「8.6ヒロシマ平和の夕べプレ企画in川崎
昨日は、川崎での『戦後70年を問う 8.6ヒロシマ平和の夕べ~プレ企画~核兵器・原発・優生思想―“生きる”を否定するものに反対―』という集会に参加し、講演をしました。
初めの発言は、私と横浜市原爆被害者の会事務局長の松本正さんと被災地障がい者支援センターふくしま代表・NPOあいえるの会理事長の白石清春さんの三人。それに会場からも活発な意見が出て、大変有意義な会だったと思います。
会場は、車いすの方や目の不自由な方たちも沢山来られましたし、司会は全盲の方でした。これがまた、穏やかで、楽しくて、素晴らしい司会だったのです。
私は、初め、私たちがいつもやっている「平和の夕べ」関連に、「優生思想」が入る会、どうなることかと思いましたが、本当に「“生きる”を否定するもの」として全くその通りだと思いました。
松本さんは、被団協の横浜のメンバーとして活動されています。広島二中の卒業生。
学徒動員で観音の三菱の軍需工場にいる時に被爆。原爆投下直後の七色の光を見た事、二中の一年生の弟さんは、平和公園の川岸で被爆し、亡くなっています。「碑」にも書かれていますが、「お兄ちゃんが迎えに来てくれる」とつぶやきながら、ほんの少しの時間の差で亡くなってしまっていた事、爆心地で亡くなったおばさん一家の事などなど。
その重い重い証言は大変なものでしたが、何と松本さんは、この体験の証言を始めたのが、1年前だと。それまでは語ることをしていなかったと言われます。多くの被爆者が亡くなったり高齢で証言が出来なくなっている今、とっても貴重な存在なのですから、もっともっと語ってほしいと心から思いました。
白石さんは、一生懸命語って下さいましたが、聞くことに必至になっていて、写真の撮り忘れです。ごめんなさい。
今年5月に福島県郡山市で開催された第31回DPI日本会議全国集会での報告のために、白石清春さんが作成されたものを、そのまま掲載されている資料を戴きました。「3.11で何が起こったか、今後へ向けてのアピール」より。
障がい者での避難生活は大変であること、回りの人に介助を頼めなくて、我慢しなければならなかったこと、学校の避難所は体育館の利用が多く、段差があったり、トイレが使いづらかったりで障がい者たちは避難所生活を敬遠せざるを得なかったこと、仮設住宅は車いすでの生活を考慮していないこと。ガソリンの供給が出来なくて、ヘルパーの派遣が出来なかったこと、今もヘルパーさんの数が足りないことなど、たくさんのことが記されています。
このアピールの終わりに書かれていることです。
『障がい者はこの世になぜ生まれてくるのだろう。障がい者の存在は社会にとってどのような影響を与えているのだろう?私は考え続けている。障害者は社会に対して自ら命を賭して「どっこい私たちも生きているのだ!」と訴えていく存在なのである。障がい者と共に生きることで「助け合って生きていく」ことを学び、「障がい者が安心して生きることのできる社会はみんなにとっても良い社会」であることをわかり合い、「障がい者を含めてみんなが平等で平和な社会を創り出していこう」という意識を持つことが出来るのである。という想いを込めて社会に、世界にアッピールしていこう。』
大変貴重な会を準備して下さったみなさま、本当にありがとうございました。これからの本番に向けて、私も頑張りますね。
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コメント
優生思想はやっぱりいきるを否定するものだと思うし、先生のお気持ちもすごくわかります。先生は、どう女性に指導されているのでしょうか?産婦人科のドクターが実際に障害者のかたと関わりをもつのは素晴らしいですが、若いかた以上に現実は先生のお仕事上はつらい宣告やつらいことをしなければならないことをしてきたなと思うし、障害者にやさしいというのはやっぱり、障害児を生んでも良いんだという点で女性にやさしくみんなにやさしいのではないでしょうか。本当に精神的肉体的金銭的につらい治療があるのはやっぱり優生思想があるからだとおもいますが、すべてなくせとは言わないけれど、障害児を生んでも支えてあげられる社会が、治療を受ける側も求めてます。
投稿: 愛ちゃん | 2015年6月29日 (月) 11時47分