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かき船かなわ移設提訴されました。

 これまでもたびたびご報告しているかき船「かなわ」の移設の問題、6月11日に広島地方裁判所に提訴されましたので、そのご報告です。

___1571  この度、提訴された訴状のコピーを戴きました。訴状は、25ページにも及ぶ膨大な物ですが、全文、胸を打つ名文と言ってもいい物です。皆さまに一部だけですが、抜粋してお知らせします。

 そして、裁判には、膨大な訴訟費用が掛かります。原告19名はお金を出し合っていますが、とても足りる物ではありません。その費用のカンパの要請もあります。よろしくお願いします。

第1 請求の趣旨

 1 国土交通省中国地方整備局長が平成26年12月12日付で株式会社かなわに対してなした河川占有許可及び工作物の新築などの許可処分を取り消す。

 2 訴訟費用は被告の負担とする。

 との判決を求める。

第2 請求の原因

 1当事者

 (1) 1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下による惨禍は、その記憶が風化してしまわないように、普段の努力によって語り継がれなければならない。記憶は失われるものであるが、失ってはならない記憶は確実にあるのであって、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さは、まさに失ってはならない記憶である。なぜなら、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを忘れれば、戦争をすることや原爆をはじめとする核兵器の使用を躊躇う理由が無くなり、再び取り返しのない惨禍を招くことになりかねないからである。

 (2) 原爆ドームが、核兵器による破壊と戦争の悲惨さを後世に伝える場所として世界遺産に登録されたのも、被爆者の慟哭と死者への鎮魂、被爆の実相を世界の人々に伝える負の遺産として、歴史的な役割を持っているからこそである。

 そして、原爆ドームの世界遺産登録は、決して自然発生的になされたものではなく、広島市民一人一人の思いとそれに賛同した全国各地の市民の努力が、国会・日本政府を動かし、世界に伝わったからである。

 (3)略(4) 原告らの中には、現に8月6日に原爆の惨禍を体験した者がいる。原爆ドームとその周辺を「鎮魂と平和への祈念の場」として最も強く受け止める者は、原爆による被爆の体験をした被爆者である。被爆者の鎮魂と平和の祈りは、人間の尊厳に関わるものとして尊重されなければならないが、それは被爆者の人格的利益といってよいものである。

 またある原告は、原爆によって、当時、現在の加古町にいたはずの父親が行方不明となったまま帰らなかったが、もし父親が水を求め、火を避けて川に逃れていれば、まさに今の平和公園の側を流れる川の何処かに、父親の遺骨が今もなお眠っているかもしれない。このように元安川をはじめ、バッファーゾーン内が、原爆で亡くなった肉親が眠る場所である者にとっては、そこで酒食が饗される施設の営業がなされることは、堪えがたい苦痛である。

 (5) 後述の「かき船」の設置場所は、バッファーゾーンの中でも、「原爆犠牲ヒロシマの碑」の目と鼻の先であり、元安川の中に散らばった原爆瓦の発掘現場である。

 この「原爆犠牲ヒロシマの碑」は、高校生を中心にして、広く広島市民が参加してすすめられた原爆かわら発掘運動の成果として、1982(昭和57)年に建立されたものである。

 原爆瓦発掘運動・「原爆犠牲ヒロシマの碑」建立運動に参加した若者たちはもちろん、「原爆犠牲ヒロシマの碑」の前に立つ現在の若者たちも、火ぶくれ、泡だった原爆瓦を見て、原爆の惨禍を想像し、被爆死を遂げた犠牲者の無念を思い、核廃絶を決意し、世界平和の実現を誓うのである。このように、「原爆犠牲ヒロシマの碑」は、鎮魂・継承・学習の碑と位置付けられ、原爆犠牲者の鎮魂と被爆体験の継承、平和学習の象徴となっている。

 そして、原告らの中には、この原爆瓦発掘運動を開始し、高校生達をリードし、「原爆犠牲者ヒロシマの碑」建立に関わり、その後の碑の維持管理や保全を担ってきた者がいる。

 この「原爆犠牲ヒロシマの碑」の前に、河岸緑地の樹木を切り倒し、原爆瓦がまだ川底に残る元安川の中に、料亭船の「かき船」が新設されることは、鎮魂・継承・学習の碑としての意味を全く失わせるに等しいものであり、原告らにはその行為を止める権利や責務がある。

 (長くなりました。明日に続きます。)

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コメント

広島市の市民力は小金井市の市民力とはちがいますね。東京の郊外でぬくぬくと暮らしてますが、現状、労働運動や平和運動に参加しにくいけど様々なカンパで社会とつながりたいです。少しでも平和な社会になるため少しのおかねですが使って頂きたい思いがあります。

投稿: 愛ちゃん | 2015年6月20日 (土) 04時30分

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