「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に関連した方の死2.
池田さんから兄への手紙です。
『親愛をこめて
長谷川〇〇どの
主のみ名を賛美しご挨拶を申し上げます。
あなたはお元気で活き活きと?過ごされていると信じます。どうぞ、今後も、健康には十分気を付けて過ごして下さいね。益々元気で、与えられたどんな務めをも、心を込めて果たしていかれるようにと願っております。
この夏、河野美代子先生に、「平和の夕べ」他の集会でも会いましたが、その中で私も発言で、「牧師引退しましたが・・・」みたいな発言をしましたら、終了後、先生の方から挨拶に来てくださって嬉しかったです。
今朝は「祈りのこよみ」で、貴方に、神の守り導きをお祈りしました。
今朝読んだ聖句から、次のように考えてみました。
聖書「愛は死のように強く・・・大水も愛を消すことはできない。」(雅歌八・六)
聖書は愛は死のように強い」と語ります。私たちは死を拒むことはできません。その腕の力は強く、つかまれたら人は決してほどくことができないのです。でも、愛はもっと強い力でわたしをつかみます。ですから、愛につかまれた人は、死を忘れてしまうのです。愛は、たとえ拒んでも無駄なのです。
この様な考えは如何でしょうか。
私は健康のことがあって、泊りがけはしませんが、県内の無牧師教会支援では、時折出掛けています。心筋梗塞手術から七年目を過ごしていますが、ICDの助けで(身障者一級)守られています。これも感謝です。
私たち夫婦は、八・六を中心に「反核」「反原発」その他に、教会員Aさんの「被爆経験」を(YMCAで)聞いたり、その他幾つかの「平和集会」、その中には、宗教者との対談に、私も呼ばれて、発言する機会もありました。これらは私にとっても有益でしたが、少々疲れました。しかし、旧友とも会えて嬉しい時間でもありました。
その他には、ほとんど毎日、医師の指示もあって、江波の路地を約一時間目標に、ウォーキングしていますが、長いつきあいの「悪友達?」が亡くなってたり、引きこもったりで淋しい思いもしています。でも生活は普通に出来ています。
ではまた・・・乱文にて・・・
九月六日 池田定男
【マザーテレサ女史の言葉】
【one person】
わたしたちのしていることは、大海の一滴に過ぎないと感じています。
けれど、もしその一滴がなければ、
海はその一滴分、確かに少ないということです。
わたしたちは数や量では考えません。
いつもそのとき、たったひとりの人を愛しているのです。
どんなときでも、いつでも、ひとりのその人に集中してお世話をしているのです。』
改めて池田定男さんにお礼を申し上げます。
陶芸をしている福岡の兄は毎年干支を作ってくれます。向こう側のは12年前の羊、手前は今年の羊です。今年のは、小っちゃくって、もこもこしてかわいいです。
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コメント
宗教と平和って密接だからこそ、いかがしい危険な宗教が蔓延る現代には、このような純粋な宗教者を伺い知ることは珍しいです。いかがわしい宗教が増えまくるからこそ、宗教から税金をとるべきだという声を共産党の地方議員から時々聞きますが、やっぱりきちんとした宗教活動や平和運動を積極的にやられてる方からには税金をとらないでほしいし、宗教者となり学生運動の繋がりを本当の意味で大切にし、平和運動をされている方のエピソードを伺うと、学生運動や平和運動を清貧に行う意義が少しわかりました。本当にうちの主人の元職場の先輩数名は、河野先生のお知り合いの方のような清貧さがなく困りものですが、きちんと自分の生き方や考え方を持ちながら学生運動をされていた方がいたなんてびっくりしました。主人は団塊の世代は嫌いだと私に偏見めいていいますが、きちんと学生運動をされていた方もいたと知ってよかったです。団塊世代の学生運動に対して偏見的な意見が多いですがごく一部の方々が極端に暴走したと知ってよかったです。本当に生き方として立派だと思います。羊の置物かわいいですね。お仕事頑張って下さい。
投稿: 愛ちゃん | 2015年1月 5日 (月) 13時08分