チビチリガマ1.
私は今福岡のホテルにいます。日帰りで沖縄に行って来ました。始発の飛行機に乗るためにその前夜福岡まで来て一泊、最終の飛行機に乗って福岡まで帰ると、もう新幹線はなくってまた一泊。日帰りで沖縄に行くために福岡に二泊するということになりました。朝いちばんの新幹線で広島に帰ります。これで診療に穴をあけるとなく行くことができました。朝4時過ぎ、患者さんからの電話で飛び起きました。もう眠れませんので、そのまま起きてこのブログを書いています。
はじめにお断りしますが、先日の私の「広島市長選」へのコメント、全てのコメントをアップしました。意見ではなくひどい誹謗中傷も含めてです。でも、これで終了します。もう市長選についてのコメントすべてを掲載することはしません。
私は「サッカー場はいらない」とは言っていません。場所のことを言っただけです。が、どんどんと私の主張がゆがめられました。他人のハンドルネーム使って投稿する人まで出てきました。事実でないことまで言う人もいました。今、それがどんどんとひどくなってきました。
世の中、いろいろな意見があるのは当然です。議論ならいくらでもしましょう。でも、異なった意見の人を「出て行け」「消えろ」などという人たち。全てを掲載することで、そういう人たちが支持している候補者であるということも明らかになったでしょう。ですので、これは終わりにします。一つ一つの私の反論もしません。
沖縄です。那覇空港からレンタカーを借りて国道58号線を読谷に向かって走ると、すぐに左に基地があります。それを過ぎると今度は右に基地が広がります。この写真はちょうど赤信号で止まっているときに撮りました。右に広がっているのが米軍基地です。それを過ぎると今度は両側に基地が広がります。
読谷の会場に着くとすぐに「チビチリガマ」に行きました。もう何人かの人たちが先に「シムクガマ」に行き見学し、そして「チビチリガマ」で合流です。
チビチリガマはサトウキビ畑が広がる、案内して頂かないと分からない所にありました。
谷底に降りて行ったところにチビチリガマはありました。そばに小さな川が流れています。この川の行先が分からない「尻切れ」という言葉が「チビチリ」なのだそうです。
知花昌一さんが案内して下さいました。沈黙する住民から話を聞き出し、チビチリガマの真相を明らかにした人です。
1945年4月1日米軍が上陸した時、ここに隠れていた人たちが「集団自決」をしたところです。ここで、知花さんが言われました。
「明らかになったのは二つ。一つは軍は住民を守らないということ。もう一つは教育の大切さ」
シムクガマでは、アメリカに住んだことのある人たちの説得で約千人の人たちが助かりました。チビチリガマでは、「国家のために命をささげよ」「生きて虜囚の辱めをうけず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」と言った教育のために命を失いました。その多くは、女性と14才以下の子どもたちでした。
穴の右側には金城實さんの作品、左には遺族会の方々の碑があります。
しばらく沖縄の話を続けます。コンサート、私にとっても素晴らしい経験でした。全く、人間いくつになっても感動したり勉強になったりすることがあるものだと思います。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント
そんな誹謗中傷するコメントをなさる方が多いのは誠に残念です。チビリガマなどは東京都のミッションスクールの聖学院中学高等学校の修学旅行でいくようですよ。結構好評らしいです。
投稿: 愛ちゃん | 2015年1月26日 (月) 09時48分
私は中学校の学習旅行(修学旅行)で沖縄のチビチリガマで、そのガマのなかで知花さんから話を伺いました。血、汗等が染み込んだ粘ついたガマの中の土、奥の方はすごく狭くて、言葉にならない重いものを中学生ながらに感じて、感想文にその重いものを表現できない悔しさがあったことを思い出しました。20年以上も前のことです。
被爆70年を迎えるためには目先の目標だけや軽い気持ちで立候補しても投票してもいけないことを広島市民は実感すべきです。
投稿: けいちゃん | 2015年1月26日 (月) 13時28分
確かに、安倍首相や、岸田外務大臣に人質の代わりになれとか言うのは、さすがに言い過ぎでしたね。
私も、同意してしまったことを反省しています。
でも、政治家には、そういう反論をも包み込む位の度量を見せて欲しいものだと思います。
それを考えると、私には政治家は無理ですね。反省です。
投稿: 平和を愛する広島市民 | 2015年1月26日 (月) 22時33分