中学生の「父と暮らせば」続き
長野の中学生が演じる「父と暮らせば」。「演劇ユニット体温」の方々の指導、それは見事でした。
まず、劇団の人が演じます。そして、感想を聞く、次にみんな舞台に上がってもらって、ゲームをして緊張をほぐし、舞台の上を歩いてもらいます。徐々に動きが柔らかくなって行くのが良く分かりました。
すれ違う人と目と目とを合わせてもらい、そしてハイッの合図で男女一組ずつのペアを作ります。そのペアで練習をします。事前にその場の台本を覚えてきてもらっているそうです。
そうして、一組ずつが演じます。照明、効果の音楽、カーテンコールも。生徒さんたち皆さんとても素直ですが、それぞれに個性があって、観ている方も楽しく過ごせました。演じた人、見ている人たち、それぞれが「どうでした?」という質問に答えて話します。
演じる場面は、原爆でつぶれた家の下敷きになった父と娘。娘は何とか外に出ることができましたが、父親をどうしても出すことができません。火が迫って来ます。父親は、自分のことを放って逃げろと言います。いやだと叫ぶ娘。逃げろ、逃げて生きろと言う父親。そんな場は、ヒロシマではとても沢山ありました。はだしのゲンの父親、弟もそうして焼死したのですが。
そうして3年後。生きる気力、恋愛への意欲を失った娘。その娘の応援をするために現われる亡くなった父親。そして、あの逃げろ、いやだという修羅場を、父親と娘が話します。あの時、自分もお父さんと一緒に死ねばよかったという娘。自分の分まで、しっかり生きろ、前向きに生きなければという父親。徐々に娘の心も前向きになって行きます。
中学生たちが、この場面を演じるためには、どれだけの学習が必要だったかと想いを馳せました。ほんの短い場面ですが、でも、これを演じる意義はすごいものだと思いました。
遠方の中学生たち、修学旅行の広島できっと多くの事を学んだことと思います。
池田精子さんがおっしゃったように。池田さんは、アメリカで問われたと。アメリカを憎んでいるかと。正直憎いと思いましたと。でも、それを上回る視線、励ましなどの多くの出会いで、徐々にその憎しみも溶けてきたと。三度核兵器が使われるようなことがあった時、それは戦争に勝った、負けたということではなく、人類の滅亡を意味するのだと。憎しみ、報復の連鎖ではなく、寛容でと。
それを若い人たち、どうぞ引き継いで下さい、と。絞り出すようなその訴えを集まった中・高・大学生たちはしっかりと受け止めていたようでした。
私にとっては、偶然ではありますが、被団協主催の講演、そして長野の中学生との束の間のふれあいが一つになりました。本当にありがとうございました。
若い人たちに平和を繋ぐということについて、もう一度明日、話をさせて下さいね。
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コメント
演劇で平和を学ぶ修学旅行ってあることすら知りませんでした。修学旅行って、観光地にゆきおみやげかって終わりだから、学生時代にしかできない貴重な体験かもしれません。被爆二世からの演劇指導や被爆一世からの講義のあと被爆をモチーフとした劇団との交流や演劇指導、濃密ですね。
投稿: 愛ちゃん | 2015年4月11日 (土) 11時41分