« 被爆70年24時間チャリティー・コンサート | トップページ | 大分です。東九州自動車道について。 »

被爆70年24時間チャリティー・コンサート終わりました。

 被爆70年24時間チャリティーコンサート、無事終了しました。二日目の昨日、泣けて泣けて。たくさんの方々の素晴らしい公演の連続でしたが。ここでは二つだけご報告しますね。

里さんご一家の朗読、「光のうつしえ廣島ヒロシマ広島」朽木祥作。

 その朝、シャツを汚した息子を叱ってそのまま登校し、被爆、見つけた時には、もう息子は息絶えていたという女性の慟哭のところの朗読です。里さんご夫妻が朗読し、後ろで眞子さんがピアノを弾きました。まこさんは、生後10か月で重症の高熱による痙攣発作を起こし、一命を取り留めたものの、知的障害が残りました。そして、その感性のみでピアノを弾き、作曲をします。

当日は、ご両親の朗読に合わせて、それを聞きながら、即興でピアノを弾くのです。ご両親によると、これまでまったく聞いたことのない旋律だったそうです。

 それを聞きながら、大泣きしました。そして、この三人の姿の写真を撮りたくて。でも、コンサート全体で撮影は禁止されているので。深夜、家に帰って、ふと思いついてYoutubeを見ました。そしたら、里さん一家の公演が再生されましたので、それを止めて、写真を撮りました。

___1751

 もう一つ。六本木男性合唱団倶楽部。みなさん、すべて自腹で広島を往復された完全にボランティア出演です。昨日のブログに書いたように、「男性合唱と管弦楽のための最後の手紙~The  Last Message/三枝成彰」この最後の手紙がこの広島のコンサートで初演だったのです。

配布された歌詞を読んだだけでもう涙だったのに、合唱が始まると、もうダメでした。みなさん、よく歌えるなあ、プロだなあ、やわな私だったら、泣けて歌えなくなると思いました。広島二中の被爆死した生徒たちの合唱曲「碑」。観音高校音楽部OBでこれを歌っている友人は、途中で涙で歌えなくなると言っていました。

フランスの抵抗運動で1943年、16歳で処刑された男性の手紙

「兵士たちが、ぼくを連れに来ます。
僕の字は、すこしふるえて、
読みにくいかもしれませんが、
それは鉛筆が短いせいです。
死をおそれておびえているのではありません。・・・」

ルソン島で35歳で戦死した桔梗五郎の妻への手紙

「・・・僕はお前の胸の中で、子どものように眠りたいと、
何度も考えたことがある。
おまえの丸い腕を枕にして、
静かにおまえに笑いかける。
すると、おまえはあでやかに笑う。
こんなことを考えていると、なつかしくてたまらなくなる。
おまえはたっしゃで暮らしてくれ。」

朝鮮独立運動のために京都で逮捕され九州の福岡刑務所で1945年に死亡したユン・トンージュの悲しい詩。

こんな世界中の戦死や処刑された兵士たちの手紙が延々と続くのです。

素晴らしい合唱をしてくださった皆様にただただ感謝します。素敵な男性たちの姿を写真に撮りたくてたまりませんでした。で、里さんと同じようにYoutubeを撮りました。歌詞の一部を転載したことや、写真を出すことが版権に引っかかるかもしれませんが、お許し下さいませ。

___1748

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

|

« 被爆70年24時間チャリティー・コンサート | トップページ | 大分です。東九州自動車道について。 »

コメント

生後10ヶ月の突発的な高熱と痙攣ってあるんですね。また知的障害をのりこえてそだてようとした先のピアノ演奏はすばらしいですね。生まれが主ではなくどう育てるかなんですねはじめて知りました。お母様のご苦労がきっと絶えないと思いますが、そういうお母様のお気持ちを障害があっても理解できるお子さまになると思います。障害をのりこえたピアニストというと、辻井伸之さんしかしりませんですが、もう後に続く方ができてるのは信じられないです、生まれたあと教育が一番ですね。同じ親として見習いたいです。

投稿: 愛ちゃん | 2015年8月13日 (木) 11時16分

チャリティーコンサートは1日目に参加(鑑賞)しました。途中「子どもが考える『ヒロシマの心の継承』に参加し、被団協の坪井さんの被爆体験、秋葉元広島市長の「ヒロシマ・ナガサキ講座Ⅰ」を拝聴しました。中学教師として大先輩の被爆体験を聞くと、記憶と記録の重要性と、その継承の意義、特に教育の果たす意味について考えさせられました。かつて幟町中学校に勤務していたときに、隣に市長公舎があり、毎朝の挨拶運動で奥様とお子さんに「おはようございます」と声かけをしていた頃を思い出します。秋葉氏のヒロシマへの思いを聞くとき、今年の市長の平和宣言、市議会も県議会ももちろん市長も安保法制に「懸念」の意志も示さない現状に、危機感を感じざるをえません。秋葉氏とお話をしていたとき、松本市から参加の音楽家・狭間壮氏と話し、何と私の大学時代の恩師と知り合いだったことが判明し驚きました。狭間氏が9月22日に開くコンサートのタイトルは「一本の鉛筆があれば」です。「一本の鉛筆」は1974年8月9日、第1回広島平和音楽祭で美空ひばりが歌った歌です。

投稿: 黒柴こたろうパパ | 2015年8月13日 (木) 22時46分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 被爆70年24時間チャリティー・コンサート終わりました。:

« 被爆70年24時間チャリティー・コンサート | トップページ | 大分です。東九州自動車道について。 »