2014年「ヒロシマ平和の夕べ」⑦平和講演2.
私たちは、「平和の夕べ」のプログラムとして、高齢化する被爆者の問題や被爆の原体験の継承をはかりながら反核の運動に取り組んできたつもりでいます。それは単に核兵器のみならず、常に必ず原発の問題も欠かしませんでした。
毎年、京都の熊取六人衆、小林先生、小出先生や今中先生たちに来て頂いてお話を伺ってまいりました。関連企画としては、毎年被爆電車に乗って電車内被爆者の実行委員の一人に話を聴く平和学習、さらに山口原水禁の企画に同調して、前日に上関原発予定地、祝島に行き、原発反対を頑張っている漁師さんたちとの交流も図って参りました。
私は個人的には、上関、祝島、大分の地熱発電所、愛媛と島根の風力発電所、さらに広島県北の小規模水力発電所、島根原発、愛媛県の伊方原発などの見学に行き、また、これまでの被爆者運動の中での反原発の運動への取り組みなどの検証も行って参りました。
そんなときに、あの大変な東電福島原発の事故が起こりました。事故の後に8.6.での講演に来ていただいた小林先生に、この福島原発のお話しを伺いました。最後に私は質問をしました。「福島の子どもたちはどうなのでしょうか。そのまま福島にとどまっていいのでしょうか」と。
その後、2年前には漫画「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんのお話も伺いました。中沢さんは、チェルノブイリの被害者の甲状腺がんでもう直ぐ亡くなるという少女たちにも会っていらっしゃいました。中沢さんは、その次の年にも聴衆として参加してくださいましたが、その年の暮れ、昨年ですが、亡くなってしまいました。
次の年には小出先生に、そして今年は、広島の被爆二世である今中先生にも、そして福島の若い人たちにも来て戴いてお話しを伺いました。
すっかり福島原発の事故をなかったものにし、原発を再稼働させようともくろんでいる為政者に対し、このヒロシマからもさらにノーと強く訴えたいと思います。
そんな今、来年の8.6.には、どうしても落合さんのお話を伺いたいと、実行委員一同、強く熱望しています。この実行委員の中には、昨年、日比谷公園での集会に参加し、落合さんのお姿を遠くから見ながら発言を聴いていた者もいます。私は、参加はできませんでしたが、インターネットで落合さんの発言を聴き、思いを同じくし、かつ悔しい思いをいっぱいにしております。
来年の8.6当日は、韓国人被爆者のおばあさんの被爆体験のお話し、初代救援連絡センター事務局長の水戸巌さんのパートナー水戸喜世子さんなどのお話し、さらに福島の若い人たちのお話し、全盲のピアニストの三浦裕美さんの被爆ピアノの演奏と語りなどをうかがいたいと企画し、要請しております。
さ来年は被爆70周年です。そのプレ企画として、オール女性の出演で固めたいとの思いでいます。杉並の女性たちが後に世界的な原水禁運動へとつながって行った署名運動を始めて60周年でもあります。
落合さまには、ブログを拝見しますと、本当に激務の毎日でいらっしゃるご様子、沢山の講演依頼も殺到していることと思います。大変心苦しいのですが、どうぞ、私たちの熱い思いを汲んでいただきますように、伏してお願い申し上げます。
ぜひ、8月6日のヒロシマに来てお話し下さいますように。
ただ、心苦しいことが重なります。私たちの会は全くスポンサーがなく、当日の参加者からの1000円の参加費と、有志の方の賛同金ですべてをまかなっています。それゆえ、十分なお礼をお渡しすることができません。情けなく、申し訳ないことでありますが、どうぞ、これも意をお汲み取り下さいますように。
朗報をお待ちいたします。
これまでの私たちの集会のチラシを同封いたします。
まだまだ厳しい寒さが続くことと思います。落合さまには、どうぞ、ご自愛下さいませ。
2013年12月8日
河野美代子
(このお手紙はプリントしたものをまずファックスでお送りします。同時に、これまでの8.6ヒロシマ平和の夕べのチラシを同封して郵送いたします。)
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ぜひ覗いてみて下さい。
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