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中国帰国者の会

昨日、産科婦人科学会、地方部会の後、いったん帰宅して、袋町の市民交流プラザに行きました。そこでは、今、広島市中国帰国者の会の人たちが、展示会をしています。「満蒙開拓団移民と中国帰国者―過去・現在・未来を考える」

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いろいろな資料と共に、川添瑞江さんの手記「私の生きてきた道」も展示されています。中国黒龍江省林口市の日本人小学校2年生の時に敗戦。一家で逃げる途中、妹も母もそしてとうとう父親も亡くなってしまいました。親切な中国の人に育ててもらいましたが、貧しくて中国国内を転々とし、十分に教育も受けることができませんでした。日本に帰国後、双葉中学の夜間、西高校での通信教育を受け、高校を無事卒業したのが、72歳の時です。展示されているこの手記は、本当に涙なしでは読めませんでした。

 今、帰国者には日本語が十分に話せない、書けないことと共に、老い、介護の問題が迫っています。

 展示は9月5日まで。ぜひ覗いてみてくださいませ。

 

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広島車いすダンスくらぶの公演でした。

昨日のお昼休みには、車いすダンスの公演に行きました。ひまちゃんと、塩崎さんと、山下徹さんと一緒に座ることができました。私は一時間だけですが、堪能しました。

ますますバージョンアップした、すばらしい舞台の数々。いつもオープニングですぐに涙が出てきます。

ヴァイオリンの上野眞樹さん、ピアノの吉野妙さん、ヴィオラの中島幸枝さんの演奏に合わせてのダンスです。

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眼と左半身が不自由な御嬢さんと念願の母子で踊る「アナと雪の女王」。とっても美しかったです。

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そして、白鳥の湖。美しくて。これを車いすで踊っている山下由佳さんは、NHKeテレに出演。大好評で、再放送、計4回も放送されたそうです。

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私は、午後の診療があって、途中退席で残念。それも、谷龍介の歌が聞けなかったのが・・。患者さんが途切れたので、ちょうど谷さんの頃だろうと、ちょっとだけ行ってみようとしたら(何しろ会場は私のクリニックの真ん前なのです)なんと、ちょうど谷さんの出演が済んだ所だったのです。ああ、残念。

 下の写真は、山下さんから。竹屋南中ソーランサポーターズとの南中ソーランです。

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皆様、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。みなさんの活躍は、多くの人に感動と勇気を与えたことと思います。これからも、お体に気をつけながら、続けてくださいね。今度は韓国での公演ですね。まだまだバリアフリーが十分ではない韓国です。そこでも、きっと多くの方に感動と、驚きをもって戴けることと思います。少し、ゆっくりお休みくださいませ。もう一度、ありがとうございました。

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スクラブ。

暑い夏の診療、いくらクーラーを効かせても暑くて、白衣をやめて、スクラブにしていました。素肌の上にこれを着ると涼しいし楽。でも、お昼など外に出る時にいちいち着替えるのが少し面倒ではあります。パンツは同じようですが、5着を用意しています。

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「なんやババそりゃー、ギャハハハ、そりゃあオペ着じゃろうが」と転げて笑ったのは、FTMの彼。「まあ、先生、はでなねえ」と若い女性にも言われたのは、両方ともピンクの時。ラベンター色の時には「まあ、いい色じゃね先生」と言ってもらったことも。でも、自分で好きなのは、紺。大分涼しくなってきましたが、まだもう少しこの格好を続けようと思います。

今日は、広島車いすダンスくらぶの公演です。午後二時から。お昼時間に一時間だけ行きます。ひまちゃんもバスで来る予定。バスセンターからはsiozyさんが車いすで送迎されます。一緒に見られるように、早めに行って席が取れるといいのですが。会場の真ん前の私のクリニックにチケットを置いてあります。これからでも行こうと思われる方、どうぞ。

00img136夜は、8.6ヒロシマ平和の夕べの反省会。反省すべきことはいろいろとあります。そして、明日は日本産科婦人科学会の広島地方部会。今日と明日は滋賀大津で思春期学会です。昨年の思春期学会では、一般演題2題とシンポジウムと、フル回転でしたが、今年は欠席して広島の学会に参加します。全国の仲間と会えないのが少し残念です。



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とても幸せな気分です。

 昨日のカープは、いいことだらけでした。幸せです。家に帰って夫に「カープが勝つと、こんなに気持ちがさわやかで。負けると、どよーんと重くなるんよ。」と言ったら苦笑されました。

まず、なにより阪神に勝ったこと。巨人が負けたこと。

それに常昇魂のユニフォームを買えたこと。これは、ネットで売り出すと瞬時に売り切れたと聞いていましたが、それでも、と思ってショップに行ってみると、なんと菊池のだけ増加して作ったようです。特設コーナーが作ってあって、そこにLとサイズと0サイズだけまだあったのです。うれしくて。そこですぐ着替えましたよ。色もデザインも本当に素敵です。三日間限定でなく、もっと選手にも着てもらいたいですよ。

 トラの赤耳がもらえたこと。縞々がかわいい。中日戦の時にもらった赤耳よりも裏もかわいいです。

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この、私の前に座っている女性たちの赤耳の裏を見てください。赤耳の表と、買えたユニフォーム、フェイスブックに載せた写真ですが。なんかたれ目になっています。あはは。

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 それから、昨日は、車で行ってコストコの駐車場に置きました。コストコの屋上のカープ専用の駐車場は2000円ですが、売り切れていて買えませんでした。そこで。コストコで買い物をすると三時間無料になります。後は、20分600円ととんでもなく高くなると。でも、計算してみると、往復タクシーと考えてもあまり変わらないかも、とにかく一度やってみようと。到着したのは5時少し前です。試合が済んで、ヒーローインタビューも見て、9時半ごろにコストコにいきましたが、料金は1200円でした。あれえ?なんか安い。時間を少し割り引いてあるのかもしれません。

 さあ、これからのペナントレース、どうなるか、ですね。カープは今日は休みないままに横浜で。三連戦後は甲子園、そしてまた神宮へ。きついでしょうが、ここが正念場。頑張って。それに、先発投手のやりくりが大変でしょう。心配ですね。


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頂き物です。

久留米に行った時、主催者の方から、お土産を頂きました。

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久留米絣のコースターです。絣が好きです。絣のシャツやコートもいくつか持っています。今回、開けてみてから、ああ、そうだったと気付きました。久留米の絣のお店に行ってみるんだったと。すっかり忘れて、講演だけして帰ってしまいました。コースター、一枚一枚とてもきれいで、素朴で。両面のどちらを使うか、使う度に迷いそうです。何よりのものをありがとうございました。

一昨日、患者さんからいただきました。

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カープのチケットホルダーです。これにチケットを入れて首からかけておきます。私は、前田健太のホルダーを持っていました。前回患者さんが来られた時にカープ談義をひとしきりして楽しかったのだそうです。買ってきましたと言われて、恐縮してしまいました。でも、と受け取らないと、悲しそうで、何回かの押し問答の末、いただきました。

ところが、後で知ってびっくり。これは、その日の12時に売り出しの、それも広島駅の売店でしか売らない、おそらく瞬時に売り切れるでしょうという、レアものだったのですね。わざわざこれを買いに行って下さったのだと知りました。ますます恐縮です。ありがとうございます。

これをかけて、今日、阪神戦に行きます。今日は、阪神のトラの赤耳をもらえるのです。来月の孫の七五三のお土産にします。久しぶりの球場。頑張って応援しますね。できれば、昨日選手が着ていたユニフォームを買いたいと思ったけど、もうとても無理ですね。とっくに売り切れみたいです。残念。

球場に行くまで、たくさんの仕事をこなさないといけません。そろそろ出かけなくっては。

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久留米のご報告最終です。

久留米でいただいた若い人用のパンフ「デートDVってなぁに?」から。チェックリストです。

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これまでも、チェックリストはいろいろとみてきましたが、これは加害者、被害者と分けてなくってわかりやすいと思います。これで三つ以上あると「⇒デートDV領域に入っているよ。一人で抱え込まずに誰かに相談しよう」とされています。

 また、高校生、大学生たちの女性66%、男性68%が「好きだから束縛は仕方がない」と考えていることも紹介されています。その上で「支配」から「尊重」へ、いい恋愛ってどういうこと?と丁寧に語られています。こんな教育をこれからの中・高校生にしておくと、どれだけの若い人たちが救われるだろうかと思います。いえ、若い人たちだけでなく、今もなお夫のDVに悩んでいる人たち、自分と夫との関係がDVだと気付かないままに耐えている人たちも沢山いることを考えると大人自身も学ばなければならないことなのでしょう。

さて、帰りの新幹線は自由席。たまたま来た新幹線にびっくり。ドリカム新幹線でした。

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車体にいろいろな夢が沢山書かれています。多分、公募したものなのでしょうね。列車の中も素敵で、自由席でこんなのもいいのかしらというほど。博多に近づくと、ドリカムの声で、「みなさん、新幹線の旅はいかがでしたか?」とナレーションが流れました。

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久留米駅も美しかったし、みなさんとても親切だったし、思いっきり講演もできたし、勉強にもなったし、いい気持ちで帰宅したのですが、博多駅で夕飯に買って帰った駅弁。開けてびっくり。おかずがいっぱい入ったのを買ったつもりが、見本を見違えたみたい。からしめんたいこが一本入った、冴えないお弁当で、がっかりでした。

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久留米の市役所のDV被害者「ワンストップ化」

久留米の講演の時、久留米市の「男女平等推進センター」の方たちから、パンフレットなどを頂きました。まずこの名前からうーん、でした。広島では、「男女平等」ではなく、「男女共同参画」です。いえ、広島だけでなく、国中が「男女共同参画」です。これだけでも久留米はすごいと思います。

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これらのパンフレットの配布とともに、中学などへの「デートDV」の出前講座にも行っているそうです。


パンフの後ろにあるのは、「ワンストップ化のためのDV被害者相談共通シート」です。すみません。紙面の都合で横向きです。

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二つに分けてアップします。

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これに相談を受けた男女平等推進センターの所長がサインをし、印鑑を押したものをもって市役所に行くと、その方は特別の部屋に通され、そこに関連した課の職員が付々と訪れて、対応をしていきます。市民課、子ども支援課、健康保険課、医療・年金課、保健所保健予防課、学校教育課、住宅政策課、障害者福祉課などなど。いろいろな課を自分で回って、いわゆるたらいま回しのような状況になりがちですが、ここでは役所が「ワンストップ化」されているということなのですね。何よりこれがすごいと思いました。

 公的なものと民間のシェルターも共に行政と連携をとりながら、稼働しています。シェルターに親と共に入った子どもには、「Support  of the Child」の人たちが支援をするということなのです。

 私は、あちこち講演に行きますが、どこに行っても、それぞれにいろいろな取り組みがあって、本当に勉強になります。明日、もう一度、久留米行きのことについて書きます。

 台風の風がすごいです。休診にしたい所ですが、患者さんが来られるかもしれないので。カッパを着て自転車で行きましょう・・・。

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DV被害を受けた子どもへの支援

 昨日行ったのは、久留米の「Support of the Child」というグループの10周年記念事業の講演会としてでした。主にDV被害を受けた子どもへの支援をしているグループです。

 そのパンフレットから。

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『児童虐待防止法が2004年に改正され、直接暴力を振るわれていなくても、DV環境で育つこと自体が子どもへの虐待であると定義付けられました。(略)

しかし、支援を必要としているのは、DV被害が顕在化した子供ばかりではありません。むしろ、まだ多くの子どもがDV環境の中で日々の生活を送っていることでしょう。またDV家庭の多くは、子どもに家庭の中でDVが起こっていることを沈黙することを強要します。子ども自身、暴力の中で育っているということに気付かないでいる場合もあります。(略)

子どもが育つ環境から、暴力をなくしていくのは、私たち一人ひとりの大人の責任です。

そこで、私たちグループの活動は、二つの分野で進みます。

 一つには、あらゆる暴力を受けている子どもから、電話による相談を受けていきます。

二つ目には、DV被害を受けてきた子どもが、子ども本来の自身を取り戻していくことができるよう、支援のプログラムを提供していきます。(略)』

 講演会には、たくさんの方々が来てくださいました。少しでも今後の皆様のお役に立つことができたらいいのですが。

そして、久留米市は、DV支援について、大変先進的な取り組みをしていると知りました。少しずつそのご紹介をしますね。

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「元祖カープ女子』落選の記・恥を忍んで。

 落選のショックも少し和らいできたので。悔しいので、恥を忍んで皆様にご報告を。元祖カープ女子。60歳以上の元祖カープ女子を募集。当選すると、一日ホームラン女子になって、球場でホームランを打った選手にスライリーのぬいぐるみを渡すことができる。そのためにユニフォーム(なんと、背番号は年齢を入れると)も靴もオリジナルを作ってくれるのだと。

 この募集があったとき、たくさんの人が私に連絡をしてくれました。私も自分のことだ!と思ったし。夫に話すと「応募したら。元祖カープ女子は君のことだ。」と言ってくれたし。よーし!!で張り切って、1000文字の応募の理由、作文を書きましたよ。何度も書き直して。よし!これで万全。自信満々で応募しましたとも。ホームランガールになる9月9日は、午後休診とみんなにも宣言して。ちなみに、姉は、70歳以上の部で応募していました。二人とも選ばれたらどうしよう、なんて二人で心配しておりましたよ。

 そしたら、見事に落選。なんと全部で1700人以上もの応募があったそうです。70歳以上の部の当選、85歳の方というのは、これは選ばれても仕方がないなあと思うけど、60歳の方というのは、なぜ選ばれたのか、インパクトがなくって不満です。まあ、審査の方が私よりもその方の方がいいと判断されたのだから、仕方がありません。

負け犬の遠吠えではありますが、ここに私の応募の文章を載せて、踏ん切りをつけますね。どうぞ、笑って読んでくださいませ。やけくそで、もらったカープ赤耳の写真も見てくださいませ。重ねて笑ってくださいませ。

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『私は、昭和22年4月生まれの68歳です。元祖カープ女子として年季が入っております。

まだ原爆の後の焼け野原に育ちました。もの心ついた時には、カープの試合はラジオで応援していました。もちろんデーゲームのみです。住んでいたのは観音。負けても負けても人々は球場に行き、私の家の前をぞろぞろと下駄で歩いていました。私はお小遣いを貯めては、父と一緒にたる募金に少しのお金を入れに行っていました。

旧市民球場ができたのは、10歳小学4年でした。初めてのナイターの日、近所の市会議員さんの家に行き、大勢でテレビを見せてもらいました。夜でも明るい球場に感激しましたが、阪神に大負けしたものです。ナイターがあるようになって、小・中学生の私は父にねだっては球場に連れて行ってもらいました。

カープの初優勝時、医師になった私は大学病院の医局で診療そっちのけで、沢山のスポーツ紙を買い、みんなではらはらと見守り、バンザーイをしました。

結婚して子供が二人年子で生れると「カープ子ども友の会」に入れました。子どもたちは、はさみを使う練習を兼ねて、新聞に入って来るチラシを切って紙吹雪を作り、それを持っては、せっせと応援に行きました。カープの黄金時代、79年、80年、84年の日本シリーズには広島での全部の試合に子連れで行きました。切符を買うのは苦労しましたが、必死でした。

当時、息子は高橋慶彦が憧れで。娘はブルペンを覗いていて江夏にお嬢ちゃんかわいいねと声をかけられて恥ずかしくて泣きました。

旧市民球場の近くに開業してからは、年間指定席を買い、診療が終わると、つんのめるようにして球場に通いました。今はタクシーでズムスタへ駆けつけ、ブログで実況中継をしています。

東京にいる子どもたちは当然熱烈なカープファンです。赤いユニホームを着て、東京ドームや神宮球場からメールで中継をしてくれます。そして、孫も。今2歳になる孫娘は、カープの歌を聞きながら寝ますし、赤いユニホームにバットを持って、カープカープと歌う動画をママが送ってくれます。

父から孫まで四代。皆熱烈なカープファンで人生を充実させています。

もしもホームランガールになれたなら、子どもたちも東京から駆けつけて私の晴れ姿に感激するでしょうし、父は天国からニコニコと見守ってくれるでしょう。』

 今日は、今から出発して、久留米で講演です。

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医師会ブロック会で食べたもの。

 夏休み明けから、ほぼ毎日帰宅は夜中。お昼は食べないか、そうめんやカップめん、ちからの中華そばミニなどで過ごしておりました。昨夜、医師会のブロック会で久々にごちそうを食べ、楽しく会話をしました。この会のみなさんは、毒がなくって、やさしくて、楽しいのです。会場はリーガロイヤルホテル32階エメラルドの間。着くと、外は夕暮れ。もう少し早いと夕焼けが見られたかも。遠く広島湾と似の島が見えます。

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ビールで乾杯、ワインを頂きながらの料理です。美しくて、かわいくて、おいしいお料理の数々です。①鯛のマリネ、タラバ蟹、ノルウェー産サーモン、帆立貝と広島野菜のテリーヌ キャビアとイクラ飾り ②高知県産赤ピーマンの温かいスープ 茄子のプリン添え

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③瀬戸内産天然スズキのポワレ 安芸津ポテトピューレ添えグリーンマスタードソース (スズキの上のグリーンを落としての写真です)④赤紫蘇ジュースのグラニテ

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⑤牛フィレ肉のオーストラリア産岩塩炙り焼き彩野菜と山葵添え シンプルジュース⑥ピオーネのテリーヌと抹茶アイスクリーム小さな彩フルーツ添え、他コーヒーとパンです。

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食べ物もさることながら、あるドクターの奥様が言ってくださったこと。「いつもブログを読んでおりますよ。先生のお考えに賛成しています。いろいろと書きにくいこともあるでしょうが、行間を読んでいますので頑張って続けてくださいね。隠れファンがいますので」とのこと。すごくうれしくて。

終わった時の夜景です。

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リレーフォーライフin広島2015.

毎年県内で開催される「リレーフォーライフin広島」。昨年は尾道でしたが、今年は広島市内で開催されます。会場は、一昨年と同じ広島市立広島特別支援学校です。

ホームページはここにあります。


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 校庭を24時間みんなで歩きますが、たくさんのブース、ステージでは歌や踊り、さまざまながんについての講演、夜はメッセージを書いたとうろうが美しく悲しく校庭を彩るルミナリエ、カープ、サンフレッチェの選手のオークションなど、楽しく有益に過ごせます。

 今、ご自身が、またはご家族のどなたかががんにかかったことがあるという方がほとんどでしょう。ここで改めてがんについて考え、行動する、そんな一日になりますように。

私は日曜日の朝一番の出番です。いつもは校庭を歩いたり、ブースを見たり、バザーで手作りのものを買ったり、うどんを食べたりするのですが、この日は午後県北で講演があるために遅くまでいることができません。残念ですが、少しでも皆さんのお役に立つようなお話をしたいと思います。

 
 多くの皆様にお会いできますように。

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「広島車いすダンスくらぶ」定期公演のお知らせです。

今日は、朝9時過ぎにブログを書いて、アップしようとしたら、ココログが緊急メンテナンスだって、アップできなくって、せっかく書いた記事も消えてしまって。書くだけ書かせて、アップの段階でダメというのでなく、書く時にもなんか警告してくれないと。それに、9時から12時までメンテナンスって、もっとみんなが使わない時間にしてくれたらいいのに。まったくもう・・・。メンテナンスも終わったようだから、(終わったという知らせもなく・・・)気を取り直して書きます。

今日は、広島車いすダ゛ンスくらぶの年一回の定期公演「魂のパフォーマンス」のお知らせです。車いすダンスくらぶは、1997年に設立。障害のある人とない人とが共に楽しみあいながら華やかで素敵な舞台を作り上げます。広島県内のみならず、日本中、また世界中に出かけ、親善公演をしています。2012年は、オーストラリアへ。2013年は石巻市へ震災復興支援訪問を。昨年は、カナダのモントリオール・トロントで公演を行っています。そして今年は10月に韓国の三か所で公演をする予定です。

 先日の広島での性教育指導セミナー全国大会、県民公開講座では、開会のアトラクションで演じてもらいました。全国に例を見ない舞台に、日本中から来られた産婦人科のドクターたちにも感動していただきました。

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ここに、カナダに行った時のシドニー日本人クラブ、シニアの例会で踊った動画がアップされています。ぜひご覧ください。
 


 この二番目に踊る大ちゃんは、左麻痺ですが、麻痺した手足を縛り付け、片手で車いすを動かします。それは難しいことを訓練でこなすようになりました。彼のいっぱいの笑顔は、観客の皆さんをとても元気づけ、どこに行っても、人気ものになります。三番目に踊る彼は、事故で下半身まひになりましたが、車いすダンスと車いすバスケットでも活躍していました。でも、その後40歳の若さで、大腸がんで亡くなってしまいました。

 今度の「魂のパフォーマンス」も素晴らしい舞台が展開されることでしょう。ぜひ多くの皆様に見ていただけますように。チケットは、会場の向かい側の当院にもあります。

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訃報、増永秀夫さん・宮淑子さん

 別府で夏休み中、村瀬先生からお電話がありました。増永秀夫さんの訃報でした。増永さんは、私の本をいくつも出してくださった出版社の編集者です。元々は、出版社にお勤めの編集者でしたが、独立して「十月舎」を立ち上げ、性教育や性的マイノリティーの関係の本を中心に出していらっしゃいました。

癌になって治療したことは、ご自身からのお手紙で知りました。そして、治療が済んだと、昨年の性教協の全国大会、大分での私の講座に参加してくださいました。その時は、お元気そうで。でも、もともとの状況が尋常ではなかったので、いつかは悪くなるのだろうとはわかっていましたが。

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 その大分で増永さんは、私に「ヒロシマとフクシマ」の本を出したいと迫られました。私はヒロシマから言いたいことはいっぱいあって、だからその時の講座もそのテーマだったし。でも、そのことが福島の人たちを傷つけてしまう恐れがあるので、まだ出せないと突っ張っていました。

 今年の全国大会、愛媛には増永さんの姿はなく、また入院なさっていると聞いたので、いつか、と思っていましたが。

 「いろいろとお世話になりました、ありがとうございました」とお礼を言わないままでした。それがとても気がかりで、残念です。

 その村瀬先生の電話で、宮淑子さんが亡くなったことは知ってる?と言われてびっくりしました。もう4月のことだと。宮さんは、フェミニストの作家です。セクシャルハラスメントや更年期や引きこもりなどの本をたくさん出されています。「デートDV」という言葉は、彼女が作ったといわれています。

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広島には、性教協の例会でアダルトビデオについての話をしていただいたことがあります。そして、あらためて更年期の取材に広島に来て、何日も泊まって、私の友人の更年期の人たちと一緒に山賊に行ったりしながら楽しくおしゃべりをしました。その時のことは、詳細に宮さんの更年期の本に書かれています。最近はシャンソンの歌手としてコンサートも積極的にされていて、いつもご案内を頂いていたのに、何分にも東京なものだから行けないままでした。写真は、宮さんのCDのジャケットです。

 こうして、大切な友人たちがいなくなってしまいます・・・。

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感動の出会い。

 先日の被爆70年24時間チャリティーコンサートで、いろいろな人との思いがけない出会いがありました。今日はそのご報告を。

 まず、ほぼ50年前からの大学の知り合い、卒業後もいろいろな場で時々は顔を合わせていた一人の男性が、前日のリハーサルで、どこに行けばよいのか尋ねて来られた時です。はあ?彼がどうして舞台に?と思いながら案内して同行していると、「芸名○○です」と言われ、本当にびっくりしました。キツネにつままれたような気持ちで、でも、本番を聞いて、またまたびっくり。すばらしい演奏、!芸歴40年のプロなのです。それを聞いてこれまで知っていた彼と、この舞台の彼と、まぎれもなく同一人物で、その両方を彼は生きて来たのだということがよくわかりました。おそらく音楽の世界では、彼は私が知っている世界の顔はみじんも出さないで、知られないで生きているでしょう。ああ、こんな二人を生きる生き方もあるのだと、感動しました。


私が25年前まで勤務医をしていた病院の当時の院長夫人に会いました。朗読「光のうつし絵 廣島ヒロシマ広島」の作家のお母様とお友達だそうで、聞きに来られたとのことです。ご挨拶に伺うと「まあ、先生、どうしたの?」と言われました。「どうしてここにいるの?」という意味だと思ったのですが、そうではなく「どうしてそんなに太ったの?」と言われて、こけそうになりました。はい、何でもおいしいものですから、とは言ったものの、強烈パンチでした。忙しかった夏ももうすぐ終わるので、本気でジムに行こうと思います。何しろ筋肉を鍛えないと。今回の帰省での腰痛で思い知りました。ちょっと草むしりをしたり、力仕事をしただけで、ひどく腰にこたえています。本気で頑張らなくっては。それに引き替え、院長夫人、80代の半ばだそうですが、ますますお元気で変わらず美しくて、素敵でした。

___1761福島の日塔まきさんとランチしました。積る話をしながらお互いたくさん食べました。元気に前向きに生きている姿に感動です。

 そのほか、早苗ネネさんや喜納昌吉さんとも久しぶりに話ができました。いつまでも変わらず意志を持って生きるということは、なかなかできることではないけれど。それぞれがそれぞれの場で変わらずやり続ける、やっぱりすごいことだと改めて感じ入りました。



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冴えない夏休み終わりました。

 昨日、福岡にいる次兄夫妻を訪ねた後、広島に帰りました。玖波から大竹まで15キロの渋滞があったのみで、例年に比べ、楽に帰ることができました。

 ただ、腰が痛くて。別府で温泉のスーパー銭湯があります。そこでお昼に予約をしてマッサージをしてもらいました。(お風呂は入らず、マッサージだけです)それでも、簡単には凝りはほぐれず、立ち上がるのも歩くのも苦労しています。

 今日から診療です。アッという間に夏休みも終わりました。河野の実家に帰ったたけで。なんにも楽しいことはないままで。アフリカンサファリのナイトサファリに行ってみようと夫を誘ったのですが、全然興味なくって。一人で行くわけにもいかないし。サファリは我が家から10分あまりで行けるのですが、夜は行ったことがありません。考えてみると、結婚して40年以上、おそらく200回近く帰省していますが、観光はほとんどしていません。子どもたちの小さいころは、サファリや杉乃井などに行って親も楽しんでいましたが、今、二人だけになると何にもありません。

振り返ってみると、この夏、広島での性教育指導セミナー全国大会、愛媛での性教協全国大会、そして8.6ヒロシマ平和の夕べと、大きな会が立て続けで、しんどい思いをしました。今、ほっとしています。もう少し。今度の日曜日の講演のご案内をしますね。福岡県久留米市での講演です。

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田舎の生活

 昨日のビアガーデンの続きです。広島市内のマンション住まいの一人が、県北に住みたいと前から言っていました。「そうね、お野菜を作ったりしてのんびり生活できたら、どんなに豊かか」という話になりました。いっぱい空き家があるよ、おいでよ、と県北組の人たちが言います。「でも、田舎の空き家はどれも家が大きいんよね、2DKくらいの家でいいんだけど、そんなのがないんよね」と。

 そしたら、会社務めをしながら鶏を平飼いして卵を販売している男性が「うちの鶏小屋が一つ空いてるから、そこに住んだら」と言ったので、大笑いになりました。

 そう、ここ大分の実家の周囲もみなさん家が大きくて、立派なのです。でも、義母の家でも、草取りが大変で。庭があればあるだけ、いろいろとしんどいこともあるものです。

 その上、実家の周辺は、ご近所付き合いも大変で。延々と続いている習慣、お付き合いにお金も労力もかかります。

14日は盆踊りに義母を連れていきました。その年に地域で亡くなった方の写真と位牌を置き、家族の方たちが待機し、そこにみなさんがお香典を持ってお参りをします。初盆をみんなでするという習慣です。でも、別に初盆は親戚などを呼んでごちそうしますので、親戚と地域と二重にすることになります。

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 私が若いころはそんな風習に反発を覚えたこともありましたが、今ではそうして地域で生きてきた母たちの人生だと、素直に思うようになりました。

 そして、昨日は、家に連れて帰った義父の御霊をお墓に返しに行きました。お墓にお送りするのですね。ですから、ここでは二回お墓参りをすることになります。

 最初に行った時にとって帰ったブルーベリーであんまりおいしくジャムができたので、またたくさん採ってきて、またジャムを作りました。今度は倍ありますので、レモンも二個採って時間をたっぷりかけて作りました。ネスカフェゴールドブレンドの瓶いっぱいにできました。

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昨夜の晩御飯は、義母のおごりで、焼き肉です。姉夫妻と5人でロース4人前、カルビー4人前、塩タン、ホルモン、ミノそれぞれ2人前。私たち68歳、69歳、姉たち70代、そして義母92歳。ごはんやビビンバなども。まあ、よく食べました。

 私たちは今日広島に帰ります。



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ぜいたくな食べ物。

 少し古くなりますが、ブログ仲間とそごうのビアガーデンに行きました。

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私がまず取ってきたのはこれら。

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箸にさしてあるキューリが冷たくておいしい。それを食べていたら、県北から来た三人の一人が「こんなとこまで来てキューリなんか食べようと思わん」と言いました。「もう、キューリがどんどんできて、食べきれなくて捨てることもある」と。

トマトを食べていたら、「朝一番に採ってすぐ食べるトマトがおいしい」と言います。

筍を食べていたら、「朝掘って、それをすぐにゆでて食べるんだ。そんな中国製の筍なんか食べられん」と言いました。

 まあ、なんと。ことごとく贅沢なことを言って。振り返ると、コンクリートの中に住んで、働いて、その通勤で平和公園をつっ走る時に嗅ぐ緑のにおい、時にクチナシの香が漂って来ると、それだけで、ああ幸せと感じるような、食べるものはスーパーマーケットで買うしかない、そんな貧しい味気ない生活を送っているのだから。彼らの言うことが胸に刺さります。

今、大分の実家に帰って、庭のキューリやゴーヤを採って食べる、そんな贅沢を味わっています。亡くなったいとこが植えたお墓のそばのブルーベリーを採って、我が家の庭にできている、まだ緑で早いけれどレモンも採ってブルーベリーのジャムを作りました。うーん、美味。ヨーグルトに乗せて食べるのが楽しみです。

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コオロギ、クツワムシ、馬おいなどがうるさくで眠れない、そんな何とも贅沢な日、命の洗濯のような日を送っています。ただ、慣れない力仕事などをするものだから、腰が痛くて。立ち上がるのも、歩くのもつらくって。マッサージを求めてうろうろしましたが、お盆でどこもダメでした。よろよろしています。明日はまた長距離運転なのに、大丈夫かなあ。
 

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大分です。東九州自動車道について。

 私は今大分別府にいます。昨日の午前に出発して、夫の実家へ。お墓の掃除とお墓参りをしました。これについては、のちにまた述べますが、

先日の二日間にわたっての「被爆70年24時間チャリティーコンサート」は、次のアドレスでYoutubeで見ることができます。

8月11日https://www.youtube.com/watch?v=HHWfKWLJe7w

8月12日https://www.youtube.com/watch?v=C1JgXbHk1Ys

ただ、それぞれ12時間ですので、12時間を超えた最後のところが写りません。藤田真弓さんのソプラノはだしのゲンや、二日目の萩原麻未さんのピアノ演奏が見られないのがとても残念です。でも、昨日書いた六本木男性合唱団倶楽部などはちゃんと見ることができます。ぜひ覗いてみてくださいませ。12日の8時間38分ころからです。

また元に戻ります。

私が広島の家を出発したのは、午前11時40分。途中二回の休憩を経て日出町大神の実家に着いたのが午後4時10分。お墓に行ける時間までに到着するようにという母の言葉で、心配でしたが、悠々と到着できました。それも、あまり渋滞がなかったことと、東九州道が大分開通したおかげでもあります。

 先日、テレビでこの東九州道のことをやっていて、びっくりしました。一部開通していない所は、父親の代からのみかん農家の方の農園で、土地を売り渡さないと頑張っていて、その強制収用がされたというものでした。農家の方を強制的に排除し、ただちにみかんの樹を切り倒す姿に目を覆いました。

 
私は、九州の西側が、九州道や新幹線などすっかり整備されているのに比べ、東側はいつまでも放っておかれていると思っていました。高速道ができれば、どんなに便利だろうと。でも、こんな乱暴なやり方を見ると、早く開通してほしいと言えなくなりました。もっと前になんとかやり方があっただろうに、道路の予定の線を引く段階で、この方にも了解を得ようとしてたのかなど。 高速を降りて、気をつけて見ていると、そのみかん農園がありました。ああ、あそこだね、といいながら複雑なものがありました。

そして、私の好きな道の駅「豊前おこしかけ」に寄ってサバ寿司を買いました。いろいろなところのサバ寿司を食べましたが、ここのが一番です。昆布や薄い大根がぐるりと巻いてあって、ゆずも香よく載せてあります。

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この道の駅、高速道ができ上がると寄ることもなくなるんだね、「布野の道の駅、ゆめらんど」と同じことになるんだろうか、などと夫と話をしました。ずいぶん自分でも矛盾したことを言っています。それはわかってても、あの大切に育ててきたみかんの樹を切り倒されるのを見たあの男性の心中は如何ばかりだったかと、思いを馳せざるを得ませんでした。そこだけ下に降りて、回り道をしようかね、そして「おこしかけ」にも寄ってと本気で考えています。

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被爆70年24時間チャリティー・コンサート終わりました。

 被爆70年24時間チャリティーコンサート、無事終了しました。二日目の昨日、泣けて泣けて。たくさんの方々の素晴らしい公演の連続でしたが。ここでは二つだけご報告しますね。

里さんご一家の朗読、「光のうつしえ廣島ヒロシマ広島」朽木祥作。

 その朝、シャツを汚した息子を叱ってそのまま登校し、被爆、見つけた時には、もう息子は息絶えていたという女性の慟哭のところの朗読です。里さんご夫妻が朗読し、後ろで眞子さんがピアノを弾きました。まこさんは、生後10か月で重症の高熱による痙攣発作を起こし、一命を取り留めたものの、知的障害が残りました。そして、その感性のみでピアノを弾き、作曲をします。

当日は、ご両親の朗読に合わせて、それを聞きながら、即興でピアノを弾くのです。ご両親によると、これまでまったく聞いたことのない旋律だったそうです。

 それを聞きながら、大泣きしました。そして、この三人の姿の写真を撮りたくて。でも、コンサート全体で撮影は禁止されているので。深夜、家に帰って、ふと思いついてYoutubeを見ました。そしたら、里さん一家の公演が再生されましたので、それを止めて、写真を撮りました。

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 もう一つ。六本木男性合唱団倶楽部。みなさん、すべて自腹で広島を往復された完全にボランティア出演です。昨日のブログに書いたように、「男性合唱と管弦楽のための最後の手紙~The  Last Message/三枝成彰」この最後の手紙がこの広島のコンサートで初演だったのです。

配布された歌詞を読んだだけでもう涙だったのに、合唱が始まると、もうダメでした。みなさん、よく歌えるなあ、プロだなあ、やわな私だったら、泣けて歌えなくなると思いました。広島二中の被爆死した生徒たちの合唱曲「碑」。観音高校音楽部OBでこれを歌っている友人は、途中で涙で歌えなくなると言っていました。

フランスの抵抗運動で1943年、16歳で処刑された男性の手紙

「兵士たちが、ぼくを連れに来ます。
僕の字は、すこしふるえて、
読みにくいかもしれませんが、
それは鉛筆が短いせいです。
死をおそれておびえているのではありません。・・・」

ルソン島で35歳で戦死した桔梗五郎の妻への手紙

「・・・僕はお前の胸の中で、子どものように眠りたいと、
何度も考えたことがある。
おまえの丸い腕を枕にして、
静かにおまえに笑いかける。
すると、おまえはあでやかに笑う。
こんなことを考えていると、なつかしくてたまらなくなる。
おまえはたっしゃで暮らしてくれ。」

朝鮮独立運動のために京都で逮捕され九州の福岡刑務所で1945年に死亡したユン・トンージュの悲しい詩。

こんな世界中の戦死や処刑された兵士たちの手紙が延々と続くのです。

素晴らしい合唱をしてくださった皆様にただただ感謝します。素敵な男性たちの姿を写真に撮りたくてたまりませんでした。で、里さんと同じようにYoutubeを撮りました。歌詞の一部を転載したことや、写真を出すことが版権に引っかかるかもしれませんが、お許し下さいませ。

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被爆70年24時間チャリティー・コンサート

 被爆70年24時間チャリティーコンサートは、昨日から開かれています。

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公演中は、撮影禁止ですので、これは開演前の写真です。

私は、ボランティアて動きながらいろいろな方の公演を見せていただきました。それはそれはどなたのも、素晴らしいものでした。日本古来の伝統芸能、アフリカ、韓国の芸能などの世界中の公演、東京や仙台や沖縄など日本中の方々も。クラシックから歌謡曲、子どものマリンバからお年寄りまで、本当にさまざまな方たちの熱演が繰り広げられました。扇ひろ子さんや喜納昌吉さんなどは、年輪を重ねるというのは、こんなことなのかと、すごみがあって感動しましたし、最後の藤田真弓さんのソプラノも鳥肌が立つ思いでした。

今日の公演は同時進行でYoutubeで見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=C1JgXbHk1Ys

プログラムに寄せられた呼びかけ人の方々の素晴らしい文章を転載させていただきます。

わしらあは、そう信じる。  画家・絵本作家  安野 光雅

人間が平和に生きるということが美しいこたあ、世界のどこの国にも通じる、自然のきまりだと思うていい。

  このきまりに従うちゅうこたあ、つまり自分の国の主権(主権在民)をまもり他の国と同じ立場に立とうとするものの大きい責任なんじゃけー。

 以上はわたしの故郷の津和野弁(広島語圏)で書いた、日本国憲法、前文の一部です。
  美しいということは、地球に住む世界中の人々にとって、どんなに大切なことでしょう。
  コンサートに集まったみなさんは、どうかこのことを心のすみにしまっておいてください。
 田舎弁の憲法前文は次のように続いて終わります。

わしらあ、信じる。
  国の名誉にかけ、国の力の全力をあげて、この尊い、誇りある、目的に向かって進むことを誓う。』

広島初演演奏曲“最後の手紙”について  作曲家  三枝成彰

 この作品は、戦争で命を落とした兵士たちの切ない希望や絶望と、現実の声を伝えることにより、残酷な戦争によって愛する家族や恋人、友人との絆が割かれることが二度と起こらないようにとの願いで作りました。

  ドイツの編集者、ハンス・ワルター・ベア氏が第二次世界大戦で戦死した兵士の声を世界に伝えるため、彼らが残した手紙を送ってほしいと遺族に呼びかけました。その結果1939年から1945年に書かれた2万通以上の手紙が寄せられ、31か国、202人の兵士の手紙が「人間の声」として1961年に出版されました。

  膨大な手紙の中から、2009年に他界した私の親友でありコピーライターの眞木準氏によって、12か国の13通の手紙が選ばれ、それを歌詞とし、男性合唱と管弦楽のための「最後の手紙~The Last Message」として生まれました。

  彼らの本当の声を私の作品で後に続く世代に残したいと願い、私が「人間の声」に出会った東京芸術大学作曲家の学生だった頃から50年あまりを経て、今もなおこの作品に取り組んでいます。

  戦争で命を落とした兵士たち、そしてその悲しみに耐えた家族の思いが、この作品を通じて、すべての人々に平和と救いをもたらすことを願ってやみません。』

 この三枝成彰さんの「六本木男性合唱団倶楽部」の75人もの方々は午後5時ころからの公演です。Youtubeでもご覧になれます。
 

 
 

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8.6ヒロシマ平和の夕べ・秋葉さんのお話・最終

世界は動いているが、日本は情けない状況にある。世界では、核廃絶の方向を示す法律(大切なのは法を使うこと・法の支配で大国の横暴を縛る・実定法が「政治」や「解釈」によって変えられない…今の日本がそれか危機となっているが)の次のごとくの動きがあります。

核実験禁止条約(1963)
NPT(1968~)
国際司法裁判所による勧告的意見(1996核兵器は国際法違反である)
包括的核実験禁止条約(1996)

さらに、昨年2014年は、核廃絶のための成熟した国際法を活かす動きが世界で起きています。

・マーシャル群島共和国が、核保有9か国をNPTを根拠に国際司法裁判所に提訴した
・スコットランドの独立を問う国民投票が行われた(イギリスの核はスコットランドにあり、スコットランドがイギリスから独立したなら、その核を放棄すると公約していた。すなわち、イギリスの核兵器廃絶を意味していた)
・ノルウェー・メキシコ・オーストリアが核の「非人間性」を訴える会議を開催した
・2015 交渉によるイラン核問題の平和的解決を求める条約が制定された

そして、欧州連合やスコットランドの独立への動き、国際司法裁判所が次世代のモデルであると。

しかし、現在日本はアメリカ一辺倒→力による支配に帰依している。対ソ・対中・対北朝鮮でも力による支配を行おうとしている。

しかし、それは日本が行ってきた歴史を見ると今のみではない。

1930~1945年

・ナチスドイツつまりヒットラーの究極的帝国主義・植民地主義、差別主義
・もう一つはソ連

これらへの対抗策は

植民地主義・民主主義・脱自由主義経済であった、

しかし、日本はヒットラーと手を組み帝国主義を選び第二次世界大戦、そのためにたくさんの人が死に、苦労した、それと同じことが今、起きようとしている。

1980年12月、原爆被害者対策基本問題懇話会(委員には東大総長経験者が二人もいて、そうそうたる顔ぶれ)が出した結論

・戦争は国が決める
・でも戦争による犠牲は国民が等しく受忍しなければならない
・ただし、放射能による被害は特別だからそれなりの配慮が必要
・しかし、一般戦災者とのバランスが大切
・国には不法行為の責任や賠償責任はない

これらは、「戦時下において」ということであり、その論理的帰結として、福島は「戦争による犠牲」ではなく、「平時」の犠牲である。福島の犠牲者には国の責任において医療・生活。教育などのすべての面での賠償のみならず、発生責任も含めて包括的に国に責任がある。

 そして、現在の「安保関連法案」は、憲法の四つの条文に違反をしている。前文・9条・96条・そして99条。

 最後に、来たるべき参院選を活かすこと、国政を動かせる私たちが頑張ろうと締めくくられました。

以上、長々と書きましたが、私の年を取った頭でのまとめは本当に不十分で申し訳ないものです。文責はすべて私にあります。秋葉さんには、ビデオや歌も用意してきたのですが、時間がないのでと言われた時、会場から、ワアッーという不満の声が出ました。もう一度、しっかり時間を取って、そしてこの続きの話をしていただくことを試みたいと思います。

さて、昨日は、遅くまで今日から二日間のチャリティーコンサートの準備をしました。その間、ちょろちょろと舞台でのリハーサルを覗きました。素晴らしい!!方々の演奏、歌、などが繰り広げられます。どうぞ、たくさんの方においで下さいますように。

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8.6ヒロシマ平和の夕べ・秋葉さんのお話・続

 核抑止力としての被爆者亡きあと、どうするか。秋葉さんは、「ヒバクシャの抑止力」を劣化させずに未来につなげることだと言われます。ダビングによって劣化しないデジタル化、学問を整理して、ゆるぎないものとして、世代を超えて同じ内容が伝わるように。ホロコーストと同じレベルで。

 ホロコーストと同じレベルというのは、

・安全保障のために、我が国はナチスなみに強制収容所が必要だという国はない。
・安全保障のために我が国はヒロシマ・ナガサキより強力な核兵器が必要ということを正当化する国は少なくない。ホロコーストなみの共通認識にすること。

その一つとしての広島・長崎講座を世界の大学に作るように働きかけています。現在、国内で48の大学で、世界では17の大学で、設置され、また設置が検討されています。

NPT再検会議について、

今年の会議において、「最終文書が採択されず、被爆地訪問の提案も盛り込まれなかった」という報道を見ると、がっかりするかのようだが、しかし。そのような報道のされ方では、核兵器廃絶には近づかないと秋葉さんは指摘しました。

採択されなかった最大の理由は、中東・特にイスラエルの問題と、全会一致が原則の会議において、ほんの一握りの国が核兵器に固執するためであることも。NPT再検討会議の歴史をみると、それが明らかであると。

また、日本の提案である「広島・長崎訪問」は日本政府のアリバイ作りのための提案であるとも言います。

・提案が受け入れられなかったのは、日本の対米追随が見透かされていたこと
・そのような提案をする一方、同時に2009年にオバマ大統領がヒロシマに来て謝罪をしたいとしたときに拒否をしたのは、日本の外務省であると。

日本は、2013年、ニュージーランド提案の「核兵器の人道上の結末に関する共同声明」の署名を4月には拒否。10月に署名したこと。これには、計125か国が署名しています。

2014年、オーストリア提案の「人道の誓約」に署名していません。(87か国が署名しています)。

外務大臣は、広島の政治家である。広島の政治家には、政党よりもヒロシマの政治家であることを優先させるのが最低の義務である。それをしない政治家へのもっと大きい批判があげられないといけない、と言われました。

 ああ、秋葉さんの講演をたどっていくことは、胸が痛く、また、膨大で壮大で、とても時間もかかります。また明日、締めにさせていただきますね。

明日から、24時間チャリティーコンサートです。今日、今から準備に入ります。プログラムを載せますね。とても魅力的な400人の方々の出演です。多くの方に出会えますように。

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8.6ヒロシマ平和の夕べ・秋葉さんのお話

8.6ヒロシマ平和の夕べの最後は、秋葉忠利さんのお話しでした。衆議院議員、広島市長として長年政治に携わり、平和行政に尽力してこられた秋葉さんは、分かりやすく、丁寧に語ってくださいました。ただ、十分に時間を取ることができなくって、秋葉さんにも聞きに来てく下さった方々にもご迷惑をかけました。それが残念です。ごめんなさい。

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高校時代、AFSでアメリカに行った時、アメリカの友人や教師たちはみんな「原爆投下は正しかった」といい、まだ英語力も不十分で、原爆や被爆者のことを十分に知らなかった、それゆえキチンと反論できなかった、それを自分の宿題としたこと。

 アメリカ人の90%が原爆投下を正しかったと言ってたのが、今、56%になったと。半分以上のアメリカ人が正しかったと言っているととらえても、それでも90%から56%へというのは、すごい変化であると。(それは、被爆者の力であること)

秋葉さんのお話には、さまざまな人が言った名言が散りばめられます。

『・期限のない目標は夢にしか過ぎない
・ 夢に期限をつけると「目標」になる』

被爆者、三つの足跡

「・死を選んでも誰も非難できない状況下生きる道を選らび人間として生き続けた
・被爆体験を語り続け、三度目の核兵器使用を阻止した。
・復讐や敵対という世界観を捨て、和解の哲学を創り出し実践した。」

被爆者の哲学

「・安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから
・こんな思いを他の誰にもさせてはならない」

被爆体験を語り続け三度目の核兵器使用を阻止した・ジョン・ハーシーの言葉

『・世界を救った、つまり、
・「核抑止力」を持つのは被爆者
・「報復」ではなく「和解」のメッセージ』

George Santayanaの言葉

『過去を記憶できない者は、その過去を繰り返さざるを得ない運命に縛られる。』

では、抑止力である被爆者がこの世からすべていなくなった時、どうすればいいのか、と話は続きます。

 すみません。今日、私は日曜当番医です。時間が無くなってしまいました。早くからとりかかったのですが、秋葉さんのお話をじっくり検証しながら書いていたら、とても時間がかかってしまいました。明日また続けます。

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8.6ヒロシマ平和の夕べ続き

 8.6ヒロシマ平和の夕べ、小林先生の写真を撮っていなかったのですが、友人が送ってくれましたので、遅ればせながら昨日のブログに乗せることができました。友人のは前からスマホですので、きれいにお顔も写っています。今日の写真も、主に友人の写真を使わせていただこうと思います。

オペラ、はだしのゲンの藤田真弓さんの素晴らしい歌声の後は、福島から来られた山本さとしさん。「ヒロシマの有る国で」の作詞作曲をした方です。そのあとで、急きょ参加して下さった福島双葉町の前町長井戸川さんのお話でした。井戸川さんには、ここで話していただく予定でしたが、他の行事があって実際は、沖縄の方々の後で話していただきました。

井戸川さんには、10分という短い時間でしたが、原発の恐ろしさ、国の卑怯さなどがよくわかる力強いお話でした。

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オキナワからの方々です。KIROROの師匠、津波勇雄さん。ピアノの演奏も歌も語りも素晴らしかったです。中でも、「おぼろ月夜」を編曲なさったピアノ、「きょうちくとうはさいたけど」なくなった人は帰ってこないと、胸打つものがありました。やはりオキナワの人たちの声を直接に聞くのは、説得力があります。

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仲間直美さんのピアノ「別れの曲」「てぃんさぐぬ花」これは、松田正さんの三線とともに。それと、「月桃」。美しい人です。でも、仲間さん、後で懇親会で聞いてびっくり。仲間さんは、小学校から高校まで、広島の三育学園で過ごされたのだそうですよ。

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そして、元読谷中学校の校長先生の川崎盛徳さんのピアノの弾き語りとお話し。力強く。「父をかえせ~原爆許すまじ」ほか。でも、写真ではその素晴らしさはわかりませんよねえ。ごめんなさい。
それから、読谷村の町長からのメッセージも披露されました。
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 そして、最後が秋葉忠利さんのお話です。明日に続きます。


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8.6ヒロシマ平和の夕べ

 被爆70年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、無事終了しました。暑い中、全国から集まってこられた方々、本当にありがとうございました。一年ぶりにお会いして、とてもうれしかった方々も何人も。

 あまりに盛り込みすぎて、終わりを急がせてしまったのは、残念で申し訳ないことでした。私に個人的に寄せられた感想では、「秋葉さんの話をもっと聞きたかった」という声がたくさんでした。またどこかで機会があればと思います。

最初のあいさつは秋田明大さん。「こんな高いところから話すのは、生まれて初めて」と言ったものだから、私たちは、陰で大笑いしました。でも、若い人はこのジョークが分からなかったみたい。私は、舞台のそでと会場を行ったり来たりで、それも一番うしろからの写真ですので、きれいに撮れていません。それに秋田さんのは、間に合わなくて、話して引っ込まれるところです。

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それから、電車内被爆者の米沢さん、もう今年になって辺野古に4回も行ったと。ますますお元気です。

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何よりうれしかったのは、元京都大学原子炉研究所の小林圭二先生。ご病気とうかがっていましたが、病を押してきてくださいました。反骨の物理学者、信念の人、でもお痩せになって、祈るような思いで話を聞きました。そででお話しを聞いていて、写真がありません。残念。友人が写真を送ってくれました。遅れてここにアップいたします。

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私は、「はだしのゲンとオキナワ」というタイトルで、話しました。

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それに続いて藤田真弓さんが松本寛美さんの被爆ピアノの演奏でオペラはだしのゲンから三曲歌ってくださいました。素晴らしいソプラノ!堪能しました。

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続いて、沖縄から来られたミュージシャンの方々の演奏、歌。津波勇雄さんは、KIROROのピアノの先生。美しいピアニストの仲間直美さん、そして川崎盛徳さんの弾き語りと語り。「父をかえせ~原爆許すまじ」などなど。また明日に続きます。

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被爆70年8月6日

被爆70年8月6日。昨日のお昼の平和公園です。

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お昼休みに、被爆者集会に行きました。広島ジュニア・マリンバ・アンサンブルの演奏は素晴らしくて。被爆者の体験のお話、そして、一番聞きたかった、日本被団協の田中事務局長の「被爆70年の時を刻んで 被爆者の死と生のたたかい」。被爆後の「見捨てられた10年」。その中から立ち上がった被爆者たちの命を懸けた闘いの軌跡が語られました。改めて、胸打たれるものがありました。

そして夜。帰り道にて。小さな祈りの影絵展と慰霊碑です。

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今日の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」の最終プログラムをお知らせします。福島県、双葉町の前町長、井戸川さんも急きょ参加して下さることになりました。

今年もまた、精いっぱいの準備をしました。皆様をお会いできること、楽しみにしますね。
 

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暑い・熱いヒロシマです。

 今朝も暑い・熱い日となりそうです。平和公園はなんか騒然としています。昨日から、原水禁世界大会や、いろいろな慰霊祭が開かれています。

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昨日。教師と子どもの像の前では、「教師と子どもの碑慰霊祭」。出勤の途中でこれは終わったところです。碑文「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」(正田篠枝)

今朝の出勤途中です。広島韓国人犠牲者慰霊祭の準備もすっかりできています。今日の10時からです。向かいの供養塔の前では原水禁子ども慰霊祭が開かれようとしています。全国からたくさんの子どもたちが旗を立てて集まって来ています。

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私は今から韓国人犠牲者慰霊祭で「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のビラ配りに行きます。昼時間には、「核兵器のない世界のため被爆者と市民のつどい」に時間いっぱい参加するつもりでいます。

明日の広島市主催の祈念式典には興味ないけれど、でも、「子どもの平和宣言・平和への誓い」だけはきちんと聞こうと思います。

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昨夜のドキュメント・ジョン・ハーシー。

 昨夜の「キャノン・ハーシー ヒロシマへの旅」見応えがありました。近藤紘子さんの証言・思春期の頃、ABCCで受けた辱めのところでは、思わず、涙しました。今日の後編が楽しみです。

写真は、一シーン、壊れてなくなった教会の跡で、お祈りをささげる谷本清牧師だと思います。

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 番組は、ジョン・ハーシーさんの孫のキャシー・ハーシーさんを中心に取り上げたものなのでしょうが、その中の近藤紘子さんにどうしても目が行きます。谷本清牧師さんの娘さんである近藤さんは、アメリカに留学し、大学でカウンセリングと国際養子縁組を学びました。養子縁組については、親しくしていたあの「パール・バック」さんに学ぶところが多く、また、お父様が数々の被爆孤児の養子縁組のお世話をもしてこられた、その姿にも学ばれました。

みずからも二人の養子を育て、いまも国際養子縁組のお世話もしています。私も、今に至るまで、度々お世話になりました。

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単行本も文庫本も、どちらも売り切れ、再版はされないということで、中古をアマゾンで買うしかないのがとても残念なのですが、この中には、谷本清牧師一家、近藤紘子さんの被爆から現在に至るまでの軌跡が記されています。

中でも、留学して間もないころ、授業でどこから来たかと教師に問われ、広島から来たと返事をすると「広島には谷本清牧師がいる」といわれ、「はい、私の父です」と答えたと。そしたら、そんなうそを言ってはいけないとひどく叱られたと。そのエビソードがおかしいのですが、谷本清牧師は、それだけ全米に知られた存在であったということでしょう。

GHQの占領下にあっても、アメリカ人だから、取材は自由にできたのだろうという先入観を持っていましたが、ハーシー氏がとても苦労して取材をしたこと、「ヒロシマ」のルポを書いたその後に沈黙するに至る、大変な圧力がかかったであろうことなど、今夜の後編が楽しみです。

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今夜のBS1「世界のドキュメント」ジョン・ハーシー

 これは、もっと早くに書くべきだったのですが。遅いのですが、これからでもお知らせしたいと思って。今日8月3日の夜、4日の午前0時から前編が、翌日の同じ時間から後編が、NHK・BS1にて以下の番組が放送されます。

NHK BS1 「世界のドキュメンタリー」

キャノン・ハーシー“ヒロシマ”への旅
~なぜ祖父は語らなかったのか~
 

  前編は、8月3日深夜12時~(=8月4日午前0時~)
  http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=150804

  後編は、8月4日深夜12時~(=8月5日午前0時~)
  http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=150805

広島の被爆を初めてアメリカでレポートをしたジョン・ハーシー。その孫のキャノン・ハーシーさんが広島に来ます。その案内をするのが近藤紘子さんです。近藤紘子さんは、ジョン・ハーシーがレポートした一人、流川教会の谷本清さんの長女さんです。

 ジョン・ハーシーさんの記事により、全米に知られるようになった谷本清牧師は、ケロイドで顔を失った女性をアメリカにつれて行って顔を取り戻す手術を受けてもらったり、原爆孤児の養子縁組のお世話をしたり、被爆者の援護に力を尽くしました。それには、主に教会つながりで、アメリカ国民からの援助がよせられたものです。

近藤紘子さんには、2012年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て頂いてお話を聞きました。

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また、ジョン・ハーシーのレポートの初稿原稿が見つかったと、昨日の中国新聞に載っています。今は亡き、ジョン・ハーシーさんと谷本清牧師の写真も出ていました。

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この番組のお知らせをしたくて、今日二つ目のブログです。
 

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性教協全国夏期セミナー・愛媛大学にて。

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 昨日は、性教協全国夏期セミナーでした。本当は土曜日から本日まで、三日間開かれています。私は日曜日しか参加できないので、昨夜帰ってきました。昨日の会場は愛媛大学。緑豊かなきれいな大学です。

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その中のこの校舎でたくさんの模擬授業や分科会が開かれました。だけど、校舎や学生食堂の入り口にはスロープがなく、バリアフリーになっていません。うん?今どき珍しい。私は、重い荷物を引っ張って持って行きましたが、階段を上がるのが難しくて。この大学には車いすの学生はいないということなのだろうと思います。

 お昼時間には学生食堂でランチです。懐かしい!これはうれしい、でも、やはり私の学生の頃と比べて、うんときれいで、まったく様子が違います。私は、冷麺とプリンを食べました。


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この食堂で、避妊教育ネットワークや昔からよくしていただいている堀口先生など、産婦人科のドクターたちにたくさん出会えました。みんな頑張ってるね。私は長くやっているけれど、そんな私なんかとっくに乗り越えて性教育に取り組んでいる若いドクターたちが頼もしく、うれしく思います。今日の理論講座の②は、同じく産婦人科仲間の長崎の安日先生です。聞けなくってごめんなさい。でも、先生が理論講座を受け持つこと、すごくうれしいです。多くの方に聞いていただきたいですね。

 ところで、学内にこんな看板を見つけました。ああ、大学らしい景色に少しだけ出会えたように思いました。

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帰りに正門から振り返って。お世話になりました。学生気分を味わえてうれしかったです。ありがとうございました。

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朝鮮人被爆者協議会40周年記念式典

 私は今松山にいます。昨夜は気の合う仲間たちと、遅くまで食べ、飲み、話し、楽しいひと時を過ごしました。性教協全国夏期セミナーについては、またご報告します。

 今日は、7月28日火曜日に行った、広島県朝鮮人被爆者協議会40周年記念式典についてのご報告です。

 40年前、李実根さんを会長として朝被協が作られました。その前もその後も、李実根さんには、厳しい闘いの日々でした。この40周年を機に、「第2の朝被協期」として位置づけること、そして、どこにいても「被爆者は被爆者」としてのさらなる運動を続けていくことを表明されました。「被爆二世の会」も立ち上げられました。これを機会に、代表も代わられます。

 恒例のお花見以来、2年ぶりにお会いした李実根さん。お体の具合がよくないと聞いていて心配していましたが、とてもお元気で。闘志、激しい理論家であったのが、今や好々爺、おだやかで優しい人に変貌されています。でも、舞台からのご挨拶は、しっかりなさっていて、心から拍手をしました。その後、私のことを「忘れませんよ」と言ってくださって、思わずハグしましたよ。

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舞台では、アトラクション「語りと舞踊」が行われました。

明治以来の広島におかれた大本営など、広島の果たしてきた歴史的役割、広島と長崎の原爆により、7万人の朝鮮人が被爆したこと(広島で5万人長崎で2万人)うち4万人がなくなったこと(広島で3万人長崎で1万人)、「白いチョゴリの被爆者」の手記にもある、体験記、祖国に帰った被爆者のこと、在日の被爆者のこと、あらゆる差別の中で厳しい人生を強いられたこと、そして今もつづく朝鮮人学校に対する差別など、舞踊と語りで静かに、そして激しく演じられました。また、40周年の歩みもいただきました。この中には、あの共和国在住の被爆者の厳しい状況や、被爆の前後の体験記などがぎっしりつづられています。


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 個人的には、しばらくお会いしていなかった方たちにたくさんお会いできて、とてもうれしかったです。奥様をがんで亡くされ、職員の不祥事ですべての職を辞されたK先生がお元気だったのが、なによりうれしくて。

 これからわたしはなにをすべきかをも突きつけられた厳しい会でもありました。 李実根さん、どうぞ、まだまだ長生きをして後輩や私たちの指導をしてくださいますように。

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間に合いました。

間に合いました。


6時半の高速艇に乗れました。
今から松山へ行きます。
広島の性教協の仲間が居酒屋で待っているはずです。
全国の仲間たちに会えるのが楽しみです。

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勝島歯科主催のコンサート

7月30日夜、それは期せずして、夫の誕生日でしたが。一つのコンサートが開かれました。佐伯区民文化センターにて、主催は勝島歯科医院。夫と二人で行きました。

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 バイオリンと二胡とピアノ。エリザベート音大と東京音大卒の方々の演奏、勝島先生の楽しい司会。美しい調べを聞きながら、何度も涙しました。

 勝島先生は、ちょうど一年前、7月21日、最愛の犬の散歩をしていて、交差点でわき見運転の車にはねられました。奥様から、意識が戻らないと電話で聞きました。以来、7か月の入院、退院後もリハビリを続け、このお礼のコンサートを開くまでになったと。お知らせをいただいたとき、本当にうれしくて。

会場に到着したとき、勝島先生ご夫妻が受付に立っていらっしゃいました。先生!というと、「誰?」と言われ、「河野美代子です」と答えると、「おお、みよちゃーん」と言われました。もう、覚えていてくださったのが、本当にうれしくて。さらに、「私と河野美代子と何年の付き合いだと思うか?」と言われました。「先生、40年ですよ。」と握手をしながらうれしくて。

 私は、ずっと先生の追っかけをしてきました。大学病院時代から。先生が大学をやめてあちこち移動されると、そこへ。私の口のことはすべてわかって頂いています。電話で症状を言っただけで、ああ、あそこはこうなっとるから、と返事があります。

 先生は、基本歯は抜かない主義。なんとか抜かないで持たせてくださいます。これで10年は持つだろう、その先はまた10年たってから考えようと。その10年がもう30年近くもち続けている歯もあります。それに痛くない治療をしてくださいます。注射もチクリともしません。いつの間にか、麻酔が効いています。これが何よりです。

だから、先生の事故を聞いたとき、途方にくれました。私の歯はどこに行けばいいのだろうと。でも、やっぱり先生が戻られるのを待とう、なんて。長い間閉めていたクリニックも、副院長の先生に来て頂いて再開するとお知らせを頂いていましたが・・・。この一年間、どこの歯医者さんにも行かないで過ごすことができました。これも、しっかり私の歯を管理してくださった勝島先生のおかげと思います。

 先生は、まだ左足と左目が不自由です。頭を打っているので、記憶も今一つしゃんとしないところがあって、なかなか今のことが覚えられないと。仕事の許可もまだ出ないと。

でも、必ず、仕事には復帰すると。仕事だけでは面白くないので、ゴルフもできるようになると。先生は、シングルの腕前です。その目安は、先生のお誕生日の11月18日だと。私は、その次の木曜日の予約を入れておきたいと思います。

歯を治療してもらいながら、お互い、いつまで仕事を続ける?一生仕事だけで終えるのも、さびしいよね、などと話をしていました。勝島先生は、一時、ハワイに移住してゴルフ三昧の生活をしたいとか本気でいう時もありましたが、まあ、続けられる限りはぼつぼつ仕事しようよね、そんなところに落ち着いていたものです。

 今、先生の命が助かって、こうして人の前で話ができるようになっただけでも、十分うれしいのです。焦らないで。これまで彼を支えてきた奥様も大変だったことでしょう。お二人でゆっくりと過ごしてくださいね。満員のコンサートのお客さんもみんなそんな気持ちだったことでしょう。演奏して下さった方と、勝島先生に、いつまでも拍手がやみませんでした。

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