中沢啓治さん一周忌。
昨日までの性犯罪の被害にあった高校生のお話し、少し事態が動いていますので、ご報告については、お休みさせて下さい。また、必ずこの場で皆様にご報告します。性犯罪について、言いたいことは沢山あります。ただ、今、一番にしなければならないことは、彼女の件について、彼女の心が癒されるように。彼女が何を望んでいるかに沿って動くことです。ですから、そう動きます。
皆様からのメッセージ、ありがとうございます。まだまだ彼女へのメッセージは、継続して戴ければ嬉しいです。よろしくお願いします。
お話しは変わりますが。
昨日は、福井で中学三年生に話をして、すぐの列車で飛んで帰りました。
昨日は「はだしのゲン」の中沢啓治さんの一周忌でした。奥様を囲んで小さな食事会が開かれました。私は少し遅刻してしまいましたが、参加しました。
肺癌を患われて苦しい闘病生活を文字通り闘っていた中沢さんが、とうとう亡くなってしまって、はや一年です。
中沢さんは、遺言で葬式はしないこと、線香は炊かないこと、お墓も作らないことを奥様に伝えていらっしゃいました。あの被爆の後、散々炊かれた線香の匂いは、沢山の遺体のにおいと共に、中沢さんの記憶に染みついていて、とてもつらいのだと。
この一年、奥様にとっても、大変な一年でした。「はだしのゲン」の松江教委による小学校の図書室から閉架の報道は本当にびっくりの出来事でした。それは、私たちにとってもとても腹立たしいことでした。世界に羽ばたいている、この平和を願う漫画を様々な理由をつけて子どもたちの目から遠ざけようとする動きは今の世相をよく反映しています。
奥様はこれらの件で、殺到する記者さんたちの取材によく答えられました。「これまでは何でも主人に相談していたのに、その相談相手がいないから、一人で応えなければならないから、つらかった」と言われます。でも、奥様は、まったくぶれることなく、しっかり中沢さんの志を引き継いで来られました。これからも語ってほしいと思います。
亡くなられる4ヵ月前、「8.6ヒロシマ平和の夕べ」に来て下さった中沢さんご夫妻です。この前年には、中沢さん自身が舞台で平和への思いをしっかり語って下さいました。中沢さんはゲンそのものでした。もっともっと生きていてほしかった!!改めてその思いを強くしました。
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コメント
人は忘れる生きもです。
中沢啓治さんの思いを引き継いでいく、被爆者の思いを引き継いで行く、とても大切なことですね。
だからこそ「はだしのゲン」は、貴重な遺産ですね。
投稿: やんじ | 2013年12月20日 (金) 15時16分
場違いな事を聞くようで申し訳ありません。
仏円先生とは…
昭和55年頃、中野小学校で教師をされていた方なのでしょうか?
「はだしのゲン」は仏円学級の中ではいつも貸し出されボロボロになっている本でした。
仏円学級で歌った「原爆ゆるすまじ」は今でも歌えます。忘れていません。
写真を見て、あの時の先生かなと思いコメントしてしまいました。
投稿: | 2013年12月21日 (土) 09時41分