2014年「ヒロシマ平和の夕べ」③初めての被爆女性大会
1948年夏8月6日、市民約千人のデモ行動に続く8月10日には労働省婦人少年局広島職員室主催で、初めての被爆女性大会が市内で開かれました。
今日は、その続きを。
『大会は「原爆」「被爆」の文字を伏せ「広島県下傷痍婦人協力大会」と呼称する慎重さで、参加者は八人にとどまったが、①国家的に医療研究を取り上げ、全力を注がれんことを望む ②実費診療並びに半年に一回の無料健康診断を望む ③生活困窮者に対してはとくにその救済対策を望む、など六項目の要求を決議文としてまとめ、芦田首相(当時)に送付した。当時、医療援護、生活援護などの被爆者対策を政府に要求するのは極めて勇気のいる行動だった。大会参加者はその後、被爆女性団体の結成に奔走。GHQの圧力で実現はみなかったが、被爆者援護要求を視点に据えた行動は被爆者を勇気づけた。
ほかにも、被爆者援護要求の動きはいくつか見られた。身心ともに劣悪な状況下で、ただひたすら我慢というわけにはいかなかったのである。
背景には、アメリカの研究機関「原爆障害調査委員会」(ABCC)の姿勢に対する怒りもあった。ABCCは1947年(昭和22年)3月から広島赤十字病院で被爆者の血液検査を始め、研究が本格化すると、原爆で亡くなった人の病理解剖や臓器提供まで求めるようになった。被爆者や遺族はその成果が治療や研究に役立てられるものと期待していたが、ABCCは検査結果や治療法などについて一切明らかにしなかった。そのため、被爆者の間で「ABCCは被爆者をモルモット扱いしている」との批判が高まり、それが怒り、憤りとなって表面化してきていたのだ。
加えて、国際情勢の急速な変化も被爆者の動きを加速させた。』
また続きます。
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私は、しつこい風邪に見舞われ、なかなか解熱しないため、昨日は、耳鼻科のドクターに診てもらいました。咽頭炎で、強力に、ふつうの二倍の量の抗生物質が必要と、処方してもらいました。ボルタレンが切れると、熱が出て、のどが猛烈に痛みます。抗生物質が効きますように。昨夜は、何年ぶりかで、睡眠薬を飲んで寝ました。朝まで一気に眠れました。
今日の診療後から秋田に向けて新幹線に乗ります。せめて熱が下がりますように。
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コメント
お風邪が重いのに、講演会や診察などをされてる河野先生のお体のお痛みをとってさしあげられない私どもは、ブログの更新や講演会などをかわってあげられたらと思いを一つにしてます。なるべくお体がおつらいのであれば講演会やブログ更新を控えられたらと願っております。アメリカは人種差別的な実験台に日本人を使ったな、アメリカの原爆使用や東京大空襲や沖縄戦やシベリア抑留、中国残留孤児のことを含めない極東軍事裁判は今の国民感情ではゆるされないと思う。それは日本の戦争犯罪をきちんと検証した上で対等にさばかれないと今の人種感覚にそぐわない。ましてやアメリカに都合のよい政府をつくるための策動としての原爆投下では。アメリカやイスラエルではファシズムを押さえるためには原爆使用は当たり前といってますが、日本の左派の一部の方々でも原爆使用を肯定的にみられる方々もいてとんでもない。原爆医療費はアメリカが支払うことが当たり前不平等感覚が現代人にはまるみえの極東軍事裁判はやり直したい。ただ、憲法改正には反対しながらもやっぱりアメリカは自分たちに都合のよい形で憲法を作らせたなとおもいます。形ばかりの民主主義のもとつくられた感覚があり原爆使用は肯定的にみてほしくないとおもいます。戦争の経過と結果によっては国民の恒久的な生命の侵害及び国家主権が脅かされる場合があるからこそ戦争反対だとおもいます。
投稿: 愛ちゃん | 2014年1月31日 (金) 16時09分
くれぐれも無理はされませんように・・・!
投稿: ふぁん | 2014年1月31日 (金) 19時55分
お疲れ様です。
本当に河野先生はお忙しすぎますが,全国に先生を待っている方がいらっしゃる。
でもくれぐれも無理をされないでください。
投稿: もみじ日記 | 2014年2月 1日 (土) 00時15分