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「あたらしい憲法のはなし」

 「あたらしい憲法のはなし」は、 1947年8月2日に文部省が作った、中学校一年生用の社会科の教科書です。少しそこから抜粋します。

『 みなさん、あらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はいないでしょうか。もしそうならば、それはおおきなまちがいです。

 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を収めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちでいちばん大事な規則が憲法です。(略)

 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。(略)

   

六  戦争の放棄

 みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人もおおいでしょう。ごぶじにおかえりになれたでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

___2 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍隊も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、あいてをまかして、じぶんのいいぶんをおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、あいてをおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにしましょう』

 あえて一字ずつ打ちながら、とくに戦争放棄の最初の所をうつしながら、思わず、涙がこぼれそうになりました。

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コメント

こんなにわかりやすく、こんなに丁寧に的を得て「戦争の放棄」を教えている教科書は、今の時代にこそ必要では?
首傾げるのは、おそらくこの教科書で学んだであろう年代の人たちの中に、まず戦争ありきで集団的自衛権の行使は当然という意見のあること。
彼らの戦争中戦後の経験はすっかり遠い昔話なのでしょうか。
それにしてもこの教科書、すべてのこの国の人々が読むべきではと思いました。

投稿: 東のひつじ | 2014年7月 8日 (火) 09時53分

同感です。
今度憲法前文の話を書く予定なので,先生のこの記事を引用させて下さい。

投稿: もみじ日記 | 2014年7月 8日 (火) 11時01分

あたらしい憲法の話は良く政治経済や公民のテキストにでてきました、戦後史の課程で、日米安保の問題で、美人東大生圧殺事件や山崎博昭さん撲殺事件、沖縄問題、砂川事件、とうとうハイジャック犯が拉致までおこしてしまったことを深く反省しまだみんなこれらの問題は闇にほうむられてしまうんだろうなと思ってます、私がここに上げたすべての解決されてない問題であるのはたしかです、日米安保と憲法は共存できない、戦後からの心からの復興も満足もできない。だからこそ戦後体制を見直していかなければならないし、アメリカにたいしての左右それぞれ文句があるんだろうなと感じます。戦後の繁栄は日米安保によって生ぬるい平和で本当に平和かと感じます。本当に平和になったという世界を早めに作るべきだとおもいます。日米安保によって生ぬるいし、色々な問題がでているのは確かだと思うからこそ対話や討論など必要だとおもいます。

投稿: 愛ちゃん | 2014年7月 8日 (火) 11時46分

中国政府が中国国内の地方新聞に中国は広島長崎に原爆を投下するとプロバガンダを堂々とおこなったようです。現実をみれば日米安保を容認しなければ極東では生きていけない、また敗戦時のごたごたや勝手に連合国が満州国と朝鮮半島を解放させたのはよかったが、非常に連合国に都合がよいように政府や国境やマスコミ等が勝手に管理されてきたことは総括できないままかつ中国や朝鮮にきちんと謝罪できないままでいる限り平和がないと感じます。現実をストレートに直視しすぎで曲解した安保政策ですが拉致問題のみの解決をねらっているのでは、核兵器を廃棄させることを断念したのは、被爆国としても痛いし国民としても残念ですが、現実をみせられたと思ってます。朝鮮動乱がおきる可能性も東海地震なみに高いと言われている以上なんか他に解決をする策を考えていかなければなりません。ただ、広島長崎にまた原爆を落とすぞというプロバガンダには抵抗してもよいと感じます。この国で今被爆地と被曝地の対話をしながら自立や平和を願う人々がいるのにと大変怒りを感じます。


投稿: 愛ちゃん | 2014年7月 8日 (火) 22時25分

河野先生。
もし宜しければ こちらの方の街頭での飛び込みの演説をお読みください。
こちらの方は元自衛官で今の日本の政治に対して大いに疑問・苦言を呈しております。
私も現場で任務されていた方のお話しを読み ものすごく納得する部分が多かったです。

投稿: 雛菊の母 | 2014年7月 9日 (水) 08時36分

http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20140704-00037071/
すみません。こちらのサイトからお読みください。

投稿: 雛菊の母 | 2014年7月 9日 (水) 08時37分

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