2014年8.6.ヒロシマ平和の夕べチラシから5.
私が昨日、裏表紙と書いたのは間違いで、表紙カバーの見返しの部分にかかれた文章です。以下、転載します。
『原子物理学者・水戸巌は、世界中が原子力発電の夢に酔っていた時代に、いち早く専門家として原子力発電の危険性を力説し、建設反対運動の現場に寄り添い、地域を駆け巡って反対を説き、反原発運動の黎明期を切り開き、その生涯をかけて闘いぬいた。
原発推進派や御用学者たちの冷笑と中傷の中で、水戸巌は破局事故が起きる可能性のついて理路整然と指摘し、周辺で生じる被害についても警告を発し続けた。彼の分析の正しさは、チェルノブイリ原発事故、福島第一原発事故で悲劇として、本人がもっとも望まない形で、ものの見事に実証された。
本書は、彼の論文・講演・裁判関連の文章を集め構成したものである。その文章の端々から、フクシマ以後の放射能汚染による人体への致命的影響が驚くべきリアルさで迫ってくる。』
水戸喜世子さんの後書きから、少しだけ引用します。
『 水戸巌は、東北人の生真面目さを備えたキリスト者を父に、病弱な母のおなかの中ではぐくまれて、この世に生をうけたので、やさしさはおばあちゃんのおなかの中からだね、と娘は信じている。
それだから、権力を金にあかした問答無用の仕打ち――原発でいえば、現地住民の反対運動つぶし――が許せない。そんな時、彼が発する「紙の弾丸」は本当に鋭く、敵の心臓を射抜くものであった。
反原発派の多くが体験されているように、脅迫、嫌がらせがエスカレートする時期があり、郵便物は触るなと子供に言いつけても、電話は親からの連絡もあるので受話器を取るなとは言えず、6年生の子が「父親を殺すぞ」という電話を受けたと聞くと、さすがの私も子供に万一のことがあったらと心配になった。この事情を知った知人が、関西に来なさいと手を差し伸べてくださった。ご厚意がありがたかった。
「10年たって子供が大学生になるまでね」と少し悲壮な気分で始まった別居生活だったが、結果的には家族の絆はかえって強まった。私は部落子供会でお世話になり、親たちが自分の活動に夢中になっている間に子供たちはいつしか成人し、晴れて86年の正月から夫婦二人の生活が再開した。父子3人で剱岳に入ったのは、その歳の暮れであった。』
もう少し続きます。
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コメント
どれだけ今子どもの内部被曝や内分泌器官について今興味持っている一般人はいるのか、自分たちの子どもや子孫が甲状腺疾患でうまれてくる可能性って本当に0ではないのだよ、子どもが甲状腺疾患になってもきちんと医療をうけ健常者と同じように生活をおくれることを社会がめざせなければ、医療技術があってもきちんと医療をうけさせなければ結局児童虐待だとおもいます、児童虐待がおこりうる可能性が多分に含んだ疾患であることすら世間ではあまり語れない、子どもの成長や発達をつかさどる器官に多大な影響をうけさせる問題があるんだ、きちんと医療技術があるのにきちんとうけさせないのはとても民度が低いばかりではなく、甲状腺疾患をもっても福祉があるのだから生んでもなんら問題ないよとむしろ被曝や甲状腺の問題を社会全体が勉強しないほうが悪だと思うからこそ、三多摩合同労組が我々二人にどんな圧力をかけようとも、ICSIをうけて、赤ちゃん生んで、甲状腺疾患とともにいきる社会を目指したい、それには反原発はかかせません。だからこそ三多摩合同労組の圧力はゆるしておけないのです。
投稿: 愛ちゃん | 2014年5月21日 (水) 09時33分