2014年「ヒロシマ平和の夕べ」⑨嵐の中の母子像
今年の「8.6.ヒロシマ平和の夕べ」は、落合恵子さんを始めとして、出場する方はすべて女性に設定しました。
来年は、被爆70周年。そして、杉並の女性たちが、その後の原水禁運動の全国的なひろがりにつながる、原水爆禁止の署名運動を始めて60周年です。
これについて、私は、ここに 私の視点から書いています。しかし、改めて読んでみると、そこにリンクしている久保山愛吉さんの葬儀の写真は、今はリンクできませんでした。
残念。そこに掲載されていた大きな写真は、今は見ることができません。しかし、同じ時に撮られたであろう写真、小さな報道写真かと思いますが、それを見つけることができました。
やはり画素も小さくて鮮明に転写はできません。元の写真は、手を合わせている少女の、下駄をはいた素足がなんとも悲しくて。どうしてあの写真を保存した置かなかったのか、悔やまれます。
その60周年をどうするかいろいろと考え、論議した上で、オール女性で行きましょうということになったのです。被爆70周年のプレ企画です。
冒頭の写真は、平和公園の噴水の前にある「嵐の中の母子像」です。
像の前に設置してある石碑に書いてあるることは次の通りです。
昭和35年(1960年)8月5日に建立。
建立の目的は「核兵器廃絶への限りない努力を呼びかける」
設計は「本郷新」
建立者「広島市地域女性団体連絡協議会(旧)広島市婦人会連合会」
形状「右手に乳飲み子を抱え、左手で幼児を背負おうとしながら、前かがみ姿勢で生き抜こうとする母の姿を表す」
ちなみに、本郷新は、北海道生まれ、あの高村光太郎に師事、「わだつみ像」も制作した彫刻家です。
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コメント
この写真をみると、我が子をまもる母親の力強さとたくましさ、平和をまもり育てる生き抜くちからをかんじられますね、また高村光太郎も戦争の嵐に巻き込まれ、利用されてきた人です。そういう傷ついた人の師事をうけ有名になった彫刻家なんですね。わだつみ像をみるかぎり平和を求める青年の像であり戦前多くの大学生が自らの信念をまげて特攻隊パイロットになり散ってゆくことを賛美したものでもなく、平和を求める青年のストレートの気持ちだとおもいます、それを特攻隊だからといって軍国主義に荷担したから現代では六十才以上で、潰せといったかつての大学生 のあさはかで極端な考え方には賛同しません、平和をもとめたからこそ、河野美代子先生のブログに掲載された母子像も作ったのだから、作者は平和を本当にもとめてるのだとかんじられます。
投稿: 愛ちゃん | 2014年4月 9日 (水) 09時32分
私が生まれる1か月くらい前に建立されたのですね。
歴史を感じます。
投稿: もみじ日記 | 2014年4月 9日 (水) 16時14分