同じお題の「おふくろの味」
昨日が広島ブログの「同じお題で書きましょう」の日でした。出題は「」のhanaさんでお題は「おふくろの味」でした。
一日遅れでごめんなさい。
私の母は御嬢さん育ち。お手伝いさんがいる大きな家で育ちました。それでも、祖母がお茶の先生で、特に「お茶懐石」を作るのを厳しく仕込まれたみたいです。だから、お料理はすこぶる上手でした。
我が家は5人の子どものいる7人家族。それも戦後の食糧不足の中で、いろいろと工夫して丁寧なお料理を食べさせてくれました。お料理の一つ一つを鮮明に私の舌が覚えています。
特に、シチュー。まだシチューの素なんてできる前です。小麦粉をバターで丁寧に炒めて、ルーを作っていました。こんがりとした言い匂いが漂ってくると、あっ、今日はシチューだ!と嬉しかったものです。これは絶品で、私も時々このシチューを作ります。
ポテトサラダは、卵の黄味とオイルとお酢でマヨネーズを作ってそれで和えていました。必ずリンゴと玉ねぎのみじんが入っていました。これも絶品でした。
それに、家族の誕生日やお祭りや運動会の日は巻きずしです。必ずアナゴを焼いて。それに骨も焼いて、それを調合したすし酢につけて「こく」を出していました。これがまたいい匂いなのですね。運動会の前夜は、母が隣の部屋でギュッギュッと巻きずしを巻いているのを聞きながら、わくわくしていつまでも眠れないでいました。
お正月の料理、とくに黒豆は、皺ひとつない上手な炊き方をしていました。お煮しめは一つ一つの材料を別々に炊いていました。私はとくに椎茸が好きでした。
母の料理を見たり手伝ったりするうちに、私もいつしか料理を覚えて行きました。食べること大好き人間になりました。大学時代には、せっせと料理教室に通いました。
私も、子育ての中で食べることは大切にして来たつもりではいます。でも、忙しい仕事との両立で、時には申し訳ない!と、ケンタッキーフライドチキンで済ませたこともありまして・・・。でも、子どもたちもしっかり料理好きに育ったと思います。とくに息子の料理は絶品です。
こうして振り返ると、大人数の家族の食事を欠かさず作るのは、母は本当に大変だったことと思います。そして、食べること、これをきちんとすることが、子育て、家庭運営の中でも最も大切なことだったとも思います。家族とともにワイワイと賑やかに話をしながら、きちんと夕食を食べること。こうして子ども時代を過ごすことができて、やっぱり幸せだったなあと改めて思います。とっくに亡くなった母に感謝です。
こうした機会を与えて戴いて、hanaさん、ありがとうございました。 これは、秋田の東北母と女性教職員の会での交流会での食事です。和食でも、イタリアン風の料理で、おしゃれ。茶碗蒸しにジェノベーゼの餡がかかっていたり。それに、鍋はきりたんぽ、ごはんは秋田こまちの十穀米。ありがたく、おいしく戴きました。
『河野美代子からだの相談室』
ここをクリックすると私の体の相談室と著書の販売があります。
ぜひ覗いてみて下さい。
| 固定リンク
コメント
お茶懐石まで河野先生のお母上は、調理することができるんですね、私はシチューのもとやマヨネーズもキューピーさんのをつかってますが、手作りをしろといわれてもまずできません。お金で解決できる現代っ子は代謝がわるいのはなんとなくわかります。手作り料理こそ親の愛ですね。ほんとうに今手作り料理を出す家庭の少なさこそ性教育の基礎を育めない土台かも知れません、ただ、合成酢やシチューの元は確かに女性の社会進出をささえてきましたが、失ったものが多いと感じます。
投稿: 愛ちゃん | 2014年9月13日 (土) 09時53分
とってもまめなお母様ですね。
いわば「食育」の走りですね。
投稿: もみじ日記 | 2014年9月13日 (土) 13時37分
お母様素晴らしいですね。シチューなんて子供の頃は
食べたことがありませんでしたから、うらやましいですw
投稿: ⑦パパ | 2014年9月13日 (土) 14時05分
ご参加、ありがとうございます
とっても、食育って事に力を入れられていたお母様だったんですね。
きっと、それを受け継いだ河野先生も美味しいお料理を作られるのだろう・・・と、思います。
素敵なお母様のお話を、ありがとうございます。
本当、お互い母に感謝ですね(*^_^*)
投稿: hana | 2014年9月13日 (土) 14時27分
5歳で敗戦、食べ盛りの子にとって食糧難は地獄でした。母の味は、山野で取れる山菜の料理でした。
フキノトウ、ノビルの味噌ダレ、セリの胡麻和え、
田んぼの水路で取れるザリガニや小魚の佃煮…
その採集の間に母が、口伝えに百人一首を教えてくれました。
その味が忘れられず、今も季節になるとフキノトウ、セリを買って調理しています。幸せな思い出なのか、
不幸な思い出なのか、わかりません。
投稿: 無冠の諦王 | 2014年9月13日 (土) 20時30分
無冠の帝王さま
家では鶏を飼って卵を手に入れて。父はいつも畑でイモやかぼちゃや豆や野菜をいっぱい作っていました。そのおかげで食がそれなりに豊かになったのでしょう。両親は苦労していたと思います。姉は今でもさつまイモが嫌いです。私はごはん替わりのサツマイモはあまいので好きでしたが。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2014年9月25日 (木) 09時39分
もみじ日記さま
というか、物がないので、手作りするしかなかったというのが現状なのですが。こうのみよこ
投稿: こうのみよこ | 2014年9月25日 (木) 09時42分