辨天娘の甘酒
一週間前の、日本酒めぐりの時のこと、少し書いたのですが。三軒目に行ったとき。鳥取のお酒やさんだと。その受付に座っている方とナナパパさんが話をしているのをボーッと聞いていました。「若桜町」、「この桜って、なんと読むの?わかさちょう・さと読むの、ふーん」というのを。何気なく聞いていて、そして中に入って、お酒を飲んでいて、アッと思いました。鳥取のお酒?それで、中にいらっしゃる酒蔵の方に尋ねました。
「あの、どなたか竹鶴に嫁がれませんでしたか?」と。そしたら「はい、嫁ぎました」というお返事が返って来ました。
実は、先日息子たちが帰ってきて、一緒にカープに行ったり、牡蠣をたべに行ったりして、最後の日、瀬戸内海のどこかに一泊したいと、それで、大崎上島の清風館に泊まることにして。その前に竹原の竹鶴に行きます、と言います。うん?マッサンの竹鶴、どうしたの?そしたら、ママが、「竹鶴の社長と親戚の女性が結婚しているのです」と言いました。父の実家が鳥取でお酒を造っていて、そこの娘さんが東京の大学に行って、日本酒愛好会みたいな部活で竹鶴の息子さんと知り合って、それで結婚したのだと。
ママのお父さん、鳥取出身とは知っていました。孫が生まれたときにも、曾おばあちゃんに会いに鳥取に行くとか、鳥取からいつも梨を送って戴いたりとか。でも、御実家が酒蔵だとは知りませんでした。
それだけで、何というお酒をつくっているのかとか、なんにも聞かないままでした。ただ、鳥取という、それだけで、違っていて元々と、どなたか竹鶴に、と聞いたのです。そしたら、あんまりズバリなので、本当にびっくりして。私が突然、一体何を言うのかと聞いていたみなさんもびっくりして。なんというご縁。そもそも17軒中7軒しか行かなかった、その中の一軒。それにお父様の実家がお酒を造っていらっしゃるなんて、この前息子たちが帰って来るまで知らなかったのが・・一気にこんな偶然。この方の妹さんが竹鶴の社長のお嫁さん。
その偶然にびっくりして喜んで下さったママのお父様から、こんな物が送って来ました。
辨天娘の、米麹だけで作った甘酒です。お酒に弱くて甘党で、甘酒大好きの私に、ノンアルコールで、濃厚な甘さのを。ありがたく戴きます。ほんの一週間前にはこんなことも知らないままだったのに。今日は、鳥取の甘酒を戴いていて。こんなことってあるのだなあと感慨深いものです。
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コメント
すごいナナババさんは洞察力ですね。それにしても、河野先生のお宅のお嫁さんのご実家はすごいところとご関係がおありで、世間は以外と狭いと感じます。竹原市ってどんなとこだろう、山陰山陽の実業界や文化に興味深くなりました。以外なところで日本を動かしていたのだと感じます。日本文学の歴史だと、出雲王朝の文学や歴史は滅ぼされて記録にのこってませんが、かなり熟成度が高かったのかもしれません。だから大和朝廷に滅ぼされたのかもと感じます。
投稿: 愛ちゃん | 2015年6月14日 (日) 11時11分
酒粕から作る甘酒には、アルコールが入っているようですね。昔から、甘酒といったらこれでした。
でも、米麹から作る甘酒にはアルコールが入らないようですね。
江戸時代には、夏には滋養に飲まれていたそうですね。
酒造と遠縁ということですね。
私は、この夏に、炊飯器で作る甘酒に挑戦しようかと思ってます。
投稿: やんじ | 2015年6月14日 (日) 11時56分
めぐり会うご縁も 天の配剤なのでしょうか。
会うべき人に 会っている・・・なのでしょうか。
不思議な出会いですね~。
何年か前、九州の地で”玄海原発にプルサーマルは止めましょう”の市民大集会の イベントで 同じ会場で美代子先生の講演があってて 楽屋にお尋ねしたのが
高校卒業以来でしたね。 不思議な再会でした。
いろいろお話してみると お父上の長谷川先生が 私のルーツでもある島根県の
川本小で 教鞭を執られていたとか・・不思議なご縁でした。
投稿: yuumin | 2015年6月15日 (月) 14時26分