被団協の講演会です。
つぼみから定点観測をしてきた修理中の原爆ドームと桜。見届けるために昨日お昼時間に行ってきました。
こんな風になっていました。葉っぱが出てきても、まだ頑張っている花たちも。
それでも、まだ沢山の人たちがお花見をしていましたよ。
今日は、被団協の講演会に行きます。
ポスターには、「ヒロシマの歴史に空白の10年があるのを、知っていますか?」と問いかけています。池田精子さんのお話しがあります。池田さんには、「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」にも来て戴きましたし、修学旅行生などに話されるのを3回聞いています。女学生の時に原爆に直撃され、生死をさまようも、生き伸びることができて。でも、ある日自分のケロイドに変わった顔を鏡で見て絶望します。学校にも行かず気持ちが荒んでいたときに、父親が近所の人に話しているのを陰で聞き、父親の愛に涙します。それからは、気持ちを変えて、懸命に生きます。何十回も手術を受けて顔も取り戻します。
私が聞きたいのは、修学旅行生たちには語られませんでしたが、被爆直後の被爆者運動です。その空白の10年の間。GHQにより沈黙を強いられた被爆者たちは、そっと集い、公安に追いかけられながらも、語り合います。やがてそれは一つの運動体になって行きます。
夜行列車に乗り、東京駅で顔を洗い、厚生省や国会や首相官邸に陳情に行き・・・。その体験は、「核兵器のない明日を願って――広島県被団協歩み――」に記されています。
私は、以前ある会で、被爆者に交付された手帳は、決してお上から与えられた物ではなく、被爆者が命を懸けて訴え続けたその賜物なのです、と話したことがあります。
そんな話を聞けると思います。多くの方に出会えると嬉しいです。
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コメント
今日の雨で桜が終わってしまうのが辛いです。被爆者手帳って上からの頂きものではなかったんですね、まったく知りませんでした。被爆者も公安警察にマークされていたなんて知りませんでした。驚愕です。ちなみに、警視庁の警察官の一部にも、国鉄公安官出身者には公安がマークしてますよ、パワハラの対象になります。
投稿: 愛ちゃん | 2015年4月 5日 (日) 09時05分