昨日は、一日中大忙しでした。しなければならないことを一気に片付けようと思って。
まず、朝から運転免許の更新です。ゴールドなので、一時間ですみました。これまでの免許証、五年前なので、写真を見るとやはり若いです。と言うか、今回の写真が年相応で、なんかがっかりです。この免許の途中で高齢者の運転手となります。いつまで運転できるのでしょう。ないと困るのだけれど・・・。
すぐに飛んで帰って、車から自転車に変えてクリニックへ。
今年の夏、広島で「性教育指導セミナー」の全国大会があります。その前日の「県民公開講座」で、いつもの産婦人科医の性教育の仲間と劇をします。もちろんそれだけでなく、劇中のさまざまなエピソードについて、後シンポジウムをするのですが。
その劇の脚本はいつもそうなのですが、長野の渡邊先生が書かれました。素晴らしい脚本。それを熊野の豊田先生が広島弁に翻訳しました。これも名翻訳です。そして、昨日私がそれをICレコーダーで吹き込みました。何回もやり直しをして。途中一回咳をしたけれど、もうそれはそのままです。それをパソコンでみなさんに送るのに四苦八苦。
結局できないままにクリニックを出て、バスで横川へ。横川シネマで映画を見ました。
「山本慈昭 望郷の鐘 満蒙開拓団の落日」です。中国残留孤児の父と言われた山本慈昭さんの実話を映画化したものです。
長野のお寺の僧侶で、かつ小学校の先生であった主人公が、村長に説得され、一年だけという約束で、家族と共に満州に行きました。それは、昭和二十年五月一日。もう敗戦間近なときでした。
ソ連軍に追われ、山の中を逃げまどい、それでもソ連兵に捉まり、彼ら男性はシベリアへ。山本さんは一年半極寒の中での重労働を奇跡的に生き延び、帰国できました。そこで、途中強引に引き離された妻と二人の娘は帰っていないことを知らされます。
政府は皆死んだ者としている日本の子どもたちが生きているかもしれないとわかった時、その子どもたちを帰国させるために、本当に尽力して。穏やかな山本さんが、厚生省、外務省、法務省で声を荒げ、それは苦労して沢山の人たちの帰国にこぎつけました。
もう、泣いた泣いた。私、泣きっぱなしでした。
「国家が総力を挙げて作り上げた嘘は、いつの時代でも見破るのは容易ではない。国家の政策に純粋に協力しただけと言っても、この事実は一人ひとりが責任を問われることになる。」
この言葉をかみしめました。今の私たちにも問われていることだと。
そして、クリニックへ。置いていた自転車を必死で漕いで飛んで帰ると今度はまた車で医師会館へ。医師会主催の子宮頸がん予防ワクチンの研修でした。
ここで、改めて散々研修をし、実際に子宮頸がんで亡くなったり、子宮を失う若い人たちの姿を見て来ている婦人科医と他の科の先生たちとの意識の違いを痛感しました。
家に帰って、夜中まで録音した劇の音声を送る作業に没頭しました。容量が大きすぎて、それを圧縮してもなかなか小さくならなくって。何とか送ることに成功してホッとしました。
忙しかった一日。床に入っても、一日中のことがぐるぐる頭を回って、なかなか寝付かれませんでした・・・。
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