« かき船移設について、イコモスの勧告。 | トップページ | 原爆瓦・高校生平和ゼミナール »

かき船移設について、 高校生の訴え。

 昨日の高校生の訴えの続きです。転載します。

◆かき舟「かなわ」移設問題

 11月27日、広島市の「水の都ひろしま協議会」は原爆犠牲ヒロシマの碑のすぐそばにかき船「かなわ」を移設(新設)することを承認しました。私たち高校生平和ゼミナールの関係者を含め、ほとんどの広島市民に知らせず、秘密裏にすすめてしまったのです。

 かき船が来る予定の場所は、私たちや、私たちの先輩が「原爆瓦」を掘り出し、原爆のことを学んだ場所です。原爆瓦だけでなく、溶けた瓶や瀬戸物、陶製の学生ボタン等が掘り出された場所です。原爆瓦は今も掘り出すことができます。

 1982年、この原爆瓦の発掘・保存運動をもとに、全国から寄せられた児童・生徒・市民の献金によって、「原爆犠牲ヒロシマの碑」は建立されました。この碑は、原爆犠牲者の鎮魂と被爆体験の継承と平和問題の学習を誓う「鎮魂・継承・学習」の碑です。建立以来、毎年8月5日にはヒロシマを受け継ぐ子どもたち・小中高校生によって碑前祭が行われています。今年も実施されましたし、来年も実施します。その場所にかき船(水上レストラン)を建設することがふさわしい行為でしょうか。

 このままですと、やがて工事が始まり、おそくとも被爆70年の8月6日には、爆心地・原爆ドームのそばにかき船が来てしまいます。

 私たちは、かき船の営業に反対するつもりはありません。しかし、かき船は、ここではない、もっと適当な場所があるのではないでしょうか。

 35年前にも平和ゼミナールの仲間たちと、広島市との間で元安川の美観論争が起こりました。水の街広島とするために原爆瓦などの瓦礫を平和公園周辺の川から取り除くと広島市が発表したのです。私たちの先輩たちは、小学生・中学生へも働きかけて、原爆瓦を掘り起こす運動を広げました。全国から3500万円を超える募金も集まりました。こうして国や市も原爆瓦をバックアップすることを認めて下さり、原爆犠牲ヒロシマの碑は建立されました。原爆犠牲ヒロシマの碑は原爆瓦の記念碑なのです。その碑の前にかき船を移転するということは、広島市自身が認めた原爆犠牲ヒロシマの碑を否定することにつながるのではないでしょうか。この「ヒロシマの碑」の前にかき船の移転は考え直して戴きたいと思います。

最後に
 私たちは、手探りでクラブ活動や平和ゼミの活動に参加して来ました。「原爆瓦」の発掘も先輩たちの代からの受け継ぎです。長靴をはいて河原で瓦を掘りました。理解不足のまま参加してきましたが、でもいろいろな人と関わりながら、広島について被爆の実相を自分の体験としてつかんできました。今回の「かき舟」問題のように、私たちが何も知らないうちに決定することはおかしいと思います。これを機会に「原爆犠牲ヒロシマの碑」のことなどをもっと学習しようと思います。学校でも私たちの壁新聞の発表でこの問題を知ってくれた生徒もいます。

 みなさんと一緒にこの問題について考え続けたいと思います。

以上転載終わりです。

私は、昨日8.6ヒロシマ平和の夕べの実行員会の会議に行く時にここを通りました。

___1096

___1098

___1102 ___1101

 碑には原爆瓦がはめ込まれ、「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの 叫びを ともに  世界の人よ」と書かれています。後ろ側にはその瓦を掘っている高校生の写真、この碑ができるに至った話などが記されています。

 

『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。

広島ブログに参加しています。このバナーをクリックすると、
私のポイントになります。ご協力よろしくお願いします。
広島ブログ

|

« かき船移設について、イコモスの勧告。 | トップページ | 原爆瓦・高校生平和ゼミナール »

コメント

やっぱり、世界遺産の近くで景観をぶちこわす、開発はいけないとおもいます。全国的にみても、歴史的保存地区と開発の問題はいろんな地方で怒ってますよね、平和教育以外にも同じようにいろんな地方がかかえているような気がします。先生のお話をブログで伺うと色々な取り組みや発掘のお話をきくとなるほどとなります。広島のデルタ地帯に川原があったとはしりませんでした。すごい整備されて、洪水等が起きずすごいなあとかんじてましたが色々トラブルがあるんですね。景観条例に違反するトラブルってマスコミに一気に取り上げられ一気に熱がさめることがほとんどだけどこれは不味いとおもいます。

投稿: 愛ちゃん | 2015年2月 2日 (月) 02時36分

長靴を履いて高校生たちが原爆瓦を掘り起ている活動を
取材したこと、私も長靴スタイルで、そのうち仕事を忘れて子供たちと一緒に発掘に夢中になったこと思い出しました。35年あまりも前のこと。高校生ゼミの活動が続いていることに感動しました。さて問題の「カキ船移設」ですが、あれは一企業の商業活動です。世界遺産認定の条件には厳しいものがあり、その地での企業活動の新たな参加という事態は世界遺産の精神にも抵触します。広島市長・市議会の対応を注視しましょう。

投稿: 無冠の諦王 | 2015年2月 2日 (月) 10時50分

私は35年前、原爆瓦を拾っていた高校生だったんですよ。平和ゼミナールの創立メンバーでした。当時は幅広く40校くらいからたくさん参加していました。
実は、亡くなった相方との最初の出会いは高校時代、この場所でした。なので、2人で平和公園に行くときは必ずこの碑を訪ねていました。
碑の写真の中には私たちも小さく写っているかもしれません。(恩師の顔はくっきり写ってますが)
かき船がこの碑の前に移転するなんて・・・。
商業施設にはふさわしくない場所だと思います。

投稿: もものすけ | 2015年2月 2日 (月) 15時32分

無冠の諦王さま
コメントありがとうございました。諦王様にもいろいろと取材のエピソードがありますね。どうぞ、本にしてください。貴重な証言になると思います。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2015年2月 3日 (火) 08時27分

もものすけさま
コメントありがとうございます。お元気そうなので、ほっとしましたし、びっくりしました。コメント欄だとあんまりもったいないので、今日の本文にさせて戴きました。ありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2015年2月 3日 (火) 08時28分

愛ちゃんさま
広島の川は海に流て行きますので、潮の干満が強くて、引き潮の時には河原になります。私の子どものころは、その砂地で貝堀りもしていましたよ。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2015年2月 3日 (火) 08時31分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/205567/61070770

この記事へのトラックバック一覧です: かき船移設について、 高校生の訴え。:

« かき船移設について、イコモスの勧告。 | トップページ | 原爆瓦・高校生平和ゼミナール »