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「2014年ヒロシマ平和の夕べ」⑥被爆者自らの運動

『 これらの動きに合わせて、被爆者自らも動き始めた。その一つが、1952年(昭和27年)8月の「原爆被害者の会」の結成である。同会は、映画「原爆の子」の製作にかかわった被爆者たちが「生活を守り、平和を築くために協力し合おう」と発足させたもので、発足大会には約120人の被爆者が集まった。活動方針に、被爆体験記の収集、原爆写真展の開催、広島市への医療費援助、ABCCへの医療機関整備要求、生活困窮者に対する無料治療の実施などを掲げ、げんばくや被爆者に対する一般の理解を深めることと、被爆者に対する医療援護を求めることを重点目標としていた。

 しかし、GHQ占領下の影響がまだ尾を引く中で、同会の活動には警察の監視が月、会員が世話人の吉川清さん宅に集まった時には常に警察官がパトロールしていたという。加えて、市民の被爆者に対する偏見と差別もあったため、具体的に活動にはなかなか取り組めず、会の性格は被爆者がお互いの苦しみや悩みを吐露しあい、励まし合う親睦会的色彩が濃かった。

 同会のような交流グレープは、女性被爆者や青年被爆者の間でも見られたが、必ずしも表面化した動きには発展しなかった。原爆の傷跡と偏見・差別で受けた心の傷があまりに大きく、表に出る勇気がなかなか持てなかったのだ。

 

高まる原水爆禁止の声 

( 被爆者の苦しみをよそに、世界では核開発競争が一層激化し、・・・ここは第1回目のこのシリーズで引用しています。「第五福竜丸」が死の灰を浴び、久保山愛吉さんが亡くなった事は、日本中に大きな衝撃を与えました。①で中略とした所をここで掲載します。)

 広島では、広島、長崎に続く「第三の核被害」として特に衝撃が大きかった。4月10日には早速、本川小学校に被爆者らが集まって「世界平和大会」を開催。さらに、同21日に開催された第六回婦人会議広島大会でも、ビキニ被災は大きなテーマとなり、原水爆禁止を訴える市民大会開催が緊急提案された。この緊急提案は、結果的に広島の運動に大きく弾みをつけることになった。広島県地域婦人団体連絡協議会が提案実現のために奔走。医師会や文化団体など70を超える機関・団体と被爆者らの協力を取り付け、幅広い市民参加方式による「原水爆禁止広島大会」の開催にこぎつけたのである。

 広島市児童文化会館で5月15日に開かれた同大会には、千人を上回る市民が参加し、会場は熱気に満ちた。大会は「我々は世界で最初に原子爆弾を体験し、その深い病禍にいまなお呻吟している広島市民として、最近の水爆実験による不幸な被害者に対し、心から同情を禁じ得ない。我々は原子兵器の惨禍がすでに人類を絶滅する危機に達しようとしている現状を無視することができない」として、原子兵器の使用・実験の禁止、原子兵器の製造・研究の即時停止、原子力の厳重な国際管理を緊急に求めるアピールを採択、アピールを実行あるものにするため、原水爆禁止署名運動を行うことを決議した。』

 この転載は、後2~3回、被爆10周年の1955年(昭和30年)の原爆記念日に広島で開かれた「原水爆禁止世界大会」の開催までで終わります。こうして被爆者たちの地道な活動をなぞって見ることが私たち自身にも必要と思って。面白くないかもしれませんが、もう少しお付き合い下さいませ。



 

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コメント

反原発デモでもあるように常に公安警察が監視をしてる土台が戦争がおわってもあったんですね、また青年男女が結婚や妊娠をあきらめて悲観的になったお話もお噂できいてます、被爆者だからと破談になったとか結婚しても赤ちゃんをあきらめて中絶した話を学校で伺ったんですがそれも仕方ないよね、本当はいけないことだけど、あきらめてしまう現実が卵子の老化の敗者と同じ土台があるから産婦人科の医療の現実としてかたっていこうとされる先生の姿勢は素晴らしいものがあります。被爆者でも障害児でも生んで育てられる社会に本当にしなければならないが、現実は相当困難だから中絶するんですよね。私はクレチンになった原因がもしかしたら父母の生まれた年代が昭和20年代で母親が昭和20年の終わりだからこそもしかしたら内部被曝を母親が胎児の時にした可能性もあるからと甲状腺専門医にいわれたのはショックですが、悲観的にはなってません、やっぱり内部被曝をしたことを確信しながらいきていくことを小さいときに親と小児甲状腺医に指導されましたが、やっぱり悲観的ならざるえない方々が多いとかんじます。本当は被爆二世や三世や小児甲状腺疾患児やダウン症のお子さんが成人してもいきられる社会が作られ憎いなか、やっぱり国情としては内部被曝から先天性の小児甲状腺疾患児や卵子の老化でダウン症児が生まれやすいことをきちんと女性が意識しないといけないからこそ、自分のライフプランや産婦人科受診計画をきちんと初潮時にしないといけないからこそ、もう少し女性が政治や自分の体に興味もたなければならないなとおもいます。もう少し人生計画をきちんと考えていたらと慌てることないのかもしれません ただ、戦争で核攻撃をうけた国が大災害で発電所のメルトダウンという二次災害を被り、福島県の小児甲状腺疾患の子供たちがふえて、厚生省がさだめている小児特定慢性疾患の基準内診療でおこなわれてない現実とキャリーオーバー目前の子どもたちが切り捨てられてることは人権上ゆるされません、小児特定慢性治療治験事業では小児甲状腺疾患はすべて二十歳までの子どもたちが平等に医療をうけれる規定があるからこそそれを一つも逸脱すべきではないのです。本当に小児甲状腺疾患はいまやどのお子さんも内部被曝を考えればならざるえないです。もう少しなぜキャリーオーバー目前の子どもが切り捨てられてしまうか考えていただければとおもいます。

投稿: 愛ちゃん | 2014年2月 5日 (水) 09時22分

愛ちゃんさま
はい、戦後の広島には、被爆者差別がありました。結婚差別何て、私の時代でも。遺伝的影響は今も結論が出ていません。だからこそ、福島の被曝、特に子どもたちの被曝はなんとかなくしたいのですが・・・。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2014年2月 9日 (日) 10時43分

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