被爆ピアノ 平和コンサート&平和を語る会
チビチリガマはこんなきれいな海からほんの10メートルも離れていない所にありました。
畑にはサトウキビが青々としています。
会場に着くと、矢川さんのピアノ工房のトラックが停まっています。矢川さんは、トラックにピアノを載せて鹿児島からフェリーに乗って沖縄まで来ています。本当に彼のしていることはすごいことだと感歎します。今回の企画も矢川さんあってこそだと改めて感動しました。
会場では、矢川さんが広島市から借り受けている被爆写真の展示をしています。沢山の人たちが見て下さいました。
会は主催「8.6ヒロシマ平和の夕べ」、後援は沖縄県読谷村と株式会社FMよみたん。司会はFMよみたんのパーソナリティー金城礼子さんと平和の夕べ沖縄事務局の松田忠さん。松田さんは、広島でお好み焼き屋さんをしていました。私達もよくそこを利用していました。とても繁盛していたのですが、それをたたんで沖縄にやって来ました。その彼が走り回って今回の企画が現実のものになりました。
主催者あいさつ(チビチリガマに行ってきたことなどを述べました)に続いて読谷村の教育長があいさつして下さいました。そして、矢川さんが被爆ピアノについて語りました。

今回持って来たピアノは大正8年頃に買われたもの。二代続いて音楽教師の方の家に買われました。広島市は原爆投下により爆心地から二キロ以内は焼け野原になりました。このピアノのお家は爆心地から1.5キロ。家は倒壊しましたが、家の前に空地があり、消失を逃れました。昨年このピアノの持ち主に方が矢川さんに託されました。昔のピアノ、それはそれは上質なもので鍵盤は象牙でできています。矢川さんは、できるだけ新しい素材を使わないで、このピアノを修理。ピアノ線は二本切れていたのを新しくしたと。傷だらけで、中からは土の塊が出てきたそうです。その音は深く、とても素晴らしい音色を奏でます。
その後、「平和を語る」。まず広島から私です。スライドを作ってきたのを使いながら話しました。20分。大急ぎです。できれば、もうすこしじっくり話したかったのですが。
沖縄からは、彫刻家の金城實さんの力強い話でした。金城さん、チビチリガマの入り口の像を作られています。私はここに 金城さんの写真集について書いています。そのご本人に会えて、大感激です。

金城實さんと、知花昌一さんと、山下徹さんと。また私のお宝写真が増えました。頸のブルーは、その前日辺野古に行った山下氏が持って来たもので、辺野古ブルーです。
そして、いよいよコンサートが始まりました。また明日に続きます。
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コメント
ピアノを爆風と熱風からまもり、丁寧に調律や修理をしたのであればもつんだとすればびっくりです。実家に置いたままのピアノは調律すらしません。調律や修理を70年したのであれば愛情がありますね。是非とも音色を聞いてみたい。また、石堂順子さんの訴えは被爆地や九条の紹介をされていましたね。びっくりです。知人のために憲法9条がない国に出かける勇気が素晴らしいですが、その9条を紹介するご母堂もかわいそうです。10ヶ月も自分の子宮で大事に育て上げた息子をテロリストに命を奪わなければならない世の中であることを感じます。
投稿: 愛ちゃん | 2015年1月28日 (水) 10時46分
今私は広島県産のネーブルオレンジがスーパーで売られていたので、広島や長崎や沖縄戦の事や今回の事件の事を考えてみると、ヨルダン人パイロットは、敵側の戦闘員だから反感を喰らって殺されるかもしれない、それだけ軍人は沖縄戦の話を伺うと反感喰らうのかもしれません、また、民間軍事会社を設立した湯川さんもそんな類いで反発をくらい良いカモになってしまったのかも知れないなと思いながらも、イスラム国の暴力には唖然とします。本当にヨルダン人パイロットの父上や後藤さんのご母堂の切ない映像をみると10ヶ月もお腹にいた自分たちの子どもを耐え難い暴力でうばわれなければならないのは世の中すべての親にしてみれば悲しいですね。本当にお二方の救出を心から願い広島産のネーブルを美味しくいただきました。
投稿: 愛ちゃん | 2015年1月28日 (水) 20時21分