子どもたちに「平和」を伝えること。
8月6日の夜、広島の川では、灯籠流しが行われます。私もある年、姉や妹と共に両親の灯籠を流しました。先に死んだ母の灯籠を流し、後で父のを流しました。そしたら、ゆらゆらと留まっていた母の灯籠に、父の灯籠がツツッと追いついて行き、そして二つがピタッとくっついて一緒に流れて行ったのです。びっくりしました。間に他の人が流した灯籠たちがあるのに、それらをよけるようにして追いついて行ったのが本当に不思議で。
この本は、そんな灯籠流しの光景から始まります。
若い人たちにどう伝えて行くか、これはどんな分野でも課題でありましょう。私が一生をかけて私の課題にしている性教育、これは大丈夫です。若い人たちがたくさん出てきました。若い彼ら彼女たちは、私よりはるかに先鋭的に主に学校の現場で生徒たちに語っています。長い間これに携わっている私は、さまざまなバッシングなども経験してきて、ついいろんな配慮をしがちになります。でも、それらを知らないからこそ、躊躇することなく語ることができる若い人たちがいます。
私は、「平和」を伝えること、これは本当に難しいと思っています。「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」を主催する者として、それが何よりの課題です。
色々と平和運動の歴史を知らないからこそ、今の社会では信じられないほど好戦的な若者が育っています。この「広島」の地でさえも。
今日、広島でも市長選を始め議員の選挙が行われます。私が少し選挙に関してブログ上でしゃべっただけで、「とっとと広島から出て行け」「いつまでも平和なんかいらない」「イデオロギーに市民を利用するな」などというコメントがどっと来ました。
広島の市長には、世界に向けて「平和」を発信する使命があります。これは、長崎の市長と共に、ほかの都市の市長にはない大切な役目です。
それを「イデオロギー」とする若者たち。アジアの国々の人たちに差別的な目を向ける人たち。ひとえに教育の問題でしょう。
教育界がこぞって平和教育から後退しているときに、だからこそ、今回の長野の中学校の取り組みには深い感動をおぼえたのです。
そしてこの「光のうつしえ」。「児童文学」の世界で活躍している作者が中学生に向けて書いているのですが、大人の私にも十分面白く、時には泣きながら、一気に読みました。
「灯籠流し」の夜、突然知らない女性から声をかけられた主役の女子中学生。そのことを聞いた母親は、その夜、何かを手に持ってひっそりと泣いています。それを見た彼女は、何があるのか知りたいと思います。少々ミステリー仕立てのストーリーは最後までその問いを膨らませながら、疑問に答えて行きます。
中学校の美術部で、平和をテーマの美術作品を作り展示する、こんなことは少なくとも「広島市」はともかく「広島県」の教育委員会が管理する学校ではとてもできないことになりつつあります。オビには、『「悼む」とは、ずっと忘れないで伝えていくということ。』と書かれています。
「平和教育」「人権教育」「性教育」。根っこは「いのち」でつながっているこれらが学校現場で後退しているからこそ、このような中学生に向けた本の出版がとてもありがたく、そして文学の世界の人たちに感謝の気持ちを持つことができました。
長野の中学生の被爆ピアノの演奏の事を尋ねたくて矢川さんに電話をしたら「今、松谷みよ子さんの追悼の会から帰っている所」と言われました。そう、数々の絵本で子どもたちの心を豊かにして下さった松谷さんも、被爆ピアノや被爆してトマトを口に入れてもらいながら亡くなって行く「まちんと」などの絵本を書いて下さっています。
松谷さんが亡くなった後も、これらの本は残り続けます。松谷さんの絵本も、「光のうつしえ」も、多くの子どもたちの目に触れてほしい、そう切に願います。
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コメント
今日は統一地方選挙ということすら多忙になっていますが、長野は首都圏から離れているから試験的な命の教育を修学旅行でやってるのは教師や親の愛情だと思ってます。大都会だと難しいですね。修学旅行は最近海外にいく学校が多いので面白いのではないでしょうか?
投稿: 愛ちゃん | 2015年4月12日 (日) 11時30分