「空白の10年」①実行委員会からのメッセージ
昨日は、被団協と連合の主催する『被爆70周年記念講演会―若者に伝えたい「ヒロシマ講座』に行きました。企画の段階からお手伝いをしていた夫は、人が来てくれるだろうかと悶々としていましたが、なんと素晴らしく多くの方たちが集まりました。特に、老いた被爆者と共に、たくさんの若い人たち、中・高・大学生たちも参加しました。
司会も大学生。お二人の講演の後のトークでも、若い人たちの発言が相次ぎました。
ここで語られたことをしばらく紹介しますが、今日は総論で。パンフレットにある「実行委員会からのメッセージ」がとてもよく書かれているので、それを転載しますね。
『今年の8月で、広島は原子爆弾投下から70年という節目を迎えます。
70年の間、原子爆弾の被害を受けた被爆者は、自らの体験を語り継ぐことで、核兵器の悲惨さや放射能の脅威を伝えてきました。そして今、被爆体験や被爆の体験から生まれている平和への想いを語る担い手は、被爆2世や被爆を体験していない若い世代へと繋がれようとしています。
「空白の10年」とは、1945年原子爆弾投下後の10年のことです。終戦直後、9月の占領軍によって出されたプレスコードにより、原子爆弾に関する報道は規制されました。その間は、被爆者への援護政策もなく被爆の実態を知ることもできませんでした。そして、被爆者は、差別や偏見、原爆後遺症に苦しみました。
被爆者が被爆の実相やヒロシマの想いを語り続ける理由は、この「空白の10年」をどのように生きてきたかということに詰まっています。被爆から70周年に際し、これまでのヒロシマの歩みを考えるためには、原爆投下当日だけでなく、その後を被爆者がどのように生きてきたのかということを振り返ることが必要でしょう。
今日は、当時苦難を乗り越えた被爆者である池田さんとこれまでヒロシマを伝えてきた中国新聞編集委員の西本さんの双方の視点から、「空白の10年」についてみなさんと一緒に考えたいと思います。
今回の講演会は、ぜひ、若い世代のみなさんにも、被爆者の想いを聞いてほしいと思い、大学生の運営メンバーと共に企画しました。そこには、「被爆というのは、過去の出来事として置き去ってもよいものだろうか?」という問いかけがありました。
2011年の福島原子力発電所の事故以降、日本でも放射能による諸影響への懸念は高まっています。そして、世界中で戦争・紛争、社会問題が絶えません。これからの世界を考えるからこそ、ヒロシマにいる私たちは、被爆者の想いの原点である「空白の10年」に立ち返りたいと考えました。(・・・後略します)』
これにあるように、お二人のお話しも素晴らしいものでした。明日に続きます。ぜひ読んで下さいますように・・・。
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コメント
若い人がいるなんてびっくりしました。正直、平和運動とか九条の会とか前進社のデモ隊とかじじばばばっかりでつまらないと感じてはいます。若い人に繋げる努力もしてるんですね。河野先生は、命の事を考えてるから産婦人科の医師になったのかとかなとか今では感じています。被爆者だけでなく色々な出版規制がアメリカ側からかなりあったと聞いてます。アメリカ側に都合のよい報道や行政になっていったという様々な立場で草の根の資料本がかなりでてますね。機会があれば買ってみたいのですが。
投稿: 愛ちゃん | 2015年4月 6日 (月) 11時50分