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山中章さんの案内で京都巡り

京都での講演の翌日、別件で京都に来ていた小川順子さんと一緒に山中章さんに京都を案内して頂きました。山中さんは、この三月までは三重大学の考古学の教授でした。専門は「みやこ」。「平安京」や「長岡京」、中国や朝鮮の発掘もしてきた方です。三重大学時代には、講演に呼んでいただきました。今は、あちらこちらから引っ張りだこで、考古学の話や一緒に都めぐりをする旅をしたりの毎日だそうです。先日も韓国から帰ってきたばかりなのに、愛知県や京都の方たちに呼ばれて歩きながらの講義をしたと。その先生に一日案内して頂くなんて、本当に贅沢な話です。

 私は京都にはよく講演に行きますが、ほとんど観光はしたことがなくって。どこに行くかはすべてお任せでした。京都タワーの下で待ち合わせて、そこで印刷してきたからと資料を頂きました。まず、平安京、1200年前に作られた都の道路の地図です。今いるのはこのあたりと、1200年も前と今を重ね合わせてのお話です。たちまち惹かれて行きました。

京都駅から電車で一駅、まず行ったのは、東寺です。いつも新幹線の中から、五重の塔を見ていましたが、そのお寺でした。平安時代、お寺はこの東寺と西寺の二つしかなかったと聞いてびっくり。嵯峨天皇より空海に譲られ、真言宗の総本山として栄え、今は、世界遺産になっていると。広大なお寺の地図も用意して下さっていました。

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お寺の中には、1200年前の柱の礎石が今も存在していました。

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右の写真は、回廊の礎石です。今は当時より場所が少しずれていると。1200年前という想像もつかない大昔に、しばらく思いを馳せました。たくさんの仏像は、撮影禁止で残念。

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建物の屋根は、ヒノキの皮で葺かれているのだそうで、またびっくりです。


そこからしばし歩いて「羅城門」遺跡に行きました。今は子どもの遊具のある公園ですが、平安京の真ん中を突き抜ける朱雀大路の南の端に作られた表玄関に当たる門です。

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ここからまっすぐ北に上がった所に、宮城があったのですが、今の京都御所と場所は異なります。道路の作り方、まず両脇に溝を作ったこと、道路の幅はとてもきちっ計算されていたこと、それを役人がだんだんと自分の土地にすべく進出して行って、道が狭くなっていったこと、など、山中さんのお話はとっても面白いのです。

そして、ここから私があらかじめ予約していた三条烏丸の「素夢子古茶屋」にお昼を食べに行きました。また、続きます。

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コメント

これからが重要ですね。
反安倍から、反自民、反公明へ。
国会議員や地方議員や首長の選挙で、自民党や公明党を排除することです。
新しい国会で、廃案にすれば良いのです。
投票率が、100%近くにならないと。
強い軍事力での抑止力の次には、核武装が必ずあります。
日本はもたなくっても、占領軍である在日米軍基地への公認された配備となるでしょう。
非核三原則で、国民と世界を騙し。その時の自民党総裁はノーベル平和賞を貰ったのですから。
アメリカのためなら、なんでもやる自民党です。
彼らの保守とは、日本のためでなく、アメリカのためなのですから。

投稿: やんじ | 2015年9月19日 (土) 08時12分

もしかして秋のゴールデンウィークは京都旅行ですか?すごくうらやましいです。わたしは明日は赤ちゃんのおくいぞめと宮参り。とりあえずは従姉妹の出産連絡待ちです。なんか秋の京都は感動して心踊ります。

投稿: 愛ちゃん | 2015年9月19日 (土) 08時45分

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