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御会葬御礼

 先日書いた、四国がんセンターの日浦昌道先生のお葬式に代表して行ってくれた友人が、会葬御礼を持って来てくれました。それを読んで驚いたので・・・。転載しますね。

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「感謝」

本日は大変ご多忙中のところ、私、日浦昌道の葬儀にご列席賜り、ありがとうございました。振り返ってみますと、産婦人科の仕事に誇りを持ち、約四十三年間自分なりに少しでも患者さんのお役に立てばと、日々勉強して情熱を注いでまいりました。

そのような私をいつも妻が支えてくれ、長年夫婦二人三脚で共に笑い、共に泣き、一つの道を歩めて本当に幸せでした。

また、子供達も独立して、それぞれ家庭を持ち、何も思い残す事はありません。

~わが人生に悔いなし~

私の人生によきご縁を結んで下さいました多くの方々に心より
お礼申し上げます。ありがとうございました。

この文章は、生前故人が皆さまへの感謝をお伝えするべく遺したものです。
皆さまのお力添えにより実りある日々を送ってきた夫は、紫陽花の青葉に白露宿る平成二十七年六月二十四日、満六十八歳にて生涯を閉じました。

本日はご会葬いただき、誠にありがとうございました。
略儀ながら書状をもってお礼申し上げます。

   平成二十七年六月二十六日

                        後略      』

 死を受け入れ、覚悟して、どんな気持ちでこれを書いたのかと思うと、泣けて来ます。

 300人もの沢山の方々が葬儀に列席されていたそうですが、中でも患者さんたちが沢山来られていたそうです。さもありなんと思います。素晴らしい人生でしたね。でも、やっぱりもう少し長生きして欲しかったです。

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 2012年4月号のメディカルトリビューンの依頼で、日浦先生の司会で座談会をしました。がんのスペシャリストの先生たちに囲まれて、身が縮むような思いでしたが、いい思い出になりました。この後、ホテルのバーでお酒を飲みながら話をした、それが最後です。

  もう一度合掌

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「8.6ヒロシマ平和の夕べプレ企画in川崎

 昨日は、川崎での『戦後70年を問う 8.6ヒロシマ平和の夕べ~プレ企画~核兵器・原発・優生思想―“生きる”を否定するものに反対―』という集会に参加し、講演をしました。

 初めの発言は、私と横浜市原爆被害者の会事務局長の松本正さんと被災地障がい者支援センターふくしま代表・NPOあいえるの会理事長の白石清春さんの三人。それに会場からも活発な意見が出て、大変有意義な会だったと思います。

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 会場は、車いすの方や目の不自由な方たちも沢山来られましたし、司会は全盲の方でした。これがまた、穏やかで、楽しくて、素晴らしい司会だったのです。

 私は、初め、私たちがいつもやっている「平和の夕べ」関連に、「優生思想」が入る会、どうなることかと思いましたが、本当に「“生きる”を否定するもの」として全くその通りだと思いました。

 松本さんは、被団協の横浜のメンバーとして活動されています。広島二中の卒業生。

 学徒動員で観音の三菱の軍需工場にいる時に被爆。原爆投下直後の七色の光を見た事、二中の一年生の弟さんは、平和公園の川岸で被爆し、亡くなっています。「碑」にも書かれていますが、「お兄ちゃんが迎えに来てくれる」とつぶやきながら、ほんの少しの時間の差で亡くなってしまっていた事、爆心地で亡くなったおばさん一家の事などなど。

 その重い重い証言は大変なものでしたが、何と松本さんは、この体験の証言を始めたのが、1年前だと。それまでは語ることをしていなかったと言われます。多くの被爆者が亡くなったり高齢で証言が出来なくなっている今、とっても貴重な存在なのですから、もっともっと語ってほしいと心から思いました。

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 白石さんは、一生懸命語って下さいましたが、聞くことに必至になっていて、写真の撮り忘れです。ごめんなさい。

 今年5月に福島県郡山市で開催された第31回DPI日本会議全国集会での報告のために、白石清春さんが作成されたものを、そのまま掲載されている資料を戴きました。「3.11で何が起こったか、今後へ向けてのアピール」より。

 障がい者での避難生活は大変であること、回りの人に介助を頼めなくて、我慢しなければならなかったこと、学校の避難所は体育館の利用が多く、段差があったり、トイレが使いづらかったりで障がい者たちは避難所生活を敬遠せざるを得なかったこと、仮設住宅は車いすでの生活を考慮していないこと。ガソリンの供給が出来なくて、ヘルパーの派遣が出来なかったこと、今もヘルパーさんの数が足りないことなど、たくさんのことが記されています。

 このアピールの終わりに書かれていることです。

『障がい者はこの世になぜ生まれてくるのだろう。障がい者の存在は社会にとってどのような影響を与えているのだろう?私は考え続けている。障害者は社会に対して自ら命を賭して「どっこい私たちも生きているのだ!」と訴えていく存在なのである。障がい者と共に生きることで「助け合って生きていく」ことを学び、「障がい者が安心して生きることのできる社会はみんなにとっても良い社会」であることをわかり合い、「障がい者を含めてみんなが平等で平和な社会を創り出していこう」という意識を持つことが出来るのである。という想いを込めて社会に、世界にアッピールしていこう。』

 大変貴重な会を準備して下さったみなさま、本当にありがとうございました。これからの本番に向けて、私も頑張りますね。


 

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「オペラはだしのゲン」沖縄上演について・続

 今年の8.6ヒロシマ平和の夕べでオペラ「はだしのゲン」を歌って下さる藤田真弓さん。1981年の初演、それから翌年の沖縄での公演で「春」の役を演じられています。その時、演出の粟国先生が、君はこれから結婚して子どもも産んで、いつか母親の役をやりなさいよ、と言ってくださったのだそうです。

そして、30年以上経って、藤田真弓さんはお母さんの役を演じられました。それは、さすが、素晴らしいお母さんでした。練習に来られた中沢さんは、藤田さんを自分のお母さんによく似ていると言われたそうです。

 その話を聞いて、演出の粟国安彦さんの故郷であるとはいえ、どうしてこの大変なオペラの沖縄公園が実現したのだろうかと興味がありました。その答えがパンフレットの中にありました。那覇市民会館石垣義雄館長のご挨拶です。

『沖縄の日本復帰10周年を記念して、特に意義深い自主公演を行いたいと、昨年8月ごろより全国公文協会文化事業委員会の推薦事業を中心に検討していましたが、なかなか適当な物がみつからず、たまたま9月7日付けの琉球新報の広島市民オペラの紹介記事が眼にとまりました。

 九州では鹿児島県や大分県で市民の手づくりのオペラが生れ、地域に密着した地道な活動を続け、順調に育っていると聞いていましたし、沖縄でもオペラ協会が近々発足するという噂さも聞いていましたので、この広島で生れ、原爆をテーマのした劇画「はだしのゲン」のオペラ化は、強く印象づけられました。

 やっと委員長の小野村先生を探すことが出来て、2・3回連絡をとっているうちに、私自身「はだしのゲン」の公演実現に全力を尽くそうと決心致しました。
 12月、会館の運営委員会で全員一致、上演が決定しました。しかしその後予算措置で種々の難問題にぶつかりましたが、何とか乗り越えることが出来ました。そして4月6日市長の定例記者会見の席上「はだしのゲン」の上演決定が発表されたのです。

 紆余曲折はあったものの沖縄側からの合唱団、子役の出演も決定して、広島市と沖縄市が手を結んで、上演が実現できる見通しがたったときの喜びは又、ひとしおでした。本日公演開幕を迎え感無量であります。

 このオペラ「はだしのゲン」を県民が一人でも多く観て頂きこのオペラを通して二度と悲惨な戦争は起こしてはならないと力強く立上がってほしいと願ってやみません。』

 藤田さんには、広島での初演には藤原劇団の多大なる応援があった事。沖縄には一月近く滞在して、沖縄の方たちとともに練習をしたことなどを教えて頂きました。写真は、パンフレットにあった沖縄での練習風景です。真ん中の写真で赤ちゃんを抱いて横になって歌っているのが若き藤田真弓さんです。

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どうぞ、平和の夕べでの藤田真弓さんの「はだしのゲン」を楽しみにして下さいね。

 私は今東京、大井にいます。これからまだ川崎での講演のスライドの最終チェックです。

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「オペラはだしのゲン」沖縄上演について

中沢啓治さんの作品と言うと、もちろん「はだしのゲン」であり、「黒い雨にうたれて」であります。が、「広島カープ誕生物語」と「オキナワ」。これらにも、心打たれたものです。

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 「オキナワ」は、1970年に少年ジャンプに連載されました。沖縄返還は1972年。はだしのゲンの連載が始まったのは、1972年です。つまり、「オキナワ」は、はだしのゲンよりも前にかかれたものです。実は、この「オキナワ」が中沢啓治さんの初めての単行本になる予定でしたが、販売直前になって中止されました。

 オペラ「はだしのゲン」は、1981年に初めて広島で上演されました。沖縄で初上演されたのが、1982年です。初上演の演出をなさった粟国安彦さんが沖縄県南大東島の出身で、これをどうしても沖縄で上演したいと望まれたそうです。

 その時のパンフレットを藤田真弓さんが大切にもっていらっしゃいました。その一部を戴きました。その一ページに、若き中沢啓治さんの写真とメッセージが寄せられています。

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 『私は、沖縄本土復帰、1年前に外国旅行並の手続きを経て本島を訪ねたことがあります。あれから11年が過ぎたのかと時の流の速さに驚いています。

 沖縄へ出発する前には、沖縄の歴史、その他の資料などを調べ出発したのですが、空港に着いてから先ず驚いたのは、本土では想像もつかない、あまりにも巨大な米軍基地だったのです。そして、太平洋戦争で唯一の住民を含めた地上戦が行われた各激戦地を尋ね歩いて、戦争の痛みを、つくづく感じました。

 広島で原爆を受けた私の体験と惨状が蘇って来るのです。人間にとって最高の宝は、〝平和″だと思います。そんな思いを込めた「オキナワ」とい言う作品を描いて発表もしました。戦争と原爆は、人間を狂気にし、生きる未来を奪って行く最高の罪悪だと確信しています。平和の尊さを、つくづく思い知るのです。

 そんな思いを込めた「オペラはだしのゲン」が沖縄の地で上演される事は、本当に意義あることだと思います。一人でも多くの人々に観てもらい、心にふれて、戦争と原爆を阻止する役割の一つとなってくれる事と成功を心から願っています。  原作者  中沢啓治』

 もう少し、オペラ「はだしのゲン」の沖縄上演について明日書きますね。お付き合い下さいませ。私は今日は診療後東京に移動です。明日は、川崎で講演です。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内②

 呼びかけにもあるように、今年は被爆70周年。70周年の企画を考えた時、ヒロシマ・ナガサキだけでなく、あの大戦で大変な被害を受け、今も米軍の基地で常に闘いの最前線におかれている沖縄を無視できないと思いました。今年は沖縄からのゲストを迎え、広島と沖縄について考えたいと思います。

 ヒロシマからは、前広島市長、元衆議院議員、広島大学特任教授を務められた秋葉忠利さんに話して戴きます。秋葉さんには、平和の夕べの企画で話して戴いたことがあります。再度、秋葉さんの目指す核兵器廃絶についてじっくりお話しを聞きたいと実行委員会は考えました。

 沖縄からは、川崎盛徳さんや津波さん、この度来て戴いた仲間さんなどにお出でいただきます。川崎さんは、元読谷中学の校長先生。被爆ピアノ平和コンサートを読谷で行なった時、「父を返せ、母を返せ」とピアノの弾き語りで歌って下さいました。ピアノの演奏だけでなく、沖縄を語っていただきます。

 リレートークは、電車内被爆者の米澤鐵志さん、何度か企画に登場して戴いていますが、80才になられました。ますますお元気で、今年の4月には沖縄の辺野古にも行かれました。4月13日の琉球新報です。

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 そして、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さん。体調を崩されたとお聞きし、心配していましたが、お元気になられたとのこと。良かったです。小林さんにも何度か登場して戴きましたが、今回は福島の現状、そして原発を巡る情勢などについてお話しいただきたいと思います。

 そして、広島からは藤田真弓さんに歌って頂きます。藤田さんは、ソプラノ歌手・オペラの歌手でもあります。

 オペラ「はだしのゲン」でゲンのお母さんの役を演じられました。ところが、今回、はだしのゲンの歌を歌って頂きたくお話ししていたら、ずっと以前、まだお若いころ、オペラ「はだしのゲン」の初演の時「はる」という役で出演なさったとうかがいました。自分の赤ちゃんが亡くなって、近所の人がゲンの被爆した日に生まれた妹「友子」をさらって来ます。その友子を自分の赤ちゃんと思い抱っこして子守歌を歌いながら死んで行くという、あの役です。しかも、その初演の時、藤田さんは、沖縄でもはだしのゲンのオペラを上演したのだと言われました。

 オペラ「はだしのゲン」の再演は、2012年3月。中沢啓治さんが、病を押して、オペラの練習の場に行き、演出の指導もなさいました。そして、本番の時。中沢さんは入院中でした。オペラを鑑に行きたいと言われるも、どうしてもドクターの許可が出ませんでした。そして、その年の12月、中沢さんは亡くなりました。

2012032113163830_ja_1_original 写真は、中国新聞平和メディアセンターから戴きました。藤田真弓さんにアドバイスされる中沢啓治さんです。

明日は、もう少し「はだしのゲン」と「オキナワ」についてオペラを中心にお話ししたいと思います。


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日浦昌道先生が亡くなりました。

「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内を始めたばかりですが。つらい報告をいただいたので、今日はそちらのご報告をさせて戴きます。

 昨日、訃報のFAXが届きました。大学の同級生、一緒に産婦人科に入局し、若い頃は共に学んだ日浦昌道先生が亡くなったと。四国がんセンターで女性のがんの治療に情熱を燃やした人です。

 私は、彼の講演を聞きに行って、ここに 書いています。中でも、強く印象にのこっているエピソードをここに転載しますね。

『その昔、広島の学会で、ある大きな病院のドクターが、進行した卵巣がんの症例報告をしました。もう、治療は不可能。QOL( Quality Of Life ) を考えて、家で余生を過ごすようにと、退院してもらったという内容でした。そしたら、彼が手を上げて、「この人は治療できる」といったのです。当時、会場にいた私たち、誰もがびっくりしました。そうか、彼はこういう人の治療に情熱をかけているのか、と感動で鳥肌が立つ思いがしたものです。』

 以来、私は、進行した卵巣がんの方は、みなさん四国に行ってもらっていました。めざましい医学の進歩で、特に卵巣がんは、新しい抗がん剤がいくつもできて、それらの組み合わせで治療ができるようになっています。あきらめることなく治療をしてくれて、そして何度か病院に訪ねて行ったこともありますが、病室の雰囲気が明るく、みなさん希望を持って治療に取り組んでいました。そんな雰囲気を作り出すドクターでもありました。

 私があることで困り果てて病院に訪ねて行ったとき、また近くで講演をすることがあって訪ねて行ったとき、いつも彼は夜中まで研究室で仕事をしていました。彼には、個人的にもずいぶん助けてもらいました。

 呉に講演を聞きに行ったときには、すでに彼はがんに侵されていると知っていました。人のがんの治療を一生懸命して、自分のがんは後回しになってしまったのです。

 彼は、沢山の人を助け、そしてアット言う間に駆け抜けて去って行ってしまいました。

沢山の本に名医としてとりあげられていますが、ここに国立四国がんセンターの名医紹介があります。この中の日浦先生の所の写真と文章の一部です。

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診察に際して心がけている点①自分の家族と思って診察する
②インフォームド・コンセントは十分な時間を取って行う
③患者さんにとって満足する医療を常に考える。
手術に際して心がけている点①一針入魂を常に養う
②全腫瘍の摘出まで細心の注意を払う
③常に生活の質を考慮した手術を行う。

名医の条件①患者さんと同じ目線で話しかける
②患者さんの気持ちに寄り添える
③患者さんが常に安心できるような質の高い医療を
   提供できる。

趣味食べ歩き、ワイン、ゴルフ、柔道、俳句、旅行(国外、国内)。

特技どこでも寝られる。

私の健康法①十分に睡眠時間をとる

②ストレスをためず、いつも心を穏やかに保つ

③妻と一緒に美味しい食事を楽しむ。

もし医師でなかったら外国航路の船長。

合掌。

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「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内①

今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」のご案内です。YMCA・国際文化ホールで毎年8月6日に行って来た平和の夕べ、今年は8回目となります。昨年は、落合恵子さんにお出で頂いて、大きな感動を覚えました。

 今年は被爆70周年。ヒロシマと沖縄をともに考える会にしたいと考えました。

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 今日から、チラシの部分ごとに、シリーズで少しずつ皆さまにご案内したいと思います。今日は、呼びかけから。お付き合いのほど、よろしくお願いします。

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「被爆ピアノ 平和コンサート&平和を語る会」続です。

被爆ピアノの演奏会は、まず広島のピアニスト三浦裕美さんから。三浦裕美さんには、8.6ヒロシマ平和の夕べでも、二回ほど演奏して戴きました。お目が全く見えない方ですが、そのやさしい音色と、語りには根強いファンがいます。

___1584_2 シューマンの「異国から」、木下航二の「死んだ女の子」、佐藤勝の「一本の鉛筆」、木下航二の「原爆を許すまじ」、東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」を弾いて頂きました。

___1585 続いて、沖縄から来て戴いた仲間直美さんの演奏です。ベートーヴェン「月光ソナタ第1楽章」、ショパン「ノクターン第20番遺作」、沖縄民謡メドレー「なんだ浜~えんどうの花~芭蕉布」。美しい仲間さんの演奏には、聞き惚れ、見惚れました。ミサコのピアノは、また、大きくほっこり包まれるような音を奏でました。

続いて応募して下さった一般参加者による演奏です。

___1586 広島大学4年生の高山律子さん。来年は故郷に帰られますが、広島で4年過ごした記念に何かしたいと思っていた所、この企画を知ったと言われました。力強い演奏で、みんな圧倒され、感動しました。

___1587  続いて、古川悦子さん。熊野町の出身で、今はオリンピックの新体操の音楽の作曲・演奏をなさったり、活躍されています。なんと、御実家が、私の両親が熊野に住んでいた時、三軒隣だったと分かってびっくりです。古川さんは、坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」と、「追悼曲」。これは、関東大震災で亡くなった高校生の遺族に「私に何かできることはありますか?」と尋ねた所、「鎮魂の曲を作って下さい」と言われ、作曲・演奏なさいました。遺族の方たちはこれをCDにして同級生たちの卒業式に配られたそうです。演奏は、まるで津波が来るのが見えるように激しく、悲しく、聞いていて、自然に涙があふれてきました。

続いて、沖縄から広島に来られ、沖縄料理のお店をしながら三線を教えていらっしゃる野原雅吉さんの三線と歌「ひめゆりの唄」でした。「1.広く知られた沖縄の犠牲になった女学生6.無理に心を励ませど体を支える食もなくのどをうるおす水もなし10.とうとう玉砕ひめゆりは地下で共に泣くかしら寂しく鳴いてる夏の虫」と、悲しい歌が三線とともに響きます。

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そして、8.6ヒロシマ平和の夕べの沖縄実行委員の松田忠さんの三線と伴奏と歌仲間さんで「てぃんさぐぬ花」と「涙そうそう」。松田さんは、広島の「のらや」のそばでお好み焼き屋さんをしていましたが、沖縄に移住。今は読谷村で暮らしていらっしゃいます。三線は、10年前から野原さんに習っていらっしゃいました。

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最後にみんなで「花」を歌い、終えました。参加して下さった皆さまのおかげで、感動深い会ができました。この感動をエネルギーに、8.6の本番を迎えたいと思います。皆様本当にありがとうございました。

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「被爆ピアノ 平和コンサート&平和を語る会」のご報告です。

 昨日は、「8.6ヒロシマ平和の夕べプレ企画  被爆ピアノ平和コンサート&平和を語る会」でした。素晴らしい会でしたので、そのご報告です。

 その前に、お知らせです。かき船かなわの移設に伴う訴訟のカンパのお願いですが、事務局から連絡がありました。名義を変更したそうです。口座番号などはそのままです。世界遺産を守る会から「世界遺産・原爆ドームを守る会」となりました。宜しくお願いします。6月20日のブログの名義も書き換えています。

  

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 店番048 口座番号 3050324
 世界遺産・原爆ドームを守る会 
 事務局長 馬庭 恭子様
 

 さて、昨日の会です。

 本願寺広島別院に着くと、たくさんの人でびっくりです。丁度お祭りだったのですね。すでに矢川さんの被爆ピアノのトラックも到着しています。

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 私たちの会場は、本殿の隣、これもまたとっても立派な建物です。中も豪華で、こんな会場を無料で使わせて戴けるなんて、ありがたいことです。

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 開演前の舞台の写真は、やんじさんのフェイスブックから戴きました。

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 心配していたお客さんも、いっぱいに来て下さって、嬉しい限りです。初めに私の話。私は、家を出る直前まで講演に使うスライドを作っていました。丁寧に話せば、一時間を超えるようなスライドですが、講演時間は何と15分。映像を見て戴くだけでもと、すいすいと飛ばしながら。でも、大切な所はきちんと話すようにメリハリをつけながら、きっちり15分で終えました。

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 この後、矢川さんの被爆ピアノのお話。矢川さんは、トラックにピアノを積んで全国で演奏活動をされています。もうこれまでに1400箇所も。国内にとどまらず、ニューヨークにも行かれました。今度、韓国でというお話もあるそうで、ぜひ実現して欲しいことです。 今回のピアノは、ミサコのピアノ。爆心地から1.8キロの千田町で被爆。傷だらけですが、矢川さんの修繕と管理で今も立派な音を奏でます。昔のピアノですから、鍵盤も象牙で創りもしかりして豪華なピアノです。被爆直後に撮られた貴重な写真、この右端にこのピアノがあった家が写っています。

 そして、いよいよ被爆ピアノの演奏です。すばらしい演奏家による、素晴らしい演奏でした。また、明日お話させて下さいませ。

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被爆・終戦から70年〝最初で最後のシャンソンコンサート〟

 昨日は、お昼時間に梶川律代さんのコンサートに行きました。

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「被爆・終戦から70年 今を生きる 77歳の節目 あの時を語り  平和への願いを歌に込めて…梶川律代  〝最初で最後のシャンソンコンサート〟」

___1573 ピアノは梶川さんの歌の先生の沖田義春さん、ゲストに石河内郁子さん。沖田さんは、梶川さんを包み込むように、大きくやさしい人柄が良く分かって素敵でした。

 梶川さんは77才、原爆の時に小学校1年生。石河内さんは6年生。中広でお父様とお兄様を亡くされたそうです。

 コンサートは、気持ちがこもって素敵でした。被爆の体験についても、はじめで最後の語りだと。一年生の記憶はとても鮮明でした。私がこのコンサートについてご案内したときの間違いもありました。

 被爆直後、見上げたのは、下から湧き上がる雲、私は真っ黒と書きましたが、そうではなく、オレンジ色の雲が次々と湧き上がったと。これは、核融合だったのではないかと思っていると。向こうに真っ赤な大きな太陽があったと。ボーッと見上げているとやがて黒い雨がポツポツと降って来て、お母様が悪い雨かもしれないからと、わらを積んだ中に隠してくれたと。

 その何日か後に、音戸のお父様の実家から、船で迎えに来てくれたと。本川の雁木のある所に行って船に乗ると。川岸の両側には沢山の真っ黒い遺体が沢山、ずらりと並べられてむしろやトタンがかけてあったと。船は、たくさんの遺体が浮いているのを避けながら、音戸に向かったと。水色のセーターを着た少女の遺体がパンパンに膨れていたと。

 音戸に着くと、広島の方向に灰色の雲が抑えるように覆いかぶさっていたと。それを振り返り振り返りしたと。私には、一年生の少女の姿が目に浮かびました。

 終戦後、また船で帰った時、今度は並んでいた遺体も人々も全くなく、瓦礫の中に動く物が何一つなく、宇品の方向のガスタンクのそばから頼りない煙が登っていたと。動く物が無い、瓦礫と静寂にとてもショックを受けたと。そのようなことを話されました。

 そんな話を聞かせて戴いて、透明な声の歌を聞かせて戴いて、本当にありがとうございました。3時からの診療があるため、一部のみで帰らなければならず、残念でした。

 今日は、私たちの「被爆ピアノ平和コンサート&平和を語る会 in広島別院」です。私は、まだ語るためのスライドが出来上がっていません。語りたいことがあり過ぎて。さあ、今から追い込みです。

 

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かき船かなわの移設提訴・続です。

昨日の続きです。提訴は各マスコミにとりあげられましたが、この写真は、読売新聞の記事です。

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 (6) 原爆ドームが世界遺産に登録された経緯や意味、バッファーゾーンの持つ意味を正確に理解していれば、河川敷地占用許可準則第22・5項に定める「地域の合意」を云々するまでもなく、最低限、広く広島市民を対象に事前説明を行い、コンセンサスを得なければならないはずである。

 ところが、実際は、後述の「かき船」の新設置場所の目の前であるマンションの住民や、中区大手町二丁目の住民、先の「原爆犠牲ヒロシマの碑」の管理をしている人たちに対してすら、事前説明は行われていなかった。

 原告らの中には、「かき船」の新設置場所の目の前のマンションの住民らがいるが、誰一人として「かき船」新設置について、事前の説明を受けた者はおらず、気がついたときには本件各処分が出ていたというのが実態である。

 このような原告らは、河川敷地占用許可準則第22・5項に定める「地域の合意」の対象となる者たちであり、ひいては処分は違法であることを主張する利益を有している。

 (7) また、「かき船」の新設置場所の目の前のマンションの住民や、大手町二丁目の住民らにとっては、台風や集中豪雨の際に、護岸に稽留されている「かき船」が濁流に揉まれ、護岸に激突して護岸を損傷させ、河川の濁流の侵入を受ける危険性が予想される。(以下略)

以下、2から10まで経緯の説明や法令の遵守、世界遺産条約の違反や河川敷地占有許可準則の違反などについて、詳しく書かれていますが、略します。

 ただ一つ。太田川デルタの河川には、「死水域は計20箇所、内国の管理で13箇所、県の管理で7箇所もあり、何も新設置場所はここしかないということではない」そうです。
11 おわりに

 広島市は、国際平和都市として、平和記念公園の整備や原爆ドームの保存を行い、毎年8月6日には平和祈念式典を開催し、広島市長が世界に向けて「平和宣言」を発信し続けて来た。それゆえに、広島市は、原爆ドームの世界遺産の登録により、世界遺産条約により国に義務づけられた内容について、国以上に原爆ドームの世界遺産の保存及び保護する義務を負っているものである。

 ところが、本件各処分の至る経緯に置いては、なぜか公平性の求められるはずの広島市が、きわめて積極的に「かなわ」のかき船の新設置の実現に向けた関与が見られる。

 そして、国土交通省中国地方整備局長は、広島市のお膳立てをそのまま唯諾々と受け入れるだけで、河川法や河川敷地占用準則に則って厳格な手続きを行わなっかったため、河川法・建築基準法・景観条例・世界遺産条約などに違反する違法な本件処分を出してしまった。

 よって、被告は、自ら本件各処分の手続きを見直し、直ちに親まりを認めて、本件各処分を撤回すべきであるが、それを被告がしない場合には、本件各処分はただちに取り消されるべきである。

 以上です。

 私自身、この訴状を読んでとても勉強になりました。一部しか紹介できず、すみません。

この裁判を見守り、原告の方々や弁護士さんたちに頑張って戴くためにも、カンパをお願いします。振り込み先は次の如くです。

 広島銀行広島市役所支店
 店番048 口座番号 3050324
 世界遺産・原爆ドームを守る会  事務局長 馬庭 恭子様

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かき船かなわ移設提訴されました。

 これまでもたびたびご報告しているかき船「かなわ」の移設の問題、6月11日に広島地方裁判所に提訴されましたので、そのご報告です。

___1571  この度、提訴された訴状のコピーを戴きました。訴状は、25ページにも及ぶ膨大な物ですが、全文、胸を打つ名文と言ってもいい物です。皆さまに一部だけですが、抜粋してお知らせします。

 そして、裁判には、膨大な訴訟費用が掛かります。原告19名はお金を出し合っていますが、とても足りる物ではありません。その費用のカンパの要請もあります。よろしくお願いします。

第1 請求の趣旨

 1 国土交通省中国地方整備局長が平成26年12月12日付で株式会社かなわに対してなした河川占有許可及び工作物の新築などの許可処分を取り消す。

 2 訴訟費用は被告の負担とする。

 との判決を求める。

第2 請求の原因

 1当事者

 (1) 1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下による惨禍は、その記憶が風化してしまわないように、普段の努力によって語り継がれなければならない。記憶は失われるものであるが、失ってはならない記憶は確実にあるのであって、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さは、まさに失ってはならない記憶である。なぜなら、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを忘れれば、戦争をすることや原爆をはじめとする核兵器の使用を躊躇う理由が無くなり、再び取り返しのない惨禍を招くことになりかねないからである。

 (2) 原爆ドームが、核兵器による破壊と戦争の悲惨さを後世に伝える場所として世界遺産に登録されたのも、被爆者の慟哭と死者への鎮魂、被爆の実相を世界の人々に伝える負の遺産として、歴史的な役割を持っているからこそである。

 そして、原爆ドームの世界遺産登録は、決して自然発生的になされたものではなく、広島市民一人一人の思いとそれに賛同した全国各地の市民の努力が、国会・日本政府を動かし、世界に伝わったからである。

 (3)略(4) 原告らの中には、現に8月6日に原爆の惨禍を体験した者がいる。原爆ドームとその周辺を「鎮魂と平和への祈念の場」として最も強く受け止める者は、原爆による被爆の体験をした被爆者である。被爆者の鎮魂と平和の祈りは、人間の尊厳に関わるものとして尊重されなければならないが、それは被爆者の人格的利益といってよいものである。

 またある原告は、原爆によって、当時、現在の加古町にいたはずの父親が行方不明となったまま帰らなかったが、もし父親が水を求め、火を避けて川に逃れていれば、まさに今の平和公園の側を流れる川の何処かに、父親の遺骨が今もなお眠っているかもしれない。このように元安川をはじめ、バッファーゾーン内が、原爆で亡くなった肉親が眠る場所である者にとっては、そこで酒食が饗される施設の営業がなされることは、堪えがたい苦痛である。

 (5) 後述の「かき船」の設置場所は、バッファーゾーンの中でも、「原爆犠牲ヒロシマの碑」の目と鼻の先であり、元安川の中に散らばった原爆瓦の発掘現場である。

 この「原爆犠牲ヒロシマの碑」は、高校生を中心にして、広く広島市民が参加してすすめられた原爆かわら発掘運動の成果として、1982(昭和57)年に建立されたものである。

 原爆瓦発掘運動・「原爆犠牲ヒロシマの碑」建立運動に参加した若者たちはもちろん、「原爆犠牲ヒロシマの碑」の前に立つ現在の若者たちも、火ぶくれ、泡だった原爆瓦を見て、原爆の惨禍を想像し、被爆死を遂げた犠牲者の無念を思い、核廃絶を決意し、世界平和の実現を誓うのである。このように、「原爆犠牲ヒロシマの碑」は、鎮魂・継承・学習の碑と位置付けられ、原爆犠牲者の鎮魂と被爆体験の継承、平和学習の象徴となっている。

 そして、原告らの中には、この原爆瓦発掘運動を開始し、高校生達をリードし、「原爆犠牲者ヒロシマの碑」建立に関わり、その後の碑の維持管理や保全を担ってきた者がいる。

 この「原爆犠牲ヒロシマの碑」の前に、河岸緑地の樹木を切り倒し、原爆瓦がまだ川底に残る元安川の中に、料亭船の「かき船」が新設されることは、鎮魂・継承・学習の碑としての意味を全く失わせるに等しいものであり、原告らにはその行為を止める権利や責務がある。

 (長くなりました。明日に続きます。)

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広島別院・川崎・8.6ヒロシマ平和の夕べプレ企画

 5月21日のこのブログでお知らせしましたように、6月21日、本願寺広島別院での「8.6ヒロシマ平和の夕べ~プレ企画~被爆ピアノ平和コンサート&平和を語る会」を行います。沖縄からもピアニストの仲間さんにも来て頂き、一般の方の募集もいたしましたが、そのプログラムが決まりましたので、お知らせします。

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 募集に応じて下さった古川さんは、6月25・26日に同じく広島別院での「震災で消えた小さな命展」での演奏もされます。

 申し訳ないのですが、参加費1000円頂きます。どなたでも参加できます。どうぞ、多くの方にお会いできますように。

 その一週間後6月28日には、神奈川県川崎市にて平和の夕べプレ企画を開催します。

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 松本正さんは、横浜市原爆被災者の会事務局長であり、私の高校の前身・広島二中の先輩でもあります。白石清治さんは、福島でも、障がい者の支援を行っていらっしゃいます。皆さまにお会いできることを楽しみにしています。よろしくお願いします。

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双葉町前町長井戸川さんのお話し。

 昨夜は、福島県双葉町の前町長井戸川克隆さんが広島に来られているので、急きょ集まった人たちで井戸川さんの話を聞きました。

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 井戸川さんが広島に来られたのは、まず第一に健康診断です。被曝なさった江戸川さんの健康状態はどうなのか、みんなが心配する所。広島の地で、全身の検診を受けていらっしゃいます。その間を縫うようにして、私たちに話をして下さいました。

 町民に放射能被曝をさせないように、事故前から国と東電にはきつく要求していたこと。彼らは、絶対に大丈夫と言い切っていたこと。

 双葉町に設置されたモニタリングポストによると、事故前と比較すると、9万倍以上の線量を双葉町民は直接かぶったこと。

 4年たっても何も変わらない福島の人たちの苦しみをそのままにして、全国の原発は再稼働をしようとしていること。その再稼働の条件のと一つとされている、事故が起きたときの避難計画など、何の役にも立たないこと。それは、長期化する避難先での生活を前提にしていないから。

 それから、美味しんぼの鼻血の事も、鼻血が出るのは本当のことであり、何らのウソも描かれていないこと。などなど。

___11_1015x1280  井戸川さんの熱い思いを沢山聞きました。

 参加され方々にも、いろいろな話を聞かせて戴いて、勉強になりました。参加して本当によかったと思っています。後は、自分の実践をどうするか、その課題を与えられたと思います。

 昨日は、お昼時間には広島市役所に行きました。久しぶりの市役所。職員の方にお会いして書類を提出しました。一人だと心細いので、市会議員の馬庭さんに付き添ってもらいました。とっても感じよく対応していただきましたので、きっと近いうちに皆さまに朗報をお伝えできるだろうと思います。その時にはまた、キチンとご報告しますね。



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「むろか」初体験。

 もう一週間も前になります。遊布戀さんのお連れ合いが緊急の病気から復活なさって、そのお祝いの会にお呼ばれしました。私は何にもしなかったのに申し訳ないと思いながら、参加させて戴きました。みなさんのブログを読んで、一度は行ってみたいと思っていた「むろか」です。

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 心身共に大変なストレスで頑張っていらっしゃる最中の緊急の事態でした。まだまだ行動制限がある中での初めての遠出(?)で招待して下さったご本人のご挨拶。

「私には二度目の誕生日。一度は、両親から、生を受けて。そして、今回はみなさんのおかげで、二度目の誕生を迎えることができました」と、何をして差し上げたか、一人ひとりのことを言われましたが、それを私は身がすくむ思いで聞きました。

 お料理は、さすが、なかなか予約が取れないと言われている所だけあって、それはそれは。

___1561 初めからびっくり。最中の中は甘い?と思ったら、サラダ風のお料理が入っていました。そして続いての前菜もびっくり。これはすごい。もうこれだけでお料理は終わってもいいほど。帆立と若布の酢味噌和え、高宮鶏コロッケマスタード、梅カリ厚揚げ寿し、フォアグラと白肝のフラン、枝豆の摺流し、姫サザエの壷煮、お野菜の鰹ジュレ、ちりめんとお魚リエット、おさかなの煮付け大福。

___1563_2 そして、お刺身にまたウワァと歓声です。大きな竹を半分にした長い器に、きっちり人数分が乗せてあります。トマトのカープの帽子も。あわびの丸ごとのお刺身なんて初めて。まだまだ続きます。

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 とうもろこしの芯の所にはお料理が詰められています。それに食べやすくいくつかに切ってあって、心遣いや遊び心が素晴らしい。にこにこと笑顔で完食です。小さなオリにはチラシ寿司。モズクのお吸い物と一緒に。

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 遊布戀さん、素敵なご家族の皆さま、おかげ様でむろか初体験、おいしく楽しいひと時を本当にありがとうございました。遊布戀さんもお父様もどうぞご無理をなさらないで、ゆっくりと長生きをされますように。

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被爆70年24時間チャリティー・コンサート

すでに広島ブログの「タウンNEWSひろしま平和大通り」でも工場長さんから告知されていますが、私のブログでも皆さまにお知らせします。

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決定した出演の皆さまと、出演時間は次の如くです。さまざまなジャンルから、200人もの方々がボランティアで出演して下さいます。広島在住の方のみならず、全国から。あの三枝成彰さん主催、奥田瑛二さんや辰巳琢郎さんなどの俳優さんや江田五月さん、羽田孜さんなどの政治家や、沢山の会社社長さんなどが参加している六本木男性合唱団倶楽部などは、60人もの方々が、交通費も宿泊費も自分持ちで参加して下さるという情報が入っております。ただし、メンバーのどなたが参加してくださるかは、知らされておりませんが。

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ホームページはここにあります。チケットは、県内プレイガイドで、また、実行委員の各個人も販売しております(私も)。

 どれだけの方がチケットを買って下さるか、どれだけの方が聴衆として参加して下さるか、このコンサートが成功するか否かは、それにかかっております。どうぞ、皆様よろしくお願いします。

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辨天娘の甘酒

 一週間前の、日本酒めぐりの時のこと、少し書いたのですが。三軒目に行ったとき。鳥取のお酒やさんだと。その受付に座っている方とナナパパさんが話をしているのをボーッと聞いていました。「若桜町」、「この桜って、なんと読むの?わかさちょう・さと読むの、ふーん」というのを。何気なく聞いていて、そして中に入って、お酒を飲んでいて、アッと思いました。鳥取のお酒?それで、中にいらっしゃる酒蔵の方に尋ねました。

「あの、どなたか竹鶴に嫁がれませんでしたか?」と。そしたら「はい、嫁ぎました」というお返事が返って来ました。

 実は、先日息子たちが帰ってきて、一緒にカープに行ったり、牡蠣をたべに行ったりして、最後の日、瀬戸内海のどこかに一泊したいと、それで、大崎上島の清風館に泊まることにして。その前に竹原の竹鶴に行きます、と言います。うん?マッサンの竹鶴、どうしたの?そしたら、ママが、「竹鶴の社長と親戚の女性が結婚しているのです」と言いました。父の実家が鳥取でお酒を造っていて、そこの娘さんが東京の大学に行って、日本酒愛好会みたいな部活で竹鶴の息子さんと知り合って、それで結婚したのだと。

 ママのお父さん、鳥取出身とは知っていました。孫が生まれたときにも、曾おばあちゃんに会いに鳥取に行くとか、鳥取からいつも梨を送って戴いたりとか。でも、御実家が酒蔵だとは知りませんでした。

 それだけで、何というお酒をつくっているのかとか、なんにも聞かないままでした。ただ、鳥取という、それだけで、違っていて元々と、どなたか竹鶴に、と聞いたのです。そしたら、あんまりズバリなので、本当にびっくりして。私が突然、一体何を言うのかと聞いていたみなさんもびっくりして。なんというご縁。そもそも17軒中7軒しか行かなかった、その中の一軒。それにお父様の実家がお酒を造っていらっしゃるなんて、この前息子たちが帰って来るまで知らなかったのが・・一気にこんな偶然。この方の妹さんが竹鶴の社長のお嫁さん。

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 その偶然にびっくりして喜んで下さったママのお父様から、こんな物が送って来ました。

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 辨天娘の、米麹だけで作った甘酒です。お酒に弱くて甘党で、甘酒大好きの私に、ノンアルコールで、濃厚な甘さのを。ありがたく戴きます。ほんの一週間前にはこんなことも知らないままだったのに。今日は、鳥取の甘酒を戴いていて。こんなことってあるのだなあと感慨深いものです。

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「まど居」でウニホーレン。

 今朝は、ブログの更新ができなくって、今、やっとお昼時間で、カップ麺を掻き込んで(暑いです)、パソコンに向かっています。いろいろと情けないことや腹の立つことがあって、それが気分を悪くさせて、眠れませんでした。そしたら、なんと明け方にツルッと眠ってしまって、ぎりぎり通勤に間に会ったという次第です。

 さて、こんな時には難しいことは書きたくないものなので・・・そう、食べ物の話です。

 先日、性教育指導セミナー、今年の夏全国大会を広島でするという件は何度もご報告していますが、その司会をして下さる方と、実行委員との打ち合わせ兼会食をしました。
場所は流川の「まど居」。鉄板焼きのお店ですが、和食も。カウンターの奥に個室があります。

 ここは、前産婦人科医会の久松会長の高校の同級生がしていらっしゃるお店だそう。

テーブルを囲んで話がとても近くてよく弾みました。話したり、食べたり、飲んだり。

 ここの名物は、そう、「県民ショー」で広島名物と言われても、みんながうん?そう?食べたことないけど、と言っていた「ウニホーレン」。

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 炒めたほうれん草の上に、ウニが一枚、豪快に乗っています。これを混ぜながら、また、薄いトーストの上に載せて食べてもいいと。それは美味でした。

 ある日、久松先生が、大学病院の若い女医さんお二人を連れて流川を歩いていると、突然、テレビのインタビューが来て「ウニホーレンって知っていますか?」といわれたのだと。「ええ、知っていますよ。僕、いつも食べています」と言って、このお店を教えて上げたのだそうです。その」「ええ、しってますよ、」がテレビに流れ、そして「ヒロシマ県民は、ウニホーレンを食べている」となったのだそうです。私は、もう一軒、ウニホーレンを食べたことがありますが、ここの方がうんと豪華でした。

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 コウネのお刺身とアワビのガーリック焼き。両方とも絶品。

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 ひれステーキとロースステーキ、みんなで分け合って食べました。

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 豚の角切りチャーハンと縮緬ごはん、これらも分け合って。普通の居酒屋と一風変わった料理をおいしく戴きました。私は梅酒を二杯、先生方はビールを。話しがずいぶんまとまって、さあ、本番が楽しみになって来ましたよ。

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ひまちゃんとランチ。覆面パトカー。

 ひまちゃんがとてもつらいとの情報がありました。今、フェイスブックもブログもできる状況ではないとのこと。ひまちゃんから、事実だけをみなさんにお知らせしてほしいという希望なので、ここに書きます。

 ひまちゃんの義父、トラ吉さんのお父様が急に亡くなりました。トラ吉さん亡きあともひまちゃんにとてもよく気遣いをして下さる方でした。私たちがお家にお邪魔しているときでも、畑で作ったお野菜をどっさり届けたり。

 トラ吉さん、お父様、そして今度は義父。次々とつらいお別れがひまちゃんを襲っています。どうしてひまちゃんばっかり、こんなにつらいことが起こるのでしょう。

 昨日、急きょ、音♪さんとのりたまさんと一緒にひまちゃんに会いに行ってきました。午前と夜に予定が入っていましたが、お昼なら大丈夫。そして、四人で高野の道の駅に行って、遅いお昼ご飯を食べました。高野の道の駅は、みんな大好きな所。

 車の中や食事をしながら、おしゃべりもいっぱいして。ひまちゃんは、よく食べましたよ。ひまちゃんの食べたヒバ牛のステーキとのりたまさんと音♪さんが食べたハンバーグ、私が食べたヒバ牛のすき焼き。

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 両脇に座ったのりたまさんと音♪さんが次々と食べさせてあげて。ひまちゃんは、二人が追い付かないほどよく食べましたよ。そのうち、笑顔も一杯になって。笑いながら楽しく戴きました。

 その後は、みんなお野菜や食べ物を沢山買って帰りました。私もソラマメ、みょうが、切干大根、ラディッシュ、それに乾燥りんごやアップルパイなど、どっさり。

 帰りの車の中では、ひまちゃんは音♪さんの肩に頭を載せてウトウトしながらでした。

 ところで。三人でひまちゃんをお迎えに家に行って、車いすを車のトランクに入れて、後ろの座席にひまちゃんを真ん中にして三人。ちゃんとシートベルトをしてもらって、三次に向かって高速道を走っていると。

 突然、私のパックミラーに。後ろをついて来た白い車が、本当に突然、真っ赤になったのです。上に赤い警告灯が点灯してくるくる回って、ヘッドライトも真っ赤になって。なんと、覆面パトカーです。瞬間、ブレーキを踏みました。

「ああっ!私、捕まった。ごめん。ごはん食べるの遅くなる。わあ、ゴールドが消える。あーあ」

 パトは私の横に来て、何かしゃべりました。なんと言ったのか分かりません。そして私の前に来て、延々と走ります。いつまでも走ります。どこまで?ああ、PAに入るのね、やっぱり。PAに入って止まり、私も後ろに止まりました。二人の警察官が書類を持って降りて来て。やれやれです。窓を開けて、ドアを開けようとすると、車の中を見渡して、

「降りなくてもいいです。免許証を見せて下さい」と。免許証を出すと、「はい、河野さん。ここは80キロ規制ですからね。お宅は早く気づかれたけど、もう3秒遅ければ、捕まっていました。」と言われました。スピードメーターの計測中に私が気づいてブレーキを踏んだので、ぎりぎりセーフになったようです。「それから、河野さんは前の車に近づきすぎます。距離をもう少しとって下さい」とも言われました。「はい、気をつけます」としおらしく言いましたよ。内心、やれ助かった!!と喜びながら。のりたまさんは「いい思い出になった」と言われたけれど、まあ、顔が引きつりましたよ。帰って報告すると、夫は「君はいつもスピードの出し過ぎだ」と言いました。はい、もう年なので、気をつけようと改めて自分を戒めましたよ。

ひまちゃんにとって、心がつらいのが癒えるのには、時間がかかると思います。時間が最大の薬でしょう。それまで、つらくとも耐えるしかないのだと思います。残酷ですね。

 もう少し時間があれば、備北丘陵にお花を見に行ったりできたのですが、ごめんね。食べることだけで。またどこかに行こうね、とお話しして帰りました。

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最初で最後のシャンソン・コンサート

 被爆70周年の今年、さまざまなイベントが企画され、実行されています。大きいのも小さいのも、音楽も語りの集会も美術も・・・。

 今日は、お一人の被爆者のシャンソンのコンサートのご案内です。

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 梶川律代さんは、あの日、おうちの引っ越し中でした。舟入から観音へ。律代さんは、妹と押入れに入って防空壕ごっこをしていたと。その時に原爆が落とされ、だから助かったのだと。 真っ黒い雲がモクモク上へ湧き上がったのを下から見上げたと。お父様は爆死。外にいたお母様はその三年後に亡くなりました。孤児になった幼い姉妹はばらばらに。律代さんも親戚の中で育ちました。

 律代さんは、このコンサートで初めて被爆の事を語ると、そしてそれは最初で最後だと言われています。

 私は、この頃、カルテの保険の欄に「原爆」と印鑑が押してある患者さんに被爆の時の状況を聞くようにしています。その時に分かったのですが。

 律代さんは、私と同じ中学校でした。そして、なんと、私の兄と同じ学年、そして同じ部活だったのです。放送部。

 そして、先日、中学のアルバムを持って来て下さいました。その一枚に兄と律代さんが並んで写っていました。そして。さらに、恩師の写真。その後に私が入学したときにいらっしてお世話になった先生たちも沢山写っていらっしゃるのです。私の時には中学のアルバムはありませんでした。何しろ、団塊の世代。一クラス63人で一学年13クラスなのですから。みんなの写真を撮るなんて不可能に近いことです。そして、その頃はまだ写真を撮るなんて全然日常的なことではなくって。だから、その頃の恩師の写真なんて私の手元には一枚もありません。

 アルバムを接写させてもらいました。

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1954年、被爆から9年目のアルバムです。この頃、シベリアから帰って来た先生もいらっしたし、私の担任は、ニューギニアからやっと帰って来られた方でした。だから、授業の合間に脱線して話される戦争の悲惨さにも力がありました。

 梶川律代さんのコンサート、たくさんの方が来られるといいのですが。私も、昼休みの間だけですが、行くつもりでいます。



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地ぐ酒ぐ(JIGUZAGU)の続きです。

___10_768x1024  「地ぐ酒ぐ」続きを。これは一緒に回った方々の写真、ナナパパさんに送って戴いたものです。

 お酒の説明をして下さった竹鶴の石川杜氏さん、もうずいぶん前に今は亡き原さんの「のらや」で竹鶴を飲む会があって、その時に来て下さいました。何と、それに出席した私を覚えていて下さって、声をかけて下さいました。それまで私はそんな会があったことを忘れていたのですが、あっと思い出しました。マッサンが放映されて見学者がずいぶんと大変らしいと聞きました。お酒、とろりとした茶色で、やっぱりおいしかったです。

 次は「そらや」で島根益田の扶桑鶴とバイ貝の旨煮。ここでは、私は扶桑鶴のにごり酒の熱燗を戴きました。にごり酒の燗、おいしい! そして6軒目、「きがる屋」で西条の亀齢とサザエのなめろうを戴きました。ここは立ち飲みでなく、椅子があってありがたくて。

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 ここでは、聞いたこともないようなあてが沢山。これはふぃーゆパパさん(北村弁護士さん)の亀齢を使った鮎の酒浸し。他にもピスタチオの豆腐や変わり刺身(海苔で巻いてありました)などそれぞれ違ったものを頼みましたが。私は何といってもサザエがどうやってなめろうになるのだろうと興味一杯で。キモが一緒に叩いてあって、小さなサザエがコリコリと主張しています。絶品でした。

 さらに7軒目。「四季祭」で北広島町の八重の露と豆腐の味噌漬けを。カツオのオイル漬けのサラダを頼んだ人も。でも、豆腐の味噌漬けが沖縄の豆腐ようのようで、おいしかったと思います。サラダを頼んだ人は失敗したと言っておりました。ここは、急な階段の二階。よっこらさと登って、まあしんどい。

___1533 この後、いったん三越に戻ってトイレタイム。私はロッカーに荷物を出しに行って、その前のソファに座りました。体はしんどいばかり。お酒で気持ち良くなるって、一体どんなのかしらなんて思いながら。そろそろリタイアしよう、だって、時々視野が暗ーくなっているので、倒れてしまうかも。そしたら迷惑をかけるから。

 で、これで私はお終いです。行事は午後9時までというのに、私は3時でお終い。情けないことです。ちなみに皆さんは、14軒回ったそうです。後で見ると、「焼きゴマ豆腐のウニのせ」なんて、絶対食べてみたいあてなどもあって、少々残念でした。

 私は、電車でクリニックまで戻り、患者さん用のベットに潜り込んで、アイパットでカープのネット中継をみながら、うとうとしました。

 来年?さて、どうしましょう。もう少しお酒を飲むことを鍛えてからかな?

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地ぐ酒ぐ

 一昨日の日曜日、あろうことか、下戸の私が、日本酒を飲み歩くという広島酒場めぐり「地ぐ酒ぐ」に参加したのです。元より下戸かどうかは分からないのだけれど、調子が良い時には、飲んでも平気というときもあるのだけれど。

 勤務医の責任者を10年やった時、絶対に呼び出されない日、年に数日あるかないかという日以外は、酒を飲むことは禁じていましたので、まったく体にアルコールが入るという経験がほとんどない状況を続けたので・・・。

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広島の17軒の酒場と、17蔵の蔵本さんが参加されました。1000円のリストバンドを腕に着け、戴いたペットボトルホルダーを首にかけ、いざ。

 ナナパパさんを先頭に計8名。三越に12時に集合。私は何にも分からないので、ただついて行くだけです。何しろ詳しいナナパパさんにすべてお任せです。

 戴いたとお酒と突出しの写真を。一店舗で500円ずつお払いします。チョコは90CC入ります。とても無理。はじめっから、ナナパパさんに少しずつ飲んでもらいます。

 まず、お寿司屋さんのキヨ・マサさんで寶剣と巻きずし、マグロの漬けの握りずし。いぶしぎんで瑞冠とエビとホタテのパテ。

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いちかで鳥取の弁天娘と鶏皮の塩煮込み。弁天娘の太田酒造さんにご縁があるのが分かって、びっくり。私の遠戚になります。続いて嬉一で竹鶴と竹鶴で煮た熟成牡蠣と豚のリエット。これがサンドイッチになっていて、うーん、美味。ここでは竹鶴の石川杜氏さんがお酒の説明をして下さいました。

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 と、ここまでは何とか調子良かったのですが・・・。そろそろ息がはずんで来て・・・。体が苦しくなり始めました。何しろ、歩く、階段を上がる・・・。運動付きの酒めぐりです。でも、もう少し回ったので、また続きをお話ししますね。時間がなくなってしまいました。

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かき船かなわの移設の続きです。

 かき船かなわの移設につき、広島市が住民に説明をするためのスライドにはこんなのがありました。

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 これの最後の「人々が集い、憩う場、都市の賑わいの場(来広者へのおもてなし)」苦笑してしまいます。接待で、黒塗りのハイヤーがずらりと並んで、それで「賑わい」で、おもてなしだそう。それなら、なにも原爆ドームのすぐそばでなくともよろしいのでは?

 これまで、多くの方から広島駅のそばの猿猴川の方がいいのではとの意見も寄せられています。

 また、日本イコモス国内委員会が委員長名で広島市長宛てに出した「世界遺産原爆ドームバッファーゾーン内における牡蠣船移動設置への懸念表明」。これについても、松井市長は、真摯に受け止めることなく、「ある意味、個人的な価値観で話しているのでは」とイコモスに疑問を呈しています。(1月16日付朝日新聞、中国新聞) なんと、イコモスの表明に対し、こんな言い方をするなんて、失礼にもほどがあると思いますし、ことの重大さが分かっていないのではと思います。 

 水道管を通す工事などが必要になりますので、市の許可が必要なのですが。市長は、この懸念表明が出された後、選挙があり、それに受かるとすぐにゴー!!の指示をだしたのですから。イコモスの懸念表明を全く無視したことになります。

 昨日お話ししたファンド、これは日経新聞では、移転の費用と書いてありましたが、ファンドを調べると、新規かき船の設計料として600万円でした。

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 今、原爆ドームの世界遺産を守るべく、住民の方々が署名集めをし、近々訴訟を起こすべく急ピッチで準備をされているようですので、これは司法の手にゆだねられるでしょう。これからも、見守って行きたいと思いますし、ここに情報を発信し続けたいと思います。
 

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かき船かなわは移転したらどれだけ儲かる?

昨日のかき船です。すっぽりと覆われてしまって、工事の中は見えませんが。ちょうど通りかかった客船と比べても、やはり大きい!です。

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 でも、私は右側に着目。重機で何をしているのでしょうか。ちょっと寄ってみます。

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 あれえ?赤と白の柱を二本立てて、川底を重機で掘ってる?ちょっとお、ここはまだまだ被爆瓦、瓦だけでなく、やけどの体を冷やそうと川に飛び込み、亡くなって行った人たちの、学生服のボタンだとかも一杯沈んでいる所ですよ。ここをかき船の本体の設置のために踏み潰し、そしてまだ離れた所も掘っています。何なのでしょう。

 疑問が次々と湧いてきます。この辺りは住宅地として静かな一等地です。単独ではとても払えないほどの固定資産税、だから、皆さんマンションにして共同で固定資産税も払っているのですが。

 それなのに、河川であれば、固定資産税はかからないのだそうです。河川の使用料としてほんのわずか請求されるだけだと。動くこともできず、どうみても船ではなく、固定した建物ですが。

 そして、こんな記事を見つけました。先月、今年の5月13日の日経新聞電子版です。

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 老舗料亭「かき船」は、移転費用をネット、ファンドで募集すると。でも、この記事でびっくりしたのは、

『売り上げ実績は2015年3月期に約1億6700万円の見込みで、移転後の3年目に年間で2億6100万円に伸ばすのが目標だ』

という、これなのです。わあ、一年で一億円も増収するためには、計算すると、一日に約30万円の収入増にしなければなりません。移転したら、これだけ儲かるとの計算でしょうか。

 明日もまた、この件、続きます。

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会員の夕べで韓国料理をたらふく。

 広島県日韓親善協会では、年間を通してさまざまな活動を行っています。特に、今年のフラワーフェスティバルでは、韓国・大邱マダン(ひろば)開設。4日には「大邱の日」セレモニー(カーネーションステージ)。大邱市立交響楽団野外演奏会(原爆ドーム前野外演奏会)、大邱訪問団歓迎夕食会(リーガロイヤルH)、 5日大邱市立交響楽団演奏会(フェニックスホール)などを行いました。中でも、フェニックスホールでは超満員の人々が感動に包まれたと。(私はソウルに行っていて、参加できませんでしたので、伝聞です)

  まだこれからも、毎年の広島韓国青少年囲碁交流、広島・大邱青少年交流、広島日韓(韓日)マダン「スピーチ&交流」、忘年・会員の夕べなどが予定されています。

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 会員の夕べは、さらに沢山の人の参加で、一杯です。ホテルの料理に加えて、李菊枝先生や民団のお母さんたちの手作りの韓国料理も並んで、大人気でした。私も、ソウル以来の韓国料理を沢山戴き、さらに残ったキムチまで戴いて帰りましたよ!!

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知らなかったのですが、会には南一誠さんが来て歌って下さいました。びっくり。直接の一誠さんは久しぶりです。うれしくって。一緒に写真まで撮って戴きました。

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 国連からも人種差別である、対策をとるように指摘されているにも関わらず、政府は未だになんにもしないで放置しているヘイトスピーチ、相変わらずの安倍首相、対立をあおるだけのマスコミ、そのような中でも、国民同士は仲良くして行けることを再認識しました。同時に私たちがすべきことは何なのか、考え、行動しようと思いました。

 関係者の皆さま、ありがとうございました。おかげさまで大いに楽しむことができました。今度は忘年の夕べを楽しみにします。(昨年参加して大変だったスピーチコンテストは、もう出ないと思いますので・・・)

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日韓国交正常化50周年記念講演。

 昨日は、広島県日韓親善協会の総会、講演会、会員の夕べでした。これまで長い間会員ではあっても、いつも総会は仕事と重なっていて参加できませんでしたが、昨日は、ちょうど木曜の休診日。初めて総会にも講演会にも参加しました。

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 駐広島大韓民国総領事館・広島県日韓親善協会主催「韓日国交正常化50周年記念特別講演」「韓日関係50年とその未来のために」。講演会には沢山の人たちが参加しました。

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 講師は孔魯明先生。元外交部長官。1032年生まれ。ソウル大学卒業後58年外務部入り。ロシア大使、駐日大使などを歴任。現東アジア財団理事長。1965年日韓条約締結の際、国交回復交渉の実務に当たられました。

 長年にわたる日韓両国の関係・歴史を見つめて来られた方です。

 これまでの両国の50年の分析と、これからの50年への提言でした。外務部での日韓交渉の裏話なども含めて、改めて事実関係を整理することができました。

 丁度私が大学に入学した年。学生運動で「日韓条約締結を阻止しましょう」というのに、なぜ?という素朴な疑問を持ったものです。

 それは、これまでの日本が韓国他のアジアの国々の植民地政策によって散々迷惑をかけてきて、その反省もなしに表面上の国交回復をしようとする日本の指導者たちに対しての学生からのノーでした。

 孔先生の話は、まず現状から入られました。国交正常化50周年。「ともに開こう新しい未来を」。しかし、現状は2012年以来の両国関係は、この50年間で最悪の状況になっていると。

 3年間、両国の首脳会談は開かれないままである。安倍氏の言い分、朴氏の言い分。それを何とか打開しよう、流を変えようと今年3月、「賢人会議」が持たれている。日本からは森・福田元総理、韓国からは李洪九元総理などが出席していますが、未だ成果を上げていない。

1951年、国交回復のための第一次会議で、韓国側は「韓国は日本を侵略したことは一遍もないが、日本は韓国を侵略し、植民地化し、多大な苦痛を韓国の人々に与えた。しかし我々は過去の怨念を捨て、全ての問題を解決することによって、新しい出発をしたい。過去の日本の行為に賠償を要求するものではない。我々は共に和解しましょう」と言った。が、日本はそれに対して「われわれは何を和解するというのですか」と答えたのだと。

15年に渡る何回もの会議を重ねて、やっとの国交回復でした。それから30年後の村山談話、そして河野談話。

 安倍総理のオーストラリア議会演説・米国上下院合同演説は、対戦国むけであった。8月に行われるという談話は、かつての被害地域=アジアに向けて明るいイメージで語られることが望ましいと。

韓国と日本両国が共有する未来は「自由民主主義・市場経済・東アジアにおける共同の政治外交的利益」。新しい時代の両国経済協力「第3国共同進出と直接投資」など、共有できるものは沢山あり、共に歩んで行けるものであると。又、巨大な隣国中国に向けても、日韓両国で共同して向き合えるように。

 さらに、世界では、韓国と日本の外交官同士は、仲良く力を合わせていることや、広島に領事館を設置するに至る裏話など、現場にいる人だけが語られることも楽しく聴かせて戴きました。

 その後の会員の夕べについては、また明日ご報告します。

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吉山ビュッフェ

 ああ、やれやれ。昨日は、やっぱり行ってはいけなかったのだわ、などと思いながらとぼとぼと帰りました。いい所が全くなくって、夫に運動をしに行って来ると言っていたのに、ばんざいも一度もないので運動にもならず・・・。おまけに菊池のエラーも見てしまったし。

 ま、こんなものなのでしょう。それにしても、やはり日ハムは強いですね。いろいろと勝つための戦術も豊富だし。緒方さんも勉強になったかな?そうそう、大谷君、大した者ですね。ピッチングが見られなかったのは残念だけど、ピンチヒッターできっちりヒットをして打点を挙げるなんて、すごい人だと思いました。

 私は時々ですが、試合の後はシャトルバスに乗って紙屋町まで帰ります。昨夜もそうしたら、紙を渡されて。シャトルバスを廃止するのだと。広電バス、儲からないのでしょうねえ。これも残念。

 さて、今日は気を取り直して。しばらく話さなかった、ランチのお話しです。今さらと言われるかもしれませんが。

 私のクリニックの向かい、県民文化センター、鯉城会館の地下にオープンした「吉山ビュッフェ」。主に安佐南区沼田町の吉山農園で収穫された食材を使ってのビュッフェです。

 一人1080円。もう100円出すと、様々なアイスクリームも食べ放題です。野菜中心のメニューですが、鶏や豚やお魚などの料理もあります。コーヒーもアイスもホットも飲み放題ですので、ランチの後にはコーヒーを飲みたい私たちにとってはありがたいお値段です。トマトがおいしいし、人参はとっても甘いし、温泉卵は私はいつも卵かけごはんにします。

壁には、吉山農園での農作業の様子が映し出されています。

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 それでは、これまで戴いたランチの写真を。でも、とくに県民文化センターでイベントがある時などは、一杯で入れない時があります。

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来てしまいました!

来てしまいました!

もう行かない、謹慎するなんて言いながら、一週間しか持たなかった!

我慢できなくて、職場の隣のチケットセブンに行ったら、年間指定のこんないい席が3000円で出てたので、即買い。

ああ、ただ今1-0で負けております。
一週間前と同じ、大瀬良君、頑張れー!!

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性的人権とは。

 加藤先生のお話しは、性的逸脱行動を取っている少女たちに及びます。ほとんどが児童相談所に保護され、連れて来られている13才から17才までの少女たちです。あたかも、自らの意志で売春をしているかのようにみられますが、その彼女たちに「同意があった」と言えるだろうか?と。

「同意とは」少年の性非行に関する米国特別委員会の報告による定義(1993年)

1) 年齢、成熟度、発達度、役割、経験に基づいて、何がなされているか理解している

2) 提案されたことに関する社会的規範を知っている

3) 性行為をした場合に起こりうる結果と、性行為をおこなわないという別の選択肢もあるというそれぞれを理解している

4) 性行為に賛成する意志と反対する意志の両方の選択肢が平等に尊重されるという前提がある

5) 意志決定が自発的になされる

6) 知的な理解能力を有する

これらすべてを満たす必要がある。

「性的人権」とは

☆自分のからだ・性器を自己管理する権利

☆性的平等が保障される権利

☆みずからのセクシュアリティを保全し選択する権利

☆自己の性行動を選択し決定する権利

☆性に関する健康の最高の水準を保証される権利

☆性に関する情報・教育を保障される権利

「すなわち」

全ての人には、性に関する

・情報を得る権利
・自己決定できる権利
・最高の水準のサービスを受ける権利

があることを子どもたちに伝え、実現できる社会にしなければならない

DVの被害者について

 DV被害者の94人中56人(59.6%)が妊娠して来所しています。

 この彼女たちの妊娠を継続するかどうかは自己決定できるべきなのですが。今の母体保護法では、相手の同意がなければ人工中絶ができません。同意が取れないということは、中絶もできないということになります。

 昨年、日弁連が意見書を出しています。「少なくとも、DVの被害者の妊娠の継続の意思決定は本人がされるべく、強姦に準ずる扱いを裁量でなされるべき」であると。これが産婦人科医会でもちゃんと取り上げられ、そう決定がなされたならとつくづくと思います。

 加藤先生、貴重で有益なお話しをありがとうございました。後は、このお話しを受けて、広島でも、そして全国でも「ワンストップセンター」が設立されますように・・・。

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 先日、広島にやってきて、一緒にカープの応援をした息子たち一家。大崎上島の清風館に一泊して帰りました。ママが写真を撮って送ってくれました。この孫が大人になった時、どんな日本を残せるのだろうかと暗澹たる思いで、でも頑張って生きている限り務めを果そうと思います。

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SACHICOの加藤先生の講演の続きです。

昨日に続いて加藤先生の講演の一部の報告です。

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 SACHICO開設して3年経った時点でのデータです。

  レイプ・強制わいせつの被害者の来所までの経過時間は、72時間以内が146人、72時間~7日が24人、そして8日以上が167人、不明が4人と、半分以上は8日以上経ち、妊娠してから来所というのが目立ちます。

 レイプ・強制わいせつ被害者577人への対応内容(開設5年)

1) 緊急避妊薬処方:196人(うちIUD挿入4人)(妊娠例2)

2) STD検査:427人  感染者:クラミジア39人 淋菌10人 性器ヘルペス1人 トリコモナス4人 HCV陽性1人

3) 証拠採取:254人(うち中絶の際の絨毛採取26人)

4) 妊娠:53人(レイプ被害455人中)→初期中絶28人 中期中絶10人 出産10人 流産他3人 不明2)

5) 弁護士紹介:133人

6) カウンセリング紹介:236人(2014年度には被害者の母にカウンセリング12人が含まれます)

 性虐待の加害者の内訳は昨日報告しましたが、その加害者の状況です。

☆SACHICO 5年間の性虐待被害213件中

    加害者が逮捕されたのは、16件のみ(告訴予定も含む)(実父5件 義父9件 母と知人2件)(罪名は、強姦罪・強制わいせつ・児童福祉法)

☆他は、

     ・母が離婚 ・加害者に児相が厳重注意 ・母が加害者側につく など

=性虐待の加害者は、ほとんど罪に問われない

   理由①親告罪であるため(本人も非加害者も告発しにくい)
             ②本人の供述を証拠採用されにくい など

性虐待に同意がありうる?と加藤先生は問います。

☆加害者が本人に対して言ったことば

「二人だけの秘密、家族を守るため」
「誰にも言うな」
「お父さんが刑務所に入ったら困るやろ」
「言うと家族がバラバラになるぞ」
「そろそろできるな」
「(やめてという被害者に)やめられない」
「お母さんのかわり」

☆ほとんどの加害者(多くは実父、継父、内夫・・・)はその事実を完全否定するが、一部認めた加害者の弁

「あいつが自分から誘ってきた」
「娘に誘惑された」
「娘は自分のもの」
「本人の勘違い」
「母と間違えた」
「スキンシップだ」
 「どれだけ胸が大きくなったかチェックしただけ」

 これらは、ほとんどが大阪での出来事ですが、でも、大阪だけの特殊なことではありません。広島でも、そしておそらく全国でも起こっていること。もう一回、明日に続きます。

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性暴力救援センターSACHICO

 昨日は、広島県の男女共同参画をすすめる会企画、広島県男女共同参画財団・広島市男女共同参画推進センター共催の講演会に行きました。県内各地から、行政の方たちも含めて、約100人の方たちが集まりました。広島県にもワンストップセンターをつくろう、つくらなければ、という意気込みが感じられました。

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 講演は「24時間ワンストップセンター 性暴力救援センター・大阪SACHICOの活動から」

代表の加藤治子先生です。SACHICO=Sexual Assault Crisis Healing Intervention Center Osaka(性暴力危機治療介入センター大阪) 加藤先生は、大阪阪南中央病院産婦人科のドクターです。

 以下、わかりやすくまとめてあるチラシから。

☆SACHICOは2010年4月に、日本で初めて、24時間体制・病院拠点型の性暴力被害のワンストップセンターとして開設されました。

☆SACHICOでは、被害直後からの総合支援(産婦人科医療や、カウンセリング、法的支援、警察などと連携)を行っています。

☆SACHICOでは、警察に行くか行かないかなど、あくまでも被害者が、自分で決めるということを大切にしています。性暴力のない社会にしていく、社会を支えていく運動にも取り組んでいます。

 国連では、2009年7月、国連経済社会局女性の地位向上部著「女性に対する暴力に関する立法ハンドブック」を出して、「女性20万人に1箇所のレイプ・クライシスセンターを設置する」よう勧告をしています。

 国連の定義では、性暴力とは「身体の統合性(私の体は私のもの、私の心は私のもの)と性的自己決定を侵害するもの」としています。

 さらに国連の勧告では、レイプ・クライシスセンターとは「法は、・性暴力の被害者が、国の費用により、妊娠検査、緊急避妊、人工中絶、性感染症の治療、負傷の治療、被害後の予防およびカウンセリングを含む包括的かつ総合的なサービスに速やかにアクセスできるよう規定すべきである。および、・このようなサービスへのアクセスは、被害者への警察への被害の申告の有無を条件とするものではないことを規定すべきである」としています。

SACHICOの定義では、性暴力とは「同意のない・対等でない・強要された性的行為はすべて性暴力  1.レイプ・強制ワイセツなどの性暴力 2.子どもへの性虐待 3.DVとしての性暴力 4.その他(これには行き場のない少女たちをホテルと食べ物を提供することにより売春をさせる組織の被害に遭った人たちが含まれます)」
◎現在の刑法では犯罪化できない性暴力が非常に多い(日本の刑法におけるレイプ・強制わいせつは、暴行または脅迫を以て13才以上の婦女を姦淫したる者、13才に満たさる婦女を姦淫したる者、また13才以上の男女に対し暴行または脅迫を持って猥褻の行為をしたるもの、13歳に満たさる男女に対し猥褻の行為を為したるものと定義されています。)

SACHICO開設5年間の概要です。

 電話件数       23039件
 来所延べ件数     3202件
 初診人数(実人数)   983件

 983人のうち、年齢別には未成年が610人(62.2%) 。

レイプ・強制ワイセツの被害者に限ると、被害者577人中 316人、54.8%が未成年です。
  0~4才が8人 、5~9才が21人、10~14才が97人、15~才19才が190人。

子どもへの性虐待の被害者は計213人。その加害者は義父37%、実父24%、実兄16%、義兄弟10%、祖父3%、伯父・叔父3%などとなっています。

この項、明日にも続きますね。
 

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