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2014年「ヒロシマ平和の夕べ」④被爆者たちの署名活動

Photo ホテルの窓から見える東京湾の日の出です。昨夜遅くホテルにきました。ここは同じビルに大浴場が別会社であるのですが、すでに閉まっていて、お風呂に入れませんでした。部屋にはシャワーだけで浴槽がありません。朝シャワーです。今日はこれから秋田に向かいます。東京はいいお天気ですが、さて、北の方はどうでしょう。体は大分楽になって来ました。やはり耳鼻科の先生のお薬、ドーンと抗生物質を行くのが効果的だと、餅は餅屋だと思います。ありがたいことです。

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さて、昨日の続きです。国際情勢の急速な変化も被爆者の動きを加速させた。

『 その一つは、1949年(昭和24年)4月6日のトルーマン米大統領発言。大統領発言は、広島、長崎の惨禍が次第に世界に知られるようになり、原爆投下に対する国際世論が盛り上がり始めたのに対し弁明したもので、その内容は「原爆投下は二百万のアメリカ兵の命とその二倍の日本人の命を救うことを信じて決定した」というものだった。被爆者にとって、広島、長崎の市民の命を無視したかのような大統領発言はとても許せるものではなかった。被爆者ら有志は早速、平和署名運動を始め、その年の9月、10万人の署名を集めてトルーマン大統領に送りつけた。

 ソ連が同年8月29日に、初めて原爆実験を実施したことも被爆者を刺激した。被爆者らは10月2日、早速広島市内で「平和擁護広島大会」を開き、原子兵器の廃棄を高らかに宣言。そして、翌1950年(昭和25年)3月、第一回平和擁護世界大会委員会が提唱した原爆禁止署名運動にもすぐ呼応した。同大会は、ソ連の核兵器保有に伴う東西対立の激化を懸念して、スウェーデンのストックホルムで開催され、「原爆を最初に使用する国は人類に対する犯罪者である」との”ストックホルム・アピール”を発表すると共に、国際的な原爆禁止署名運動の推進を呼びかけた。広島ではそれを受けて、被爆者らを中心に県内全域で署名活動が進められ、短期間で百万人もの署名を集めた。日本国内で集まった745万人署名の実に13%余を占める署名数は、ヒロシマの反原爆の思いを示していた。

 被爆者はこうして、悲しみ、苦しみ、怒りをぶつけるように、プレス・コードの厳しい規制を乗り越えていった。そして、同年8月6日、被爆者らの思いは平和集会の非合法開催として一つの頂点に達した。』

 私が、ここの所、「核のない明日を目指して」の丸写しをしているのは、こうして、被爆者の過去の闘いを振り返ることに意味を見ているからです。被爆者の多くが亡くなっている今、そして、その力もとても弱ってしまって、または被爆者運動を支える人たちの発言が「違うんではないの?」と言いたくなることにもしばしば出会うようになりました。

 また、原発事故が起こった後、広島の運動を核兵器反対ばかりで、原発反対が無かったなどと無責任に気楽にいう人たちにも出会います。その人たちにもあの困難に状況の中で被爆者たちは、こんな闘いを闘って来たのですよ、と知ってもらいたい気持ちもあります。まだもう少し続けますね。    

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コメント

トルーマン大統領って随分横柄で核兵器まで使って戦争に勝利したということを本当に肯定してるなっておもいました。核兵器まで使わなければ戦争がおわらせなければならなかったのだろうか、核兵器をつかった後のアメリカの戦争の仕方は、あまりにも横柄かつ残忍です。実態は、イラクでの小型核兵器らしきものを使って勝利した、ベトナムでは枯れ葉剤て赤ちゃんが生まれてきたら奇形児。なんかアメリカ合衆国は核兵器を戦争で使ってしまったことに酔ってないか、それによって次々に戦争に勝つことだけを頭にいれて他の民族や国からあらゆる反感をくらってないとは言わせないぞ、日本は立場や考え方が極端にちがう方々がたくさんいてそれぞれの主張でやっぱりアメリカに対して反感をもってるからこそ国民的には怒りのぶつけようが拮抗して対話なんてできませんがやっぱりそれぞれの怒りのぶつけようがないのは確かだとおもいます。相手に危害やストレスをあたえるデモ隊はいけませんが本当に国民的にはあの戦争には納得してないからこそ、アメリカにたいしてのあらゆる圧力になってるから日本人と日本国ホワイトハウスは内心怖いと思っとるとおもいます、日本はアメリカに核兵器使わせてしまった、使わせるような戦い方をしたのは反省しなければなりませんが、日本はそれだけアメリカには強かったのです、六十年かからなければものにできなかった国だからこそやっぱりアメリカから解放される価値があると思うし憲法を守らなきゃいけないのかもしれません。とにかくアメリカに対してはみんなそれぞれ不満があると思うし納得できないのでは。

投稿: 愛ちゃん | 2014年2月 1日 (土) 10時03分

病み上がりの先生、遠い移動、お疲れ様です。

ブログを読ませていただき、ビックリ❗
私も、昨日からたぶん同じホテルにいます。
先生のブログで、このホテルを知り、とまってます。

夕べは、おかげ様で、お風呂に入れました。
お疲れ出ませんように。

投稿: ジェンダーフリー | 2014年2月 1日 (土) 15時08分

新幹線でご移動ですか?
お疲れ様です。
お時間があれば寝台特急もなかなかいいですよ

投稿: もみじ日記 | 2014年2月 1日 (土) 21時22分

河野先生、
少し時間が空きましたが、このブログを通じて性教育やジェンダーのバッシングに対する先生の憤りを
自分にも照らし合わせて共感し、勉強させて頂きました。

今日、こころとからだの学習裁判の勝訴報告会に行ってきました。

自分も苦しんだ人間として、こんな出来事があったなんて、そして10年もかかってようやく正しい事をしている。と認められるなんてどうかしていると思いました。認められても尚

今でも謝罪は無く、没収された教材も戻っていないそうで、
もっと周知し、謝罪を求めていくそうです。

そしてはじめて、七生養護学校関係者のみなさんが歌う、
からだうたを聞きました。私も歌いました。
教育者の思いと愛がいっぱいつまった歌ですね。

また、立教大学の浅井春夫先生が纏めた、
「あっ!そうなのか!性と生」エイデル研究所
という本が先月出来上がったそうで、購入してきました。

体の事はもちろん、性、生と死、好きという気持ち、いじめ、家族の多様性、性被害にまで渡る内容で、おとな向けに教える為のガイドもあり、私が図書館でどれだけ探しても得られなかった知識が纏められていました。個人的にも安堵の気持ちでいっぱいです。

これからは、教育現場は政治の介入を危惧せず、思想の支配も無く現実を子供と共有出来る事になります。

子供は大人が隠す性の事柄に不信感を募らせたり誤った解釈をせずに済みます。それは、性被害の減少に必ず繋がります。

私はこの事が知れて本当に良かった。
微力ですが、この知識と経験を人に伝えて行きたいと思っています。
先生、ありがとうございます。

投稿: 一般男性(42) | 2014年2月 2日 (日) 02時10分

愛ちゃんさま
私も、せかいじゅうで戦争を仕掛けるアメリカについては、反感を持っています。安保にも。ですが、友人のアメリカ人は沢山います。みなさん、人格者です。国と人を分けて考えないといけないようです。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2014年2月 9日 (日) 11時12分

ジェンダーフリーさま
びっくり。女じホテルに泊まっていたのですね。でも私は夜12時を過ぎて入って、朝ご飯も食べずに早くに出たので・・・。それにジェンダーフリーさんがどなたかもわからないので。顔を合わせていたたかもしれませんね。いいホテルだったでしょう?こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2014年2月 9日 (日) 11時14分

もみじ日記さま
ずっと新幹線で、やはり疲れました。あの、今でも寝台特急ってあるのですか?あの、秋田いい所でした。それに人も、優しい人たちばかりでした。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2014年2月 9日 (日) 11時15分

一般男性(42)さま
このコメント、とっても嬉しくって。私もいきたかったのですが、秋田にいて、どうにもなりませんでした。よくぞ行って下さいました。浅井先生も、尊敬する先生です。その本を買って下さったとのこと、さらに嬉しいです。これからも対話ができますね。心から感謝します。ありがとうございます。こうのみよこ

投稿: こうのみよこ | 2014年2月 9日 (日) 11時18分

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