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2014年「ヒロシマ平和の夕べ」②ブレス・コード

 昨日は、診療中に急に寒くなって、がたがた震えが来ました。寒い寒いと言っても、スタッフはケロッとしています。寒いのは、私だけかと、これはまた熱なのかと体温を測ると、38度3分。あわててまたボルタレンを飲みましたが、そのうち、顔が赤くなり、眼と耳が真っ赤になりました。耳が赤いというのは、なんだか恥ずかしいものです。顔は、半分はマスクで隠していますので、患者さんにはほとんど気づかれないで過ごせました。

 念のためにしたインフルエンザテストは陰性、白血球は12000。診療が終わる頃、だんだんと体が楽になって来ました。 

 まだボルタレンが効くのでありがたいことです。しかし、夜中に苦しくて目が覚めました。3時半です。熱を測ると、また38度。またまたボルタレンです。

 こんなに熱が続くのは、めったにないことです。

 今日が休みでありがたいことです。しなければならないことは満載ですが、診療をしなくてもいいのと、講演も入れてなくってよかったです。講演は、この週末からラッシュです。

 それまでに何とか体調を戻さなければ。

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 さて、休んでばかりもいられません。今年の「8.6ヒロシマ平和の夕べ」です。

 原爆投下の後、大変な惨事ですが、これらは、報道が禁じられました。一昨日に続いて、「核兵器のない明日を願って」から引用します。

『 第一節  原爆からの再生

 原爆で地獄と化したヒロシマ。「無」からの再生は困難を極めた。しかし、被爆者は悲しみの涙を拭い、原爆症と闘いながら着実に前進した。その生きざまは「人間の強さ」と「命の尊厳さ」の教示だった――――。

 

プレス・コードに抗して

 広島の原爆投下から3日後、二つ目の原爆が長崎に投下され、長崎の街もまた廃墟と化した。しかし、広島、長崎の被害状況の公表は、軍部によって一切封じられた。本土決戦を構えていた軍部は、原爆の惨禍を公表すると、国民の戦争士気に悪影響を及ぼすと考えたのである。8月15日に敗戦を迎え、その規制が解かれると、マスコミは両市の被害状況を一斉に報道し始めた。ところが、すぐに新たな規制がかかった。GHQ(連合総司令部)が9月19日に指令した「日本ニ与ウル新聞規制」(プレス・コード)である。

 プレス・コードは「直接又ハ間接公安ヲ害スル惧アル事項ヲ印刷スルコトヲ得ズ」「連合国ニ対スル虚偽又ハ破壊的批評ヲ行ハザルベシ」「連合国占領軍ニ対スル破壊的批評及ビ軍隊不信若ハ憤激ヲ招ク惧アル何事モ為サザルベシ」など十項目からなり、新聞だけでなく出版物全般に及ぶ絶対的規制であった。放送には同じ内容の「ラジオ・コード」が指令された。

 GHQは、中でも原爆問題には厳しい監視の目を光らせた。占領政策に悪影響することへの懸念と共に、原爆に関する一切を秘密保持する軍事的意図によるものだった。原爆に関する検閲は、プレス・コードが「原爆報道規制」と言われたほど微に入り、原爆に関する報道は事実上出来なくなった。いやそればかりか、被爆者が「原爆」を口にすることさえ難しくなった。

 しかし、家族や知人が次々と原爆症に倒れて行く中で、被爆者はとても口をつむぐことはできなかった。GHQの監視の目をかいくぐるようにして、まず被爆した文学関係者らが動きを始めた。栗原唯一・貞子夫妻や細田民樹ら約六十人はその年の12月、広島市安佐南区内の小学校で「中国文化連盟」を結成。翌1946年(昭和21年)3月に出版した「中国文化」創刊号で原爆を特集し、被爆体験記を掲載した。その翌年には、正田篠枝が原爆歌集「さんげ」、原民喜が原爆小説「夏の花」を発表。1948年(昭和23年)には大田洋子が小説「屍の街」を出した。

 こうした文学関係者の思いは、被爆者や市民の間にも広がり始めた。それが顕著な行動となって現れたのは、被爆三周年を迎えた1948年夏。8月6日の原爆犠牲者追悼式典に参列した被爆者ら市民約千人は式典後、広島市内中心部を行進し原爆の酷さを訴えた。文字通り堰を切ったようなデモ行動だった。続く8月10日には労働省婦人少年局広島職員室主催で、初めての被爆女性大会が市内で開かれた。』

 明日は、この女性大会について、それからそれに続く女性たちの闘いについて述べます。

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コメント

先生のお風邪の容態は容易ではないとおもいます。本当にお休みしていただきたいと思ってます、原爆については二重の報道規制が行われていたのはびっくりですが、原爆について考えると、アメリカは勝ちすぎたし、勝つことばかりに専念して日本人が日本のための自治権を奪うようなかたちを容認するような原爆投下容認論こそいけないと思っています。原爆、東京大空襲、沖縄戦はさけれたとおもうのとやっぱりアメリカの戦争犯罪であることは国民周知してます、本土決戦の戦意高揚のなれのはてであるが、東京大空襲の前にわかっていたのではと悔やみます、原爆はアメリカの戦争犯罪そのものであるがゆえに口おしいのは原爆がなければ我が国はもっとおさえこまれていたといわれてる都知事候補者がいるのはたしかですが、原爆は避けれたはずだと思います。本当に原爆は避けれただが原爆がなければもっとおさえこまれていたいという意見には納得してません。本当に原爆はアメリカの戦争犯罪だと思い、被爆者のための医療費はアメリカが支払えという政治家が早く出てきてほしい。

投稿: 愛ちゃん | 2014年1月30日 (木) 14時23分

先生、ブログの更新はいいので、早くやすんでください。

投稿: じゃこ | 2014年1月30日 (木) 18時47分

プレス・コード=特定機密ですね。
気温が上下していますから、体調には気をつけてくださいね。
お大事に。

投稿: やんじ | 2014年1月31日 (金) 05時22分

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