のらや・百姓や・原伸幸さん
先日、会いに行ったら「おそい!」と言った原君が昨日朝亡くなりました。昨夜のお通夜には間に合わなかったのですが、行って会って来ました。彼の仲間の方たちが沢山残って、話が続きました。
先にお知らせをしておきますね。
葬儀は本日午後一時から。
場所:光徳会館 広島市南区皆実町3丁目3-19
喪主:長男の原基伸さん
偲ぶ会を親しい人たちが中心になって行います。
日時:7月12日(土)午後6時半から8時半まで
場所:広島YMCA二号館地下和室
会費:500円
参加者が自由に彼との思いでの話をする会です。どなたでも参加して下さい。
彼には沢山のエピソードがあるはずです。
なお、会費は会場費に使います。夕飯時ですが、おつまみ程度しか出ません。どう ぞ、食べ物、飲み物、お持ち下さい。
それから、当日に、希望があれば、遺族の方たちへのお香典もお預かりします。
彼は「のらや」「百姓や(会)」を主催していました。同時に「環太田川」「森水の会」など、自然を守る運動も。そして、私たちの「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」の実行委員のメンバーてもあります。彼は、長崎の被爆二世です。
丁度ネットで彼のことをよくまとめてある文章がありましたので、それを紹介しますね。私だと、個人的な思い入れが強過ぎて、まだ客観的に書くことが難しくて。
文章は、日本国際ボランティアセンター(JVC)タイ・コンケン事務所 松尾 康範さん。タイ「地場の市場プロジェクト」中間報告です。タイからの若者を日本に招待して、全国の主に「農」「市場」の現場を回る、その一環として広島の原さんの所にも来た、その報告です。ここにあります。 以下、一部引用します。
20世紀は機械と火による開発が続いた。21世紀は、火を水に変え、機械を命に変える必要があるという。そして命の根本は食、食は農から。土を守る有機農業を中心としたあらたな社会をここ広島でもつくっていく必要があると。
僕たちが広島を訪問すると、いつもこの「のらや」が宴会の場となり、いま店を切り盛りする奥さんにはいつも迷惑をかけてしまっている。
「のらや」の運営が多少軌道に乗ると、自然食品を販売する「百姓や」をオープンさせた。ここは単に自然食を販売するだけではなく、広島の有機農家が作った作物を町の消費者に届けるという、農家と町の消費者を結ぶ役割をもつ。有機農家を支え、かつ消費者に安全な食を届けているのである。』
明日は、もう少し私の思い入れの話をしますね。
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コメント
先生、御愁傷様です。命ははかないと本当に思います。被爆地でお生まれになり、被爆当日直後にお生まれになったからこそ、感性を豊かにして命ははかないからこそ有機農業商品を取り扱うお店の社長さんだったんですね。使命感もたれた一生で素晴らしい人生をおくられてお幸せだったのだとおもいます。三多摩小金井からご冥福をお祈り致します。
投稿: 愛ちゃん | 2014年7月 9日 (水) 10時32分
とても残念なことですね。
ご冥福をお祈りします。
投稿: やんじ | 2014年7月 9日 (水) 13時16分
故原伸幸さんを偲ぶ会のご案内
日時 7月12日(土)18時30分~20時30分
場所 広島YMCA2号館 和室 (地階)
広島市上八丁堀7-11 ℡082-227-6816
参加費 500円
原伸幸さんは大腸癌のため福島生協病院にて治療しておりま
したが、7月8日午前4時58分ごろお亡くなりになられました。
ご葬儀は、9日13時より広島市南区皆実町3丁目の光徳会館
にて家族葬で行われました。
そこで友人として、偲ぶ会を行いたいと存じます。
式典という堅苦しい会ではなく、皆で寄って、故原伸幸さんの思
い出を語り合う会になればと思っています。
茶菓、少しのお酒、肴のご用意はしますが、食事の用意はあ
りません。食べ物、お酒の差し入れは歓迎いたします。
ご遺族の方をご招待しています。ご香典もお預かりいたします。
この会でお預かりしたご香典につきましては、故人の夢の後始末
に使っていただき、お返しなしでと、ご遺族にお伝えしようと思
います。ご了承ください。
尚、服装は普段着でご参加お願いいたします。
参加希望の方は、原戸 祥次郎までご連絡ください。
℡082ー293-6531
090ー4574-0465
誰だ・・・会費3,500円ってデマ流したの
投稿: 一ノ瀬厚 | 2014年7月 9日 (水) 20時35分
原伸幸さま
じねん舞踏でを1997の頃日本中巡っていた、あつしです。ずーとあの後国外で活動を続け、飛び回っていたもので、、、、。すっかり、時々思い出しながら不義理をしてすっかり連絡もなしでごめんなさい。きっと遠い魂の国で読んでくれているかと思います。
今は妻の広子とイタリアに住みヨーロッパを中心にじねん舞踏の活動を続けています。。。。。明後日からここピサ県の山間部で舞踏学校も始まることになり、喜びながら、忙しくその用意であわただしくしています。
短い便りで、申し訳ありません。
4年前の福島原発事故の時日本に3か月ほど帰国ました。
広島長崎福島未だに僕の心にはとても近いことと感じ続けています。
原さんの事忘れません。
竹之内淳志(竹の内淳)
投稿: 竹の内淳 | 2015年10月11日 (日) 22時37分