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低用量ピルの副作用②月経痛の治療薬として

昨日の記述で、若干不十分だったかなと思うので、少し追加を。コンドームをいつも使っていれば、避妊は完璧かと言うと、決してそうではありません。

 これまでにも何度も言っているのですが、私の所でのデータでは、コンドームをいつも必ず使っていたという人の妊娠率は、13.5%でした。コンドームの避妊率は、一年間で85%と言われています。これは、一年以内に、100カップル中15カップルの妊娠が成立するという意味です。それと本当に近い数値が私たちの所でも出ました。

 これは、コンドームの限界を示しています。そもそも、私の所でも緊急避妊を求めて来られる方は、圧倒的にコンドームが敗れた、または外れてしまっていたという人たちなのですね。コンドームは、そういうハプニングが起こりうるものだということなのですね。それに、ハプニングが起こらなくって、ちゃんと避妊はしていたのに、それでも妊娠してしまったという人たちにも出会います。この人たちは気の毒ですね。「ちゃんと避妊してたのに」と途方に暮れてしまいます。

 なお、コンドームについては、もう、ずっと以前、ここから9回に渡って書いています。2008年のことですから、まだ日本では緊急避妊の認可もされていない時ですので、今とは異なることも書いていますが。

 さて、低用量ピルです。一般的には単にピルと言われて入ることが多いようですが、私たちは、今はOC(oral contraception)と呼んでいますので、ここでもそう呼びますね。

 OCは 女性がちゃんと飲んでいればほぼ確実に避妊ができるというので、女性にとっては福音でもあります。それに、それだけでなく、月経痛がひどい人、卵巣機能不全で月経が不順な人、また、ダイエットなどで月経が止まった人などの治療の一環としてもつかわれています。

 特に、子宮内膜症などで、とっても月経痛がひどい人には、劇的に効果があります。普通の鎮痛剤では、効かないほど強い月経痛の人がいます。ですので、今、OCではあるけれど、月経痛の治療薬として保険適応として認可されているものが2種あります。というか、正式には3種です。一つは「ヤーズ」、もう一つは「ルナベル」ですが、ルナベルは、最近ホルモンの量を変えた「ルナベルULD」が発売され、同じく月経痛の治療薬として認可されています。ですから、正式には3つですね。

 ただ、保険適応といっても、薬価がとても高く設定されていますので、健康保険の一部負担が3割の人は、受診料、調剤料なども合わせると、返って他のOCを私費で出してもらうのより高くなることもあります。

 この度、ヤーズの副作用が報道され、まるでヤーズだけが悪者のようにとらえられるという現象が起こっています。ヤーズを服用している人が、ほかのOCに変えてほしいという人が続いています。でもOCの副作用については、ヤーズだけでなく、以前から分かっていることであり、いまさらと言うほどのことなのですね。

 一番副作用として注意しなければならないのは、血栓症。血管の中で血が固まってしまうというものなのです。私たちがOCを処方する時には、必ず血栓症についての説明をすることになっています。また、薬に添付されている能書、説明書にもこれについては、注意するように必ず書かれています。

 その血栓症のことについて明日説明しますね。

    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

Photo  昨日から福屋八丁堀店で開かれている京都展。昨年も買っておいしかったので、今年も。はもチラシ寿司です。二つ買って晩御飯にしました。(これと豆腐とわかめと玉ねぎのお味噌汁です)とてもおいしかったです。1260円でした。3月1.2.3.はひな祭り用に大きいのが出るそうですが・・。職場からは福屋はちょっと遠くてもう行けません。

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低用量ピルの副作用①避妊を確実にすること

 ここの所、低用量ピルの副作用について、いろいろと報道されたこともあり、副作用のみが一人歩きしていることに胸を痛めています。これらについて、少しシリーズで書きたいと思います。

 低用量ピルは、女性がキチンと飲んでいれば、ほぼ確実に避妊が出来る、女性にとっては大きな福音となるものです。日頃産めない・育てられない妊娠をした女性たちを見るにつけ、避妊に対しての考えがとても甘いことを痛感します。もちろん、女性たちだけでなく、相手の男性の無知、強引な態度に女性自身がちゃんと向き合い、主張していないことも分かります。

「一回くらい大丈夫」
「外に出すから大丈夫」など、

・全く避妊をしない場合、・基本的にコンドームを使っているのだけれど、使ったり使わなかったり、実にいい加減な使い方をしていたり・膣外射精(若者たちは外出しと言います)をしていたり。

 私たちからみれば、妊娠して当然という、こんな当たり前のことがなされています。そして、当然の如くの妊娠、泣き泣きの人工中絶。

 先日の中学生は、中学生同士で「膣外射精をしていた」と言いました。14歳同士です。そんな年齢で、「外に出せば大丈夫」という半端に知識=無知でもって行動している、そんな状況があるのですね。

 そして、まったく愕然とするのは、つらい思いをして中絶をした、その後の今後のことについてなのですね。多くの若者は、中絶をした後は、もう繰り返したくないと思っています。当然ですね。では、どう実行すればよいのかということになります。

 もう性交はしないという人。それが一番確実だよね、でも、それはいつまでの事なのかと、それを問います。「もう、二度とセックス何てしないのよ、はい、終わり」ではダメなのです。人工中絶をきっかけとして、相手の男性と離別したというのは、ほんの少数です。多くの若者や結婚している(もう何人も子どもを産んだ)人は、そんなことでは離別しません。その後も付き合いは続きます。

 付き合いが続く場合、またいつのまにか性交を再開し、そしてまた妊娠、という苦いことに何度も向き合ってきました。付き合いが続く場合、または離別したとしても、また新しい恋人ができれば繰り返すということもあり得ます。

 人工中絶なんて、もう一回きりで十分。二度と繰り返さないためにどうしようか、今後のことをしっかり考え、実行する、その指導が不可欠になります。そして、それには避妊の指導も含まれます。

 それは、相手の男性の意志や行動が問われることでもあります。コンドームを使うと言っておきながら、ない時には使わない、その時は外に出す、なんて人もいます。

 先日は、「ないんだったら、買いに行きなさい。コンビニででも売ってるでしょう」というと、あったんだと。でも、しているうちになくなったんだと言う男がいました。そう、若い人は一度だけとは限らないのですね。何回もしているうちに、手持ちのを全部使い果たしたということなのでしょう。激しい性欲をひたすら若い女性にぶっつけ、そして、コンドームがなくっても、ないままに続けてしまう。その時には、彼女が妊娠するかもしれないということなどは、どこかに飛んでいくのでしょう。

 そんな男と向き合うと、やはり女性が確実に避妊できるということが、とても大切だと思わざるを得ません。確実に避妊できるのはピルだから、というと、「でも、ピルは副作用が」という答えが返ることも珍しくありません。

 そんな時、人工中絶の副作用は、どこに消えたのかと思います。あんなつらい思いをしたはずなのに。

 ピルを飲んでいれば、コンドームが破れようが、相手がはずそうが、自分で防衛できるのですね。それは、女性にとってとても大切なことだと、特に中絶を体験した人にとって、二度と辛い思いをしないためにも必要なことだと思うのです。

 そして、ピルは、単に避妊目的だけでなく、ひどい月経痛や、不順などで苦しむ人への福音でもあるということなのです。また、明日に続きます。

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「焼きリンゴ」

 この前の日曜日、家にこもっていろいろとしている時、平行して焼きリンゴを作りました。作るといっても恥ずかしいほどのものなのですが。念願の紅玉を手に入れたので。

Photo Photo_2

 真っ赤なリンゴはつやつやとかわいくて。よく洗って芯抜きで芯を抜きました。底を抜かないように気を付けて。そこにパターとシナモンたっぷりと、砂糖と干しブドウを入れました。

 底に敷くのは、コストコで買って冷凍していたパン。干しブドウやクルミがたっぷり入っておいしいパンでしたのに、この前行った時にはもう売っていませんでした。きっと売れ行きが悪かったのでしょうね。私はファンだったのですが。

 さあ、焼こうと思ったら、あらら、オーブンのスイッチが入りません。うん?あれこれしても入りません。故障した様です。困った、さて?吉岡鍋でオーブン代りにしようか、うーんと考えて、結局オーブントースターにしました。でも、それだと背が高くて、ほとんど天井にくっつきそうです。これはすぐに焦げるぞ、と思ったので。じっと見ておいて、こげそうになった所で出して、後は電子レンジです。これも、じっと見ておいて。そしてへなへなになったぞ、と思った所で出しました。

ジュージューと音を立てて、リンゴのおつゆが噴出しています。それをパンが吸ってくれて、いい匂い。部屋いっぱいに匂いが広がります。

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Photo_5 リンゴの皮はするするとむけます。中からはピンクになった身がまたまたいい匂い。柔らかくてホークだけで食べられます。パンもおいしくて。

「食べる物が一杯あるのに、どうしてこんなのをわざわざ作るの?」と言っていた夫がパンを一口食べて「これは!リンゴの汁を吸っていて、おいしいねえ!」と言ったので、それみろ!と思いました。

 お料理というほどのものでなく恥ずかしいけれど、おいしかったのでご報告です。明日からしばらく真面目なことを書きます。

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私のブログのアクセス分析・続きです。

 昨日の続きです。私のブログのアクセスの分析をもっといろいろとやってみました。はじめに、工場長さんのと違って私のは円グラフです。パソコンの違いでしょうか、と書いたのは、まったく間違いで、私のでも、もっと作業をすれば、棒グラフを出すことができました。きっと工場長さんは苦笑いされていることでしょう。

私が驚いたのは、この報告です。

Photo_2 これは、トリミングしていますが、左の方には、各組織、会社名などが書かれています。2月中の最後のアクセスをした日と、参照元と、そしてどのような検索でこのブログに来たかが書かれているのです。わあ、アサーションで検索している人がいる、ありがとう!なんて。

 それから、大学は出ていますが、小・中・高校のアクセスは全くありません。学校のパソコンではブログにアクセスすることができなくしてあると、それを示しています。それから、学校だけでなく、広島県でも、ほとんどの役所で、ブログは見られなくしてあると。それも本当だなあというのが分かります。

 これとは別に、全体の検索ワードは次のように出ています。

Photo_4

 そして、私のブログの中のどのページが2月中にもっとも読まれたか、その報告もあります。

Photo_5

 これらの分析・報告は、私にとってはとてもありがたくて。これらは私にしか見ることができません。例えば、私が今中断している被爆からの被爆者の運動について、これらのページが結構読まれていることもわかりました。その数字は、また再開しなければ、と背中を押してくれました。

 そして、もう少しいろいろとやってみたら、私にひどい中傷のコメントをしつこく送って来る人、もちろん、意見ではなく、「きさま」だとか「おまえ」だとかの言葉で「早くこの国から出て行け」だの、中傷でしかありませんが、これらはアップしませんが、置いています。パソコンのアドレスもわかります。そのアドレスでもっと何か分析ができるのではないかと思います。その人が、どの会社に属しているのか、分かると面白いなあとか。

 しかし、情報社会と言うのは、一体どこまで行くのか、恐ろしいことでもあると感じましたよ。

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私のブログのアクセス分析

「タウンNEWS広島 平和大通り」 の工場長さんのこのブログを呼んでびっくりしました。私も同じココログなのですが、そのアクセス分析は、これまでアクセス数や男女別、それが主にどの検索から来られたものか、などは見ていましたが、ここまで詳細な分析がされているなんて知らなかったものですから。

 で、早速やってみました。今月、2月1日からこれまでの分析です。

Photo

 私のは、工場長さんのと違って、棒グラフではなく、円グラフで示されます。パソコンの違いでしょうか。私のは、やっぱり少し女性が多くて、30代、20代、40代の方たち。でも、10代の方も結構見て下さっていることがわかります。

 何より私がびっくりしたのは、属性でも、会社などの組織別の詳細な分析でした。私は、工場長さんのように、パソコンにたけていないので、きれいに並べることはできなくってごめんなさい。

Photo_3 Photo_4

Photo_5 これらが、100位まで続きます。ここには載せませんが、初めてアクセスした時、そして2月中に何回、最後はいつアクセスしたのか、とか。思わず、声を上げました。日本医師会も、防衛大学校もある!!そして、もっともっとびっくりしたことがあります。

 ごめんなさい。私の時間が無くなりました。続きは、明日にさせて下さいね。

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ちょっと幸せだったこと・チョコレート風呂など。

 1月の終わりから、怒涛の如くの日々が続いていました。おまけに、大風邪まで引いて。かなり辛い日を過ごしましたが。

 今日は、完全なオフです。ちょっとホッとしています。すべきことは山ほどあるのですが。今日は、その忙しい日々の中でも、少しだけ幸せだったことを並べますね。

 少し古くなりますが、14日のバレンタインデーと、その2日後とも「やまとの湯」では露天風呂の一つが「チョコレート風呂」にしてありました。体が見えないくらいに真っ黒。ミルクチョコのいい匂い。体中すべすべして、チョコレートになっちゃった。思わず自分の体をなめたいと思いました。ゆず湯だとか、しょうぶ湯だとか、コラーゲン風呂だとか、いろいろとしてくれるけれど、チョコレート風呂は、これまでで一番うれしく幸せでした。

Photo マックスバリューで紅玉を見つけました。バンザイ!もちろん即買いです。これで今日は焼きリンゴを作ります。芯をくりぬいて中にはバターと砂糖とシナモンと干しブドウを入れます。もちろん、下にパンを敷いて。おお、楽しみ!!

30pyxe  20日木曜日、中国文化センターで講義をした後、そごうでしている江戸情緒老舗くらべで、梅園の「粟ぜんざい」を戴きました。お昼を食べる時間がなかったので、お腹がすいていました。ほっこりしておいしかった―です。

 その後、クリニックのそばの千円カットで髪を切ってもらって、ついでに頭皮マッサージをしてもらいました。スースーしてごしごしマッサージをしてもらって、それはそれは気持ちが良かったです。前後のシャンプーも含めて、2千円で、こんなに幸せな気分にしてもらっていいのかという思いでした。

 昨夜もとても遅くなって、家に帰るのが10時近くになりました。夫がキムチチゲを作ってくれていました。私が暮れに作ったキムチで。それはそれはおいしいチゲでした。日頃、翌日仕事がある時にはキムチは食べられないので、なかなか思いっきり食べることができないのですが、昨夜は、しっかり食べました。キムチ、もう少ししか残っていません。

 最後に、こんなにのんびりした気分で今日を過ごすことができるのが、何より幸せなことです。今日だけですが。来週の日曜日には、午前午後の二回の講演が入っています。そのご案内をしますね。

Photo_2 Photo_3

両方とも廿日市でのがんの講演です。クリックして戴くと、チラシが大きくなります。今日は、この講演の準備をします。

 

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谷龍介君の新曲発表会。大切な人の訃報も。

もう少し前のことになります。一週間も前、2月14日、丁度バレンタインの日、谷龍介の新曲発表会がありました。

Photo

 この前の曲「あなた時雨」もとても好きだったけれど、もう発売から4年も経つと。待望の新曲です。


 呉市出身の彼は、地元にも根強いファンが沢山います。私もその一人。何かあると、何はさておいても駆けつけたいのですが。今回は、ディナーショー。食事時間も半分過ぎた頃、やっと駆けつけることができました。大急ぎで食事をして、新曲「つづれ川」を初めとして、次々と彼の歌を聞きました。

 歌はうまいし、色気があって、ドキドキ。またまた夢のようひと時を過ごすことができました・・・。と言いたいのですが。

 実は、いつもお会いする山口さん、今日は来てるかね?と尋ねると、なんと、ひどい話。暮れに亡くなったと。もう、びっくりして、ショックで。激しく後悔しました。

 昨年8月の「車いすダンスくらぶ」の発表会では、受付や会場案内などのボランティアで忙しくなさっていたのです。10月に「龍ちゃんと共に歌う会」をした時に、歌がとっても上手な山口さんも当然来られると思っていたのです。そしたら、来るつもりでいたけれど、ちょっと体の調子が悪くって来られないと。暮れの龍ちゃんのクリスマスディナーショーでもお顔を見られなくって。おかしいなあと思っていました。もうそろそろ今回は来られるのでは?等とのんびり考えていたのです。

 そしたら、すい臓がんで、アッという間に亡くなってしまったのだと。

 会社の経営者である山口さんにはお忙しいのに、とてもかわいがって戴きました。秋葉さんの選挙の時も、私の選挙の時も、とても沢山の法定ハガキを書いては、持ってきて下さいました。これでもか、これでもかというほどに。

 龍ちゃんのに限らず、音楽の会ではいつもお会いして、そのたびにでっかいカメラで写真を写して下さいました。さらに、わざわざ職場まで写真を持ってて下さるのです。恐縮して。

 なぜお具合が悪いと聞いた時に、もっと詳しく尋ねて、そしてお見舞いに行かなかったのだろうかと激しく後悔しました。龍ちゃんの歌を聴きながら、山口さんの事ばかりが頭をぐるぐる回っていて。次々と大切な人たちが亡くなってしまいます・・・。会いたいと思った時に会っておくこと。再度自分に戒めたいと思います。

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観音高校のポプラについて、もう少し。

 昨日に少しだけ書いた観音高校のポプラについて。どうもあれだけではフラストレーションがたまって仕方がなくって。だから、もう少し。

 
ポプラは、観音高校が引っ越す前にあった、今の観音小学校から移植された物であることも分かりました。そして、観音小学校にはいまも青々とポプラが生き続けています。この話をしたら、夫が「被爆ポプラ」として書いた覚えがあると言いました。


Photo

芸陽観音同窓会のトップページです。この写真につけられているコメントです。

「校庭から見上げる空はいつも青かった。そしてポプラの木陰はいつも涼しく優しかった。」

 さらに、県立広島第二中学23期生の同窓会の名前は「ポプラ会」です。

このホームページの冒頭にはこう書かれています。

『我々23期生は、昭和19年(1944年)春、希望に満ちて県立広島第二中学に入学、太平洋戦争さなかの苦難の時代に、共に学び、勤労動員の汗を流した仲間です。昭和20年8月6日の原爆では、二葉の里・東練兵場(現広島駅新幹線口付近)
で勤労作業中に被爆、ほぼ全員火傷などの被害に遭い、一級下の1年生は、爆心地に近い中島町(現広島平和記念公園)で、全員322人が爆死しました。

 戦後は、6・3・3制の学生改革に伴い、学区制の新制高校に転校・編入を余儀なくされましたが、今でも入学当時のクラス名で呼び合う仲間です。』

 また、観音高校になってからも、卒業アルバムの名前が「ポプラ」である学年もあります。


 私は記者でもないので、なぜ切ったのか、校長に尋ねることもできません。今更聞いても、多分あれこれもっともらしい理由を言われるでしょう。

 ただ、多くのそこで学んだ者たちにとって、ポプラは一つの青春であったという思いがあること。そして、世間では、被爆あおぎりや、被爆くすのきなどの保存やその二世を育てることが一つの平和運動にもなっているという事実。それらを知った上でなおかつ切られたのでしょうね。生きている樹を根本から切ったのですね。

 私は、ただ、むなしい思いで話すことしかできません・・・。

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観音高校のポプラ。

今日の木曜日、休診日は、第二回の中国文化センターの更年期講座です。昨夜、やまとの湯から帰って、今日みなさんに飲んで戴く漢方茶を作りました。今日お出しするのは、スジョンガ・水正果。

Photo 桂皮。ニッケ(シナモン)の皮を乾燥させたもの、京都の「素夢子古茶屋」で買って置いたものと、奄美出身の患者さんから戴いた奄美の黒糖と生姜を煮て作ります。桂皮も生姜も体を温めて、風邪の予防になります。それに健胃の作用も。黒糖はミネラルがたっぷり。これらを合わせたスジョンガは、体を温め、鎮静の作用もあります。

 少し薄めにしたら、上品な味に仕上がりました。これに干し柿を添えます。干し柿は、数だけないので、今日巻き柿を買って切ってお出ししようと思います。

 ところで、信じられない話を聞いたので。私は、ここの所言って来たように県立広島観音高校の出身です。観音高校は、旧制広島二中です。ここの学徒動員中に原爆で亡くなった生徒については「碑」として出版されたり、合唱部OB会は毎年「いしぶみ」の公演をして大きな反響を呼んでいます。

 観音高校の校章とその説明は、生徒募集の所に書かれていたので、それを転載しました。

校章

『校章
ポプラの葉四枚と,その中央に H, Kの頭文字をあしらっている。 ポプラは広島二中以来のシンボルで,真っ直ぐにすくすく伸びる 本校生徒の若さを象徴している。四枚の葉は「道」・「知」・「情」・「体」を表し,本校の教育方針となっている。』

 私たちが通学していた時も、まっすぐに伸びたポプラが校庭をぐるりと一周して私たちを見守ってくれて
いました。そのポプラが今ないと聞いて「ええっ、まさか」と思ったのですが。

 広島二中以来のシンボルのポプラが全部切られたのだと。先日の演劇部OB会で聞きました。校長が「倒れると危ないから」とすべて切ったのだと。やっぱり本当でした。二中以来のシンボルを切り倒した!?それが教育的配慮なのですねえ。ただただ、悲しいとしか言いようがありません。


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私は自民党員?

 昨年暮れ、もみじ日記様のブログで知って、びっくり。私はそんな文書読んだこともないし、゛だから返信もしていないし。だったら、私は自民党員になっているのかしら?と。年が開けて事務長に聞いても何も知らないというし。一体、どうなっているのかとそのままずるずると過ごしてしまいました。

 以下、朝日デジタルの記事の転載です。

『 【清水謙司】広島県医師会の政治団体、県医師連盟(委員長=平松恵一・県医師会長)が、自民党への入党を要請する文書を会員の医師らに送っていたことが分かった。業界団体の「自民回帰」が相次ぐ中、県医師連盟の場合、返信しなければ自動的に「入党」となる仕組みで、そのやり方に一部会員からは否定的な意見が出ている。

 連盟関係者らによると、文書は12日付。平松委員長名で、「自由民主党への入党について(お願い)」と題し、医療政策を実現するために、設置を検討中の自民党県連の職域支部への入会を促す内容。党費の年額4千円は県医師連盟からの寄付金で支出し、新たな負担はない、としている。

 また、入党に同意しない場合のみ、別紙に医療機関名や名前などを記入し、事務局に連絡するよう求めている。この要請について、ある会員は、「思想信条の自由を損なう恐れがある」と指摘する。

 県医師連盟の上部団体、日本医師連盟は7月の参院選比例区で、自民党から組織内候補を擁立した。平松委員長は朝日新聞の取材に対して、「他の政党の支持者がいることも承知しているが、県医師連盟としての方向性を出すのが役目」と述べ、政権与党との関係を重視する立場を強調した。

 一方、県歯科医師連盟も自民支持の立場だが、関係者によると、「(同様の入党要請は)していない」という。』転載終りです。

 そして、先日、この件について、県医師会が謝罪をしたとの新聞記事も読みました。それによると、同意しないと返信していない人には、改めて尋ねるとしてありました。何か尋ねられるのかしら、と待っていますが、未だになんにもありません。

 そもそも、一つの党員になりということは、大変なことなのだと常々私は思っていました。「党員」、その党を支える一員です。党の規約、党則を熟知し、時にはその党則に縛られることをも承知するものです。私は、学生時代から政治的関心はずっと持っていましたが、あらゆる党の党員にはならないということを決めてきました。自由な身でありたいと。それを信条にしてきました。こんなことで、かってに自民党員にされたのでは、たまったものではありません。

 でも、どう考えてもおかしい。党員になるには、入党届を提出し、それには自らの署名ゃ押印が必要なはず。かってに医師会の事務局が印鑑を押すのでしょうか。それとも、そんな物は必要なし?まとめて党員にさせるという、自民党員って、そんないい加減なものなのでしょうか。そろそろじっと待つのではなく、問い合わせてみましょうか・・・。

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観音高校演劇部OB会

 一作児の日曜日、性教協のセミナー、総会の後は、急ぎ家に帰った後自転車でそごうへ。10階の加賀屋で高校時代の演劇部のOB会でした。当時の顧問の中冽正堯先生が、クラス会に来られるとのことで、急遽夜は私たちのために時間を作って戴きました。

 メンバーも広島にいる者だけでなく、福岡や京都や香川からも駆けつけて、計16人が集まりました。中には癌の闘病中だという人も。

Photo

 やっぱり昔の仲間はいいですねえ。ライバル心も皮肉もありません。お互い、いたわりあったり、感心したり、感動したり。仕事はリタイアしていて、介護の生活に入っている人もいます。

 当時の観音高校の演劇部のことを書かれた文章を冊子からプリントして来た者もいて、みんなに配ってくれました。考えてみれば、ちょうど50年前の話です。でも、私たちにとっては、ついこの前のこと。細かく覚えています。新たなことも聞きました。

 観音高校が「象の死」を上演したときのライバルは、「おーい助けてくれ」という翻訳物を上演した皆実高校でした。私たちが勝って優勝したのですが、そのことを当時の皆実の顧問だった先生が書かれていました。

 そのうえに昨日聞いたこと。その演劇には「吉田拓郎」が出ていたんだと。ひゃー、50年ぶりの事実発覚。それに、これは以前から知っていたのですが、その時に出ていた男性の役者、堀尾さんは、大学は美術関係に行って、舞台装置の第一人者になって、数々の賞をもらっていると。ネットで調べてみると、堀尾幸男氏。すごい舞台を作っているし、広島県出身となっているし、生まれも私より一つ上だし。間違いありません。

 中
冽先生は、兵庫教育大学の学長を退任され、今は国語の授業をみて指導してほしいという依頼があれば行き、また家では様々な文章を書かれていると。今書いているのは、日本の唱歌について連載していると。最近では「春」をテーマの歌について。

 「早春賦」の二番は、「氷解け去り葦は角ぐむ」葦角ぐむとはどういうことか、なぜ葦なのか、昔は葦がどう捉えられていたのか、そんなことの解説とか。それから「春が来た」。これは掛け合いの歌。

「春か来た」「どこに来た?」「山に来た、里に来た」「花が咲く」「どこに咲く?」と考えると、歌が生き生きと動くと。さらに、鳥が鳴いたあとは何が来るのだろうかと考える、風かな?風だったら、どんな風なのだろうか。そんな風にどんどんと広がって行く。ということなどを聞いて、やはり言葉の持つ面白さとか、大切さとかを改めて認識させて戴きました。

 昔に戻って、笑いが絶えない楽しいひと時を過ごして、すっかり充電できました。先生を始めとして、集まったみなさんに感謝です。

 

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性教協広島セミナー。

 昨日は、朝から夕方まで第26回性教協広島セミナーでした。コツコツと続けていたら、もう26回です。そのほかに年5・6回の例会や中国大会など、休まずに続けています。昨日は、沢山の人が来て下さって、本当にうれしくって。

Photo  私の話が始まる前に写真を撮りました。この後もどんどん人が来られて、椅子が足りなくなってしまいました。若い養護教員の方たちだけでなく、教科の教員や養護施設の方、家庭裁判所の方、大学の先生、保育士の方など。いろいろな職業の方たちに広がりを感じることができました。本当にうれしかったです。

Photo_2  私の話はともかく、午後の分科会には私は「中学校卒業までに伝えたいこと」に参加しました。馬屋原さんがこれまで積み重ねて来た性教育の実践の数々。でも、以前に比べて、今はほとんど授業はできなくなってしまっています。ああ、今もこんな授業を受けることができたなら、その生徒たちはどれだけ力強く生きることができるのであろうか、と思いました。

 その授業の中で話された、「ラブ&ボディ」。改めて中を読んでみると、ほんとうに素晴らしい本で。当時、これは全中学2年生に配られたのですが。

 例の「避妊を学ぶのは、結婚してからですねえ」と言った、山谷えりこ氏の国会での発言が元で、全部回収され廃棄されました。

 当時、性教育にかかわった人たちみんなが打ちのめされたことです。

 ほんとうに今、この本を全部の生徒に配りたい!と切に思います。思春期で変化する体・心・「性被害にあったとき、一人で悩まないように」とか、「避妊」や「性感染症」「同性愛」についても。

 これが回収されたのが、今も、本当に残念で・・・。

 パッシング以来、低迷している性教育ですが、私たちの会にこんなに沢山の方が来て下さった!!社会的に需要が高まっているのかもしれません。

 また、これからも頑張ろうと元気をもらうことができました。次回の例会、また皆様にもご案内しますね。

 

 

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頑張っている現場の教師たちと。

 昨夜は今日行う、性教協の広島セミナーのスタッフのメンバーとの食事会、飲み会でした。久し振りにメンバーと顔を突き合わせて話が弾みました。

 私は、私の現場での、親にちゃんと育てられていない、生きる現場のない少女たちの話を少し話しました。そしたら、一人の養護教諭が話してくれました。

 教師になってまだ間がない頃。とても汚い子がいたと。手首が汚れて、シャツが真っ黒で。それに匂いもするようになって。いつも気にかけていて、お風呂で石鹸で洗おうね、シャツは洗濯しようね、なんて話していたと。でも、全然変わらないと。

 そしたら、一人の教師が彼女に家に行きましょう、と声をかけてくれたと。そしたら、本当にびっくりしたと。部屋は物が散乱し、お風呂どころか、トイレもないような家で、ポリバケツがトイレ替わりだったと。

 もう、ほんとうにびっくりして。彼女は職員住宅のお風呂を沸かし、その子と一緒にお風呂に入って、こうして洗うんよと体を洗ってあげて、気持ちがいいことをしっかり味わってもらったと。

 その、口だけできれいにしましょうということがいかに無力な物であったか、それが自分の教育の原点になったと言う彼女。これまでの、彼女の緻密な実践の原点を初めて聞きました。

 でも、その一回だけではダメでしょう。子育てをちゃんとしない、これは一つの虐待で。それに対して教育の現場では、どうかかわることができるか・・・。そんな話しになりました。一人では手に余る時に、だれと繋げていくか、それも大切なことです。

 同じようなな体験のある他の教師もいました。あまりに汚い子に、お風呂は誰と入るの?とたずねたら、「お風呂なんか入らん」と言ったと。その教師は、その子を銭湯に連れて行ったと。そしたらその子が、「お風呂って、気持ちいいんだ」と言ったと。

 中には、小学校に上がるまでにトイレのしつけができていなくって、紙おむつで学校に来る子もいて、その子に、実際教師がトイレでおしっこをして見せて、トイレでおしっこをすることを教えたことなども。

 まだ他の教師たちの、次々と大変な現場の話、実践を聞いて、私はすごく感動しました。頭が下がります。

 私も、少々のことで泣き言なんて言ってはいられないと思いました。そんな教師たちと一緒に性教育に取り組めることがやっぱり私の喜びだと思いました。私の大切な仲間です。

 さあ、今日は頑張ってお話ししますね。中学校や小学校で頑張っている先生たちのお話しも楽しみです。どなたでも、参加できます。多くの方にお会いできますように。

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騙されてしまった。

 明日の性教協の講演に向けて、資料作りをすべて終えました。

 パワーポイントを作り、そのスライドを印刷しました。今、プリンターがすべて印刷してくれるので、とっても楽。以前は、一枚ずつプリントし、コピーをし、それを順番に並べて取っていき、ほっちぎすで止めるという、手作業が必要で、それにとても時間がかかっていました。今は、プリンターが自動で裏表印刷してくれ、一人分ずつの束にしてくれますので、ただそれをホチキスするだけ。診療しながらできます。まさに隔世の感ありです。

 この度、新たにデータを取ったのが、風俗で働く女性たちの状況です。風俗の種類、これはもう圧倒的にデリヘルです。完全にソープにとって代わった感ありです。もちろん、私のクリニックでの状況ですが。

 彼女たちの妊娠・中絶、さまざまな病気。悲惨な状況が見えます。彼女たちがどんなに危険な場に置かれているか、あらためてその思いを強くしました。彼女たちの予備軍である、または客の予備軍である今の生徒たちに風俗の事をどう伝えるか、これからの課題です。明日、しっかり話すつもりでいます。

 昨日の診療は、とてもつらかった。どっと疲れました。私が騙された!事が二つも発覚して。それも金銭が絡むことです。一つは私のクリニックの収入にかかわること。それも些細な金額ではありません。もう一つは、私が紹介した医院に大変な迷惑をかけてしまいました。

 まだまだダメだなあ。私は人を見る目ができていない。不信感を持って患者さんを診るということをしていない物だから。簡単に騙されてしまいます。

 私は今、生徒さんに話す時に、必ず以下のようなことを話します。

『 出会い系サイト、今は携帯にフィルターがかけられていますので、これに代わる物としてある「掲示板」。ここにアドレスを晒すことがどんなことにつながるか、単にメールの交換だけで終わるのではありませんよ。必ずと言っていいほど「会おう」ということにつながります。会う目的は?はっきり言いますね。これも必ずと言っていい、セックスにつながります。

 若い人は「会ってもいいじゃん。会ってみて、感じよかったらご飯くらいおごってもらってもいいかね、カラオケにいってもいいか、一回くらいホテルに行ってもいいか。感じ悪かったら、黙って帰ったらいいんよね。」などと言います。

 「感じよかったら、悪かったら」って、会っただけで人を判断できるほど、君たちはまだ成熟していません。君たちはまだまだ未熟です。

 私くらいの年になってやっと、患者さんに会って、ああ、彼女はいろんな社会を背負っているなあというのが何となく分かって来て、でも、時々未だに騙されることがあるのに。』

 なんて、そう言ってる、まさにそのことがまたまた起こってしまいました。二つも。一つは、結果として、そうなったのだと信じたい。でも、一つはあきらかに騙す意図を持って騙しています。本当にガックリ来ています。

 ダメですねえ。人と会い、話し、相談し、当たり前の事としてしていることです。はじめっから警戒心を持ってするなんて、出来はしない。そうなのですが・・・。

 

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都市伝説・流産伝説

 昨日は、宝塚の中学校で、3年生に話をしました。受験も間近で勉強したい所でしょうが、よく聞いてくれました。

 私の二時間の話が済んだ後、先生に指名された男子生徒がお礼を言ってくれました。これがとても面白かったので。

 まず、彼は、生徒の方を向いて、ちょっと時間を取ります、と、まるで教師のように言い、そしてそのままの姿勢で

 「僕はインターネットで都市伝説にはまって、いろいろと調べました。都市伝説には、性に関する物もいろいろとあって。」

 「中に流産伝説っていうのもあって。みんな、知っていますか?」と尋ねます。知っている人、といっても誰も知っているとは言いません。「おかしいなあ、みんな知らないの?」

 「ええっと、流産伝説というのは、妊娠して、それも今日のお話しにあったように、困った妊娠の時。お腹をパンチすると流産するというものです。」

 「わあ、それは嘘ですよ。そんなにうまくいきはしない」と私は言いました。そしたら、彼は、

 「そうですよね、嘘ですよね。やっぱりネットには、そんなウソのことが一杯あって。今日はもっといろいろなことを教えて戴いてよかったです。有難うございました。」

 と、そんなことを淡々と述べたのです。私は、彼と握手しました。そして、言いました。

「あのね、そんなことを信じて、妊娠した彼女のおなかをバットで殴った人がいるの。そして彼女は子宮が破裂してね、子宮を取らなければならなくなって、もう二度と子どもが産めなくなったの。これは広島で本当にあったことなの。妊娠したお腹を殴るなんて、そんなことは絶対にしてはいけないことなのね。」

 そう、追加の話をしておきました。

 子どもたちは、巷に溢れる情報にどっぷりとつかっています。その情報は、ほとんどがウソなのだと私は語りました。ウソだらけの情報で知識まがいのものを得ている彼らに、真正面からから正しい知識を伝えたいのですね。

 そんなことを素直に語ってくれた生徒さんのことが、とってもありがたくって。さわやかな気持ちで帰ることができました。

 ところで、昨日の晩御飯は駅弁でした。久しぶりに駅弁を食べたいので、買って帰ってと夫に頼まれました。新大阪で幕の内を二個買って帰りました。それとわかめとえのきと玉ねぎのお味噌汁です。

Photo_3 1300円の豪華なお弁当です。食べる時、それにしても、カボチャの煮物と黒豆が入っている所、何か隙間だね、と思ったのですが。ふと夫のお弁当を見ると、その隙間の所に、飯蛸の煮たのと、タケノコが入っています。ええっ?私のは飯蛸もタケノコもない!と言い、夫もホントだ!と。何かその替わりに入っている物はない?とよく見ましたが、ほかは全く同じで。ふうーん、入れ忘れってあるんだねえと話しました。同じのを二つ買ってこそ分かったことなのですが。まあ、ささいなことです・・・。あはは、みみっちくてすみません。

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風邪から完全復活です。

 長い間風邪に苦しめられました。これまでになく、長くてひどくて、「イヤ、参りました!」でした。治まるまでに二週間かかりました。

 そもそもは、二週間前の火曜日の夜中、体中の痛みでおかしいと熱を測ってみたら、38.5度の発熱でした。急ぎボルタレンを二錠飲んで下熱。マスクをして診療をしましたが、だんだんとまた発熱しているのが分かりました。スタッフが、先生、耳が真っ赤と笑いました。喉がひどく痛くて。白血球12000。抗生物質も飲みはじめましだか、さっぱり改善の兆しがありません。

 その週末に秋田行きがあるし、30日の木曜日にバスセンターの貞岡耳鼻科に行きました。

 抗生物質は、普通量の二倍。専門になると、やはりすることが違うもんだと感心しました。
それらを飲みながら、何とか秋田に行き、講演をすますと、その晩また37.5度の発熱。それに、朝になって見ると、声が出なくなっていました。

 その日、東京に行き、娘たちや孫に会うのに、声がひどくて。マスクをはずせないし、うつしてはいけないので、孫を抱くこともできなかったし。

 広島に帰っても、声がひどいし、のどの痛みが引きません。一週間も経つというのに。3日の診療は、まったく、ひどいものでした。何しろ声が出ません。患者さんたちは、私に「お大事に」と言って帰られます。

 5日、また耳鼻科へ。そこで、抗生物質を変え、ステロイドも使うことに。抗生剤は、ジェナニック二錠を夜一回。ステロイドはリンデロン0.5ミリ二錠を夜と翌朝の二回。ムコダインとトランサミンを各食後の一日3回。そして、麦門冬湯とメジコンを各食間一日三回。それに加えて咳がひどいときにはリンコデ、頭や体が痛い時にはボルタレンを頓服で。まあ、薬を飲むのに忙しいこと。すっかり薬漬けです。

 でも、さすが。あれだけ喉の痛みがひどかったのが、6日の朝には、痛みがぴったりと止まっていました。声も何とか出ます。その日、宝塚での講演でしたが、かすれ声ながら、何とか二時間、しゃべり続けることができました。行きの新幹線の中で麦門冬湯とメジコンを、宝塚について、学校に行く前にリンコデを、祈るような思いで飲んだ、その効果もあったのだと思います。咳も全く出ませんでした。

 そして、薬も続けて、9日の廿日市での講演もこれも風邪の酷い声ながら話ができました。参加の方から、もし声がふつうだったら、もっと話に迫力があったでしょうが、といわれましたが。

 そして、晴れて昨日12日午後から、やっと普通の声が出るようになりました。もう大丈夫。今日は、また宝塚での講演です。

 ところで、東京の娘が、のどが痛い!!と電話をしてきました。それは大変。早く病院に行って!と言いました。学校からは、インフルエンザではないかちゃんと調べてもらうようにという指示とのこと。幸い、インフルではなかったと。そして、娘が取った行動は。餃子やらラーメンやらで、ニンニクをたっぷりと、それとねぎだと。ラーメンに山盛りのねぎ増量。なんと、ねぎのトッピングだけで250円もするのだと。それにニンニクを自分で絞り入れるのを二個。家でも毎回ニンニクとねぎを山ほど食べて、それでもう大丈夫となったのに、たった二日しかかからなかったと。

 さすが若いと思ったけれど、私も真似をすることに。

Photo Photo_2 10日は一蘭でねぎトッピング。青ネギと白ねぎのミックス。右半分は白ネギ、左半分には青ネギ。写真は、携帯で撮ったので、きれいでなくってすみません。12日は、そごうのちからで、中華ミニにねぎトッピング。青ねぎが山盛りです。いつもお好み焼きにはねぎかけを頼むのに、ラーメンにねぎ増量はしたことがありませんでした。これからは、風邪かな?と思ったら、こうすることにしましたよ。

 それでは、今から宝塚に向けて出発です。

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「大連園」に行きましたよ。

 色々と書かなければと思うことが一杯で、落としてしまっていたことに⑦パパさん主催の新年会がありました。1月26日。いつか書こうと思ってて、そのままになってて申し訳ないことでした。その日、「大連園」で、お腹いっぱいの中華料理を食べたのでした。愉快な話をしながら楽しく。

 昨日、コストコの帰りにまた行きましたよ。広島駅や東区役所の近くにひっそりとある、まるで「大衆食堂」の姿の「大連園」。広島プリンスホテルのシェフをしていた方がしているお店。広島に来る前は、大連の五つ星ホテルでシェフをしていた人。

Photo 安くておいしくて、びっくりの小さなお店です。新年会は大勢でし たが、今回は姉たちと女三人で。コースではなく、単品を頼みました。

Photo_2  Photo_4

 何かピータンがしばらく食べられないという状況があって、ご無沙汰だったのが、ここにはあるというので、みんなが大喜びで。絶品!!。カニの卵入りふかひれスープ。ウーン、おいしい。

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春巻きとパイナップル入り酢豚。豚肉は、カラッと揚げてあって、香ばしくっておいしい。

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カニ肉入り淡雪仕立て。エビやホタテやイカなどがたっぷり。卵白でふわふわに仕立ててあります。皿うどんも麺がパリパリ。

Photo_9 そして、杏仁豆腐。どれも量が半端なく多くて。残さないように食べるのがなかなかでした。これに姪が飲んだ青島ビール。全部で4800円と少し。一人約1600円。

 私たちがいる間、学生さんらしき若い人がポツリポツリ。もっと知られていいお店なのですが・・・。こんなお店を教えて下さった⑦パパさんに感謝です。

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今日はデータの整理とスライド作り。

 今日は、ありがたいお休み。2月に入ってずっと木・日の休診日の講演がはいっていますが、今日はお休み。まだ、もう少し続いている長ーい風邪を何とか今日で吹っ切りたいと思います。

 今日は、午前中姉親子と一緒にコストコに行く予定。また行きたい行きたいと思いながらなかなか行けないでいますが、コストコで買わなければと思うものが一杯たまって来て。やっと今日行けます。その後はランチ。

 その後は、ずっとクリニックにこもってデータの整理とスライドを作ります。一月の終わりに一度ご案内したこの日のためです。

Photo

 吉田さんや城さんや馬屋原さんのお話しもぜひ聞いて頂きたいのですが。私たちがホコリを持って推薦する三人です。

 私も頑張らなければ。先日の廿日市での講演でも感じたことなのですが。やはりみなさん知っていないのです。今の若者の現状。産婦人科の現場でどんなことがおこっているのか。

 きっと、そんなことになるのは自業自得。特別な子がするだけのことと。ここの所も本当に大変です。13歳、14歳、15歳の中学生たち。妊娠している子、妊娠が心配な子。本人ももちろん、保護者の方もつらいですね。診る私もつらい。中絶の手配をしたり、相手の大学生を叱り飛ばしたり。

 でも、特につらかったのは、13歳の子が一人で来たこと。相手の男性には妊娠反応が出たことは言ってない、親には言えない、そして、やっと友人について来てもらっての受診です。13歳・中一。まだ子どもです。親に言えなくって、一人で産婦人科に来なければならないというのが、何ともつらいです。

 こんな現状は知らないのか、知ろうとしないのか、知ってて、知らないふりをしているのか。教育を!!と言ってもさっぱりなのですから。

 それと、少し前に私が性風俗のことを書いて、このブログが炎上したことがありました。他のブログで叩かれたりして。

 それについて、きちんとこの度データを出そうと思います。風俗で働く女性たちがとんなことになっているかを。全く無防備。淋病、クラミジア、ヘルペス、そして妊娠、中絶、さらに無視できないのが、子宮頸がんの検診での陽性、HPV感染です。この女性たちの中から子宮頸がんが出るでしょう。もし癌になった時、初期に対応できるように、ずっと受診し続けてくれるといいのですが・・・。

 こんな状況に置かれている女性たちは、何とかしなければ。すくなくとも、妊娠と性感染症の予防のために、ピルを飲んで、コンドームを使って!!と必死で言っています。でも・・・。

 そして、彼女たちから病気をもらった男性が自分の彼女に病気やHPVをうつし・・・。

 そんなことが分かって戴けるようなスライドを作ろうと思います。

 夜はジャザサイズとやまとの湯です。

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お父様の手作りケーキ。

 昨日は、廿日市市の図書館で講演でした。主催は「おんなとおとこの市民フォーラム実行委員会」。事務局は「廿日市市 自治振興部 人権・男女共同推進課」。

 以前、「デートDV」について、同じ主催でお話ししたことがあります。

 小学生から高校生を持つ保護者対象。大変気持ちよく話すことができました。

 後で、実行委員会の方たちとのお茶に同席させて戴きました。そこで出されたのが手作りケーキ。

Photo  実行委員の一人であるお父様が、小学5年と6年の二人の御嬢さんと一緒にケーキを焼いて来て下さったとのこと。三種類で、みなさん好きなのを取ってこられていましたが、私だけ三種全部の一切れずつを下さいました。一番左のは、ほうじ茶と甘納豆入りのケーキ。作者によると、アールグレイのは焼いたことはあるけれど、ほうじ茶のは初めてだと。香ばしくておいしいケーキでした。お父様が作られる、いいですねえ。

 もう一つ、当日は託児付きでした。託児を任されたのは、キッズNPOの男性の方。夫妻で野外遊びの託児などをしているさわやかな男性。私、あちこちで講演して託児も見ていますが、男性が託児をされたのに接したのは初めてで、これも感動しました。

 お茶しながらみなさんのお話しを聞きました。

 昔、中学生の時、私の話を聴いて、今、思春期の子がいるという女性や、子どもさんが保育園の時に私の話を聴いて、子育てでそれをしっかり生かしたと言って下さった方もいて、なんかこちらが感動してしまいました。

 長く続けるということは、こういうことでもあるのだなあと。やっぱり頑張ろうと、私が元気をもらいました。

 世の中、いろいろしんどいことがあるけれど。

 都知事選も仕方ないですね。これが都民の選択。すくなくとも、新都知事のような人がこれ以上出てこないように、東京都でも性教育ができるようになってほしいと思います。

 さあ、一日働いたらまたお休み。まだ風邪が抜け切れていないので、それを何とかしなければ、と思っています。頑張ろう!!

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東京都知事選挙。

 都知事選挙ですね。ニュースでは、雪はもう止まったと言っていますが、道路など、投票に行きやすい状況なのでしょうか。

 私は、これまで、障がい者である自分の婚外子の養育費の問題であるとか、女性は生理があるから政治家には向かない、生理の時は異常だなんていって来た人が、世論調査でぶっちぎりであるという状況に胸を痛めてきました。

 まあ、それも都民の選択なのだから、仕方がないかもともっています。でも、あの笑顔、作り笑いの下に何が隠れているのかを考えると、ぞっとします。


お年寄りが住みよい社会に何て言っていたはずなのですが。ジジイババアですって。何と、よくこんな画像を持っている人がいるものですねえ。  もう一つ。実の姉の生活保護についての質問に答える画像もありました。答えていません。 一般論で逃げていますが。


 

 この選挙の個人演説会で500人に一個3000円のオリンピックバッジを配ったというニュース、これはやばいですね。完全な選挙違反です。

 それでも彼が強いという、今日の夜は、もっとも憂鬱な夜になるでしょう・・・・。

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佐村河内さんのことで。テレビ朝日に抗議です。

 佐村河内氏について、もう少し。

 彼に騙された人が同じく騙された人を攻撃するという、まことにみにくい姿にふれたので。

 週刊文春を読んだ時、秋葉前市長のことが書かれていました。秋葉さんも騙された一人。「市長も騙された」という小見出しで。そして、「市長日記」で彼のことを紹介し、結果的に彼の活動を後押しすることになりました。そして、「市民賞」の授与。きっと秋葉さんは、胸を痛めておられることと思いました。

 今日の中国新聞で秋葉氏は、取材に対し、『真の作曲者が誰であるか、気付くことができなかった。結果的に事実と異なる内容を多くの皆様に伝える役割を果たすことになった。お詫び申し上げる』と述べ、さらに、現在の勤務先の広島大学の広報から、コメントも出していると記事にしています。

 そして、今日、テレビ朝日の夕方のJステで、広島市が市民賞を取り消したとの報道があり、それについてコメンテーターが「当時の市長にも反省してもらわないといけませんね。」と言ったのですよ。

 私は怒りましたね。私は、佐村河内氏を取り上げた、テレビ朝日系のドキュメントを見ています。それが広島だけの限定の番組であったか、全国放送だったかはわかりません。多くの局の番組が彼を取り上げました。NHKなんて、私は最初のNHKスペシャル、それから義手の少女のバイオリニスト、さらに東北大震災で母親を亡くした少女にささげた曲、いろいろ見て涙したものです。

 それらの番組を作った方も今、さぞ苦い思いをしていらっしゃることでしょう。

 テレビ朝日は、自らのこれまでの態度について、反省とお詫びをすべきこと。それを「市長さんにも反省してもらわないといけませんね」とは、よく言ったものです。朝日新聞記者出身の今は大学の教授をしている人ですが、エラそうに!!

 と思ったので、私はテレビ朝日に電話しました。

 日本中が騙されたこと、同じく騙された個人の事を名指しで攻撃することではないのではないですか。当時の市長は、大学を通してお詫びのコメントをしています。そのことにはなんにも触れないで、「反省してもらわないといけませんね」とは、よく言ったものですね。えらそうに!!テレビ朝日だって、これまで彼のことを報道してきたでしょう。今聞きたいのは、それに対しての自らの反省であって、人を攻撃する事ではないのではと。

 対応して下さったテレビ朝日の男性の方は、丁寧に、「番組の責任者に伝えます」と言われました。それが本当に伝えられるのか分かりませんが・・・。

 まだまだこういう不快なことが続くのでしょうね・・・。

     ++++++++++++++++++++++

 一昨日の宝塚での講演の後「さくら」の自由席に乗って広島に帰りました。昼ごはんは行きの新幹線の中で三角おむすび一つだけだったので、すっかりお腹がすいて。車内販売の方に「何かおつまみがありますか?」と尋ねました。タンパク質系が食べたい気持ちでした。「さくら」ですから、九州の物が車内販売でも売られています。実は、博多の「冷やして食べるから揚げ」がないかと思ってたのです。一度車内で買ってとてもおいしかったので。

Photo  そしたら、おつまみはこれです、レンコンチップスですが、と。タンパク質ではないけれど、レンコン大好きなので、それを買いました。くまもんがついています。早速開けて口に入れるとアッと驚きました。「からしレンコンチップス」だったのですね。からしが口全体にぱあっと半端なく広がって。鼻にもツーンと来て、そして、とてもおいしかったです。バリバリと夢中で食べました。時には、辛子がまだ風邪が良くならない喉を刺激してむせ返ったりしながら。そして、次に車内販売が来られた時に、まだありますか?あるの全部下さいと全部で4袋買って帰りました。私のと、おみやげと。娘はからしレンコン大好き。だからきっとチップスも喜ぶと思うので、いつか他のものと一緒に送ってあげようと思います。

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佐村河内さん。

 昨日は、宝塚での中学生への講演。新大阪に着くとすぐに駅の本屋さんに行き、週刊文春を買いました。前夜のテレビでのニュースや、昨朝の新聞で、文春に掲載されているという記事を早く読みたくて。広島では一日遅れなものですから。

Photo 宝塚への移動の間読みました。うーん、全8ページ、まさに渾身の取材に基づいた記事だと思いました。これは、もう認めざるを得ませんね。

 ずっと以前、文春が「疑惑の銃弾」として悲劇の夫妻のことを、夫の自作自演として取り上げて、世間をビックリさせました。その時の衝撃以来でした。

 どうしてこんなことに・・・。そればかりぐるぐる廻ります。前の日に「HIROSHIMA」を演奏したばかりという広島交響楽団の人にも会って話を聴いていました。やはりおかしかったと。そういう人もこれから沢山出てくるでしょう。

 今は私が気がかりなのは、こんな形でしか公に出来なかったなかったのかということなのです。これでは、佐村河内さんも、ゴーストライターをしていた新垣さんも、両方とも破滅するしかないのではないかと。これから先、どうやって生きていけるのかと、特に佐村河内さんは、記事にも度々出て来るように、自殺するしかないという、その言葉が恐ろしいです。

 新垣さんが度々言っていたように、「もうやめよう」がもっと早くになされていたら・・・。彼はやり過ぎちゃったなあという感想です。

 最初っから、二人の共作として発表していたなら、またはチームとしていたなら、またはプロデューサー佐村河内さん、作曲は新垣さんという風にしてもよかったはず。だって、弟子が手分けして部分部分を書くということは作曲の世界でもあるというし。私たちの世界でも、論文が教授名で出されても、実際は弟子がやっていた実験ということもあるわけだし。

 このことで、どれだけの人が大変なことに追い込まれて行くか、そら恐ろしい気もします。金銭的な物を含めて、それらの後始末に時間がかかるでしょうが。

 それらを全部済ませて、どうぞ、どこか暖かい所にでも行って、自然の中でゆっくりされたら・・・そんな生きる方法もありますよと伝えたいですね。

 彼のことをすごい!!と感動し、同じ被爆二世として応援していた私は、実質何の損害もこうむっていません。それでも、こんなに空しい想いをしています。まして実際直接何かあった人はどんなだろうかとも思います。

 あまりに衝撃で、こんな感想しか書けません・・・。

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「女は生理があるから政治家には向かない」!?

 今日は、またシリーズをお休みして。ここの所、なんだか、許せない言葉をいろいろと聞いて入るので、それを。

まず、そのまま転載します。

『僕は本質的に女性は政治には向かないと思う。たとえば、指揮者、作曲家には女はほとんどいない。女が作曲した曲に大したものがない。なぜか、と考えてみると、実は指揮者は政治家に似ていることに気付いたわけ。オーケストラを統率する能力は、女性は男性より欠けているわけです。作曲家が少ないのも、論理構成をしてさまざまなパーツを上手にワンパッケージにまとめる能力がないから。これはシングル・イシュー・ポリティックス(単一争点政治)とも関係してくる。」「それから、体力の差ということでいえば、政治家は24時間、いつ重要な決断を下さなければいけないかわからない。その時、月一回とはいえ、たまたま生理じゃ困るわけです」「女は生理のときはノーマルじゃない。異常です。そんなときに国政の重要な決定、戦争をやるかどうかなんてことを判断されてはたまらない。」(BIGMAN1989年10月号「増殖マドンナ議員は日本をダメにするか!?)』(http://mizuhofukushima.blog83.fc2.com/blog-entry-2436.html)

 これ、一体、だれの発言と思いますか?女は生理の時は異常だなんて、まったく、本当に、性教育を微塵も受けていない、こんな意識だからこそ、女を次々に妊娠させては、その養育まで責任を持とうとしない、まさに女性差別の権化のような発言!!いくら言葉を羅列しても憤りは収まりません。

 これが都知事候補の舛添要一氏のものなのですよ!!

 全く、もう、先の石原都知事の時代にも、石原氏は50を過ぎて閉経した女は有害以外の何物でもないと言ってのけました。

 なんで東京の人は、こんな人ばかりを都知事に選ぶの?

 世論調査以前から、自民・公明・それに連合まで支持されるのだから、全く無風の選挙と言われているけれど・・・。

 「女は生理があるから」という発言は、すごい発言。あまり聞いたことがありません。かえって新鮮かも。「女は妊娠するから」は、散々言われて来ましたが。「女は妊娠するから、産婦人科医には向かない」これにどれだけ苦しまされて来たことか。だから、どんなに苦しくとも、子どもを産んで子育てしながらでも、何とか必死で継続して来たのですが・・・。

 NHK経営委員長谷川三千子氏の産経新聞へのコラムの投稿も、まったく、もう!!です。女性は家庭で育児をすべき、女が働くようになったから、出生率が下がる、男女共同参画基本法が諸悪の根源・・・。自分は二人の子育てをしながら働いて来た、それがつらかったから、だそうな。つらければ辞めればよかったでしょうに。

 今回の野村秋介氏の拳銃自殺の礼賛もさることながら・・・。私、いつも思うのです。本当に女は家庭で育児をすることとしたなら、産婦人科医はもとより、子育てを経験した教師もナースも、介護職の人もいなくなってしまう、働く人は、みんな男か独身の女性だけになってしまう、そうなのですね。

 まだまだ日本の国は、成熟していませんねえ。ニュースはNHKばかり見ていたら、偏ってしまう、特定秘密法案が成立する過程でそんな思いを持ったのですが、こんな極右の人が経営委員なのですから、さもありなん。安倍首相がやろうとしていることは、こんな所にも垣間見えますねえ。

 私は今日は宝塚で講演です。昨日、もう一度耳鼻科に行きました。声が出ないのを何とかして欲しい、まだ喉も痛いし・・・。ウルトラCで、ステロイドも含めて、7種類の薬を処方してもらいました。今朝起きたら、まったく痛みがなくなっていました。すごい!!でも、まだ咳が出ます。講演、無事できますように・・・。

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「2014年ヒロシマ平和の夕べ」⑥被爆者自らの運動

『 これらの動きに合わせて、被爆者自らも動き始めた。その一つが、1952年(昭和27年)8月の「原爆被害者の会」の結成である。同会は、映画「原爆の子」の製作にかかわった被爆者たちが「生活を守り、平和を築くために協力し合おう」と発足させたもので、発足大会には約120人の被爆者が集まった。活動方針に、被爆体験記の収集、原爆写真展の開催、広島市への医療費援助、ABCCへの医療機関整備要求、生活困窮者に対する無料治療の実施などを掲げ、げんばくや被爆者に対する一般の理解を深めることと、被爆者に対する医療援護を求めることを重点目標としていた。

 しかし、GHQ占領下の影響がまだ尾を引く中で、同会の活動には警察の監視が月、会員が世話人の吉川清さん宅に集まった時には常に警察官がパトロールしていたという。加えて、市民の被爆者に対する偏見と差別もあったため、具体的に活動にはなかなか取り組めず、会の性格は被爆者がお互いの苦しみや悩みを吐露しあい、励まし合う親睦会的色彩が濃かった。

 同会のような交流グレープは、女性被爆者や青年被爆者の間でも見られたが、必ずしも表面化した動きには発展しなかった。原爆の傷跡と偏見・差別で受けた心の傷があまりに大きく、表に出る勇気がなかなか持てなかったのだ。

 

高まる原水爆禁止の声 

( 被爆者の苦しみをよそに、世界では核開発競争が一層激化し、・・・ここは第1回目のこのシリーズで引用しています。「第五福竜丸」が死の灰を浴び、久保山愛吉さんが亡くなった事は、日本中に大きな衝撃を与えました。①で中略とした所をここで掲載します。)

 広島では、広島、長崎に続く「第三の核被害」として特に衝撃が大きかった。4月10日には早速、本川小学校に被爆者らが集まって「世界平和大会」を開催。さらに、同21日に開催された第六回婦人会議広島大会でも、ビキニ被災は大きなテーマとなり、原水爆禁止を訴える市民大会開催が緊急提案された。この緊急提案は、結果的に広島の運動に大きく弾みをつけることになった。広島県地域婦人団体連絡協議会が提案実現のために奔走。医師会や文化団体など70を超える機関・団体と被爆者らの協力を取り付け、幅広い市民参加方式による「原水爆禁止広島大会」の開催にこぎつけたのである。

 広島市児童文化会館で5月15日に開かれた同大会には、千人を上回る市民が参加し、会場は熱気に満ちた。大会は「我々は世界で最初に原子爆弾を体験し、その深い病禍にいまなお呻吟している広島市民として、最近の水爆実験による不幸な被害者に対し、心から同情を禁じ得ない。我々は原子兵器の惨禍がすでに人類を絶滅する危機に達しようとしている現状を無視することができない」として、原子兵器の使用・実験の禁止、原子兵器の製造・研究の即時停止、原子力の厳重な国際管理を緊急に求めるアピールを採択、アピールを実行あるものにするため、原水爆禁止署名運動を行うことを決議した。』

 この転載は、後2~3回、被爆10周年の1955年(昭和30年)の原爆記念日に広島で開かれた「原水爆禁止世界大会」の開催までで終わります。こうして被爆者たちの地道な活動をなぞって見ることが私たち自身にも必要と思って。面白くないかもしれませんが、もう少しお付き合い下さいませ。



 

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「2014年ヒロシマ平和の夕べ」⑤被爆者への救援活動

2014年ヒロシマ平和の夕べの続きです。「核兵器のない明日を願って」からの転載です。

『 講和条約


 
東西両陣営の対立が深刻化する中、1951年(昭和26年)9月8日、サンフランシスコ講和条約が締結され、翌年4月28日発効した。GHQの占領が解かれ、プレスコードが解除されたのである。二つの動きが本格化した。被爆者自身の援護法要求運動と被爆者を支援する救援活動である。

 救援活動として最初に注目されるのは、講和条約締結直前の1951年8月、広島流川教会の谷本清牧師が始めた「シオンの会」と「原爆被災者自力更生会』である。原爆乙女に心の安らぎを与え、その自立を支援しようとした両会の活動は、彼女たちの心の支えになり、その後、彼女たちのケロイドを治すための渡米治療へと発展した。

 続いて、原爆孤児を支援する運動が1953年(昭和28年)から始まった。原爆孤児の支援は、1949年(昭和24年)に広島を訪れたアメリカの雑誌「サタデー・レビュー」主宰、ノーマン・カズンズさんの提唱ですでにアメリカ国内で精神養子運動が始まっていた。広島大学の教官だった長田新さんや森瀧市郎さんらは、その運動を国内でも広げようと、2月22日に「広島子どもを守る会」を結成。初代会長には森瀧さんが就任し、孤児施設などで暮らす原爆孤児たちに精神的支援を行った。

 原爆症の研究や被爆者医療への取り組みも進められた。人体被害の調査研究は、日本学術会議や国立大学医学部などが中心になり被爆直後から行われたいたが、その成果はGHQに没収されていた。その締め付けが解かれ、日本学術会議は1952年(昭和27年)5月に本格研究のための「原子爆弾災害調査研究班」を設置。9月には広島で第一回の調査研究報告会を開いた。さらに10月に開いた第13回総会では、学術専門家の間で原爆災害への理解を深めるために、被爆者を招いて体験を聞いた。また、国立予防研究所も1953年(昭和28年)11月、「原爆症調査研究協議会」を発足させた。

 一方、広島では1953年(昭和28年)1月、行政と医師会が協力して「広島市原爆障害者治療対策協議会」(後の原対協)が設置され、被爆者の健康管理に乗り出した。また、広島市・市議会は長崎市・市議会と共同で同年5月、国会へ「原爆障害者に対する治療援助に関する請願」を提出。請願は8月、衆参両院て採択された。』

 それらの動きに合わせての被爆者自身の動きに続きます。

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秋田の往復いろいろ。

 昨夜広島に帰りました。

 今日は、今回の秋田行きでいろいろと感じたこと、意外だったことを並べてみますね。

 もう今更何を言うかと思われるかもしれません。広島くんだりから乗ることはあまりないので・・・。これまでは東北地方はほとんど飛行機でしたので。

 秋田新幹線、行きは「スーパーこまち」、帰りは「こまち」でした。こまちは、盛岡まで東北新幹線を、盛岡から秋田までは在来線を走ります。

2  盛岡までは、こんな風に「はやて」とつながって走ります。はやては、新青森まで行きます。以前、どこかに行く時新幹線の中を通って座席まで行こうとして、行き止まりになっていてびっくりしたことがあります。その時は、車掌さんに教えられて福島駅で車両を乗換ました。それは秋田新幹線ではなかったと思うのですが。だから、連結はびっくりはしませんが、でも、やはり珍しい光景で、多くの人が連結部分の写真を撮っていました。

 盛岡で連結を外して二つに分かれるのですが、そこから先、びっくりしたのは、「単線」なのですね。列車がすれ違う時には、駅で止まります。新幹線が単線?と、本当にたまげました。

 それから、大曲駅で、突然反対向きに走り始めて、これもびっくりしました。スイッチバックなのですね。後ろ向きに走っているとなんだかとっても変。

 それから、帰りの秋田新幹線のトイレにウォッシュレットがついていました。列車のトイレでウォッシュレットは初めてでした。

3 5  

 帰る日、朝ごはんは食欲がなく、おかゆと漬物と少しの塩辛、果物、ジュース、小さなヨーグルト、コーヒー。そして、新幹線の中で、枝豆アイスというのを見て、即買い。秋田でつくられていますが、それが枝豆のきざんだのが一杯入っていて、おいしくて。もう一個食べようかと思ったほどでした。

1 4

 大量の雪。ただただその美しさに私はきょろきょろしていました。こんな景色が見られるのは私には珍しくって。

6 でも、上野に着くと、もう青空で。寒さ対策のコートを来ていったのが、東京では暑くって。こんな気温の変化を一気にするので、体が戸惑います。東京では、孫や娘たちと食事をしたのですが、声が出ません。孫は、私のマスク姿を見て泣くし。でも、マスクを外すわけにはいかないし・・・。

 そして、東京からの帰り。行きの東京までの新幹線は自由席で、ずっと隣に人が座っていて、キャリーバッグは足の前に置いているし、狭くて疲れました。帰り、やはり自由席なのですが、いやな予感がして、自腹で指定席を買いました。それも、ちょっと贅沢だけど体も不調だしで、グリーン席を買いました。隣に人がいない席をと頼んで。本当に快適で、座席を倒して横になれたのが、何よりでした。自由席は、予感した通りずっと超満員で立ち席がかなりあったみたい。荷物は膝の上において、一人でも多くの方に座って戴けるようにというアナウンスが盛んにされていましたから。

 そして、極めつけは、何回目かのそのアナウンスの後「先ほど、2号車と3号車の間のデッキにキャリーバッグの忘れ物がありました」とのアナウンス。気の毒に、バッグを忘れて新幹線を降りて、その方、困ったことでしょう。

 雪景色もしっかり見られたし、孫にも会えたし。でも、今度はもう東北は新幹線ではなく、飛行機にします。秋田に行く前日は、すごい雪と嵐で、飛行場は閉鎖されたのだそうですが・・・。

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秋田での講演、無事終了です。

 秋田での講演、無事終りました立ちっぱなしで二時間ぶっ通しで話し続けました。

 秋田県では、中・高校の生徒たちに性教育講座を始めて今年度で14年目。医師会には性教育プロジェクトがあって、各校に出かけて行き、講演をします。昨日の講演には、医師会の先生たちだけでなく、各校の養護教諭の先生たちにも来て戴きました。

 

その後の懇親会では、さらに先生たちと話し、いろいろとご苦労もお伺いできて、勉強になりました。全国、あちらこちらでとても頑張っている人がいるというのは、とても心強いことです。

 大役を終えてホッとしました。終えてホテルの部屋に帰ると、ぐったりで。熱を測ってみるとやっぱり、37.5度です。もうすっかり解熱したかと思っていたけれど、まだでした。節々が痛くてしんどいので、マッサージを頼もうと談話をすると、もうマッサージも一杯ですと断られてしまいました。ボルタレンを飲んで早々と寝ましたよ。

 それから、テレビ、びっくりしました。テレビを見ながらと思ってつけても、いつも見ている番組が出てきません。おかしいな、とネットで調べると、秋田には、TBS系がないのですね。昨夜も今朝も、いつも見ている番組が見られない!!特に、サンデーモーニングが見られないのは、つらいです。

 新聞を見て、またまたびっくり。橋下市長が辞任、出直し選挙をすると。ほんと??またまた本当にびっくりです。大阪都構想について、もう一度民意を問うらしいのですが、お金のかかる選挙をまたやって、それも任期は本来の任期、来年の12月までなのに。大阪都構想は、回りの伊丹、宝塚、堺などの市長選挙で敗北し、否定されているはず。石原氏は都知事選挙で田母神氏などを推しているし、もう維新の会もダメですね。早く解体してしまった方がいいでしょう。

 これから私は東京に向かいます。またまた新幹線です。雪景色を楽しみながら行くつもりです。それと、明日の韓国語の宿題、まだ出来上がりませんのでそれも頑張ります。東京では、孫に会うつもりです。一緒に食事をして、最終の新幹線で広島に帰ります。もう、わくわくです。この間会ったばかりだけど、ちゃんと覚えていてくれるかしら。それとも、まだ人見知りで泣くかな?

 8.6ヒロシマ平和の夕べについては、今日はお休みします。でも、まだまだ続けますので、よろしくお願いします。

Photo  昨夜の懇親会で前菜です。一番手前の茶色いの。何だろう?というと、「いぶりがっこ」ですと。大根の燻製の漬物です。バリバリと音を立てて食べます。前菜に漬物というの面白いですね。とてもおいしいです。それから、念願のきりたんぽも戴きました。御馳走様でした。

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ただ今秋田に移動中

ただ今秋田に移動中
すごい雪。
私はただ見とれています。
住む人は大変でしょうが。
でも、やっぱり遠いです。
今度からはやっぱり飛行機にしましょう。

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2014年「ヒロシマ平和の夕べ」④被爆者たちの署名活動

Photo ホテルの窓から見える東京湾の日の出です。昨夜遅くホテルにきました。ここは同じビルに大浴場が別会社であるのですが、すでに閉まっていて、お風呂に入れませんでした。部屋にはシャワーだけで浴槽がありません。朝シャワーです。今日はこれから秋田に向かいます。東京はいいお天気ですが、さて、北の方はどうでしょう。体は大分楽になって来ました。やはり耳鼻科の先生のお薬、ドーンと抗生物質を行くのが効果的だと、餅は餅屋だと思います。ありがたいことです。

     ++++++++++++++++++++++++

さて、昨日の続きです。国際情勢の急速な変化も被爆者の動きを加速させた。

『 その一つは、1949年(昭和24年)4月6日のトルーマン米大統領発言。大統領発言は、広島、長崎の惨禍が次第に世界に知られるようになり、原爆投下に対する国際世論が盛り上がり始めたのに対し弁明したもので、その内容は「原爆投下は二百万のアメリカ兵の命とその二倍の日本人の命を救うことを信じて決定した」というものだった。被爆者にとって、広島、長崎の市民の命を無視したかのような大統領発言はとても許せるものではなかった。被爆者ら有志は早速、平和署名運動を始め、その年の9月、10万人の署名を集めてトルーマン大統領に送りつけた。

 ソ連が同年8月29日に、初めて原爆実験を実施したことも被爆者を刺激した。被爆者らは10月2日、早速広島市内で「平和擁護広島大会」を開き、原子兵器の廃棄を高らかに宣言。そして、翌1950年(昭和25年)3月、第一回平和擁護世界大会委員会が提唱した原爆禁止署名運動にもすぐ呼応した。同大会は、ソ連の核兵器保有に伴う東西対立の激化を懸念して、スウェーデンのストックホルムで開催され、「原爆を最初に使用する国は人類に対する犯罪者である」との”ストックホルム・アピール”を発表すると共に、国際的な原爆禁止署名運動の推進を呼びかけた。広島ではそれを受けて、被爆者らを中心に県内全域で署名活動が進められ、短期間で百万人もの署名を集めた。日本国内で集まった745万人署名の実に13%余を占める署名数は、ヒロシマの反原爆の思いを示していた。

 被爆者はこうして、悲しみ、苦しみ、怒りをぶつけるように、プレス・コードの厳しい規制を乗り越えていった。そして、同年8月6日、被爆者らの思いは平和集会の非合法開催として一つの頂点に達した。』

 私が、ここの所、「核のない明日を目指して」の丸写しをしているのは、こうして、被爆者の過去の闘いを振り返ることに意味を見ているからです。被爆者の多くが亡くなっている今、そして、その力もとても弱ってしまって、または被爆者運動を支える人たちの発言が「違うんではないの?」と言いたくなることにもしばしば出会うようになりました。

 また、原発事故が起こった後、広島の運動を核兵器反対ばかりで、原発反対が無かったなどと無責任に気楽にいう人たちにも出会います。その人たちにもあの困難に状況の中で被爆者たちは、こんな闘いを闘って来たのですよ、と知ってもらいたい気持ちもあります。まだもう少し続けますね。    

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