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広島県は変じゃない?

 行政について、広島市もおかしいこと、怒ることが次々とありますが。

 ここに来て、広島県の行政について、いろいろな情報が飛び込んで来て、首をかしげています。と言うより、これはいったい何なのか、今の知事は子育てや女性の活用について意欲的ではなかったのか、これは単なるパフォーマンスだけだったでしょうか。少しシリーズで書きます。

 まず、エソール広島にある「在宅ワーク支援センター」。今、ここのホームページはこんなことになっています。

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 なんと、今年、三月いっぱいで事業打ち切りとなると。私は、生活に困っている、でも、働く場がなかなかない主婦の方たち、主に母子家庭の方を紹介して、いろいろとサポートして戴いていました。私自身も、講演の録音のテープおこしなどを依頼して助かっていました。多くの女性たちがここで助けられていたと思います。つい先日も、この事業を一手に引き受けていらっしゃるB先生と話したばかりでした。みなさん、本当に意欲的に学ばれて、編み物など仕事が早くて、企業の方たちの委託もとても沢山あるのだと。

 エソールのホームページ、平成25年度事業報告から在宅ワークの欄を見ました。

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 これだけの人たちが働いてきた事業が閉鎖されます。私は、沸々と怒りがわいています。

 まだまだ他の事業も打ち切りになるという情報が入っています。もう少し続けます。

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殺された中学生について。

 昨日は、ある企業の方たちに話に行きました。女性が二名だけで、後は男性たち。

「若者の性の現状と関わり方~診療の現場から~」

 というタイトルで話をしました。私は、どんな立場のどんな職業の人たちにも知って戴きたいと思っています。今、若者たちがどんなことで苦しみ、どんなサポートが必要であるか、あくまでも私の経験している範囲ではありますが。

 川崎のまたまた悲惨な事件が起こり、そしてそれと重なるように、広島での高校生の殺人事件の主犯と言われている少女の控訴審が昨日行われました。その両方に出て来るのが、「ライン」。ラインがまた注目されていますが。

 私はラインほど便利な物はないと思っているし、活用もしています。そして、殺されてしまった中学一年生も、ラインでSOSを発信もしています。

 あくまでも、ラインの問題ではないということは、わかっていると思いますが。

 私は、彼が大人に助けを求められなかったこと、そして、「殺されるかもしれない」というようなことを友人に発信しているのだから。それを受け取った友人もどうして大人に「こんなラインが来ている」とSOSを求められなかったのか、それが問題だと思っています。

 思春期の少年少女たちがなかなか大人に話せないということは分かっているのですが。でも、だからこそ、私は早くから子どもたちには「困ったときには、一人で何とかしようと思うわないで。誰か大人に相談してほしい。一人でいい、だれか話せる人を探して」と、「SOSを求める勇気」をっもて欲しいと思っています。だから、中学生に話す時には、必ずそれを言っています。

 同時に、大人たちには、子どもがまだ子どものうちから、「何かあったら助けるよ。相談に乗るよ」といい続けてほしいと思っています。

 大人にはなかなか子どもの姿が見えません。すべてを知ろうと思っても、それは無理なのです。そうではなく、「私は子どものすべてを知っているわけではない」「子どもは私の知らない物持っている」という認識すること。そこから関係性を作って行くしかないと思っています。

 だからこそ「何かあったら助けるよ」という門をすこし開いていてほしいと思っているのです。

 殺された少年が本当にかわいそうで。何とかならなかったのかと。回りの大人たちがなぜ助けることができなかったのかと。

 学校の先生が学校に行かなくなった彼にこれだけのことをしてきたと公表しているの、あれはびっくりです。電話をしていると。それも母親と話しているばかり。本人とは、たった一回、電話で話しているだけ。本人と直接会って話していないのですね。なんにもしていないのとおんなじだと思います。

 性教育には、大切な課題として、「人間関係の作り方」「いじめをどうするか」なども含んでいるのですが・・・。これらを含んでの「いのちの大切さ」なのですね。多分、その学校では、性教育なんてなされていなかったのだろうと思います。

 

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日本の性教育・中京テレビドキュメント

 今、私は3月の中旬にする大きな講演の準備に追われています。ずっと前、何か月も前から準備をしていましたが、なかなか大変で。

 今、全国で性教育に取り組んでいる産婦人科医の方々の中には、性教育の歴史や、中でも私たちが長年取り組むうちに、どんな事態が起こり、どことどう闘わなければならなかったか、そしていまだにその影響は続いていることなどを全く知らない方々が多くあります。

 そのドクターたちに、性教育バッシング、教育現場でどんなことが起こったのかということも含めて話さなければならなくなりました。今の性教育の立ち位置を認識して戴くために。

 私自身が裁判までして歩んで来たことを振り返っています。

 You Tubeで公開されていますので、興味あればこの番組を見て戴きたいと思います。

ちょっと長いのですが、この中の21分過ぎから山谷えり子参議院議員が出てきます。性教育ハッシングを仕掛けた張本人です。ここだけでも見てほしいのです。


 彼女はこの中で、

「こういう具体的なことを教えることは、すなわち貴方たちは避妊具さえはめればセックスしていいのよということを教えることになりますから、それは私は反対です。」

「皆さんは命の教育とおっしゃいますけれど、私は家族をこわすんじゃないかと思っています。」

「子ども時代はちょうちょが飛んでいる姿、お花がきれいに咲く姿、昆虫が一生懸命に歩いている姿、もうそれで十分に命の尊さと言うのを私たちは学んで来たのですね。」

いつから教えればいいのか、と言うディレクターの質問に、

「本当は結婚してからだと思いますね。」

と言っています。宗教団体をバックにしたこの人たちの力で、性教育ハッシングがおこり、そしていまだにその影響は文科省の強い指導で、教育現場を覆っているのだということを改めて痛感しています。

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ムチウチその後です。

 ご心配をおかけした追突された件、昨日お昼時間にもう一度整形外科を受診しました。実は、特に夕方から夜にかけて、首、肩、頭がウワーンと痛くて、頭を支えられないような感じになります。二度ほどコチコチの肩をマッサージでほぐしてもらいましたが、なかなかで。湿布は、かぶれてかゆくなったので、少し皮膚を休ませたり、塗るタイプにしたり。

 頸に巻くカラー、コルセットは、自転車で通勤する時と家にいるときに巻きます。外では何とも恰好悪いので、韓国で買って帰ったマフラーを巻いて見えない様にカバーします。

 で、ドクターが、首を引っ張って電気をかけてみましょうと言われました。

 10分間頸を引っ張ります。頸と言うより、あごが引っ張られます。その後、電気10分間。肩の一番固い所にチップを張って、そこでビリビリ、トントンと刺激を与えます。これが結構気持ちよくって。

 そして昨夜、とても肩が楽でした。こんなに効果があるものなのかとびっくりしました。何と、理学療法って効き目がある物なのですね。もうすこし、時間を作って通ってみます。

 保障については、医師としてはなくって主婦としての登録をしたら慰謝料が出るというのがどうにも納得がいかないままでいます。医師であろうが主婦であろうが、とにかく通院一回当たりと言うのであれば、まだ納得できるのです。

 昨日、保険会社から書類が届きましたが、どうも、どこを読んでもそんなことは書かれていないのです。書類に書かれていなくても、そういわれるというのは、内規みたいな物なのでしょうか。給料が減額された時には、それを補てんすると書かれています。それは慰謝料とは別物のはず。

 私は、少しでもお金を取ってやろうとは考えません。私は十分に生活できるだけの収入はあります。頭や肩が痛くても我慢さえすれば、仕事をすることで収入もあります。大体、私たち開業医と言うのは、少々何があっても、辛くても、自分の健康よりも仕事を優先する習性ができています。金額ではないのです。物の言いようというか、誠意の見せ方ですね。そこで引っかかっています。印鑑をついて送り返すのには、もう少し時間がかかるかもしれません。今はまだともそんな気になれないものですから。

___1173 釜山のセブンイレブンで見つけました。カルビーのえびせんにロッテのガーナチョコがコーティングしてあります。二つでいくら、という安売りをしていたので、三人で一棚全部買い占めました。えびせんの塩気とチョコの甘さが丁度うまくコラボしておいしかったです。おみやげに良かったですよ。

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会いたい人に会うということ2.

 夫の父方も母方も、全てのおじ、おばは亡くなっています。義母が一人残っているだけです。私の両親はとっくに亡くなりましたし、父方のおじさんおばさんたちはすべて亡くなっています。母方に一人、おばがいてくれました。

 その叔母さんは、ナースをしていて、当時にしては珍しい熱烈な恋愛結婚をしました。でも、子宮外妊娠をして、子どもはいません。二人はとても仲のいい夫婦でした。その叔父さんが亡くなって、一人暮らしになった叔母は、寂しい寂しいと言い続けていました。

 時々両親の墓参りに行く時に必ず叔母を訪ねて行っていましたが、ここ一年、認知症がひどくなって、叔父が亡くなっていることや自分の年齢も分からなくなっていました。どうもこれはいけないと、会いに行こうと、昨年の11月の終りに姉と二人で出雲まで会いに行きました。

 丁度、叔母は近くの施設のショートステイに入っていました。私たちが分かるだろうかと心配しながら行ったのですが、その時は、とてもシャンとした頭で、私たちが来たことを喜んでくれました。でも、びっくりするほど痩せていました。

___1172 持って行ったもみじまんじゅう、これは叔父がとても好きだったので、少しでも思い出してもらおうと思って。それを時間をかけて一つ食べてくれました。食欲もあまりなく、その時も寂しい寂しいと言い続けて、胸が痛みました。

 誤嚥性の肺炎で亡くなったのだそうです。11月に会いに行ってよかったと思いました。雪の心配がなくなったら、もう一度行こうと思っていたのですが。

 今日のお葬式には、博多から次兄と、姉と、私が無理なので夫と、三人が参列します。広島から長距離パスで行きます。長兄は闘病中なので無理です。妹も、体調がよくなくって行きません。

 父方の家は空き家になっています。私のいとこの子が時々行って、家の手入れなどをしていると。母方は、お墓を残すだけになりました。こうして、世の中、入れ替わって行くのですね・・・。

 まだどうしても会っておきたい人、会ってお礼を言って置きたい人がいらっしゃいます。後悔しないように、会いに行く努力をしようと思います。

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会いたい人に会うということ1.

 昨日は、山口県社会福祉士会の方々への講演でした。ふつう山口へは車で行くのですが、昨日は新幹線で行きました。以前にそう決めていたのですが、大正解。ムチ打ちの頭では運転は無理です。講演も、二時間立ちっぱなしで大丈夫だろうかと少し心配だったのですが、大丈夫。ちゃんと終えることができました。

 社会福祉士の方々に、産婦人科の現場で起こっていること、様々な性暴力の被害、DV被害、または若い人たちのデートDV。これらの事を知って戴くことはとてもありがたいことなのです。

 その話の中で、ひどい性暴力の被害に遭った女性のことでお世話になった山口の弁護士さんを思いました。話を聞いて下さって、警察や検察にも行って下さって、尽力して下さったのですが。昨年末に急死なさいました。その松坂孝一弁護士が書生として住み込み、司法試験の勉強をしていたのが、同じ山口の高井弁護士さんの家です。

 私が学生時代、学生運動で逮捕された学生たちの面会や保釈、裁判でとてもお世話になりました。その後も私が結婚し、二人の子どもが生まれてからも、当分行き来していたのですが、そのうちご無沙汰してしまって。

 一昨年、山口での泊まり込みでの性教協の全国大会の時に連絡をして、何十年ぶりかでお会いしました。お宅にお邪魔してお話ししたのですが、またまたそれっきりになっていました。

 会いたいなあと思う人には、会っておくこと。会えないままに後悔することがとても多いので。最近特にそう思うようになりました。

 で、講演が済んで恐る恐るお宅に電話してみました。そしたら、元気なお声で出られたので嬉しくて。お家に訪ねて行きました。

 高井先生の奥様は認知症が激しくて、以前行ったときには、先生がお世話をなさっていたのですが、もうできなくなったと、施設に入っていらっしゃいました。だから、先生は一人暮らし。一匹の犬と一緒に暮らしていらっしゃいました。

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 先生のお宅の庭に梅が二輪、雨に濡れて咲いていました。

 先生は、弁護士になってから山口に住んだので、友達もいないし、80才で弁護士を引退してから何にもすることがなくってと言われます。でも、頭はとてもシャンとしていて、昔の学生のことなど、しっかり覚えていらっしゃいました。

 一緒にタクシーで湯田温泉の天ぷら屋さんに連れて行ってもらって、天ぷらとお刺身を御馳走になりました。先生は、日本酒を飲まれました。

 思い切って会いに行ってよかったと思いましたが、帰る時先生は、今度いつ来る?と言われました。これからも機会があれば訪ねようと思います。

 そしたら、帰りの新幹線の中で電話がありました。私たちのたった一人のおばさんが亡くなったという電話でした。また明日に続きます。

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小学生からの手紙

 遅くなりましたが、一月の初めに講演に行った、小学校の五年生の人たちから手紙が来ました。

___1065 二クラス全員からのお礼の手紙です。読んでびっくりしました。それぞれみんな季節のあいさつから始まります。そして、来て下さってありがとう、自分の感想、これからの私への励まし。そして日付から自分の名前、宛名と、全部きちんと形が整っています。

 その中で、それぞれ個性がありました。涙が出そうだったり、吹き出したり。

初めのあいさつの幾つかです。

「まだまだはだ寒い季節が続いていますね。お元気ですか。
 昨日は私たちに「福島のお友達」のお話をしていただいてありがとうございました。」

「こんにちは、冬休みが無事終わり心を入れ変え毎日を過ごしています。
 昨日は、私たちのために、お忙しい中予定を合わせ、私たちのレベルに合わせたお話をありがとうございました。」

「こんにちは。新しい年になり、お店などの商品のならびが変わりましたね。」

「こたつとみかんが合うような季節になりましたね。」

「こんにちは。カイロがかかせない季節になりましたね。」

「こんにちは。毎日、冷たい風が顔にあたってとても寒いですね。」

というのもありました。どれもかわいくて。

 最後には、

「これからまだまだ寒くなりますが、お体にお気を付け下さい。今回は本当にありがとうございました。」

「・・・なので僕も人を大切にしていきます。
これからも、ぼくたちのため、世界の人のために頑張ってください。」

 それから、次の手紙は長く引用します。

「一番心に残ったことは河野先生が福島の子どものことを話したことです。そこでは、河野先生の福島の子どもの人たちへの思いが伝わって来ました。そのときの河野先生はすごく真剣でした。
 でも一緒に給食を食べたときは笑顔でみんなと一緒にしゃべったりしていました。そこから空気の場を読んで話したり出来る、とても良い先生だと思いました。とても良い経験になりました。
 これからも私たち以外の子どもたちにこのような話を伝えてください。そしてかぜをひかないように気を付けてください。」

 ね、「空気の場を読んで話ができる」とほめてもらって、すごくうれしかったのです。小学生、いいですねえ。みんなのびのび、活き活きして、真剣に話を聞いてくれて。こんな手紙までくれて。そして、改めてこんな子どもたちの指導をする先生に感謝です。

 みなさん、先生方、本当にありがとうございました。私の宝物として大切にします。

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私は主婦。

 いつまでも、追突の事故のことを言ってすみません。

 昨日、運送会社の方が職場に来て、謝罪されました。その後、運送会社が契約している保険会社から電話があって、補償についての話がありました。

 まず、医療については、私がかかったクリニックに連絡がしてあって、私からの診察代は払わなくっていいということ。薬局についても同じです。

 そして、尋ねてみました。昨日診療をしようとすると、やっぱり頸から肩、頭がズーンと重痛くなって、とてもつらかったので。私には、「一週間の安静加療を要す」という診断書が出ているのだけれど、もし代診のドクターに来てもらって1日でも2日でも診療を休んだら、その代診のドクターの給料は出してもらえるのでしょうか、と。

 そしたら、それは補償できません、と言われました。あくまでも「私個人」への補償であって、私の給料が減額されるというのであれば、私に対してその減った給料の補償をしますと。

でも、私は月給制だから、休んだから即減給というのではないし。もし、それなら、日給月給の人にしか補償はされないことになるのでは?と。

 ふつう、月給制で務めている人が療養するのに有給休暇を取った場合は、その有給休暇に対して補償をします、と。でも、私は経営者だから、有給休暇なんてないし。

 で、向こうから提案がありました。結婚していますか?ご主人はいらっゃいますか?と。

 はい、います。そしたら、主婦としての手当が出ます。通院一回につき5700円の慰謝料が出ます。ですから、主婦として登録させて下さい、と。

 え?医師としての保障は出ないけれど、主婦としてなら、補償されるということなの?代診のドクターの補償はないにしても、医師である私が受診をした場合には、一回につきいくらという補償もなくって、主婦ならあるの?
 変なの、と私は納得がいきません。もし私が独身だったら? もし私が男だったら?主婦としての手当もないのかしら。やっぱりおかしい。まあ、パンフレットを送ってくだささるということなので、それを読んでみまましょう。今、とっても忙しい時でそんな時間はとてもないのだけれど、忙しさが一段落したらゆっくり読んでみましょう。

 日頃から肩こりがひどいのだけれど、もう、肩から頸がコチコチで、頭も痛くなってきたので、夜マッサージに行きました。頸椎捻挫はひどくマッサージしてはいけないのは分かっていますので、事情を話して首はさわらず、やさしく肩のコリをほぐしてもらいました。これで少し楽になりました。

___1168  16日火曜日から広島そごうで「江戸情緒老舗くらべ」が開かれています。以前、大江戸展といっていましたが。その初日の昼時間に行って、ブラブラしました。で、見つけたのがこれ。以前、平野寿将さんのお料理をカウンターでみながら食べているとき、平野さんが、ゆずを擦ってその小さなおろし金を小さな竹のほうきみたいなのでシャッシャッと履いて、ゆずの皮をおろしたのを集めていらっしゃいました。ゆずでも生姜でも、それから大根おろしでも、おろし金にくっついたのを集めるのは難しい物です。平野さんはもう少し小さいのを使われていましたが、でも、これでも十分です。こんな小さな物を買っただけでも、心が暖かくなります。あっ、私、やっぱり主婦だわ。

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ご心配をおかけしました。

 皆様、ご心配をおかけしてすみませんでした。沢山のお見舞いのコメント、ありがとうございました。

 昨日、私のクリニックの近くの整形外科を受診しました。三方向のレントゲンで「頸椎捻挫・一週間の安静加療を要す」という診断書が出ました。それを持って、警察にも行き、調書も済みました。

 ただ、一週間の安静加療といっても、代診のドクターがすぐに手配できるわけでもなく、仕事は続けるしかないなあと思っています。

 病院では、湿布と首に巻くカラーが出ました。カラーは、確かに首に巻くと楽なのですが、こんなのをはめて診療をするわけにはいかないので、家でだけで巻くつもりでいます。頭が重いのも、昨日の夜には大分楽になって来ました。来週初めにもう一度受診をするようにということでした。

 しかし、人生、いつどんなことが起こるか分からないなあと思います。今回のように、完全にもらい事故でも、被害に遭うと、病院に行ったり警察に行ったり、ずいぶん時間は取られて予定していたことが出来なかったりします。

 気の毒なのは、運転していた友人です。私のためにわざわざ車で迎えに来てくれて、送ってあげようと好意でしてくれたことなのに、ぶっつけられて車は壊れるし、首がしびれて、家の近くの病院で今MRIを取っているそうです。自分もそうなのに、私に恐縮しています。私は、そうではなく、彼女が悪いわけではなく、悪いのは、あくまでもあのトラックの運転手なので、私に恐縮することはないのに、と思っています。しかし、どうしてあんな道で、見通しが悪いわけではなく、車もゆっくりではあるけれど流れているところで、あんなに激しく追突するのか、訳が分かりません。

 運転手さんは、「急にに止まったから、プレーキが間に合わなかった」と言いました。とんでもない、止まってはいませんし、そう思ったのなら、それは脇見しかないなあと思います。

 整形外科から帰り、いい物に遭遇しました。めったに見られない「カープ電車」です。これは運がいいと急いで写真を撮りました。JRのカープ列車は真っ赤ですが、広電の今年のは、こんな外装です。横面のカープ坊やもかわいいし、乗るとつり革やマスキングテープもカープ仕様だそうだし、カープ選手が入れ替わり放送するそうです。乗ってみたいものです。外から見られただけでも幸せでした。

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倉本聡さんの演劇・観られなかった。

___1139昨夜は楽しみにしていたこの演劇を観る予定で。今日ここにその感想を書く予定でしたが・・・。残念ながら、観ることができませんでした。

 実は、友人の好意に甘えて、クリニックまで迎えに来てもらって、会場に送ってもらうことにしていたのです。で、廿日市に向かっていて、トラックに追突されたのですね。まさかの出来事です。ドーン!!て音と衝撃があった時に、一体何が起こったのか分かりませんでした。何かが爆発したのかと。

 「何?」「追突された!!」で、後ろを向くと、トラックです。10トントラックだそう。即座に観劇はあきらめました。

 パトカーの警察の人が救急車を呼びましょうと言われましたが、断りました。日頃、患者さんの搬送を頼んでいる救急車に乗るのは、どうも恥ずかしいです。で、事故処理の後、友人と一緒に自分たちで当番の病院に行きましたが。そこは、

「頸は診ますが、頭は診れません。夜間ですので、検査はできません。診断書も書けません。救急車が来ますので、診察はその後になります。それでもよかったら診ます」とのこと。結局出直すことにして診てもらうのはやめて帰りました。

 昨夜は頸や肩に韓国から買って帰った湿布をべたべた貼って寝ました。

今日、改めて受診します。

 友人が買ってきてくれていて、食べていたサンドイッチが転がり落ちて食べられなかったのが残念。

 それと、やっぱり演劇が見られなかったこと、残念。観た友人によると、とても良かったと。原発の事故で避難区域になった家での話。ぜひ河野さんに観てもらって、感想を書いてもらいたかったということでした。これからの公演スケジュールを見ると、岡山、大阪、山口などはもうすんでしまっていて、後はどんどん北に行きます。とても追っかけられそうにありません。チケット代金は、運送会社に払ってもらおうと思います。 

 そうそう、一昨日からBS1で午後9時からやっているドキュメント、とても面白いです。一昨日はバレー・ボイ。ノルウェーのバレーをしている三人の男の子を追ったもの。コンクールの様子や自分の将来に悩む様子など。内一人、とてもカッコイイ男性がイギリスのロイヤルバレー団の教室に入りました。14才の少年から段々とたくましい男性になって行くのが、とても面白かったですよ。

 そして昨日、観劇をあきらめたおかげで見ることができました。アメリカ人の男性が、中国の若い女性と結婚する話。

 そして、今日、演出の蜷川幸雄さん主催の年寄りの劇団がロンドンで公演をする話し。この、年の人を募集するというときに、いいなあ、私も応募したいなあと思ったものです。その人たちの演劇。もう、絶対見なければ。

 今から整形外科に行きます。頸の痛みが治まりますように・・・。

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フィリピンごみ山のフリースクールへの支援を。続きです。

 昨日のブログを読んで、早速浜中和子先生が支援を申し出て下さいました。これで524000円、達成率65%になりました。浜中先生、本当にありがとうございます。

 もう少し。岩崎さんの記事を転載します。胸が痛むことは沢山あるのですが、給食についての報告です。できれば、このフリースクールの歩みや奨学生のこと、クリスマス・パーティーなど、新着情報として書かれているこのページ に飛んで読んでいただけると嬉しいです。以下、転載です。

『パアララン・パンタオの取り組みの紹介をつづけます。

2000年、パヤタスのゴミ山が崩落し、多くの犠牲者が出た事故のあと、パアララン・パンタオのレティ先生は、給食の実施を決心しました。

 

子どもたちに給食を提供したい、とレティ先生はずっと願っていました。まともに食事をしていない子どもがほとんどで、身長も体重も標準よりはるかに小さい子どもたちも多かったのです。安いスナック菓子で空腹をごまかす子どもたちに、栄養のある食事を与えたい。事故のあと、ゴミ拾いもできず菓子も買えない子どもたちのために、まず週に一度の給食の提供をはじめました。

効果はてきめん!!

いつもしんどそうにすわっているだけだった子が、2度目の給食のあと、みんなの前でアルファベットを読んで、先生たちをびっくりさせました。

翌年から給食は毎日に。私たちが日本から送る少ない予算をやりくりしながら、また崩落事故のあと、外国のNGOがパヤタスに入るようになり、その支援も得て、給食を定着させていきました。給食と一緒に、手洗い、歯磨き指導もはじめました。

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これまで、新学期に登録はしても、3か月もすると、クラスにこなくなる子どもたちも多かったのですが、給食を実施するようになって、一年を通して、子どもたちはパアララン・パンタオに通いつづけるようになりました。

勉強に自信をもてるようになったことで、公立小学校に通ったり、ハイスクールに進学する子どもたちの数も飛躍的に増えてゆきました。

2012年まで、なんとかつづけてきた給食ですが、13年からは、フィリピンの物価高と日本の円安、これまで給食の費用をサポートしてくれた海外のNGOの撤退による予算不足で、続けられなくなっています。

可能なら一刻も早く、また給食を再開したいのですが、2校で300人の生徒がいるので、金額も年間150~200万円ほどかかります。簡単な軽食を出すとしても100万円ほどは必要ですが、あきらめず、願ってゆきたいと思います。』

これは、以前の写真です。今は、14歳未満の子どもたちはごみ山に入ることは禁じられています。ここで岩崎さんが再会した手前の少女は、10才までフリースクールに通っていましたが、11才になってこうして働くために通学しなくなったそうです。

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後一歩です。皆様の更なるご支援を私からもよろしくお願いします。

 


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フィリピンごみ山のフリースクールへの支援を。

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 これは、フィリピンケソン市のごみ山です。人々が、ここにごみを捨てに来、その麓に住んでいる人、子どもたちもそのゴミの中から様々な物を拾ってお金に換えています。

 

ここに 書きました。岩崎一三さんたちが、このごみ山の麓のフリースクール、パアララン・パンタオの台風で壊れた屋根の修理のお金を集めているのですが、苦戦しています。

 「readyfor」にて、80万円の募金を呼びかけています。でも、今はまだ424000円。達成率53%です。後残り37日のうちに100%達成できないと、プロジェクトは実行されません。

 もう少し、この学校の事について岩崎さんの記事をここに転載しますね。雨季が来るまでに直さないと、子どもたちが勉強を続けられません。皆さまのご支援、どうぞよろしくお願いします。

『このプロジェクトについて

フィリピンのゴミ山のふもとにあるフリースクールで学ぶ子どもたちが、

安心して学習することが出来る環境を守りたい!

 

はじめまして、岩崎一三です。私たち“パヤタス・オープンメンバー”は、20年前からフィリピンケソン市のゴミ山のふもとにあるフリースクール“パアララン・パンタオ(思いやりの学校)”に教師の給料や電気水道代など運営費用の支援を続けてきました。しかしこの夏、フィリピンを直撃した大型の台風で、エラプ分校の屋根が壊れてしまいました。樋が吹き飛ばされ、屋根はめくれ上がり、天井には3箇所に大きな穴が開いています。

 

そこで、みなさまには屋根と天井の修理のため、

お力をお貸し頂きたいと考えています!』

同じく岩崎さんの記事から、フリースクールの歩みです。

『1987年 レティ先生が地域の子どもたちに勉強を教えはじめる。

1989年 パアララン・パンタオ開校。


1995年 生徒数200名を超えるが、資金が底をつき、教師を雇え な
い。日本で支援グループ「パヤタス・オープンメンバー」を立ち上 げ、
寄付を募る。

1996年 教師6人(レティ先生含む)を確保して新学期を迎える。
生 徒数200名超える。

1999年 奨学金の支給はじまる。以後毎年、ハイスクールやカレッジ
に進学する生徒数名ずつを支援。

 

2000年 ゴミ山崩落惨事(7月10日)。パアララン・パンタオの生徒も
23名が犠牲になる。 8~9月、住民たちのエラプシティ(再定住地)への
移住すすむ。ゴミ山の一時閉鎖で人々の生活は 困窮する。10月から週に
1度、無料の給食サービスをはじめる。

2001年 給食が毎日にな る。

2003年 8月エラプ校開校。

2004年 エラプ校の増築工事はじまる。

2005年 生徒数両校で300名を超える(パヤタス校92名、エラ プ校
210名)。教師・スタッフ11人。給食あり。

2006年  エラプ校 の増築工事続くも資金不足のため中断。9月以降
ゴミ山拡張のた め、パヤタス校と周辺住民の移転が具体化。近くにパヤ
タス校の新 校舎建設はじまる。

2007年 2月パヤタス校新校舎完成、移転。エ ラプ校増築工事再開
完成。パアララン・パンタオが「第9回アジア人権 賞」(アジア人権基金)
を受賞。

2010年 生徒数両校で380名(パヤタス校129名、エラプ校 251
名)。教師・スタッフ12人。給食あり。

2012年  給食あり。エラプ校の壊れた床 を修理。

2013年 資金不足のため給食なし。奨学生なし。

2014年  生徒数両校で280名(パヤタス校94名。エラプ校1 86
名)。教師・スタッフ8人。資金不足のため給食なし。台風のためエラプ校
の屋根と天井が壊れる。11月からカレッジに復学する奨学生1人
(カレッジ)を支援。

 

☆☆

 

25年前、小学校に通うことさえできなかったゴミ山の子どもたちが、
パアララン・パンタオで学ぶことで、励まされ、次第に小学校やハイ
スクールに通うことができるようになっていきました。いまでは毎年
300人もの地域の子どもたちが、パアラランで学んだのち、小学校に
進んでいます。

子どもたちの暮らす地域に、学び舎があることで、子どもたちの運命が
変わっていきました。この学び舎を守りたいと思います。

 

どうか、応援よろしくお願いいたします。』

    

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釜山あれこれ。

 今回の釜山行きは、急に思いついて、しかも一泊二日というタイトなスケジュールで強硬したものですが、十分に楽しみました。ビートルでの行き帰りですが、行き帰り同じ顔ぶれの人たちが沢山いて、同じスケジュールの人もいるということが分かりました。

 ビートルは、博多港から約3時間で釜山着です。船内では映画をやっています。私たちはプラス3000円で、グリーンにしました。グリーン席は席も大きく、スリッパや毛布などのサービス、それにサンドイッチかお菓子が出て、飲み物はビール、ワイン、ジュース、コーヒーなどが飲み放題です。でも、席は一階の前で、船底が波に当たるドーンが直接お腹に響きます。普通席のそれも二階の方が、それらの影響はないのではと思います。冬の海が荒れる時は、二階席で安く行った方がいいかもしれません。今回私たちは、往復7900円でしたが、もう少し早く申し込んだら、往復4900円で行くことができます。席数限定です。

 何より釜山は、韓国の台所をまかなう魚貝類を水揚げする大きな漁港を抱えています。だから、食べ物が素晴らしいのですね。市場も楽しいし。

 釜山港は、いま新しく作っていて、6月から新港で運行するそうです。大きな建物がもうできていました。やっと。だって、これまでのは、あまりに古くて、いえ、建物は新しくしてあったのですが、桟橋から乗船するのが、階段の上り下りが荷物を持って大変です。これは街中もそうですが、バリアフリーがまだまだダメなのですね。もっとも、日頃運動不足の私には、階段がいい運動にはなりましたが。

 だって、これだけ食べても、帰ってみたら体重は落ちていたのです。

 円安のレート。これはやっぱりつらいです。この前ソウルに行ったときと同じ、1万円が91000ウォンでした。こう見ると、一応、円安は下げ止まったのかもしれません。釜山では、いつも港におじさんが立っていて、こそこそと両替してもらうのです。その方が正式の両替商よりもレートがいい物ですから。でも、今回は見渡してもおじさんの姿がありません。後でわかったのですが、おばさんが一人いました。でも、尋ねると、窓口の両替と同じレートでした。

 セブンイレブンの前にはみ出してな何かすごいディスプレイがしてあります。何だろう、お正月の準備かね?と、近づいてみました。

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 なんと、バレンタインのチョコレートでした。それも、花束にしてあるのとか、花かごに入れてあるのとか、もう、ハデハデです。あれは何だ?というようなでっかいチュッパチャップスも。

___1166  今回のスタッフへのおみやげはごま油です。韓国のゴマ油は、100%で、以前ソウルで買って帰って、ものすごくおいしかったのです。他にもあれこれ買いましたが、ソウルと同じような小物がほとんどなので省略です。

 以上、釜山の報告でした。実は、とっておきの写真があるのですが、また機会があればアップしますね。

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釜山で焼き肉。

 釜山から帰る直前、最後のご飯は、やっぱり焼き肉にしようと。私は、ここの所韓国に行っても焼き肉を食べておりません。で、焼肉屋さんもいろいろと調べていましたが、探しながら行くよりも時間の節約のためにロッテデパートの9階のレストラン街にある韓国料理のお店に行くことにしました。ネットで体験記を読んで、なかなかだと思ったもので。ホテルのチェックアウトも済ませて、荷物も預かって戴いて。

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 頼んだのは、味付きカルビー三人前とスンドゥブチゲ。それにマッコリを二人分。ご飯は一つはチゲについているので、後二つ。どさっと持ってこられたおかずが豪華です。チヂミはもちもち。サラダのドレッシングはゆず茶でした。ところが、マッコリ。二人分、コップ二杯のつもりで頼んだら、二本来たのであら、そうなんだ、どうしようでした。結局一本持って帰りました。

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 韓国の焼き肉は、店員さんがそばについて、全てやって下さいます。はさみでチョキチョキしながら焼いてくれます。焼いて、お皿に入れてくれて。おかずのなくなったのは、すぐにまた追加をしてくれて。

 早めに行ってお店も人がほとんどいなかったのですが、そのうちお昼になって、たくさんの人が入って来ました。広いお店もいっぱいです。回りを見ると、プルコギやサムケタンなどの人たちにも、同じようなおかずが並んでいます。

 カルビーは、日本のと違って、あまり脂肪がなく、しっかりとした味でおいしいです。値段もリーズナブル。何よりデパートですので、会計がメニューに書いてある通りで安心です。

 今回は駆け足で、どう時間を使うかが課題でした。寸暇を惜しんでおみやげも買わなければいけないし。国際市場やデパートやコンビニでそれなりに買うことができました。

 何度も何度も行っている韓国ですが、まだ屋台で食べることは出来ないままでいます。屋台というか、露天では、靴下やマフラーだけでなく、焼き栗、ぎんなん、芋けんぴ、チェリーなどを買いました。それと、前から絶対買ってみようと思っていた「ホットック」。韓国のお焼きですね。お兄さんがやっていた露天で買いました。と、中をグイッとを割って中にどさっと木の実を入れてくれました。あらかじめ入っている黒砂糖やシナモンの味と木の実が混ざってそれはおいしいお焼きでした。ケンピは、日本のより、細く細くおばさんが削って揚げています。日本のよりもうんとカリカリしています。

 明日、もう少し書き残したことを書きますね。

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釜山のアワビ粥。

 二日目、といっても帰る日。帰りの便は午後2時半。一時間前に港に行かなければなりません。早く起きて、まず朝ごはん。ホテル裏でアワビ粥です。

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 私たちは希望して座敷の方に座りました。韓国では、女性の足はたとえ胡坐を組んでもマナー違反になりません。

 これまでいろいろな所でアワビ粥を食べましたが、やはりここが一番。アワビのキモがたっぷり入ってこんな色のは他にはありません。ウニのスープは、たっぷりのウニとわかめ。これを三人で分けて食べました。それで十分。焼き魚を一つ。アマダイですが、パリッと香ばしく焼き上げてあります。どれも美味。大満足です。このために釜山に来たと言ってもいいほどです。

 その前夜、何と、ロッテホテルの大きなスパ、そこでゆっくりお風呂に入ってあかすりをしてもらいましょうと思っていたのに、スパが工事中。もう2週間後にリニューアルオープンということだったのです。もう、がっかり。海雲台まで行くと、好きなスパがあるのですが、今回は時間がなくって、結局お風呂は部屋のに入ることにして、ホテル裏のマッサージ「オアシス」に行きました。

 歩き疲れていたので、もう足がだるくって。私と姉は全身のマッサージ80分。姪は顔のエステと足つぼマッサージ。韓国ではマッサージのはずれがありません。特にここは何回も行っていますが、みなさんとても上手です。その気持ちのいいこと。ウトウトしてしまいました。むくんでいた足もすっかりほっそりとなって、さあ、そこから夜の街の散策です。

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 ホテルの裏にはずらりと屋台が。どの屋台もいっぱいの人。一度入ってみたいけれど、まだその勇気がありません。そこからもう少し歩いて行くと、とっても賑やかな街が展開します。すごい人人。特に若い人たちがいっぱいです。途中、露天で靴下やマフラー、帽子などを買いましたよ。こんなのが面白くて。

 姪が、いろいろなマッコリを飲ませてくれるお店があるというので、ドンドン歩いてそこに行ったのです。が、そこは無常にも別のお店になっていました。ザンネン。

 帰る日のお昼ご飯、焼き肉などは明日にしますね。

 

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釜山で食べたものなど。

 無事広島に帰って来ました。やはり冬の玄海灘の高速艇は波が荒くて、少々きついものでした。特に、満腹で乗った帰りはお腹にも応えました。まあ、三人とも船には強いので大丈夫でしたよ。

 今回の釜山行きでは、食べるのは4回だけです。着いた日の昼と夜、帰る日の朝と昼。だから、いつ何をどこで食べるかよくよく考えておきました。

 ついてすぐ、まだホテルのチェックインが出来ないので、荷物だけ預けて隣のロッテデパートの地下のフードコートへ。そこで頼んだのがこれらです。

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 キンパは中身が多くておいしいです。ビビンバには、海鮮味のお味噌汁、何か分からないかたい貝が入っていました。それに水キムチがついています。タコのごはんは混ぜるとこんなに真っ赤になります。一杯タコがはいって、辛いけれどおいしいものでした。これらを三人で突っついて食べました。

 注文は受付みたいな所で一括注文です。「日本人なのでよく分からないので教えて下さい」と言うと、とても親切に、それぞれのお店に連れて行って下さいました。タコのごはんは、姪が人が食べているのをそれは何ですかと聞いて注文しました。みなさん親切です。

 チェックイン後は免税店へ。その後国際市場へ。ブラブラ歩いて買い物です。皆さんすごいエネルギーで活気があります。そこから続いてチャガルチ市場へ。

 これまで、市場の大きな建物の一階でお魚やあわびやウニなどを買って二階で料理してもらって食べていましたが、その建物の五階にバイキングができているのを初めて知りました。そこに前日に広島から予約をしておきました。全く日本語はできませんので、予約も四苦八苦。でも行ったら、ちゃんと予約出来ていて、嬉しかったです。予約のおかげでしょう。窓際の港が見える席が用意してありました。

 カニや牡蠣などの海鮮料理や韓国料理だけでなく、中華、和食、あらゆる料理がありました。お肉の料理も沢山。デザート、果物、飲み物も豊富。カメに入った、韓国の飲み物等よく分からない物もたくさんです。

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 お寿司も変わりずしがおいしかったし、マグロの解体ショーや豚の丸焼きなど、豪華なものでした。私たちが行ったのは開店早々でしたが、そのうち若い人たちで一杯になりました。ここからホテルに帰って、すぐにマッサージ。そして夜の街の散策でした。これらはまたご報告します。

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チャガルチ市場です。

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もうずっと前に釜山に来たような気がします。寸暇を惜しんで動き回っております。
なにしろ、一泊二日なので。もう、今日帰るのですもの。

 韓国の人々は変わらず生き生きと活発でたくましく、かつ親切です。

チャガルチ市場。たっくさんの魚などを見て回るだけでも楽しくて。
ここで買った物はビートルでなら持って帰られるそうで、心動かされています。
だって、もう信じられないほど安いのですもの。あわびもカニものどぐろも。

また、帰ったら色々とご報告しますね。

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釜山に行ってまいります。

 来週の18日水曜日、演劇を見に行く予定です。

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 倉本聡さんの富良野グループのノクターン。富良野グループの演劇、「明日、悲別で」を見に行ったのは、約2年前です。その時のことはここに 書いています。その後も途絶えることなく「福島、原発事故」を追求している、その姿勢に頭が下がります。そして、ささやかながら思いを同じくするものとして、その舞台を見るのがとっても楽しみでもあります。倉本さんの舞台はとても分かりやすく、かつ重く、いつまでも心に残ります。

 問題は、診療を終えて廿日市まで駆けつけるのが開演に間に合うかということ。「明日、悲別で」は、アステールプラザでしたので、楽でしたが。さあ、今回はどうやって駆けつけるか、考えています。自分で車を飛ばして行くのは、駐車場でもたもたしたりすると間に合わなくなるので、タクシーでいくのがいいのかもしれません。お金がかかっても、それだけの価値ある舞台だと思うので。でも、そうすると帰りがしんどいなあ、とか。

 私は今、博多にいます。今日から二連休。さて、この貴重な休みをどうするか考えて、よし、それっと高速艇ビートルを予約したのが丁度二週間前の1月27日のお昼休みです。続いてロッテホテル、そしてこの博多のホテル。お昼時間のうちに、次々と予約が完了しました。

 はい、明日から一泊二日で釜山に行きます。姉と姪と三人で。

 それも、格安です。博多釜山間の高速艇ビートルは、往復で何と一人7900円。この博多ターミナルホテルはじゃらんで一人4600円(二週間前の沖縄行きの時にもここに泊まったのですが、その時は一泊5400円でした)。ロッテホテルは50%引きにして下さいました。しかも、デラックスツインにエキストラベットを入れて、三人で一部屋です。とても広い部屋ですので、それで十分。一人1万円と少しで済みます。広島博多間の新幹線は回数券です。全て自分で計画しましたが、格安で行けそうです。

 今回の目的、色々とあるのですが。そう、ほとんどが何食べる?の相談ばかりです。それでもスパ、マッサージ、免税店などは欠かせませんし。順次ご報告しますね。まず前祝で、昨晩は博多のもつ鍋を食べました。おいしくって。梅酒も飲みましたよ。韓国ではマッコリですね。

 朝早くの出発です。それでは行ってまいります。
 

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当番医・お昼に食べたものなど。

 一昨日の日曜日の当番医、朝出勤前から意識がもうろうとしているという人が来るとの電話。あわてて大急ぎで駆けつけました。そこから始まって、重症の方が次々と来られて、それは大変でした。救急車を依頼して、大学病院に患者さんの搬送もしたし。こんな時に、つくづくありがたいと思います。大学病院の産科婦人科は、どんな時でも、日曜でも、深夜でも早朝でも、救急の患者さんの受け入れをお願いしたら、全く嫌がることなく、すぐに受け入れて下さいます。入院のベットを持たない、医師一人だけという医院では、対応に限りがあります。そんな時の受け入れがあるというのは、どんなにありがたいことか。救急車で行くと、その時には沢山のドクターやナースが待ち構えて下さっています。どれだけ心強いことか。本当にありがたいことでした。

 てんてこ舞いの当番医でした。昨日の月曜日、まだ引きずっていました。日曜日の急患の続きの方も来られて。私の所で外来で何とか対応できるかと思いましたが、やっぱりこれはいけないと。近所の内科病院に受け入れをお願して、入院してもらいました。

 それにしても、日曜の休みがないままに診療が続くというのは、くたびれるものです。私は休診の日はよくあちこちに講演にでかけますが、それでも、診療の休みがないというのと、全然違うというのが良く分かります。講演に出るのは、忙しくてもストレスの解消になっているものだと、今回でよく分かりました。

 今日診療をすれば、私は二連休。特別の楽しみが待っています。頑張りましょう。

___1126 当番医に持って行ったお弁当。でも、お昼には性教協の例会とお昼をはさんで幹事会があるので、遅れてお昼に駆けつけました。仲間たちと一緒にお昼を食べてまたクリニックに戻りました。結局お弁当は晩御飯になりました。「おにぎらず」。海苔のいいのを戴いていたので、それを使って。黄色いのが点々と入っているのは、前夜のにら玉の残りです。何でもこうして包めばおいしい。ついでに、最近食べたお昼ご飯を少し。

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 クリニックのそばにある一蘭が期間限定でインスタントラーメンを売っていました。即買いです。お店で食べるのと少し味はちがうけれど、でもインスタントの中では抜群のおいしさです。まだ4食残っているので、楽しみに、大切に食べます。

___1138 一蘭のそばのお菓子のデパートでインスタントラーメンを大量に安売りしていたので、買っておきました。その中のエースコックの「鬼辛」とんこつ醤油ラーメン、それはそれは辛くて、涙が滲みました。休み時間がほとんどない時に急いで作って食べたので、午後の診療は鼻水を垂らしながらになってしまいました。75円でしたが、でも、からいのにもほどがあると思いました。一平ちゃんの焼きそば、ガーリックバター醤油、ほどほどのおいしさでしたよ。いつも外で贅沢な物を食べるわけでもなく、いつもインスタントラーメンばかりを食べるのでもなく・・・です。

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「命の誕生」

 私が昨年末の韓国語スピーチコンテストで話した内容を書いたブログを読んだ小学校の先生が、その内容をプリントして5年生のクラスに配って感想を書いてもらったそうです。ちょうど「命の誕生、命のつながり」を学習しているときだったそうです。ここに その内容を書いたブログがあります。

___1125  感想と言っても、そのクラスでは、毎日ノートに日記を書いて提出するのだそうです。その日の日記の材料として提供されたのだと。そして、その生徒の書いたノートのいくつかをコピーして下さいました。私のブログがこんな使われ方をしているのがとっても嬉しくって。そのいくつかをご紹介しますね。

『   産んだ人だけじゃなく

 私は、この文を読んで生まれてきたことがうれしいのはお母さんだけではないと思います。赤ちゃんが生まれるのに立ち会った人もだと思います。この文には、「赤ちゃんが無事に産まれて「ふんぎゃー」と泣いた時には、胸がキューンとなって」と書いています。そこから私は、「赤ちゃんが生まれるのに立ち会った人も、みんな命の誕生をまっていて、みんなが命が誕生するのを楽しみにしています。だから、命は、みんなから大切にされているとても良いもの」だと私は思いました。』

『   命の重さ

 命の重さはどこの国の人でも、どんな身分の人でも変わらずとても大切なものだとこの文章を読んで感心しました。

 ですが今の世の中では戦争している国は人がかんたんに亡くなったりしていて国によって身分によって命の重さが変わっていると思いました。人が生まれてくるときはみんな同じなのに死ぬときは命の重さが変わるというのはいけません。戦争のない国、身分の高い人はもし自分が戦争のある国の人だったらと考えて命を大切にしなければなりません。

 でも私がそう思っていても世の中は変わりません。なので私は命というものについて深く考えて戦争のある国などの人たちのためにも精一杯生きます。そして、命の重さが平等にあつかわれるような世の中になってほしいです。』

『   みんな生きている

 ぼくは、命を考えた。

 どこの国の赤ちゃんも、初めて声を出した時には、まったく同じ声を上げます。成人の人を見てみましょう。例えば白人と黒人を差別したり、戦争で、てきみかたを分けたりしています。

 なぜこんなことをするのでしょう。命の大切さに、上、下はないはず、みんな平等なのに、なぜ差別をするのか。これをうったえていると思います。

 河野先生は、命の本は皆同じなので、一人一人のすべての命を平等にしていきたいと思っていると思った。』

『  河野先生は、どこの国の赤ちゃんも価値や命は平等。ということを言っていると思います。でも、世界には、国と国が戦争をしていないところがないわけではないと思います。でも、全ての命が平等という考え方は、間違ってはないと思います。だからぼく達も小さなことからやっていきたいと思います。』

『   大切な命のために

 私は、河野美代子先生は、命はどこのだれにとっても同じように大切だと考えていると思います。

 この文を読んで、私は、次のように思いました。最近、ニュースで、黒人の人が、デモをしているという内容をよくききます。最近はきかないけれど、戦争をしている国もあります。でも、同じ「地球」の同じ「人間」です。私は、身近なちょっとした差別をなくし、一人一人の命を大切にします。』

 私の文を読んでくれて、そして感想まで書いてくれた皆さん、ありがとう。とてもうれしかったです。

 そして、私がさらにうれしかったのは、命についてこんな何気ない文を拾い上げ、生徒に提供して下さる先生、さらに、一人ひとりの文、全てに先生の一言が添えられているのです。「なぜ、同じ命をもつ私たちは、争いをするのだろうか?」とか、「それだけ感動的なものなんだね。なぜ命の誕生は、感動的で楽しみなのでしょうか?」などなど。

 学校の先生って、毎日本当に大変だし、でも、子どもたちの成長にかかわる、なんと素晴らしいお仕事なのか、ということを改めて感じました。ありがとうございました。

 

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野樹かずみさん・ごみの山の子どもたちの支援

 今日は私は当番医です。朝から夜までいつも通りの診療です。

 夫は、いとこの急死の知らせがあり、今日からお通夜やお葬式などのために大分に帰ります。本家のいとこで、いつも独り暮らしの義母の事をお世話して下さっていたいとこです。お正月に帰った時にもご挨拶に行き、つもる話をしたばかりです。お連れ合いが入院中で、お一人でいらっしての急死、結果的に孤独死になってしまいました。人々の、とりわけ義母のショックは大きいと思います。

 私が当番医でなかったら、昨夜のうちに車で行っていたのですが、どうにももなりません。ここからご冥福を祈ります。

 今日は、私の友人のブログのご案内をします。

ここに あります、「夢の野に」。広島在住の野樹かずみさんのブログです。歌人野樹かずみさんの著書のアマゾンの著者紹介から。

野樹/かずみ

1963年、愛媛県宇和島市に生まれる。広島大学文学部卒業。在学中、在日韓国人被爆者の被爆体験の聞き書きに携わる。1991年、第34回短歌研究新人賞受賞。この年から東京に住む。1994年、フィリピンのゴミ山を訪れる。翌年からゴミ山の麓にあるフリースクールの運営を支える活動をはじめる。2001年から広島市在住

他のサイトから野樹かずみさんの著書の紹介です。
第一歌集『路程記』
定価:本体1400円+税
2006年12月発行
発行:booknest
作品集『christmas mountain わたしたちの路地』
詩:河津聖恵 × 短歌:野樹かずみ
定価:本体1200円+税
2009年1月発行
発行:澪標
作品集『天秤 わたしたちの空』
詩:河津聖恵 × 短歌:野樹かずみ
定価:本体1500円+税
2009年12月発行
発行:洪水企画、発売:草場書房
第二歌集『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』
定価:1800円+税
2011年1月発行
発行:洪水企画、発売:草場書房
『短歌両吟 類人鳥』
蝦名泰洋 × 野樹かずみ
私家版 1000円
2013年5月発行
『短歌両吟 第2集 天体育ち』
蝦名泰洋 × 野樹かずみ
私家版 1000円
2013年12月発行

 野樹さんは、短歌の創作のかたわら、ほとんど一人でフィリピンのごみの山に住む子どもたちの支援活動を20年間続けています。コツコツと途絶えることなく。その継続していることに頭が下がります。

 今回、フィリピンを襲った台風により、このフリースクールの屋根が壊れてしまいました。その屋根の修理のための募金を呼び掛けています。

 ぜひ、かずみさんのブログに飛んで下さい。自閉症の息子さんの子育て記録として読んでも、とても興味深いのですが、そのトップページに書かれているこのフリースクールへの支援を読んで戴きたいと思います。

 以前、私のブログに、野樹かずみさんのことを書いています。ここに あります。どうぞよろしくお願します。

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すんなり宝塚に行けなかった切符

 私があちこち講演に行く時に、クリニック開院以来事務長をしてくれている姉が往復の行路の検討をし、切符も手配してくれています。

 今回の宝塚でもそうでした。が、今回はすんなり行くことができませんでした。

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まず、広島駅。上の切符を在来線の改札で器械を通して駅の中に入りました。そして、新幹線への改札で下の切符、新幹線用のと一緒に器械を通して入ろうとすると、通せんぼの扉が閉まって、通れませんでした。ええっ?行きと帰りと間違えたかしら、ちゃんと確認しているのだけどと思いながら出てきた切符を取ったら、駅員さんが飛んでこられました。切符を見せて下さい、と。

 そして、切符を点検して、これでは行かれません。この切符は、在来線となっています、と。

でも、新大阪までの新幹線の切符は、これですと言ったら、そうではなく、乗車券が違いますと。これでは、ずっと山陽線を通って、尼崎で福知山線に乗り換えて行く切符ですと。新大阪を通って行くのなら、差額を払ってもらわないと、と言われます。

 びっくりです。私は、何十回も宝塚には行っています。新幹線で新大阪まで行って、そこで在来線に乗り換えて、大阪、尼崎、そこで宝塚線と言うか福知山線に乗り換えて行きます。今回も当然そのルートで切符を買ってあるはずなのですが。

 でも、これは大阪に行って差額を払って下さい、と、器械を通さないで中に入れて下さいました。私、さっぱりわかりません。何がいけないのか。新幹線の中で行き帰りの切符を並べて考えました。でも、わかりません。だって、新大阪までの新幹線の切符はあるのに、なぜ?このままの切符で行くためにはどうすればいいのかしら、神戸で降りて尼崎へといっても、新神戸と神戸三宮は離れているし。

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 で、新大阪です。清算窓口に行って、これこれと説明をすると、これは途中で清算するとややこしくなるから、宝塚に行って清算して下さい、ここは事情を言って器械ではなく、あそこを通って下さいと言われました。有人の改札口です。改札口でまたこれこれと事情を言ってそこを通してもらって、そして宝塚に急ぎました。宝塚ではお迎えの方が来られていますので、急がなければ。

 で、宝塚です。改札を通る時に駅員さんに話すと、これは緑の窓口に行って下さいと言われます。お迎えの方に待っていただいて、緑の窓口に行きました。緑の窓口でまた事情の説明です。そして、行きも帰りも切符を新しくして下さいました。新しい切符はこうです。切符を渡す前に写真を撮らせてもらいました。上が通れなかった切符、下が新しくしてもらった切符です。上のは、経由:山陽・東海道・福知山となっていて、新しいのは経由:広島・新幹線・新大阪・東海道・福知山線となっています。帰りの切符も新しくしてもらいました。そして、差額を払いました。宝塚での緑の窓口の人もびっくりしておられました。こんな売り方は無いですねと。

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 まあ、なんと。いつも買っているJTBは一体どうしてこんな売り方をしたのでしょう。

 翌日。姉に確かめた上で、私はお昼時間にJTBに行きました。「ここで購入した切符のクレームです。どなたか、お話しができる方に」と言って。そしたら、マネージャーと言われる方が出て来られました。そして、すぐに「この度は大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした」と言われるのです。私がなんにも言ってない内から。「昨日、JR宝塚から連絡がありました」と。姉が書いた切符の申し込み用紙もちゃんともっておられます。それには、きちんと新大阪経由と書いてあります。全て分かっていらっしゃいました。でも、それなら、昨日の内か翌日の朝にでも、電話の一本でもすべきだと思いましたが。私が来るまでなんにもしないのではなく。まあ、ともかく謝罪をされ、私が支払った差額640円を出して下さいましたので、一応これで終わりです。でも、プロである旅行社が、なぜこんな売り方をしたのか、何をまちがえたのか、その謎はとけないままです。

 それにしても、瞬時にすべてを読み取とってストップさせる改札の器械、あれは大したものですね。その正確さ、賢さ、威力に改めて感じ入りました。


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高校生のスマホは文化。

 昨日は中学2年生に話をしました。良く聴いてくれたし、後で男子生徒2名が自分の言葉で感想を言ってくれて嬉しかったです。

 ところで、全国でなのですが、携帯・スマホを媒介としての事件がとっても沢山起こっています。それは私の診療の場ででも無視できなくなっています。

 今私は必ず話の中にSNSの事を入れるようにしています。そもそも、単なる電話器ではなく様々な機能を持つものなのですから、それを何の学習や指導もなく使えば、怖いことになることもありうるのですね。せめて私の話の中だけでも、最小限のことでも伝えておきたいと思っています。

 今、出会い系サイトはフィルターがかけられているので生徒たちはアクセスできなくなっているけれど、それに代わるものとして「掲示板」があります。ゲームの掲示版、学校掲示版などにアドレスを晒すという事は、これは単なるメールの交換だけでは終わらないということ。必ず「会おう」ということにつながること、会う目的は?

 若い人は「会ってもいいじゃん、会ってみて感じよかったらごはんくらいおごってもらってもいいかね」「カラオケくらい行ってもいいかね」「感じ悪かったら黙って帰ったらいいんよね」

 会って見て、顔を見ただけで人を判断できるほど、君たちはまだ成熟していません・・・。

 そして、実際私の現場であったことなどの例を話します。

 ラインなんて、賢く使えばこれほど便利なものはないというくらい、私は重宝していますが、これを利用した犯罪も起こっているのですから。

 帰りに宝塚市の高校生たちが「スマホサミット」を開いたと聞きました。生徒たちでアンケートを取ったところ、スマホを持っている高校生が95%、4%がガラケー、持っていないのが1%だったと。

 もう高校生はスマホを持っている、それが文化として形成されているのですから。しっかり使い方を学習すべきと思います。放置はいけない、少なくともその危険性は知らないといけないと思います。

 それに、ゲームにはまってしまうと、これは莫大な時間を使う、大変なロスになること、それは私が身を持って実感していることなのですね。ツムツム、これをしはじめたら、しなければならない用が後回しになってしまっていけません。いつか切ってしまおうと思いながら未だに続けておりますです・・・。

___4_956x1280 先日行った地方の列車の中。私は重い荷物を持って立っておりました。他にも沢山立っている人がいたのです。優先席に座ってスマホに一生懸命の二人。優先座席に座ってはいけないとは言わないけれど、鞄を膝に乗っけてくれたら、後二人は座れるのにと思いながら、鞄をどけてと言えなかった私。こんな盗撮をしてブログに載せる私の方が問題だと分かっているのです。私は確信犯です。

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料理屋「本庄」

また雪なのですね。いつまでもいつまでも。私は今日宝塚で講演です。新幹線がふつうに動きますように。少し早めに家を出ましょう。

 もう、少し前なのですが。観音高校の演劇部の仲間三人で食事に行きました。仲間の一人の友人がなさっている料理やさん「本庄」です。

こじんまりとした、入りやすいお店です。

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 まず、庄原の寒縮みほうれん草、カズノコも。続いて粕汁です。江田島産の島牡蠣が入っています。これがもう、おいしくって。

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お刺身の盛り合わせ。鶏のコンフィ春キャベツの塩昆布和えとふぐの白子と下仁田ネギのグラタン風蕗のとうのソース。

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 菜の花の辛し和えふぐの白子ソース、とびっこが乗っています。アサリには、わかめの下に、蕗と取りたてのたけのこが隠れています。この筍の風味がまた抜群でした。

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 赤ナマコはここまで、と思うほど薄く切ってあります。だから、とても柔らかく味がしみ込んでいます。いよいよご飯は、お釜で炊いてきて下さいました。うなぎのご飯です。みんなお替わりをして、お釜の底まで戴きました。

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 デザートは、なんと、ぜんざいにいちご。あまおうの刻んだのが中にも一杯入っています。

 とても丁寧なお仕事で、創意工夫もすごい。本当に大満足でした。また行きましょうね、と話しました。頂いたのは、5500円のコースでした。友人によれば、前回来たときと同じ料理は何一つなかったとのこと、すごい。

Photo

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沖縄の話もう少し。

 先日、沖縄での被爆ピアノのコンサートを行った時のこぼれ話をもう少し。

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 昨年亡くなった原伸幸さん、長崎の被爆二世で、私たちの大切な仲間でした。彼は、沖縄にも沢山の友人がいました。私たちは、彼の遺影を沖縄にも持って行きました。金城實さんは、その彼の遺影をかざして、話して下さいました。「頑張っていたのに、早く死んでしまって」と。原君の遺影を持って来て、本当によかったと思いました。金城さん、ありがとうございました。

 さて、沖縄では、私は日帰りで、きちきちのスケジュールで、食事の時間もほとんどないくらいでした。読谷のコンサート会場の近くのスーパーマーケットに行って、お昼ご飯を買いました。私は、どこに行っても、地元や市場やマーケットに行くのが好きで。

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 そこで買ったのが、これらです。おにぎりは、さすが沖縄というのがありました。米軍の影響でしょうか。スパムがはさんであるの、それを一個と、焼き鳥と、沖縄の地のみかん・シークワーサーを食べました。シークワーサーは、ミカン本来のすっきりした香りが立っておいしいのですが、何しろ種が多くて、食べ方が下品になってしまって参りました。

 コンサートが終わると、レンタカーですぐに飛行場へ。時間があればそこで夕飯でもと思ったのですが、渋滞でそんな時間もなくなり、結局何も食べないまま飛行機に乗りました。とてもお腹が空いていました。おむすびが一個残っていたのですが、それはトランクに入れてしまって預けたので、残念。

___1108 ところが、飛行機の中で、有料でこんな物を売っていました。鶏団子や茄子などの具だくさんのおこげスープです。これを買って食べたらとってもおいしくって、ホッと一息つきました。ANAの全路線で売っているって、知りませんでした。

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 空港では、おみやげにパイナップルと島らっきょをあたふたと買って、送ってもらいました。その島らっきょ、酢味噌につけて食べて、青い所は刻んで鰹節と醤油をかけてごはんにまぶして食べました。もう、おいしくておいしくて。当分楽しみましたがなくなった時には、がっかりです。

 以上で沖縄のレポート終了です。2月1日の日曜日に実行委員会をし、そこで会計報告がありました。沖縄へ被爆ピアノを持って行くことについて、多くの皆さまにカンパも戴きました。勿論、私たちはみんな自腹で行きましたが、ピアノの搬送代、矢川さんがトラックの運転をして持って行ったったのですが、鹿児島から沖縄までのフェリー代・高速道路代だけでも41万円かかりました。おかげ様で、かつかつ赤字が出なくて済みました。皆様に心から感謝申し上げます。

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原爆瓦・高校生平和ゼミナール

 昨日の「かき船移設について、高校生の訴え」にコメントを戴きました。それをみなさんに読んで戴きたくて、今日のブログに転載します。

 お一人は「無冠の諦王」さまから。

「長靴を履いて高校生たちが原爆瓦を掘り起ている活動を
取材したこと、私も長靴スタイルで、そのうち仕事を忘れて子供たちと一緒に発掘に夢中になったこと思い出しました。35年あまりも前のこと。高校生ゼミの活動が続いていることに感動しました。さて問題の「カキ船移設」ですが、あれは一企業の商業活動です。世界遺産認定の条件には厳しいものがあり、その地での企業活動の新たな参加という事態は世界遺産の精神にも抵触します。広島市長・市議会の対応を注視しましょう。」

 無冠の諦王さまは、当時テレビ局の記者でした。当時の取材のことをありがとうございます。私の夫は新聞社の記者で、やはり当時のことを詳しく話してくれました。私は、ちょうど大学病院からこの川の岸辺にある病院に移って、大忙しの毎日を送っていた頃です。

「潮が引くのを待って、みんな川岸に降りて。それがね、瓦だけじゃなくって、沢山の物が出てくるんよ。」「そのヒロシマの碑の除幕式は、ぼくが取材に行って、記事にしたよ」

 もうお一方、「もものすけ」さまありがとうございます。しばらくブログの更新がされていないので、ちょっと心配していました。
「私は35年前、原爆瓦を拾っていた高校生だったんですよ。平和ゼミナールの創立メンバーでした。当時は幅広く40校くらいからたくさん参加していました。
実は、亡くなった相方との最初の出会いは高校時代、この場所でした。なので、2人で平和公園に行くときは必ずこの碑を訪ねていました。
碑の写真の中には私たちも小さく写っているかもしれません。(恩師の顔はくっきり写ってますが)
かき船がこの碑の前に移転するなんて・・・。
商業施設にはふさわしくない場所だと思います。」

 「もものすけ」さまは「頭ん中は広島弁」というブログを書かれています。ここに そのブログがあります。昨年の10月を最後にブログは更新されていませんけれど、そのおしまいのブログから3番目に「ひろしくん」との再会のことが書いてあります。

 そのひろしくんとの初めの出会いがこの高校生平和ゼミナールだったなんて。本当にびっくりしました。

 27年の時を経て再会。そしてお二人の結婚が決まって、式場も決まって。さあ、と言う時に彼の急死。結婚式場が彼の「お別れの会」になりました。

「ひろしくん」は、私の母校の後輩も行っていた塾をされていたので、彼のブログは私も読んでいましたし、オフ会でお会いしたこともありました。そして、その急死には本当にびっくりしましたし、何とかならなかったのかと、後から私も悔やみました。

 その彼とのことをもものすけさんがブログにシリーズで書かれていて、読んでは何回も涙したものです。

 その彼との出会いが「高校生平和ゼミナール」だったのですね。碑の裏の写真をトリミングしてみました。もものすけさん、ひろしさん、写っていませんか?貴重なコメント、ありがとうございました。

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かき船移設について、 高校生の訴え。

 昨日の高校生の訴えの続きです。転載します。

◆かき舟「かなわ」移設問題

 11月27日、広島市の「水の都ひろしま協議会」は原爆犠牲ヒロシマの碑のすぐそばにかき船「かなわ」を移設(新設)することを承認しました。私たち高校生平和ゼミナールの関係者を含め、ほとんどの広島市民に知らせず、秘密裏にすすめてしまったのです。

 かき船が来る予定の場所は、私たちや、私たちの先輩が「原爆瓦」を掘り出し、原爆のことを学んだ場所です。原爆瓦だけでなく、溶けた瓶や瀬戸物、陶製の学生ボタン等が掘り出された場所です。原爆瓦は今も掘り出すことができます。

 1982年、この原爆瓦の発掘・保存運動をもとに、全国から寄せられた児童・生徒・市民の献金によって、「原爆犠牲ヒロシマの碑」は建立されました。この碑は、原爆犠牲者の鎮魂と被爆体験の継承と平和問題の学習を誓う「鎮魂・継承・学習」の碑です。建立以来、毎年8月5日にはヒロシマを受け継ぐ子どもたち・小中高校生によって碑前祭が行われています。今年も実施されましたし、来年も実施します。その場所にかき船(水上レストラン)を建設することがふさわしい行為でしょうか。

 このままですと、やがて工事が始まり、おそくとも被爆70年の8月6日には、爆心地・原爆ドームのそばにかき船が来てしまいます。

 私たちは、かき船の営業に反対するつもりはありません。しかし、かき船は、ここではない、もっと適当な場所があるのではないでしょうか。

 35年前にも平和ゼミナールの仲間たちと、広島市との間で元安川の美観論争が起こりました。水の街広島とするために原爆瓦などの瓦礫を平和公園周辺の川から取り除くと広島市が発表したのです。私たちの先輩たちは、小学生・中学生へも働きかけて、原爆瓦を掘り起こす運動を広げました。全国から3500万円を超える募金も集まりました。こうして国や市も原爆瓦をバックアップすることを認めて下さり、原爆犠牲ヒロシマの碑は建立されました。原爆犠牲ヒロシマの碑は原爆瓦の記念碑なのです。その碑の前にかき船を移転するということは、広島市自身が認めた原爆犠牲ヒロシマの碑を否定することにつながるのではないでしょうか。この「ヒロシマの碑」の前にかき船の移転は考え直して戴きたいと思います。

最後に
 私たちは、手探りでクラブ活動や平和ゼミの活動に参加して来ました。「原爆瓦」の発掘も先輩たちの代からの受け継ぎです。長靴をはいて河原で瓦を掘りました。理解不足のまま参加してきましたが、でもいろいろな人と関わりながら、広島について被爆の実相を自分の体験としてつかんできました。今回の「かき舟」問題のように、私たちが何も知らないうちに決定することはおかしいと思います。これを機会に「原爆犠牲ヒロシマの碑」のことなどをもっと学習しようと思います。学校でも私たちの壁新聞の発表でこの問題を知ってくれた生徒もいます。

 みなさんと一緒にこの問題について考え続けたいと思います。

以上転載終わりです。

私は、昨日8.6ヒロシマ平和の夕べの実行員会の会議に行く時にここを通りました。

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 碑には原爆瓦がはめ込まれ、「天が まっかに 燃えたとき わたしの からだは とかされた ヒロシマの 叫びを ともに  世界の人よ」と書かれています。後ろ側にはその瓦を掘っている高校生の写真、この碑ができるに至った話などが記されています。

 

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かき船移設について、イコモスの勧告。

 未明の後藤さんの報道に接して、一週間前の湯川さんに続いて、言葉もありません。人を殺すのはやっぱり嫌です。どんな人の命も奪ってはいけないと。戦争というのは、もっとも人の命を奪う行為。やられたらやり返せ、こうして、また日本も戦争をする国に仕立てられて行くのでしょうか。重ーい暗ーい気持ちでいます。

 別件です。先日、イコモス日本が勧告を出しました。イコモスとは、国際記念物遺跡会議の事で、文化遺産保護に関わる国際的なNGOです。

 1972年のユネスコ総会での世界遺産条約採択後は、イコモスはユネスコをはじめとする国際機関と密接な関係をもちながら、世界文化遺産の保護・保存、価値の高揚のための重要な役割も果たして来ました。文化遺産保護の原理、方法論、化学技術の応用の研究などを続けています。またユネスコの諮問機関として、世界遺産登録の審査、モニタリングの活動を続けています。

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 この牡蠣船の移転について、高校生たちが訴えています。その一部を転載します。

 私達のクラブでは37年前から「原爆瓦」の発掘保存の取り組みを続けています。

◆「原爆瓦」の特徴

1.表面がガラス質の泡状の粒でおおわれていて、ピカビカ光、ざらざらしている。
2.瓦の重なり合っていた部分が直線上に焼け残っている。(熱線で焼かれた証拠)
3.原爆ドームから800mの範囲内 元安川の河床などから発掘できる。
4.被爆の痕跡を残す貴重な資料の一つ
5.誰でも掘ることができます。

 この瓦を観察し、焼け焦げた表面から当時の惨状に思いを深めることができます。

 原爆の熱線で表面が溶けて、ガラス質の泡状の粒におおわれた瓦は、当時の恐ろしさを物語ります。その記念碑が「原爆犠牲ヒロシマの碑」です。鎮魂・継承・平和学習を誓う碑です。

 原爆ドーム前の河原は、多くの人々が焼け焦げた体を冷やすために飛び込み、そして倒れた場所です。多くの方々の無念の思いが眠っています。そのような場所に水上レストランを移転して、お酒を飲んだり宴会を開いたりしていいのでしょうか。

 確かに、かき船は経済面でも観光面でもむ広島の文化を発信できるでしょう。しかし、被爆者の方々の思いや70年前の出来事を考えると、かき船にはもっと適切な場所があるのではないでしょうか。

 被爆者の方々は毎年ヒロシマの碑の前で「未来を作るのは若者たちだから」と、当時の様子や自分の悲しみを話して下さいます。その思いを受け継ぎ戦争のことを忘れないためにも、原爆ドームの近く、原爆犠牲ヒロシマの碑の前へのかき船の移転には反対です。皆さんも一度考えてみて下さい。世界に胸を張れる広島でありたいと思います。

 この高校生の主張の続き、『かき船「かなわ」移設問題』、その中に言われている「原爆犠牲ヒロシマの碑」などについて、明日転載します。

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