正しいのです。目次校正は本原稿がないので間違いが起こったのでしょう。私からの知らせで後の頒布には正誤表が付けられています。
よもやこの人の投稿が紹介されるとは思いませんでした。
この本の奥付には「不許複製」とあります。複製は許されませんが、部分紹介は多くの人に知らしめる効果があるのですから、問題になれば私が責任を持ちます。

投稿: 松本正 | 2016年2月24日 (水) 10時12分

私は、1963年広島に着任、その年に原水禁運動の分裂を目の当たりにしました。組織や指導者の運動原則論が優先され、被爆者の悲痛な体験が置き去りにされた結末でした。確かに無原則な運動は発展しませんが、それにしても被爆者に時間はありません。「原点」を再確認して統一する力と知恵は、もう永遠に望めないのでしょうか?原水禁運動に詳しいある学者はこう言っています。「日本が当面する課題に対し具体的な行動を展開して、その行動の中で一致する領域を拡げて深めていくことをしなければいけない」と。この論理を当てはめれば「反核」にとどまらず「基地」「憲法」「安保法案」などにどう向き合うか、行動するかが大事だとも読み取れます。

投稿: 無冠の諦王 | 2016年2月24日 (水) 11時26分

政治は、もっとも弱いものだと言われる河野先生の御主張、深い意味があります。国連での反核運動は、被爆国の国民と権利を守ることに他ならないとかんじます。その中でも被爆国の被爆者の権利等を擁護していくものだと思います。被爆国のお台所や政治情勢も改善するのも他ならないとかんじます。ですが被爆国の立場を強くし、核兵器を持たない大多数の国の賛成を得られた実績こそ、安全保障会議の常任理事国入りに必要ではないかとかんじます。国連改革をしなければ、真の自由と平和が得られないと思うし、被爆や沖縄問題も含めた戦後レジウムからの脱却はできません。被爆国の内情を改善しつつ、非核の地球になる運動が達成できればと思います。被爆問題や沖縄問題を含めた主権回復の運動を早く確立しなければ国民的な運動にはならないとかんじます。

投稿: 愛ちゃん | 2016年2月24日 (水) 12時00分

被爆者の声や被爆国の立場こそ国連で理解され、擁護されるべきだし、それと共に内情も改善されるべきだとおもいますが、もっと被爆国は国連で堂々していくべきとかんじます。本当に反核の分野で日本はリーダーシップをとらないといけないと存じます。

投稿: 愛ちゃん | 2016年2月25日 (木) 04時10分

松本さま
ご報告ありがとうございました。終戦の日にお父様に向かって叫んだという言葉が11歳にしてはすごいなあと思ったのですが、そうだったのですね。訂正しました。ありがとうございました。それから、不許複製、気づきませんでした。すみません。どうしても多くの皆様に知って頂きたいと思って。松本さまのご配慮ありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年2月25日 (木) 11時42分

無冠の諦王様
その通りなのですが。それを主導権を持って、だれがするのかということなのですね。広島の被爆者の方々に、期待していいのでしょうか。それとも、私たちの世代に課せられているのかもしれません。いつも、読んで頂いてありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年2月25日 (木) 11時47分

愛ちゃんさま
うん?私は、政治はもっとも弱いものだと言っていますか?それから、戦後レジウムの脱却も?です。私は、憲法を大切にしたいし、安倍首相が戦後レジウムの脱却と言って、改憲をもくろんでいることに強い危機感を持つものです。国連についても、そもそも日本政府が核兵器廃絶を真から望んでいないこと、それこそが一番の問題なのであり、だから国連でも反核を強く主張すらしないでいるのだと思っています。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2016年2月25日 (木) 11時50分

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